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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
第三章 父の国
42/203

42.八方塞がり


戦況は、一気に悪化した。


黒い攻撃にレオニードが倒され、懸命の回復が試みられているものの、

主力が一人欠けた上、一隊の指揮官が欠けたことになる、

部下の一部が冷静さを失ってしまった。

絶望して黒いものに突っ込み、ついに犠牲者が出てしまったのである。


軍全体に動揺が広がっていく。

ヴィクトルとナターリヤに代わり黒いものを浄化していたイーゴリの指揮のおかげで、なんとかもっているようなものだった。


さらに悪いことに、

黒いものは城裏手の貴族の別邸エリアに到達してしまった。

説得は難しいだろうと予想はついていたが、やはり、首謀者を失って統率のとれていない兵士集団の一部が、黒いものに対抗してかかったのだ。

当然、切り払ったところで、消滅させることはできない、

逆に黒いものが勢いを増し、彼らを飲み込んでいったのだ。


裏手からも、黒いものが押し戻されてくる。


国王はついに、庭と1階を棄てる決断を下した。

兵は全てバルコニーへと上がり、2階の各位置についた、サーシャや国王は3階に移動する。

2階をまずは死守するようにした。


瞬く間に庭は黒いもので覆われる。戦う場所は狭くなるから、交代で旋律を紡ぎ、

一度に戦う人数も減るので、休める者は多くなった。

だがその分、黒いものが減る速度もまた遅くなったのだ。



サーシャは、黒いものに意識を合わせる。

地階からはまだ出てきている。

地階の黒いものの感覚を追う。

これは……外と繋がっている。地階の出所を止めても、城壁から溢れ出るのがオチだ。


黒いものは、必ずしも水のように下に溜まるばかりではない、

ヴァシリーサの城を覆ったように、城を包み込もうとしている感じがする。


黒いものの範囲は、城下町以内には収まっているようだが、

城壁をぐるりと包囲しているようだ。

城下町で襲撃されたときは、おそらく全てではなかった。

城下町にいた一部が反応したにすぎない。


さらに、リョーナの言った、城のものを取り込むのを繰り返して増えてしまったということ、

将軍以下力あるものを取り込んだこと。

いま、そうした黒いもの全てがこの城目がけて集まっているのだ。


私が出るしかないか?


だが、この量を……全て取り込めるか。


サーシャの不安要素は、自分の能力が未知数なところだった。

どこまで取り込めるか、自分ではわからないし、保証もできない。

迷っているときに取り込もうとしても、思ったようには取り込めない、そんな気がしている。


自分の力が絶対的ではないのが……どうにももどかしい。

無力感がひしひしと襲ってくる。


食料調達に使っていた転移門は、既に術が使えるものがいなかったーー反乱分子の一副将によるもので、サーシャがそうと知らぬまま取り込ませてしまっていた。

ヴァシリーサの国のような脱出経路は、ここにはない。

非常時の脱出経路はあるが、地下を通って城下町に出る。今は地下へまず行けないし、通路から出た先は黒いものの中だ。


飛翔魔法ではどうか?

過去に脱出を試みた者もいたが、黒いものが触手を伸ばしてくるので断念していた。

ここまで黒いものの量があると、まず触手に捕まるだろう。


国王も、ヴィクトルも、副将たちも、一般兵もーー

必死で脱出方法を考えるが、ここから直接別の土地に転移する以外に、方法が見つからなかった。


八方塞がりだ。


人々の間に、絶望感が漂い始める。


「……せめて、意識がたもてる間は、旋律を紡ごう。

突破口がどこかに見つかる可能性を、針の穴ほどであったとしても、捨ててはならない。

決して、絶望して命を粗末にするな。絶望を増やしてはならぬ」


国王が静かに宣言し、皆が頷いた。


* * *


サーシャはイーゴリと、4階の一室にやってきた。


扉を開けると、レオニードが眠るベッドの端にうつ伏せになって、ナターリヤが居眠りしている。

長時間戦い続けて、レオニードの回復にまで力を使ったのだ、疲れはピークだっただろう。


サーシャは扉をそっと閉めた。


レオニードは、幸運にも一命を取りとめた。

そのまま黒いものに取り込まれなかったのは、ナターリヤの迅速な回復処置のおかげでもあったが、

ナターリヤのときのように、本人が悔いを残していなかったからでもあった。


だが、しばらく目覚めはしないだろう。

目覚める前に、城が飲み込まれてしまうかもしれない可能性も十分あった。


今、旋律をそこそこ紡げるようになったファイーナ以下、兵士以外の者も、黒いものの浄化に参加している。

だがやはり心身共に訓練している兵士には勢いが及ばない、厳しいが気休め程度にしかならないだろう。


王の側近が戻ってきていて、別邸にいた十数人、説得できたものを連れてきた。

数人の兵士と、夫や父に従う他なかった貴族の婦人や令嬢。

女性たちは皆震えおののいている、戦況はとても伝えられないだろう。

最後まで足掻くべく、側近が反乱分子だった者たちに旋律を教え込む。


サーシャは階下を眺めた。

黒いものが不気味に待ち構えているようだ。


「イーゴリ。

私に、頼まないのか?」

「何をでございますか」

「黒いものを取り込めと。

それ以外に、打開策はないだろ?

……お父さまも、ヴィーシャも……何も言わない」


黒いものを取り込んだと話しているのに、

父も兄も、自分に要請しないのは、なぜだろう。


「やれと言われて、できるようなことなのですか」

イーゴリが静かに言う。

言われてみると、正直……やれといわれてできるのか。


「でも、私がやらないと、文字通りの全滅だ。

……私たちさえも」


「姫さまは、どうなさるおつもりですか」


「飲み込まれるのを、待つと言ったら?」


「そのときは、私は姫さまと共に参ります」


サーシャは、身が震える思いがした。

この人は、必ず言葉通りにするだろう。


……なぜ、ここまで言ってくれるのだろう?

いくら忠義に厚くても、

滅びるのを待つという選択をも許してくれる部下など、果たしているだろうか。



窓から、暗い空を見上げる。


静かに、息を吐いた。



ここで終わるつもりなど、毛頭ない。


ーー私は、イーゴリのその言葉が欲しかったんだ。


絶対的に受け入れてくれる存在。

私はワガママだから、全て受け入れてほしいんだ。

王女という立場で、この人に甘えきってる。

兄には独り立ちしろと言われたが、簡単じゃないな。

もう少し……守られていたい。


イーゴリがいるなら、私は大丈夫。


そして、私がいる限り、


「貴方を死なせなど、するわけない」


それだけ言って、父王のいる方へと歩き出す。


イーゴリは、黙ってついてきた。


* * *


3階に降りると、父王のところに呼ばれた。

小さいその部屋にいるのは、父王、ヴィクトルと、サーシャにイーゴリのみである。


ヴィクトルも相当旋律を紡ぎ続けたはずだ、顔には疲労の色が表れている。


「アレクサンドラよ。

今……2階に黒いものが迫ってきている。各階段で足止めをしているが、正直、もはや時間の問題であろう。

このようなことにそなたたちを巻き込んでしまったこと……非常に申し訳なく思っている。


……ヴィクトルに、前と同じように光の魔法で消滅させようと思う。

一時凌ぎでしかないが、黒いものがなくなったら、そなたはイーゴリ、ナターシャと共に脱出するのだ。

ヴィクトルも連れて行ってほしい。


そしてここへは戻ってはならぬ。


可能ならば、逃れた先で、私とヴィクトルとで転移門を作って城の者を逃がしてやりたいが、

ヴィクトル光の魔法も膨大な魔力を使う、さらに転移門まで作るのはほぼ難しいと考えた方がよかろう。


ヴィクトルさえ生き延びれば、この国はいつか再興できる。


ヴィクトルの回復を待って、決行としよう。

脱出先で転移門を作るという名目にする。

転移門ができずとも、残った者たちが私を殺そうと何しようと、そこまででしかないのだからな。


私はここで、最期を迎える覚悟はできている。


……この地で起こったことは全て私の責任だ、

私は黒いものを最後まで受け止めようと思う。


最後にーー」


「お父さま」


サーシャが、遮った。


「私に、黒いものを取り込めとおっしゃらないのは、なぜですか……ヴィーシャも。

言ったでしょう、黒いものを取り込んでここまで来たと」


「アレクサンドラ……

それはならぬ。これだけの量だぞ?どうにかなると思っているのか?

そなたはヴァシリーサの未来だ、ヴィクトルという最後の切り札があるのだから、身を危険に晒してはならぬ!」

「うちの問題であって、お前に託すことじゃないしな」

「ヴィクトルの言う通りだ、そなたは生き延びることを何よりも優先させねばならぬ、アナスタシアよりそう教わっているはずであろう?


頼む、アレクサンドラ……逃げ延びてくれ、私はアナスタシアの形見まで……我が娘まで失いたくなどないのだ……」


父王は、サーシャの腕を掴んで懇願した。


「お父さま」


サーシャの声は、不思議なほど静かだった、


「私も、もう親を失いたくありません。


それに。


あの黒いものたちは、私に抱かれることを望んでいるのですよ。


何も死を覚悟してなどと言うつもりはありません、ただ、大仕事にはなりそうですけどね。


でも、イーゴリがいてくれるから、どうにかなるでしょう。


正直、どこまで取り込めるかは……未知数ですが、残った者で旋律でどうにかできるくらいには、なると思います。

全部取り込めたら、ベストですけどね」


「む、無茶を言うでない、アレクサンドラ!

イーゴリは……なぜ止めぬ!

そなたの主君が危険に向かうのを、止めぬのか!?」


「父上!」


イーゴリに掴みかかりかねない父を、ヴィクトルが制した。


「父上……

イーゴリに任せましょう。


……貴方の代わりに、アレクサンドラを育ててきた男です」


父王は、それ以上言えなかった。

力なく、その場に座り込んだ。

イーゴリがその前に膝をつく。


「陛下。私は、姫さまが決められたこと、全てお支えする所存です。

姫さまは、犠牲になられるおつもりなどございません、そして私に死ねと命じなど、決してされぬお方です。


姫さまと共に行って参ります、そして無事に陛下の御前にお連れいたします」


父王は、娘の一番の部下の顔を見る。


ヴィクトルから聞いた、娘がこの男に全てを預けていると。

この男もまた、娘に全てを預けている……


国王アレクサンドルは、イーゴリの前に、頭を下げた。



「イーゴリ……


……娘を、頼む」



* * *


サーシャはイーゴリと共に、3階のテラスに立った。


2階で黒いものの足止めをしている兵士以外は、ほとんどが城内で疲労回復のため眠りについている。


この場にいるのは、国王、ヴィクトル、起きてきたナターリヤ、王の側近のみだ。


「さて。

私たちはここから飛びますので、私たちを旋律で覆ってください。

多分、黒いものの中に沈んでいくでしょう。

もし可能だったら、旋律を送り込み続けてください。

貴方達全員がいれば、ある程度の時間はもつでしょう」

「万が一途中で姫さまが限界になられたら、結界を張って戻って参ります」


ヴィクトルが前に出て、旋律を紡ぐ。

続いて、ナターリヤが。

王の側近も。


サーシャとイーゴリの周りを、旋律が球状に囲んでいく。


サーシャは、イーゴリと共にテラスの手すりの上に立った。


「姫さま、お手を」

「うん」


イーゴリがサーシャに手を差し出し、サーシャがその手を握った。


「また苦労をかけるな」

「数年前、姫さまのご機嫌をとるときの方が、神経を擦り減らしました」

「もう、やめてよ、黒歴史なんだから」


父王は、覚悟を決める。

アナスタシアそっくりの意志の強さ。器の、深さ。


母も娘も、引けといって引いたりなど、決してしないのだ。


自分も、イーゴリのように、信じなければ、アナスタシアは浮かばれまい。


手を出して、旋律を紡ぐ。

父王の旋律が加わり、サーシャとイーゴリが、球体の旋律に完全に包み込まれた。


そしてーー


サーシャとイーゴリは、黒い海に向かって、飛び降りた。


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