50.見送る者
父王は、自室ではなく、サーシャの使っている部屋ーーアナスタシアの肖像画のあるーーにいた。
高い位置に掲げてあった肖像画を、手の届くところまで下ろしている、
絵は劣化しないように魔法で表面が覆われていて、父はその上から、アナスタシアの頬の辺りに手を触れていた。
「サーシェニカ」
父は、母と同じようにサーシャを呼ぶ。
「名残惜しいが、引き留めるわけにはいかぬな。
ヴァシリーサの次期国王よ」
父は、寂しそうであった。
「ヴィクトルと、仲良くやれそうでよかった。
旅の間も、それぞれ国王になってからも、助け合っていくのだぞ。
私とアナスタシアの一番の願いだ」
「お父さま」
サーシャは父王の話を遮った。
父王は、今回のことを経て、どことなく老いたように見えてしまった。
おそらく、度重なる心労のせいだろう。
「まだ、私たちを置いていかせなど、しませんよ?
……お父さまがいると思えるだけで……国を背負うことへの重圧に、耐えられそうな気がします。
だから……どうか、お元気で、まだまだこの国を治めていてください」
サーシャは、父王の側に寄り、父の袖を軽く掴んで、言った。
「サーシェニカ……」
「お母さまがいなくなった今……お父さまだけでも、いてください」
父の胸に、顔を埋める。
父の温かい腕が、そっと肩を抱いてくれた。
「……わかった。約束しよう、アナスタシアのためにも、我が娘の支えとなれるようにいると。
離れていても、いつもお前のことを思っている。安心して行くがよい」
「お父さま……
……まだ、行きたくない。
……もう少し、お父さまと一緒にいたい」
サーシャは父に抱きついて、涙を落としながら……言っていた。
まるで今まで、ひっそりと抱えてきた、母を亡くした寂しさが、こぼれ出ているようだ。
「甘えん坊だな、サーシェニカ。
……お前を抱っこすることもほとんどできなかった……
赤ん坊だったおまえが、いつしか、ここまで大きくなってくれて。
すまなかった……
おまえと一緒にいられずに」
父のせいではないことなど、とっくにわかっている。
いないのが当たり前で、そのせいで寂しいなどと思ったこともなかった。
でも、今、父の腕の中で。
父が、自分を愛してくれているのを直に感じて、
母を急に亡くしたときの穴が、消えて行くような気がしている。
イーゴリはもちろん大きな支えなのだが、やはり、親ではないのだ。
子どもだったころはともかく、どこか、迷惑をかけまいと思ってしまう。
父だからこそ見せられる心の内がある、
それがやっと……出せたのだ。
サーシャは、大きく息をついた。
「大丈夫、お父さま。
お父さまが見守っていてくれるなら、大丈夫です。
国を建て直したら、ご招待しますから」
「その頃には私はヴィクトルに位を譲っているだろう。
……余生をヴァシリーサの国で過ごしてもいいかもしれんな」
「そんなに早く?まだ10年は在位されるでしょう?」
「ヴィクトルが目的を果たし戻ったら、譲位の準備をしようと思う。
あれは優秀な国王になろう。尊大に振る舞っていたのも、私のためだったとはな……
息子はとうに、私を超えていたのだ。
アナスタシアから、きちんと王としてあるべき姿を教わっておったようだ」
「お母さまはもちろんですけど、……お父さまもです。
ヴィーシャ……お兄さまは、ちゃんと、お父さまの背中を見て育っておいでです、
先代の思想に飲み込まれることなく。
一番お兄さまと時間を過ごされたのは、お父さまなのですから。
お兄さまは、何だかんだいって、大切なものを守れる優しい人。
お父さまに、よく似ていますよ」
父王の顔が、少し綻ぶ。
「お兄さまが即位なさるときには、お祝いに来ますから。
私が即位するときにも、お呼びします」
父と娘は、抱擁し合う。
この父と一緒に暮らしたかったと、少しだけ思う。
ヴィクトルもそうだっただろうか。
4人で暮らすことは、たとえ王家という枠を外したとしても、もう叶わないけれど。
「おまえのことはイーゴリによく頼んでおいた。
父として、あの男には安心しておまえを任せられる。
今までもそうだったろうから、今更私がいうことでもないが、イーゴリを大事にな」
イーゴリのことを言われて、一瞬緊張する。
「ええ……ええ、もちろんです、お父さま。
どうしても甘えちゃうけれど……でも、大事にしたいのです」
「案ずるな。
頼ってほしいと言っていたぞ。
一人で抱え込まないでほしいと。
おまえたちはあれだけ信頼し合っているのだ……困難が訪れようとも、一緒に、乗り越えていけるだろう」
サーシャは、顔を赤くしてうつむいた。
父の言葉は嬉しいものだが、主従としての意味だろうか、それとも、主従を超えてということだろうか。
それを確かめる勇気は、今はなかった。
真実を解明し一区切りつくまでーー何年先のことかもわからないーーこのままでいるのが、
少なくとも自分のためにはよかった、
もし断られたらーー
イーゴリとの今まで築き上げた全てが、意味をなさなくなる気がしたから。
ーーヴィーシャの馬鹿。
本当に、気づかなければ、本当に……楽だったのに。
* * *
黒いものがなくなったことが実感できるような、青く透き通った空となった翌日、
サーシャたちは、東に向けて出立した。
城の復興の負担にならぬよう、馬は使わないことに決めた、またも徒歩での旅である。
父王、側近、将軍レオニード、副将たち、一緒に戦った兵士たち、メイドのファイーナたち……
城の者が総出で、サーシャと王子ヴィクトルをいつまでも見送った。
城下町に降りてくる、もう、人の姿は見かけなかった。
黒いものに覆われた町の建物は、あちこちが崩れていた。
人っ子一人町にいないのは、不気味な気がしてしまう。
ヴァシリーサの城下町も、黒いものが晴れればこんな感じだろうか。
ヤロスラフが、この国の復興のために人手を寄越してくれることが決まっている。
次に父を訪ねるときには、きっと活気に溢れたイヴァンの国が、初めて見られるのだろうか。
東にしばらく行くと、一つ山脈がある、そこを越えればいくつか国を通って、目指す国ぺルーンにたどり着く。
黒いものは、ヴァシリーサへ続く丘は越えたが、山脈は越えられないだろう、山の向こう側へは黒いものの被害は及んでいないはずだ。
だがコシチェイが世界中で暴れるという情報があった、いつどんな形で出現するか、まったく予測がつかない、山を越えても油断してはならないだろう。
ヴィクトルにとっては、初めての長旅である。
ぺルーンに行ったこともあるし、遠征経験もあるが、護衛と共に、全て用意を整えてもらっての旅しかしていない、
自力で行くという意味では初めてだった。
馬なら今日中にはあの辺までいけるのに、などと早速呟くのを、ナターリヤに突っ込まれていた。
そのナターリヤは、しきりに眠いとこぼしている、聞くと昨夜はほぼ寝れなかったらしい。
神経の図太いナターリヤが珍しいなとサーシャは思っていた。
イーゴリも、旅に出るのはそう特別でもないのに珍しいと言っている。
「疎い奴らだな、まったく……
男に寝かせてもらえなかったなんて想像もつかないんだろうな」
ナターリヤの後ろで、ヴィクトルが言う。
「ほっといて、別に貴方たちに迷惑はかけてない」
「迷惑だとは言っていない。
あいつらがウブで面白いだけだ。
……大丈夫か?」
「徹夜の行軍だってやってた、問題ない」
「そうじゃなくて。
あの男と離れて大丈夫かって」
「何の心配してんすか?最初からいっとき楽しむだけの関係だよ、私はそういうタイプだし、彼にも最初にそう言った。
貴方こそ大丈夫なのか?あの令嬢のこと」
「別にいい仲でもなんでもなかったんだ、そもそも俺が振ったし、それこそ問題ない」
「この話題はおしまいにしましょう、終わったことだし。
……あ、もしかして、私のこと心配してくれたんすか?王子様がわざわざ」
「フン、お前が心ここにあらずだったら道中困ると思っただけだ」
「心配ご無用、私はサーシャに命をかけてますから、男が入り込む隙間はないんだよ」
「……大したものだな、そこまで割り切れるとは」
* * *
国王アレクサンドルは、サーシャたちの姿が見えなくなっても、まだ城門のところに立ち尽くしたままであった。
王が下がらないのに他のものは下がるに下がれない、側近が軽く促す。
「すまなかった、皆、下がってよいぞ。私は今しばらく……」
一同は王の胸の内を察して、静かにその場から去る。
側近は王から少し離れて、控えた。
王の後ろに、レオニードも残っていた。
見えなくなったサーシャ一行を、まだ追っているかのようだ。
「見送るというのは、寂しいものだ」
王が呟いた。
「この城も、寂しくなるな」
レオニードは、王の横顔を見る。
息子の代わりになって王を支えるつもりで務めろと、ナターリヤに言い含められていた。
そのときはナターリヤのことで頭がいっぱいだったのだが、
王の顔を見て、ナターリヤのその言葉が急に思い出されてくる。
「陛下。
わたくしが、命にかえましても……陛下のお側におります。
どうか、ご心配なされますな。
ヴィクトル様がお帰りになられたとき、驚かれるくらいに、復興を成し遂げてみせましょう」
王が、レオニードの方を振り向く。
「感謝している、将軍レオニード。
そなたはこの短期間に、一皮も二皮もむけたな、実に、立派な男になった。
我が国におけるイーゴリのようになってくれると信じているぞ」
「勿体なきお言葉。
イーゴリ殿にはまだ到底及びませぬが……いつか追いつけるよう、精進して参ります」
王は微笑むと、踵を返し、城の方に戻り始めた。
レオニードは、もう一度、城門の外を見るーー
「未練かな?レオニード」
突然、王から言葉がかかる。
「はっ……いえ、あの、そのような……」
「愛する者を見送る気持ちは、私にもよくわかる」
「陛下……いえ、陛下がお気になさるようなことではございませぬ」
「今は寂しかろうが、すぐ慣れる。
……私はアナスタシアを見送るのに、慣れているのでな。もう、会うことは叶わぬが……」
レオニードはうつむいた。
王は、二度と想い人とは会えない。
自分も、もう、あのひととは会えないだろう。
「だが、アナスタシアを愛して、よかった」
誰にともなく、王が呟く。
本当に。
あのひとを愛して、よかった。
あのひとを愛したことは、自分の誇りだ。
レオニードは顔を上げ、王の呟きに、返答する。
「ええ、陛下、本当に」
王が振り返り、
微笑を浮かべ、うなずいた。
「さて、やることは山積みだぞ。戻るとしようか」
「はい、陛下」
レオニードは、王に続き、城に向かって歩き出す。
もう、外は振り返らなかった。
第三章 了
第四章準備+ストック作成のため少しおやすみします。
来月にはスタートできるといいなー。
休み中もときどき呟くと思います@M_O_Minka




