59.コシチェイの断片
「さて、黒いものは許してくれるんだろうか」
休息を取った後、サーシャたちは再び黒いものに対峙しに戻ってきた。
サーシャを先頭に、先ほどの階下へ続く階段へと向かう。
「怒ってヤバかったらみんなで逃げればいい」
「我々でしたらご心配なさいますな、皆で別のところへ移り住みますので」
「ならいい」
長が、少しずつ扉を開ける。
黒いものが、階段から溢れるほどにまで迫っていた、しかも大きく波打っている。
サーシャはさっさと進み出て、階段に足をかけた、
「さっきは悪かった。
あなたを抱きしめに来た……望むのなら来い」
黒いものに、手を差し出した。
たちどころに、黒いものがサーシャにまとわりつく。
だがいつ見ても不思議だ、サーシャは、黒いものに貫かれることはないのだ。
イーゴリ、ナターリヤ、ヴィクトルは、後ろで見守ってくれていたらいいと、サーシャに言われていた。
一応旋律の結界を作って、油断なくサーシャを見張る。
サーシャの体からは、黒いものが取り込まれた跡の、黒い光が立ち上っていく。
サーシャは、もう数段階段を降りた。
膝から、腰の辺りまで、黒いものに浸かっていって、
上半身にも黒いものがまとわりついていく。
……私に、声を聞かせてくれる?
サーシャは黒いものに意識を飛ばした。
前回のように情報が得られるだろうか?
なければ別にいいのだが。
ーー我らが主よ。
ん?どこから?
ーー我らが主よ。我らが前に、どうぞお姿をお見せください。
前も……聞いたような。
ーーそこに、いらっしゃるのでしょう?
そこって?
ーーどうか、我らが元に、お戻りください。
どこにいるのか、わかんないな。
貴方は、何?
ーーおや。今、何か聞こえたような……
ーー本当か。
会話?
貴方達は、誰。
ーー我が主よ、そこにいらっしゃるのですね?
我が主って、なんだ?
ーーお願いです。我々では、コシチェイを止めることができませぬ。
魔剣クラデニエッツを手に入れ、コシチェイを倒してください。
コシチェイの核を手に入れて、どうか、復活なさってください……
コシチェイの核……
コシチェイは、どこにいる?
……返事はなし、か。
確かに、誰かがあの黒いものの奥にいる。
私を認識している?
前は、呼んでいるだけだったようだけど。
主が復活、てどういうことなんだろう。
ーー力が欲しいか。
え?
ーー望みを叶えてやろう。
誰?さっきと違う感じ。
ーー我を受け入れよ。
いや、違うよ。
私が受け入れに来たんだ。
ーー力が欲しくはないのか。望みが叶うのだぞ。
力は……
何度も、望んだけど。
でも、
与えられた力に意味はない。
それは私には使いこなせない。
自分の持てるものしか、使えない。
力がないからこそ、そんな気がする。
……お前も、黒いものか。
人に取り憑いていた種類の。
ヤロスラフが父親に言っていたことを思い出したーーあなたにその力は使いこなせない。身を引いてくださいーー
お前が……コシチェイ?
お前が、望みのある人々に取り憑いて、増殖していたのか?
ーー我を受け入れぬとは。ならば、滅びよ。
マジか。
そう言われても、私は今、旋律がないから取り込むことしかできない。
不思議だ、私はなぜこんなに落ち着いてるんだろう?
ヤバい状況のはずなのに。
前、黒い空間にいたときは怖かったのに。
というか、
お前に望みは叶えられないだろ。
いつも最後に私がお前を取り込んでしまうんだから。
ほら、来いよ。
取り憑きたいんだろ。
……受け入れてほしいのは、お前の方だろ。
黒くて見えないのだが、
コシチェイらしきものをつかむように、手を出して握る。
ーー衝撃。
重い……
何だ、これ、
重くて、苦しい……!
コシチェイは、黒いものからできた、
黒いものとは感情。
感情のうち、特に強いものからなるものが、コシチェイ?
苦しくて、呻き声が洩れる。
そして涙が。
息絶えそうにさえ思えるほどの苦しみが、永遠に続くのではないかと思える。
でも決めてきた。
あなたを受け入れると。
苦しみを、全身で感じる。
苦しみを、拒否することなく。
苦しい、重い、と思っているうち、
自分にまとわりついているものが、苦しい、重い、と言っているように感じた。
ーー今私の感じているものは。
黒いものたちの思いだ。
感じ切ると、消えていくのが分かる、少しずつ。
不意に、右手に暖かいものを感じた、
ーーイーゴリ。
感触はわからないが、温かさだけ感じる。
でも分かった、イーゴリが手を握ってくれているのだと。
……私は、大丈夫。
ああ、なんか安心してきちゃった。
寝ちゃいそう。
って、このまま寝ちゃって大丈夫なのか?
眠気と葛藤しているうちに、苦しさのことを忘れていた。
意識が飛びかけて、ふと気がついたとき、
目の前には、下に続く階段がある。
そして、体がイーゴリの腕に支えられている。
「姫さま」
イーゴリを見上げた。
「イーゴリ。……戻ったのか、私」
「黒いものはこの通り。大丈夫ですか」
「いや……寝そう」
サーシャは、階段の下を見る。
黒いものはなく、水が湛えられていた。
一体どれだけ取り込んだんだろう?
まさか、湖中のものじゃないよな?
ひとまず、ここでの黒いものは、ひと段落ついたということか。
立ったまま、イーゴリにもたれかかって、目を閉じた。
背中にイーゴリの腕を感じた、それを最後に、意識が遠のいていった。
* * *
目覚めたら、日が暮れる頃で、その上頭痛で結局起きられず、一晩宮殿で世話になった。
まだペルーンでの会議に間に合いそうではあるが、動けるようになったら出立した方がいいだろう。
と思ったのだが、なんともうひと仕事残っていた、
黒いものに侵されたルサールカとヴォジャノーイがまだ残っていたのだ。
「町に入るところまで我々の乗り物でお送りします、歩くより1日は稼げるでしょう」
長が申し出てくれたので、腰を据えて黒いものの取り込みに取り掛かることにする。
長はルサールカとヴォジャノーイたちの体に傷をつけ、
黒いものを放出させた。
黒いものが消えた階下への階段に、再び黒いものが溜まり、サーシャはそこへ触れる。
一部は旋律で浄化し、量をさらに減らして、サーシャへの負荷を極力なくすようにしたため、
意識も体調も問題なく、サーシャは黒いものを取り込んだ。
「では、お約束の報酬でございます」
長が財宝をサーシャたちの前に置く、
確かに、本物の硬貨や宝飾品の数々だった。
「それと、黒いものを取り除いてくださった報酬をお申し付けください。
貴女様の偉大なるお力を目のあたりにいたしました、
我々精霊はもともと、神々の下位存在、女神ヴァシリーサの末裔であらせられる貴女様のしもべも同然でございます、
我々に何なりと、お望みのものをおっしゃってください」
「その前に」
サーシャはヴィクトルに言い、ヴォジャノーイたちへの術を解かせた。
「仕事が終わったら解くと約束したからな。
それと、報酬だが……
そうだな、このヴィクトルも同じく、勇士イヴァンの末裔。
正確には、私たちは二人とも、父をイヴァンの末裔に、母をヴァシリーサの末裔に持つ者。
イヴァンの地を、豊穣にしてほしい。
そして、ヴァシリーサの地の無事だったところと、国を復興した際には、私たちの地も豊穣にしてほしい」
「なるほどな」
ヴィクトルが呟いた。
ヴォジャノーイとルサールカは、水の精であると同時に豊穣の精霊とも言われているとサーシャに教えていたのだ。
「お安い御用ではございますが、それでよろしいのですか」
「充分だ。そして詫びの品も……その礼としてお渡ししよう。
正直、持ち物があっても旅をするには荷になってしまうし、あなた方に力を誇示するために寄越せと言っただけだからな」
「それでは貴女様のお力には釣り合いませぬ。
ヴァシリーサの地を復興なさるのでしたら、ではこの金品を復興資金にお役立て下さい。
実のところ、我々精霊は金品を使いませぬ、
人を襲うという性質であるがために、船を沈没させるだけなのですから」
「人を襲うってのはどうにかならないのか」
ヴィクトルが口出しする、
「残念ながら性質は変えられませぬ。貴女様方のように強いお力を感じられれば、襲いませんが」
「ヴィーシャ、それはいいの。
こういう性質の存在があるということが、この世界の法則だ。
人にとって脅威になり得るが、そういう存在もあるということ、否定するのではなく、私は受け入れる」
サーシャは穏やかに、だが厳かな雰囲気さえたたえて言った。
ヴィクトルは、それ以上何も言わず、了承の意を示す。
「無礼を働きお力添えまでいただきながら尚そのようにおっしゃっていただけること、いくら御礼を申し上げても足りませぬ、貴女様方の地は必ず実り豊かに致しますこと、創造主、黒い神と白い神に誓います」
「ではこの金品はありがたく頂戴する、ただし、ここで保管しておいてくれ。
復興の折に、受け取りに来る。
それといくらかは、旅費としてもらっておこう」
サーシャは金貨を一掴み取り、3人にも金貨をそれぞれ持たせた。
「では、町の入り口までお送りしましょう」
長は宮殿の入り口で、例のナマズを呼んだ、
サーシャたちはナマズの背に乗り、ヴォジャノーイやルサールカたちに別れを告げると、また水中のトンネルを進むように、一気に水の中を街に向けて進んでいった。




