5.出立
ガールズトーク的な内容があります。
狩猟表現があります。
見送りは、簡素なものだった。
アナスタシア、イーゴリ、アレクサンドラの近衛隊員。
ミロスラフを筆頭に、将軍5人と、その副官たち。
内政に携わる文官数名。
「行ってらっしゃいませ、姫さま」
「成人の儀を無事務められますよう、心よりお祈り申し上げます」
翌日の昼ごろには到着できそうな距離である。
心配する者はいなかった。
「頼んだよ、ナターシャ」
「お任せを、陛下。ですが女神ヴァシリーサの加護のかかった地、私がしゃしゃり出るほどのこともないかと存じます」
「うむ、ただくれぐれも油断のないようにな」
「では行って参ります、母上」
アレクサンドラとナターリヤは一礼すると、踵を返し、歩み出した。
* * *
神殿は、城の北部の山の上にある。
途中森を抜け、川を渡った先である。
馬でも行けるが、自分の足で行くのが成人の儀の習わしである。
アレクサンドラとナターリヤは、おしゃべりしながら歩いていった。
ナターリヤは25歳、王立学校から軍事学校へ進み、軍職について10年になる。
そのうち近衛を5年務め、アレクサンドラとは気心の知れた、姉のような存在である。
難しい年頃にさしかかったアレクサンドラの話し相手となり、イーゴリに代わり剣や魔法の相手もよく務めてくれ、互いに怒られたときには愚痴り合ったりもしてきた。
二人だけのときは、王女と部下という関係を取り払うというのが二人の間の決まりごとであった。
ときおり、弱い魔の者が出現するが、アレクサンドラは難なく仕留めていった。
城や神殿のある一帯は、ヴァシリーサの加護がかかっていると言われており、魔の者の力も弱まってしまうのである。
加えて、力が存分に出せないアレクサンドラは、魔の者の急所の見分け方と、確実に一撃で仕留めるやり方をイーゴリから叩き込まれていた。
アレクサンドラの人並み以下の剣勢でも、技術でカバーできるのだ。
森の中に入ると、アレクサンドラは時々キノコを収穫しながら進んだ。
キノコ取りは平民から貴族まで誰でも行うことで、誰もがキノコの見分けもある程度はつく。
特に加護のあるこの辺りでは毒キノコである心配もない。
今晩の食料である。
アレクサンドラは野ウサギを1匹仕留め、すぐに血抜きをし、自ら解体した。
子どもの頃から教わっており、手慣れたものである。
武闘派の国に生まれた王女は、すでにアナスタシアと共に何度か魔の者討伐で従軍している。
初めて従軍したときは、軍の仕事の初歩として、係の兵士とともに、動物を捉えて片っ端から肉にした。
アナスタシアも王になる前は当たり前のようにやっていたため、兵士も驚くことはない。
ベテラン兵士から、罠の掛け方、血抜きの仕方や肉の保存方法など、いろいろと教わっているのである。
ナターリヤは、今回は手を出さない。
アレクサンドラが自分のことを全て自分でやらなければならないからである。
ナターリヤももちろん、軍人であるから、既に10年以上も前にそうした訓練を済ませている。
イノシシなどの大きめの獲物でさえ、一人で処理することもできる。
そして二人ともそのほか、ハーブとしての野草や、薬草の見分け方も初歩的なものは心得ている。
アナスタシアの軍は、アナスタシアを筆頭に、全員がこれらの心得をもち、そういった知識がある程度の基準に達しないと軍の一員にはなれないのである。
武力は言うまでもなく、軍を維持する能力の高さが、この国の特長であり、恐れられる所以であった。
「少し早いけど、食事の準備をしようと思う。ナターシャは暇だと思うけど、待っててね」
「見てるだけで悪いね、これも仕事だもんでさ。かまどくらいは作っても大丈夫だろ」
ナターリヤは石を重ねてかまどを作り、木の枝を集めにいった。
アレクサンドラは木を組んで、持参している小さい鍋が火にかけられるようにした。
鍋で収穫したキノコと食用の野草を煮込み、肉を炙る準備を整える。
そうこうしているうちに日が落ちてきた。
アレクサンドラは、焚き火の周り四方に紋章を描き、結界を構築した。
軍人だけでなく、旅人や商人なども、野宿するときは結界を張るのが常である。
もちろん、攻撃目的で強い魔法が使われれば破れてしまうが、普通に休む分には魔の者から見つからないようになり、そうそう破られることもない、普通の人が張る結界であっても申し分ない。
結界を張れば、風雨もしのげ、暑さ寒さもある程度調節できる。
やがて鍋ができあがり、肉が焼きあがり、アレクサンドラとナターリヤは夕食をとった。
「んー、いい感じ。大したもんだよ、サーシャ」
友人モードだと、ナターリヤはアレクサンドラを略称の「サーシャ」と呼ぶ。
アレクサンドラがナターリヤを「ナターシャ」と呼ぶのと同じである。
「料理、ちょっと久しぶりだったけどね。我ながら、悪くない」
アレクサンドラも肉を頬張る。
「サーシャもついに成人だな。どうよ、大人になるってやつは」
「あんまり……実感ないんだけどな。お母さまがあれだから、どうしても甘えてんだろうな」
「それは分かるな、アナスタシア様やイーゴリ大将がいれば大丈夫ってつい、どこかで思ってしまう、私もそうだ」
「ナターシャでも?」
「まぁ、どうしてもな。親元にいた年数より、この城で過ごした年数の方が長いんだ、気持ち的には親代わりみたいなもんだ。私たち近衛のものは、アナスタシア様直々にお目をかけて頂いてるから、特にな」
城で仕える者は、宿直のものは城内で泊まり、そうでない者は敷地内にある宿舎で生活している。イーゴリを含む軍の上位者と、ナターリヤら王女付き近衛のもの、身の回りの世話をする使用人の一部などは、城内に部屋を与えられている。
「ソーニャが言ってたが、結婚してから、より自立できてる気がするそうだ。なんていうか、所帯をもつと、親の庇護から抜けたような気がするんだとかなんとか」
ソーニャはナターリヤ配下の近衛隊員で、同じ近衛隊員のエドガルと結婚している。
「結婚かぁ……ナターシャの理想のタイプは?」
「私かよ!?
うーん、私はそういうのはないね、男は気晴らしだけで十分。
結婚とか無理」
「マジで!そうなの?」
「うん、一人の男とずっと一緒にとかマジで無理」
「そうなんだ……お母さまも、ずっと一緒だと息が詰まるって言ってたけど、そんな感じかぁ」
「へぇ、アナスタシア様もそうなんだ。
でも、アナスタシア様はアレクサンドル様をずっと想ってらっしゃるよな、
私はすぐ飽きるからそれも無理だけど。
ところで、サーシャはどうなのよ?」
「そーだな……とりあえず引っ張る奴はだめだな、支えてくれるタイプじゃないと。一応私が王になるわけだし、立場的に私が上じゃないと示しがつかないだろ、引っ張られたら私がお飾り国王になっちまう」
「はは、スゲー現実的!いや、ほんとその通りだと思うよ、一番大事。でもロマンもへったくれもねーな」
ナターリヤがアレクサンドラと二人のとき、存外に口が悪くなるのはいつものことである、
アレクサンドラの王女らしからぬ物言いは、明らかにナターリヤの影響であった。
「お母さまみたいな恋も……憧れることもあるけど、苦労多そうだし」
「サーシャ……冷めてんな……」
「昨日お母さまともちょっと話したんだけど、私はずっと一緒にいる方がいいなって思って」
「いやー、それは、付き合ってみないと分かんなくね?
私もずっとラブラブでとか昔は思ってたけど、すぐそういうの無理だってなった。
まぁサーシャがどういうタイプかは分かんないけど」
「そうかぁー……私も分かんない。
付き合うとか、許されないじゃん?王女って。
無難にお母さまの選んだ相手にしようかなぁとか、思っちゃうよね……
お母さまなら、間違いないからさ」
アレクサンドラは、頬杖をついて軽くため息をつく。
「それは言えてるな。
やっぱり王の力なんだろうな、アナスタシア様の見抜く目は間違いがない。
でもまぁ、それもアリだよ、それでサーシャが幸せなら、親が選んだどうこうは関係ないと思うよ」
「私、世間知らずの過保護だからなぁ。
私が自分で心配。
優柔不断だし、押し弱いし、……ナターシャみたいに、強くありたいなっていつも思ってるんだけど」
「サーシャ、心配すんな。
そのための私たちだ。
アナスタシア様の印象が強いから、同じようにしなきゃって思うかもしれないけど、
同じじゃなくてもいいじゃん。
先代陛下はほら、エフィム様がそりゃ大事に守っていらしただろ」
「そうだねぇ、確かにお祖母様とお祖父様みたいなのが、理想に近いかな。
でもそこはさ。
私もなんか、お母さまとかナターシャみたいに、守られるより守りたいって気持ちだけがあるわけよ。
理想と現実のギャップってやつ」
「サーシャ、意外に負けず嫌いだもんな。
まぁ、だからこそ大将のシゴキに十何年ついてってるわけか。
それだけで、かなりタフで強いと思うよ?
ガチの軍人だって音を上げることなんだから。
少なくとも私たち近衛隊は、サーシャの凄さは分かってるよ。
見かけの派手な強さじゃない、土台のしっかりした強さだ。
私の言うこと、お世辞じゃないって分かるだろ?」
ナターリヤは、じっとアレクサンドラを見つめて言う。
ナターリヤの言葉には、力があって実感がこもっている、
母と同様、ナターリヤに言われると、大丈夫だと思えてくるのだ。
「ありがと、ナターシャ。
そうだね、私も、イーゴリの訓練についていけてるってとこだけは、自信あるわ。
あ、そうだナターシャ、ちょっとだけ相手してよ、型の確認しないと、一日終わった気がしない」
「うは、マジかよ!
さっすが、大将の一番弟子だな……
ま、そういうところが次期国王らしいと思うよ!」
剣が好きで軍人になったナターリヤである、何だかんだ言いつつ、手合わせをするとなって嬉しそうである。
二人は立ち上がり、火のそばから少し離れて、向き合って剣を抜いた。
* * *
アレクサンドラの気が済むまで剣を交え、日がすっかり落ち、焚き火の勢いが心許なくなった頃、二人はようやく寝る体勢に入った。
結界内に敷物を広げ、寝転がるだけだ。
何となく、またおしゃべりが始まる。
「神殿ってさ、城からも見えないよね、山の上なのに」
「小ぢんまりした建物だって大将言ってたな」
「私だけ、ヴァシリーサに会えるってお母さまに聞いたけど、現実感ないわ」
「神殿の中に、その指輪で開く扉があるんだっけ?
その先はヴァシリーサの末裔しか行けないんだよな。
あと、婚姻の儀のときの王配だけか」
ヴァシリーサの末裔以外で神殿に入れるのは、
母王が持っているヴァシリーサの指輪を身につけた婚約者のみだそうだ。
「王配、ねぇ。
そっちも現実感ないわ」
「アナスタシア様から、王配候補の話とか、出てないの?」
「うん、何も。
見つければいいって言われたけどさ。
そういう人、いそうな気がしないんだけど。
大体いい人には既に相手がいるもんでしょ」
「まぁ、25前後くらいがターゲットか?確かに、その年頃のいい男は女がほっとかないよな。
うちは女性も積極的だし。
でもさ、軍隊にいると、そんなできた男がそうそういるもんかって思えてくるんだよなー」
「何それ?」
「私、前第一隊にいたからさ、男どもの酒飲みに参加することも多かったんだよ、今もちょくちょく行くんだけど。
もうほんと、男ってバカかよって思うことばっかりだぜ、特に下ネタの多いこと多いこと、
軍人って余計そういう傾向にあるのかもしれないけどさ。
自分の欲ばっかで、女の気持ちって理解する気がねーんだろな、だから商売女にしか相手にしてもらえないんだ。
ま、奴らも私に言われたくねーって思ってるだろーけど」
「なんか言うことがえげつないよナターシャ!?」
「女の気持ちをちゃんと理解してんのは、女たらしか、既に彼女なり妻なりがいる人だな。
まぁ、相手がいても、そういう理解が足りなくて娼婦に走る奴もいるけど」
「うっわ、マジ無理」
「サーシャ、そういうの、潔癖だもんな……
まぁ私も、相手が傷つく状況って嫌だな。やるんならけじめつけろって思うよ、男でも、女でも」
「女でも?」
「ああ、意外に貴族の奥様とか、火遊びしてる人いたりするんだよ。
そういう奥様たちの相手になる若い兵士とか、話ちょくちょく聞くよ」
「マジでか。……貴族や軍の実態ってそういうんだ……」
「城じゃこういう話もできないからね。
サーシャ、大将に過保護にされてっから、そういう話、入ってこないだろ。
ていうか、大将もそういうの潔癖だからね。あの人は噂っていうか、確実に童貞だな」
アレクサンドラは思わず吹いた。
「うん、まぁ、あの人、クソのつく真面目だしな」
「イーゴリ大将は、女に興味ない少数派の筆頭だよ」
「モテそうだけど、そうでもないんだ?」
「大将は女嫌いで有名だよ?普通に話す分には問題ないけど、女性が寄ってくるのは極端に嫌うし、女性のいる飲み屋も絶対行かない。超がつく堅物だし、女性だからって優しくしないから逆にモテないよ、本人はそれがいいみたいだけど」
「イーゴリのそういう噂は聞いたことなかったけど、そういうことか、18歳にして初めて知った」
「姫さまに下賎な話をしてしまった。
でもなんてったって成人したんだから、ちょっとはこういう話も知っとかなきゃね。
大将には怒られるかもしんないけど」
「世間知らずにはいい薬だと思う」
「おう、知っとけ知っとけ」
「ナターシャ、情報通だね?」
「私は情報通から情報得てるだけだよ。まぁ、情報収集は大事だしな。
ちなみにミロスラフ将軍はそこそこ女好き」
「ぶはっ!それはでもちょっと予想つく」
「英雄色を好むって言葉を体現してるよ、あの人は」
「モテるしな」
「ゲオルギー将軍も娼館では結構名を馳せてるよ」
「硬派に見えるけど、そうなんだ」
「マカール将軍は人妻に手を出すことで有名」
「うちもなかなか闇が深いな。私の代になったら首切りしてやろうか、てかお母さまはそういうの、放置してるんだな」
「きちんと仕えてくれれば、あとは本人の問題だからな。マカール殿は貴族の奥様が好みらしいから、城内では火遊びしないらしいんだよ。務めに支障がなければいいとアナスタシア様はおっしゃっていた」
「下手に首切りすると、奴らの実家の領主どもがうるさいってわけか……」
「そうだな。次男坊以下だから使ってやってるのに、向こうは息子が仕えてやってると思ってる」
「領主との付き合いも大変だな……てか私がするのか……うう、とたんに憂鬱になってきた」
「そういうのに頼らない軍作りをすればいいじゃん」
「そっか。……って簡単に言うけどさ。
……まぁ……そういう方法を考えてみる」
「私も考えとくよ」
「そろそろ寝ようか」
「そうだね」
「明日もよろしく、ナターシャ」
「おやすみ、サーシャ」
二人は眠りについた。