6.混乱と転覆
手直しが多くてなかなか投稿に進めない^^;;
突然、地響きのようなものを感じ、アレクサンドラは飛び起きた。
隣で寝ていたナターリヤも、即座に立ち上がって辺りを警戒している。
「聞こえたよな、サーシャ?」
「うん、聞こえた……」
再び、遠くで轟音が響く。
周りの木々が、衝撃音でざわざわと揺らめいている。
「……近くじゃなさそうだ。
確かそっちに、見晴らしのいい崖があったよな、行ってみよう」
抜き身の剣を手にしたナターリヤについて、アレクサンドラは走り出した。
来た道を少し戻ったところに、城が遠目に見える開けた場所があったのだ。
ナターリヤに追いついたアレクサンドラの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
「うそだろ、城が……!」
暗闇の中、稲妻のように閃光が城の周辺を舞っており、城のシルエットと煙が上がる様子が浮かんで見えたのだ。
「戻ろう、ナターシャ!」
アレクサンドラは即座に城に向かおうとした。
しかし、ナターリヤの手がアレクサンドラの手を掴んで引き止めた。
「サーシャ、駄目だ!貴女はこのまま神殿へ行くんだ」
「何だと!?」
アレクサンドラは、信じられないという顔でナターリヤを見た。
こちらをじっと見つめるナターリヤの表情は、恐ろしく冷静で、逆らうことを許さないほどの威圧を見せている。
「貴女が王女として為すべきことは、安全に逃げのびることだ。名誉の戦死なんかじゃない」
それは、国訓である。
アレクサンドラもそのことをもちろん知っている。
全ての国民が、有事で最優先することは、王家の者、かつ将来を担う者から、生かしきることであることを叩き込まれている。
王家の者には、女神ヴァシリーサの血をつなぐという最大の使命があり、
家族を見捨てても、部下を犠牲にして逃げたとしても、恥でもなんでもない。
全てをヴァシリーサの血のために利用せよ。
幼い頃から、そう教えられてきたし、
逃げるという消極的な捉え方ではなく、
逃げのびるという執念を長年かけて、当たり前の感覚であるように教え込まれてきたのだ。
だが。
今、逃げのびるという感覚が、どうも自分の意志と一致しない。
アレクサンドラは、再び城の方を見た。
城が危うい様を目にして。
母の顔を思い出して。
イーゴリや、近衛隊員を思い出して。
世話をしてくれ、可愛がってくれた城の者たちを思い出して。
いざそのときになってみると、自分の生まれ育った場をそんなにも簡単に見捨てることなど、とてもできはしない、とアレクサンドラの心が拒否してしまっている。
だが同時に、力のない自分が行ったところで、何もできることなどないのに、という思いも。
私に、力さえあれば!!
あの中に突っ込んでいって、全て倒せるだけの力さえ……あれば……!
「サーシャ!早く行きやがれ、この馬鹿!」
突如ナターリヤの怒鳴り声が響いた。
言葉はともかく、聞いたこともない叫び声に驚いて振り返ると、ナターリヤがアレクサンドラを引きずるようにして、神殿の方へ向かおうとしていた。
「アナスタシア様がいるんだ、大将もいる、将軍共もいるんだ、貴様は何も心配せず、行くんだ、ほら!」
わかりすぎるほどわかっているのだが、足が神殿の方にどうしても向かない。
もちろん正しいのは、一番安全と思われる神殿に行くことなのだが……
なぜだろう。
私は、あの場に行かなければ。
何か芯が定まったような、揺るぎない感覚が体を貫いた。
ナターリヤやイーゴリみたいな、もちろん母王みたいな、力はないのに。
何か強烈に、城の方に引かれるような感覚がある。
アレクサンドラは、その場で踏ん張り、歩みを止めた。
動かなくなったアレクサンドラを、ナターリヤが恐ろしい形相で睨んでくる。
その目を、じっと見つめ返し。
「ナターシャ。城へ戻る」
静かに一言、ナターリヤに告げた。
ナターリヤは、力づくででもアレクサンドラを神殿に引っ張ろうとしていたが、
急に力が抜けたかのように手を放した。
アレクサンドラの言葉には、有無を言わせぬ荘厳さがあったのだ。
ナターリヤはアレクサンドラに向き直り、軍人らしく頭を下げた。
「は……はい……我が君。全力で援護いたします。……先程はとんだご無礼を」
「ナターシャの言うことが正しいんだ。分かっている。でも……私はあの場に行かなければならない。
何かに、求められているような気がする。
さっきの崖から飛ぼう」
「……そうだな」
数時間かけて登った山の中腹から飛び降りれば、一気に城に近づける。
ナターリヤは一瞬俯いたが、顔を上げ、アレクサンドラに行こうと促した。
二人は城を見た崖まで戻ると、飛び降りるべく、肩を組んだ。
「いいか?サーシャ」
「よし。
せーの、はっ!」
二人は助走をつけて、一気に崖から飛んだ。
その瞬間、ナターリヤは風の魔法を発動させた。
二人の足元に風圧が起こり、落下速度を殺す。
山の麓、木々の生い茂る森の中へゆっくりと降り立った。
後は崖から反対方向へ走ればいいだけだ。
だが、森の中は当然、真っ暗である。
アレクサンドラは地図を取り出すと、魔法で光の球を作り出し、地図にかざした。
「ここにもう一つ崖があるな。ここを下りれば平野に出れる。
ここまで出るには……
ナターシャ、この先の木を剣圧でなぎ倒せる?ここを突っ切りたい」
「……結構とんでもないこと言うな、サーシャ。
まぁやってみよう、離れてろ」
ナターリヤは剣を抜き、力をまとわせる、
力を増幅させる魔法を加え、力を剣に溜めていく。
剣を振りかぶり、溜まった力で重みの増した剣を構え、助走をつけた。
勢いがついたところで、思いっきり剣を振り下ろす。
「……ぅおおらあぁぁっっ!!」
剣から放たれた威力が、前を遮る木々を次々になぎ倒した。
「すっげ、さすがナターシャ」
「どんなもんだ……」
ナターリヤは呼吸を整え、剣をしまった。
木々のなぎ倒された上を進み、蛇行して登ってきた山を一直線に城の方へ向かっていく。
きっと1時間もかからずに、戻れるだろう。
みんな無事だろうか、心が急く。
「サーシャ、もう一度ぶっ飛ばすから離れてろ。これで開けるといいんだが」
ナターリヤが再び、同じように気合を入れて、立ち塞がる木々をなぎ倒した。
するとその先に視界が開け、先ほどよりもはっきりと、煙と、所々火が上がる城の様子が見える。
「クソっ、間に合うか……?
一体何が起こってるんだ……
サーシャ、飛ぶぞ、行けるか」
「うん」
再び崖から飛び、風の魔法で無事に着地すると、もう山裾に降りてきていた。
後はひたすら、城に向かって走るだけである。
林を抜けるのに、結構時間はかかりそうだ。
二人は疲労軽減の魔法を施し、走り出した。
* * *
魔法をかけていても、全く休まないわけにもいかない、
普段の訓練で持久力もそこそこあるとはいえ、何十分も走り続けられるわけではない。
気ばかり急く中、もどかしく思いながら体を休め、ようやく城の裏手の平野部に出た。
だが、見たことのない光景に、アレクサンドラもナターリヤも思わず立ち止まって息を飲んだ。
城の周辺一帯が、浸水しているように見えたのだった。
「何だ、あれ……水?」
「……違う、水じゃない。
城の火が水面に写ってない」
「……黒い、雲海みたいな?」
「その方が合ってる」
城の方から轟音が響き、閃光が起こっているのが見える。
「……なんか、城の向こうに、黒いものが見えねぇ?黒煙か?」
「黒いものは見えるけど……わからないな。
あの光も稲妻じゃないみたいだ。魔法攻撃か?」
「サーシャ。誰か来る」
ナターリヤは、サーシャを木の後ろに導いた。
馬が数頭、こちら向かっているようだ。
「……あれ、エドガルか?
……後ろは……ソーニャと、ガーリャだ」
ナターリヤ配下の近衛兵3名であった。
「サーシャ、あれ、貴女の護衛に来たんじゃねぇか?」
「城があんななんだ、そうだろうな。
みんなには悪いけど、ナターシャ、見つからないように城へ行きたい。
見つかったらまず、城には帰してくれないだろ」
「サーシャ……」
「ナターシャ、貴女だけ付き合わせるけど、いい?
何なら城の手前まででも構わない」
「あのな、サーシャ、貴女のために命をかけるのが私の使命だ。
手前までなんてふざけたこと吐かすな。
こういうときの覚悟はとっくにできてんだよ。
分かったら、行くぞ、姿を消す魔法をかける」
ナターリヤはそう言うと、アレクサンドラに魔法をかけ、続いて自らにも魔法を施した。
二人の姿は木々に紛れ、念のため、木々を伝って存在感を消しながら城の方へと進む。
近衛兵3名は、馬を駆ったまま森へと入っていった。
すれ違ったのを確認すると、アレクサンドラとナターリヤは、再び城へ向かって走り出す。
城まで、走ればあと数十分というところか。
…………
…………
林を抜け、城の裏手までたどり着いたところで、再びアレクサンドラは異変に気付いた。
城から山の方へ逃げる、人、人、人。
馬車で逃げる者から、走る者、おそらく王都の住人たちだろう。
貴族も平民も入り混じって、怒涛のように押し寄せてくる。
「……チッ、流れに逆らって進むのは厄介だな、もう少しで城なのに」
木の影でひとまず立ち止まったナターリヤが呟いた。
二人の姿は、魔法を施しているうえ夜であることもあり、闇に紛れたままである。
こんな人波の中を城へ進めば、おそらく来た道を押し戻されてしまうだろう。
ナターリヤとはぐれないよう、腕を取り合って、人の流れの少ない西側の端の方へと少しずつ移動した。
「王都中の人が避難してるのか?
何が、どうなってる……」
アレクサンドラは呟いた。
ここからはもう平野部だ。
そして、浸水しているかのように見えたところへ、足を踏み入れていく。
「これは……
魔の者、じゃないよな……」
「私も初めて見る。何だ、この黒いもの……」
たしかに、水ではない。
だが、浅瀬のように、黒いものが広がっていて。
波のように、尖ったりへこんだりしている。
足首まで来るか来ないかの深さで、蹴ってみれば煙のようにはらわれる。
だがまた、水が空間に入り込むように、黒いものは戻ってくる。
「サーシャ?
なんか……貴女の体から、光が沸いてるように見えるんだけど……」
ナターリヤが、妙なことを言い出した。
訳がわからず、自分の手を開いて見つめてみる。
次いで、自分の体のあちこちを見てみる、
だが何も、変わった様子はない。
ナターリヤはどうなのか、と思い、目を向けてみると。
「ナターシャ、足……」
「え?
っうわ!」
ナターリヤの足に、黒いものが巻きついていくように見えたのだ。
ナターリヤ自身にも、見えているようだ。
アレクサンドラが身をかがめてナターリヤの足元の黒いものを、手で払う。
アレクサンドラの手から、たしかに、光のようなものが散ったように見えた。
「走るぞ、サーシャ、立ち止まってたら危ないみたいだ。
その前に……おらっ!」
ナターリヤが剣を一振りすると、目の前の黒いものが一掃された。
「よし!剣は効くらしい。あとは平野だ、城まで突っ切るだけだ」
「でかした、ナターシャ!
行こう」
二人は、再び走り出した。