54.宿泊 2
酒場の隅のテーブルで、ヴィクトルとナターリヤは酒を酌み交わす。
話はいろいろと弾んだ。
ナターリヤはヴィクトルに遠慮しないし、男の会話に慣れている、アナスタシアにも近い地位にいたので、ヴィクトルにとっては自国の部下よりも話しやすく、話の合う相手だったのだ。
もうナターリヤにはマザコンだと表明している、
ヴィクトルは母アナスタシアの話を聞きたがった。
ナターリヤは、知る限りのことをヴィクトルに話す。
久しぶりに主君アナスタシアのことを誰かに話した気がする。
話していて、実に有能な国王を失ってしまったのだと改めて実感し、その表情はいつしか沈んでいた。
酒が入っているから、普段よりも緩みやすかったのだろう、
アナスタシアを思って、涙が頬を伝った。
城勤が長かったから、育ての母に次ぎ、第二の母のように慕っていたのだ。
テーブルに置いていた手を、ヴィクトルが握ってくる、
「……悪かったな」
「貴方のせいじゃない」
いつになく感傷的になっていたのか、ナターリヤはヴィクトルの手をそのままにしていた。
「お前が泣くのは意外だった」
「別に、普通に泣くよ」
手を握り合って言葉を交わす。
ヴィクトルの声は、どこか不思議だ。
暖かく、落ち着きのある、
いつも上から目線なのが嘘のように、寄り添って聞こえる。
なんとも、居心地のいい時間だーー
と、突然ナターリヤは、手を引っ込め、いつもの表情に戻った。
「アンタは人の心に入ってくるのもうまいんだな、
ほんとに、女を落とすのに慣れてる」
「心外だ、下心なんかない」
「じゃあ天性の女たらしだな」
「人聞きの悪いことを言うな」
「私を口説くつもりなんかないだろ?
そのくせ私に触れすぎなんだよ、普通の女は勘違いする。
今まで何人惚れさせたのか、言ってみな?」
「お前も何人の男と寝たのか言ってみろ」
「そこ聞く?ないわ、マジで」
「何だったんだ、さっきのしおらしさは、演技か?」
「演技じゃないよ?でも同時に別のことも頭で考えられる、それが女だ」
また、二人の間に、活気と笑い声が戻った。
しばらく飲んで、語り合ってーー
給仕の者とは少し違うような、だが宿の者らしき男がヴィクトルに近づき、側に控え、言った、
「ご準備は、整ってございます」
「……もうすぐ行くと伝えてくれ」
「かしこまりました」
男が去っていく。
ナターリヤは、誰だろう、と思った。
ヴィクトルはどこに行こうとしているのか?
「護衛は必要ないか?」
いらないのだろうが、聞いてみる。
「……チッ、察しろよ」
ヴィクトルは、少し気まずそうにした。
その様子で、ナターリヤには、すぐに分かったーー
「ああ。そういうこと。
気にせず行ってこい」
「……ここに来たのはそれもあってな。
お前はあの男がいたが、俺は城下町がなくなっちまったからな。
そろそろ人肌恋しい、ってやつかな……
悪いが女の客は想定されてない」
「私はしばらくいいよ、それに買わない派だし。
適当に飲んで、先に部屋に戻っとく」
ナターリヤは、手を振って、行ってこいと合図をした。
「じゃ、後でな」
ヴィクトルは、金をナターリヤに預け、席を立った。
* * *
サーシャとイーゴリは部屋を覗いたが、ナターリヤはまだ戻っていないようだ。
剣を背負ったまま、ナターリヤを探しに酒場に向かうことにする。
イーゴリはため息をついていた、酒場は嫌いなのだそうだ。
常に自分を律しているイーゴリは、酔っ払うのも嫌いだし、酔って絡んでくるなど言語道断と吐き捨てた、
そんな輩がいる酒場にサーシャを連れてなど行きたくなかったのである。
「堅すぎるよイーゴリ……
それじゃ私いつまでたっても箱入りの世間知らずじゃん」
「王女であらせられるのですから箱入りで結構です」
「世間知らずの王女なんてナメられるよ」
「それは我々部下が補佐するところですから」
「過保護って言葉知ってる?イーゴリ」
渋るイーゴリをよそに、サーシャは物怖じせず堂々と酒場に入り、ナターリヤの姿を探した。
「サーシャ、ここ、ここ」
ナターリヤの方から見つけてくれた。
「どしたの?部屋に戻ったんじゃなかったのか」
「ナターシャ」
イーゴリがつかつかとナターリヤに向かう、
そのしかめ面を見て、ナターリヤが怪訝な顔をした。
「この愚か者が、姫さまを男と二人きりにさせていいと思っているのか。
お前が姫さまのお供をせねばならんのに、殿下が引き止められているならともかく、
好き勝手に飲んでいるとはどういうつもりだ」
「えっ?何怒ってるの、大将?
大将なら問題ないじゃん」
当のナターリヤは、叱られている意味が全く分かっていなかった、
イーゴリが詰め寄り、説教が始まる。
ナターリヤは明らかに迷惑そうだった。
「イーゴリ……イーゴリ、やめなよ……」
見かねてサーシャが肩を叩く。
「ちょっとくらい緩んだって、いいじゃん……
もうほんと、頑なすぎだって。
私だって、そんな行軍みたいな旅、望んでないし」
「そんなことでは急な危機に対応できませぬぞ、遊びではないのです」
「説教はとりあえずやめて。他の人にも迷惑じゃん、そんな口やかましくしてたら」
「全くだよ、息が詰まるっちゅーの、大将の言うことって」
「いいからもう部屋に戻るぞ」
「えーー」
「ナターシャ、拗れたらめんどいし、帰ろ……」
「何でサーシャが気を遣うのさ、おかしくね?サーシャに気を遣わせてんの、大将の方じゃん」
「お前が勝手なことをするからだ、大体お前はーー」
「おおい、アンタら、うるせぇよ」
「喧嘩なら外でやれ」
「せっかく飲んでんのによ」
「痴話喧嘩かぁ?」
周りからそんな声が飛び出した、イーゴリが睨みつける。
「やめろ、イーゴリ。こっちが悪い」
サーシャが制した。
「貴方たちは黙っていろ」
サーシャはイーゴリとナターリヤに釘を刺す、
二人とも、サーシャの迫力に黙らざるを得なかった。
サーシャは酒場の客の方へ少し近寄るとーー
「わたくしの部下が騒がしくし、ご迷惑をおかけしました。
連れて出ますので何卒、ご容赦ください」
落ち着いた声で謝罪し、麗しく一礼した。
その佇まいは厳かで、明らかに貴族以上の存在を感じさせ、
まだ少女とも言える外見に似つかわしくなく堂々としている。
正体はわからないにしても、聞く者を鎮めるような言葉と声に、
それ以上文句をいう者はいなかった。
宿の客層として、粗暴な者が基本いないのも助けになったのだろう。
「こんな麗しいお嬢ちゃんにそう言われちゃ文句も言えねぇな」
「あれが部下って、すげぇな、何者なんだ、アンタ」
サーシャは微笑むだけで返事はせず、
踵を返して出口に向かうと、イーゴリとナターリヤに付いてくるよう促した、
ナターリヤが精算し、3人は酒場を後にする。
* * *
イーゴリもナターリヤも、押し黙ったまま、部屋に戻った。
それぞれ、サーシャの威厳に圧されてしまっているのを感じていたのだ。
イーゴリは説教し足りないし、ナターリヤは反発し足りない、なのに、先を行くサーシャの背からは、それ以上の応酬をやめろという気配がありありと出ていた。
やはりサーシャは、王たる器を持っているのだ。
どれだけ実力を持っていても、この主君の前には、逆らうことができない。
それを改めて、実感した。
部屋は、バスルームとベッドが4つだけの簡素なものだ。
それぞれベッドに陣取ったところで。
「はいっ、女王モード、終わり!」
サーシャが手を叩いて言った。
「私、意外に言うこと聞かせれるんだな、説教モードのイーゴリが黙るって」
サーシャは、もういつもの気さくな雰囲気に戻って、笑っている。
「サーシャには敵わないな、一気に酔いが覚めた」
ナターリヤが降参したかのように言う。
「あー、ごめんナターシャ」
「いや、悪いのは大将じゃね?」
「そうだよ、大袈裟なのこの人、聞いてよナターシャ」
唐突に始まったサーシャとナターリヤのおしゃべりにため息をつきながら、
イーゴリはベッドに寝転んで休息を取るのだった。
ヴィクトル様は風●に行く人ですすみません。




