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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
第三章 父の国
50/203

50.見送る者


父王は、自室ではなく、サーシャの使っている部屋ーーアナスタシアの肖像画のあるーーにいた。

高い位置に掲げてあった肖像画を、手の届くところまで下ろしている、

絵は劣化しないように魔法で表面が覆われていて、父はその上から、アナスタシアの頬の辺りに手を触れていた。


「サーシェニカ」

父は、母と同じようにサーシャを呼ぶ。


「名残惜しいが、引き留めるわけにはいかぬな。

ヴァシリーサの次期国王よ」


父は、寂しそうであった。


「ヴィクトルと、仲良くやれそうでよかった。

旅の間も、それぞれ国王になってからも、助け合っていくのだぞ。

私とアナスタシアの一番の願いだ」

「お父さま」


サーシャは父王の話を遮った。

父王は、今回のことを経て、どことなく老いたように見えてしまった。

おそらく、度重なる心労のせいだろう。


「まだ、私たちを置いていかせなど、しませんよ?

……お父さまがいると思えるだけで……国を背負うことへの重圧に、耐えられそうな気がします。

だから……どうか、お元気で、まだまだこの国を治めていてください」


サーシャは、父王の側に寄り、父の袖を軽く掴んで、言った。


「サーシェニカ……」

「お母さまがいなくなった今……お父さまだけでも、いてください」


父の胸に、顔を埋める。

父の温かい腕が、そっと肩を抱いてくれた。


「……わかった。約束しよう、アナスタシアのためにも、我が娘の支えとなれるようにいると。

離れていても、いつもお前のことを思っている。安心して行くがよい」


「お父さま……


……まだ、行きたくない。


……もう少し、お父さまと一緒にいたい」


サーシャは父に抱きついて、涙を落としながら……言っていた。


まるで今まで、ひっそりと抱えてきた、母を亡くした寂しさが、こぼれ出ているようだ。


「甘えん坊だな、サーシェニカ。

……お前を抱っこすることもほとんどできなかった……

赤ん坊だったおまえが、いつしか、ここまで大きくなってくれて。


すまなかった……

おまえと一緒にいられずに」


父のせいではないことなど、とっくにわかっている。

いないのが当たり前で、そのせいで寂しいなどと思ったこともなかった。


でも、今、父の腕の中で。

父が、自分を愛してくれているのを直に感じて、


母を急に亡くしたときの穴が、消えて行くような気がしている。



イーゴリはもちろん大きな支えなのだが、やはり、親ではないのだ。


子どもだったころはともかく、どこか、迷惑をかけまいと思ってしまう。



父だからこそ見せられる心の内がある、

それがやっと……出せたのだ。


サーシャは、大きく息をついた。


「大丈夫、お父さま。


お父さまが見守っていてくれるなら、大丈夫です。


国を建て直したら、ご招待しますから」


「その頃には私はヴィクトルに位を譲っているだろう。

……余生をヴァシリーサの国で過ごしてもいいかもしれんな」


「そんなに早く?まだ10年は在位されるでしょう?」

「ヴィクトルが目的を果たし戻ったら、譲位の準備をしようと思う。

あれは優秀な国王になろう。尊大に振る舞っていたのも、私のためだったとはな……

息子はとうに、私を超えていたのだ。

アナスタシアから、きちんと王としてあるべき姿を教わっておったようだ」


「お母さまはもちろんですけど、……お父さまもです。

ヴィーシャ……お兄さまは、ちゃんと、お父さまの背中を見て育っておいでです、

先代の思想に飲み込まれることなく。


一番お兄さまと時間を過ごされたのは、お父さまなのですから。

お兄さまは、何だかんだいって、大切なものを守れる優しい人。

お父さまに、よく似ていますよ」


父王の顔が、少し綻ぶ。


「お兄さまが即位なさるときには、お祝いに来ますから。

私が即位するときにも、お呼びします」


父と娘は、抱擁し合う。


この父と一緒に暮らしたかったと、少しだけ思う。

ヴィクトルもそうだっただろうか。


4人で暮らすことは、たとえ王家という枠を外したとしても、もう叶わないけれど。


「おまえのことはイーゴリによく頼んでおいた。

父として、あの男には安心しておまえを任せられる。

今までもそうだったろうから、今更私がいうことでもないが、イーゴリを大事にな」


イーゴリのことを言われて、一瞬緊張する。


「ええ……ええ、もちろんです、お父さま。

どうしても甘えちゃうけれど……でも、大事にしたいのです」


「案ずるな。

頼ってほしいと言っていたぞ。

一人で抱え込まないでほしいと。

おまえたちはあれだけ信頼し合っているのだ……困難が訪れようとも、一緒に、乗り越えていけるだろう」


サーシャは、顔を赤くしてうつむいた。


父の言葉は嬉しいものだが、主従としての意味だろうか、それとも、主従を超えてということだろうか。


それを確かめる勇気は、今はなかった。


真実を解明し一区切りつくまでーー何年先のことかもわからないーーこのままでいるのが、

少なくとも自分のためにはよかった、


もし断られたらーー


イーゴリとの今まで築き上げた全てが、意味をなさなくなる気がしたから。



ーーヴィーシャの馬鹿。


本当に、気づかなければ、本当に……楽だったのに。


* * *


黒いものがなくなったことが実感できるような、青く透き通った空となった翌日、


サーシャたちは、東に向けて出立した。


城の復興の負担にならぬよう、馬は使わないことに決めた、またも徒歩での旅である。


父王、側近、将軍レオニード、副将たち、一緒に戦った兵士たち、メイドのファイーナたち……


城の者が総出で、サーシャと王子ヴィクトルをいつまでも見送った。



城下町に降りてくる、もう、人の姿は見かけなかった。


黒いものに覆われた町の建物は、あちこちが崩れていた。

人っ子一人町にいないのは、不気味な気がしてしまう。


ヴァシリーサの城下町も、黒いものが晴れればこんな感じだろうか。


ヤロスラフが、この国の復興のために人手を寄越してくれることが決まっている。

次に父を訪ねるときには、きっと活気に溢れたイヴァンの国が、初めて見られるのだろうか。



東にしばらく行くと、一つ山脈がある、そこを越えればいくつか国を通って、目指す国ぺルーンにたどり着く。

黒いものは、ヴァシリーサへ続く丘は越えたが、山脈は越えられないだろう、山の向こう側へは黒いものの被害は及んでいないはずだ。

だがコシチェイが世界中で暴れるという情報があった、いつどんな形で出現するか、まったく予測がつかない、山を越えても油断してはならないだろう。


ヴィクトルにとっては、初めての長旅である。


ぺルーンに行ったこともあるし、遠征経験もあるが、護衛と共に、全て用意を整えてもらっての旅しかしていない、

自力で行くという意味では初めてだった。


馬なら今日中にはあの辺までいけるのに、などと早速呟くのを、ナターリヤに突っ込まれていた。

そのナターリヤは、しきりに眠いとこぼしている、聞くと昨夜はほぼ寝れなかったらしい。


神経の図太いナターリヤが珍しいなとサーシャは思っていた。

イーゴリも、旅に出るのはそう特別でもないのに珍しいと言っている。


「疎い奴らだな、まったく……

男に寝かせてもらえなかったなんて想像もつかないんだろうな」


ナターリヤの後ろで、ヴィクトルが言う。


「ほっといて、別に貴方たちに迷惑はかけてない」

「迷惑だとは言っていない。

あいつらがウブで面白いだけだ。

……大丈夫か?」

「徹夜の行軍だってやってた、問題ない」

「そうじゃなくて。

あの男と離れて大丈夫かって」

「何の心配してんすか?最初からいっとき楽しむだけの関係だよ、私はそういうタイプだし、彼にも最初にそう言った。

貴方こそ大丈夫なのか?あの令嬢のこと」

「別にいい仲でもなんでもなかったんだ、そもそも俺が振ったし、それこそ問題ない」

「この話題はおしまいにしましょう、終わったことだし。

……あ、もしかして、私のこと心配してくれたんすか?王子様がわざわざ」

「フン、お前が心ここにあらずだったら道中困ると思っただけだ」

「心配ご無用、私はサーシャに命をかけてますから、男が入り込む隙間はないんだよ」

「……大したものだな、そこまで割り切れるとは」


* * *


国王アレクサンドルは、サーシャたちの姿が見えなくなっても、まだ城門のところに立ち尽くしたままであった。

王が下がらないのに他のものは下がるに下がれない、側近が軽く促す。


「すまなかった、皆、下がってよいぞ。私は今しばらく……」


一同は王の胸の内を察して、静かにその場から去る。

側近は王から少し離れて、控えた。


王の後ろに、レオニードも残っていた。

見えなくなったサーシャ一行を、まだ追っているかのようだ。


「見送るというのは、寂しいものだ」


王が呟いた。


「この城も、寂しくなるな」


レオニードは、王の横顔を見る。


息子の代わりになって王を支えるつもりで務めろと、ナターリヤに言い含められていた。

そのときはナターリヤのことで頭がいっぱいだったのだが、


王の顔を見て、ナターリヤのその言葉が急に思い出されてくる。


「陛下。

わたくしが、命にかえましても……陛下のお側におります。

どうか、ご心配なされますな。

ヴィクトル様がお帰りになられたとき、驚かれるくらいに、復興を成し遂げてみせましょう」


王が、レオニードの方を振り向く。


「感謝している、将軍レオニード。

そなたはこの短期間に、一皮も二皮もむけたな、実に、立派な男になった。

我が国におけるイーゴリのようになってくれると信じているぞ」


「勿体なきお言葉。

イーゴリ殿にはまだ到底及びませぬが……いつか追いつけるよう、精進して参ります」


王は微笑むと、踵を返し、城の方に戻り始めた。


レオニードは、もう一度、城門の外を見るーー


「未練かな?レオニード」


突然、王から言葉がかかる。


「はっ……いえ、あの、そのような……」


「愛する者を見送る気持ちは、私にもよくわかる」


「陛下……いえ、陛下がお気になさるようなことではございませぬ」


「今は寂しかろうが、すぐ慣れる。

……私はアナスタシアを見送るのに、慣れているのでな。もう、会うことは叶わぬが……」


レオニードはうつむいた。


王は、二度と想い人とは会えない。

自分も、もう、あのひととは会えないだろう。


「だが、アナスタシアを愛して、よかった」


誰にともなく、王が呟く。


本当に。


あのひとを愛して、よかった。


あのひとを愛したことは、自分の誇りだ。


レオニードは顔を上げ、王の呟きに、返答する。


「ええ、陛下、本当に」


王が振り返り、


微笑を浮かべ、うなずいた。


「さて、やることは山積みだぞ。戻るとしようか」


「はい、陛下」


レオニードは、王に続き、城に向かって歩き出す。

もう、外は振り返らなかった。



第三章 了


第四章準備+ストック作成のため少しおやすみします。

来月にはスタートできるといいなー。

休み中もときどき呟くと思います@M_O_Minka

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