51.王子の旅路
やっとこさ一話上がりました。
4章はちょっとゆったりペースでいこうと思います。
イーゴリ、ナターリヤ、ヴィクトルは、サーシャの後ろ姿を見つめる。
サーシャが手を広げ、そこへ、黒いものが吸い込まれていく。
そして、サーシャの体から、黒い光が立ち昇っていく。
イヴァンの国の端の方に、ときどき、黒いものが少しずつ残っていた。
旋律で浄化することもできるが、サーシャができるだけ自分の手で還したいと言ったのだ。
量が少なければ、サーシャも意識が飛ぶことなく浄化できる。
自らの体を通して黒いものを黒い光に変えていく、サーシャのその姿は、まさしく救い主と言うべき、慈愛に溢れ寛容そのものであった。
まるで儀式を行なっているかのようにーー
残りのものは、佇まいを正し、サーシャの後ろに控えるのだった。
…………
…………
イヴァンの国のうち、台地や山地など高い位置にある地域の領地や村は、無事だった。
山などが近くにあって、高台に逃げることができた人々もまた無事だった。
進行方向にある村には立ち寄り、ヴィクトルが挨拶だけしていく。
王子の訪問に、村の者たちは皆喜び、頭を下げた。
ーー特に女性たちの大半が、きゃあきゃあと黄色い声を上げながら。
ヴィクトルは、父から言付かった財を渡し、城の復興の要請と、余剰農産物を城まで運んでくれるよう、村の者たちに頼んで回る。
各村の状況については、おそらく、そのうち城から調査が入るだろう。あとは国に任せることにして、先を急ぐ。
「農作物というのが何よりもまず重要だというのが、今回の籠城を経験して身に染みたな。
それを育てる農民がこれほど大事だったとは……初めて知った。
国の方こそ見放されぬような政治をせねばな」
ヴィクトルが呟く。
サーシャも、その言葉を噛みしめた。
いつか復興した際には、農業を大事にしようと、心にしっかりと刻んだ。
* * *
一行は、馬を飛ばして東の山地に向けて進んでいた。
この馬は、おそらく黒いものに飲み込まれた村から逃げていたと思われる馬で、皆で捕まえて使っている。
というのは、鞍はないものの、手綱がついたままだったからである、野生の馬ではない。
とりあえず2頭確保できた、
ヴィクトルの采配で、サーシャとイーゴリ、ナターリヤとヴィクトルが一緒に乗っている。
体重の比率でちょうどいいだろ、と言われ、ナターリヤがヴィクトルに噛み付いていた。
イーゴリと一緒に馬に乗るのは、子どものとき以来だ。
つまり、大人になってからこうして馬に乗るのは初めてなのだ。
鞍もないので、イーゴリの両腕に包まれるように支えてもらうしかない、
イーゴリのことを意識している今、とても嬉しい時間なのだが、緊張して体がこわばってしまう。
背中にはイーゴリの胸が密着しているし、イーゴリの息遣いが直に伝わってくるのだ。
……やばいな。イーゴリがカッコ良すぎる。
胸の高まりが収まる気配がない、顔が火照っている気がする。
屈強な腕と広い胸板、落ち着いた低い声、
自分に絶対的に付き従ってくれるーー
男の魅力に溢れている、
今まで意識しなかったのが不思議だった。
いや、今まで、イーゴリを独占したかったのはワガママな性格だからと思っていたのだが、
そうではなくーー
いつからかもわからないが、いつのまにか、男として意識していたからだ。
「姫さま。力を抜いてください、馬に緊張が伝わってしまいます」
耳元でそう言われ、力を抜くどころか、ますますこわばってしまう。
この状況で無茶言うなよ!と内心で思うのだが、そうと言えるわけもない。
「く、鞍がないと、不安定で」
「ならば私にもたれかかってください、その方が支えやすいので」
「ま、待ってよ、緊張しちゃう」
「今更何をおっしゃいます、昔はこうして遠出も致しましたでしょう」
ーー子どものころと今の私、イーゴリにとっては変わらないのか。
イーゴリにとっては……私は、女としては映ってないのか。
それとも女嫌いだから、女として見てないから、こうできるのか。
ちょっとした失望感が襲う。
「私って……子どもっぽい?」
「いいえ、すっかり大人になられたと存じますが」
「大人の女だと思う?」
「大人の女、という言い方は、姫さまにはふさわしいとは思えませぬ」
「じゃあ、どういう言い方がいいと思う?」
「……そういうことは、よくわかりませんので」
イーゴリが言い澱んでいる、それ以上言うのはやめることにした。
多分、女という話題は好まないだろうから。
「ごめん。
やめるね」
大きく息をついて、イーゴリにもたれかかった。
全て、イーゴリに預けるように。
イーゴリが、全身で自分を包んでくれるように感じる。
居心地がいい。
本当に。
イーゴリは、それ以上しゃべらなかった。
サーシャも、何も言わなかった。
…………
…………
一方、ナターリヤとヴィクトルはーー
「おい、近すぎるんだよ、ヴィーシャ」
「そんなことないだろ、二人で乗ってるんだからこんなもんだ」
「ああ、私、二人乗りしたことないわ、
変な感じだな、女の位置って」
「お前、ドレス着たことは?」
「ないよ、軍人だもん」
「着たいとか思わないのか?」
「別に……歩けねーじゃん、必要もないし」
「へぇ……」
「ドレス着て誘うような男ならいらねーしな」
「物好きな男ってのは意外にいるもんだな」
ヴィクトルは出立して早々に、敬語は使うなと表明した。
サーシャが以前イーゴリに言ったように、行く先々で王子という身分が知れると色々面倒になりそうだったし、信頼できる面々ばかりなのだ、友人同士のように過ごしてみたかったのだ。
ナターリヤは既にヴィクトルに対して言葉を崩しかけていたから、すぐに友人同士のような間柄になった。
問題はイーゴリである、何度言ってもサーシャを姫さまとしか呼べなかったのが、ヴィクトルに対しても同様だった。
「アナスタシア様のご子息に対し、無礼な物言いをするわけには参りませぬ」
イーゴリは頑なに、敬語を止めるのを拒否するのだった。
サーシャは、もう諦めていて、姫でいいと言っている。
ヴィクトルにも、諦めるように助言していた、こういう人だから、と。
「お前の兄はなんであんなに頑ななんだ」
「知らないよ、育ちの違いじゃね?
私、農村育ちだし、父は貴族じゃない。
大将のお父さまは厳格な人だって父から聞いた」
「あれより厳格とかどうなんだ……」
「だから私の母と合わなかったんだろ、私じゃ絶対無理。
貴族って大変だな、家同士で結婚しないといけないとか」
「俺もあの令嬢を押し付けられるとこだった、お前たちが来なければな。
まったく、王子ってのは息が詰まる」
「愚痴ってんじゃねーよ、アンタのお父上は、先代とやらの影でそれでも国王として頑張ってこられたんじゃねーか!ナメたことぬかすなよ」
ヴィクトルは、一瞬言葉を失う。
父は確かに、王太子の間も、国王になってからも、その息が詰まる中、ここまで自分を育ててくれたのだ、と今更ながら、気付いた。
父は気弱だと、だから自分が守らねばと思ってきたのだが、
その自分の土台となってくれていたのが、まさしく父アレクサンドルだったのだ。
「……この俺を黙らせるとはな。お前、やるな」
「何か知らないが、私はよく男から愚痴を聞かされる。
王子様にまで言われるとはな。まぁ、私はそういう男どもに発破をかけてやるのが嫌いじゃない」
「俺もお前にかかれば数多くの男の一人か」
「全員と寝たわけじゃねえぞ」
「ははっ、別にそれでもいいと思うがな」
「アンタもなかなか変な奴っぽい、面白くていいけど」
馬のおかげでだいぶ距離が稼げた、
二人乗りでは馬の負担も大きいので、早めにキャンプを張ることにする。
「マジか、野宿かよ」
ヴィクトルが言う。
「初めてか?王子様」
「うるさい、野営経験ならある」
「最初は私たちを見てな。ヴァシリーサの国のやり方だ」
手際よく、ヴィクトル以外の3人が食事と寝床の準備を整える。
遠征を得意とすることでヴァシリーサの国は評判だった。
しかも、急な遠征にも対応できるのが、ヴァシリーサの国の特長だった。
準備にそれほど時間がかからないということである。
その上、他国の軍にありがちな、通過する町などで食料を大量に消費したりすることなく、
むしろ町や村を経由せず遠征地に到達できるので、時間も短縮できる、その点でも評判がよかった。
サーシャが成人の儀に向かうときにしていたように、
鍵は食料の現地調達力の高さである。
ヴィクトルは今初めて、その方法を目の当たりにしていた。
* * *
「獲物を撃つときは極力頭を狙え。
食うところには傷がないに越したことはない」
ナターリヤのアドバイスを元に、ヴィクトルは何なく遠くの水面を泳ぐ鳥を魔法で撃ち抜いた。
あまりに静かに撃ったものだから、周囲を泳ぐ鳥がそれに気付いて逃げ去ることもなく。
立て続けに、さらに二羽を撃ち抜く。
「おお、さすが。超優秀な王子様は飲み込みが早いな」
「うるせえよ」
「褒めてんじゃねーか。
じゃ、回収だ」
ヴィクトルは細い光の糸を手に出し、水面で撃ち取った鳥にそれを投げかけた。
光の糸は鳥まで達すると、ヴィクトルの意思に従って鳥に絡みつき、引き上げられた釣り糸のようにヴィクトルの手元まで持ってきてくれる。
「いい鴨じゃん。今晩は美味い食事になりそうだぜ」
ナターリヤが一羽を手に取ると、素早く処理にかかった。
見よう見まねで、ヴィクトルも初めての作業に取り掛かる。
「初めてにしちゃ上出来だな、新米兵士だって最初は抵抗するのに」
「帰ったらうちの兵士どもにも伝授してやらなきゃならんからな。
食料も確保できねぇひ弱なイヴァンの国と思われたら困る」
「あいつらじゃ、最初は何人かは卒倒するかもな……」
「サーシャも、母上もできるんだろ?
……ヴァシリーサの女は実に逞しいな」
「意外に女兵士の方がこういうのは平気な顔してやってるぜ」
狩猟を教えてくれと言ったのはヴィクトルの方だった。
食料確保の心配などしなくていいはずの王子がそんなことを言うのは意外だったが、
母アナスタシアのように、する必要がないとしてもできるようになりたいとヴィクトルは言った。
新兵をしごくように鍛えてやろうと思っていたナターリヤだったが、
この王子は余裕のある態度を崩さず、それでいて素直にナターリヤの言う通りにやっていく。
イヴァンの国で出会った頃は、俺様な感じのこの王子が即位して大丈夫かと思ったこともあったが、
実際は、聡明で優秀、アレクサンドル国王とアナスタシア国王の子という立場に負けることのない青年であった。
サーシャも心を許して懐いているし、いい国王になるのだろうと今では思う。
急ぐ処理を終え、獲物を下げてキャンプ地へと戻る。
「及第点はもらえそうか?ナターリヤ隊長」
「はぁ?何甘ったれたこと言ってんだ、新人が初日にやることをこなしたくらいで及第点なんかやれっかよ」
「ははは、お前って鬼教官だな」
「猪を一人で獲って肉にまでできたら合格にしてやるよ」
「マジか、容赦ねぇな」
そんな言葉を交わしながらも、どちらの表情も穏やかで、笑いが浮かんでいた。
ヴィクトル王子 が 仲間に 加わった
ってどーしても書いてしまう。
歴は浅いんですけども。




