42.八方塞がり
戦況は、一気に悪化した。
黒い攻撃にレオニードが倒され、懸命の回復が試みられているものの、
主力が一人欠けた上、一隊の指揮官が欠けたことになる、
部下の一部が冷静さを失ってしまった。
絶望して黒いものに突っ込み、ついに犠牲者が出てしまったのである。
軍全体に動揺が広がっていく。
ヴィクトルとナターリヤに代わり黒いものを浄化していたイーゴリの指揮のおかげで、なんとかもっているようなものだった。
さらに悪いことに、
黒いものは城裏手の貴族の別邸エリアに到達してしまった。
説得は難しいだろうと予想はついていたが、やはり、首謀者を失って統率のとれていない兵士集団の一部が、黒いものに対抗してかかったのだ。
当然、切り払ったところで、消滅させることはできない、
逆に黒いものが勢いを増し、彼らを飲み込んでいったのだ。
裏手からも、黒いものが押し戻されてくる。
国王はついに、庭と1階を棄てる決断を下した。
兵は全てバルコニーへと上がり、2階の各位置についた、サーシャや国王は3階に移動する。
2階をまずは死守するようにした。
瞬く間に庭は黒いもので覆われる。戦う場所は狭くなるから、交代で旋律を紡ぎ、
一度に戦う人数も減るので、休める者は多くなった。
だがその分、黒いものが減る速度もまた遅くなったのだ。
サーシャは、黒いものに意識を合わせる。
地階からはまだ出てきている。
地階の黒いものの感覚を追う。
これは……外と繋がっている。地階の出所を止めても、城壁から溢れ出るのがオチだ。
黒いものは、必ずしも水のように下に溜まるばかりではない、
ヴァシリーサの城を覆ったように、城を包み込もうとしている感じがする。
黒いものの範囲は、城下町以内には収まっているようだが、
城壁をぐるりと包囲しているようだ。
城下町で襲撃されたときは、おそらく全てではなかった。
城下町にいた一部が反応したにすぎない。
さらに、リョーナの言った、城のものを取り込むのを繰り返して増えてしまったということ、
将軍以下力あるものを取り込んだこと。
いま、そうした黒いもの全てがこの城目がけて集まっているのだ。
私が出るしかないか?
だが、この量を……全て取り込めるか。
サーシャの不安要素は、自分の能力が未知数なところだった。
どこまで取り込めるか、自分ではわからないし、保証もできない。
迷っているときに取り込もうとしても、思ったようには取り込めない、そんな気がしている。
自分の力が絶対的ではないのが……どうにももどかしい。
無力感がひしひしと襲ってくる。
食料調達に使っていた転移門は、既に術が使えるものがいなかったーー反乱分子の一副将によるもので、サーシャがそうと知らぬまま取り込ませてしまっていた。
ヴァシリーサの国のような脱出経路は、ここにはない。
非常時の脱出経路はあるが、地下を通って城下町に出る。今は地下へまず行けないし、通路から出た先は黒いものの中だ。
飛翔魔法ではどうか?
過去に脱出を試みた者もいたが、黒いものが触手を伸ばしてくるので断念していた。
ここまで黒いものの量があると、まず触手に捕まるだろう。
国王も、ヴィクトルも、副将たちも、一般兵もーー
必死で脱出方法を考えるが、ここから直接別の土地に転移する以外に、方法が見つからなかった。
八方塞がりだ。
人々の間に、絶望感が漂い始める。
「……せめて、意識がたもてる間は、旋律を紡ごう。
突破口がどこかに見つかる可能性を、針の穴ほどであったとしても、捨ててはならない。
決して、絶望して命を粗末にするな。絶望を増やしてはならぬ」
国王が静かに宣言し、皆が頷いた。
* * *
サーシャはイーゴリと、4階の一室にやってきた。
扉を開けると、レオニードが眠るベッドの端にうつ伏せになって、ナターリヤが居眠りしている。
長時間戦い続けて、レオニードの回復にまで力を使ったのだ、疲れはピークだっただろう。
サーシャは扉をそっと閉めた。
レオニードは、幸運にも一命を取りとめた。
そのまま黒いものに取り込まれなかったのは、ナターリヤの迅速な回復処置のおかげでもあったが、
ナターリヤのときのように、本人が悔いを残していなかったからでもあった。
だが、しばらく目覚めはしないだろう。
目覚める前に、城が飲み込まれてしまうかもしれない可能性も十分あった。
今、旋律をそこそこ紡げるようになったファイーナ以下、兵士以外の者も、黒いものの浄化に参加している。
だがやはり心身共に訓練している兵士には勢いが及ばない、厳しいが気休め程度にしかならないだろう。
王の側近が戻ってきていて、別邸にいた十数人、説得できたものを連れてきた。
数人の兵士と、夫や父に従う他なかった貴族の婦人や令嬢。
女性たちは皆震えおののいている、戦況はとても伝えられないだろう。
最後まで足掻くべく、側近が反乱分子だった者たちに旋律を教え込む。
サーシャは階下を眺めた。
黒いものが不気味に待ち構えているようだ。
「イーゴリ。
私に、頼まないのか?」
「何をでございますか」
「黒いものを取り込めと。
それ以外に、打開策はないだろ?
……お父さまも、ヴィーシャも……何も言わない」
黒いものを取り込んだと話しているのに、
父も兄も、自分に要請しないのは、なぜだろう。
「やれと言われて、できるようなことなのですか」
イーゴリが静かに言う。
言われてみると、正直……やれといわれてできるのか。
「でも、私がやらないと、文字通りの全滅だ。
……私たちさえも」
「姫さまは、どうなさるおつもりですか」
「飲み込まれるのを、待つと言ったら?」
「そのときは、私は姫さまと共に参ります」
サーシャは、身が震える思いがした。
この人は、必ず言葉通りにするだろう。
……なぜ、ここまで言ってくれるのだろう?
いくら忠義に厚くても、
滅びるのを待つという選択をも許してくれる部下など、果たしているだろうか。
窓から、暗い空を見上げる。
静かに、息を吐いた。
ここで終わるつもりなど、毛頭ない。
ーー私は、イーゴリのその言葉が欲しかったんだ。
絶対的に受け入れてくれる存在。
私はワガママだから、全て受け入れてほしいんだ。
王女という立場で、この人に甘えきってる。
兄には独り立ちしろと言われたが、簡単じゃないな。
もう少し……守られていたい。
イーゴリがいるなら、私は大丈夫。
そして、私がいる限り、
「貴方を死なせなど、するわけない」
それだけ言って、父王のいる方へと歩き出す。
イーゴリは、黙ってついてきた。
* * *
3階に降りると、父王のところに呼ばれた。
小さいその部屋にいるのは、父王、ヴィクトルと、サーシャにイーゴリのみである。
ヴィクトルも相当旋律を紡ぎ続けたはずだ、顔には疲労の色が表れている。
「アレクサンドラよ。
今……2階に黒いものが迫ってきている。各階段で足止めをしているが、正直、もはや時間の問題であろう。
このようなことにそなたたちを巻き込んでしまったこと……非常に申し訳なく思っている。
……ヴィクトルに、前と同じように光の魔法で消滅させようと思う。
一時凌ぎでしかないが、黒いものがなくなったら、そなたはイーゴリ、ナターシャと共に脱出するのだ。
ヴィクトルも連れて行ってほしい。
そしてここへは戻ってはならぬ。
可能ならば、逃れた先で、私とヴィクトルとで転移門を作って城の者を逃がしてやりたいが、
ヴィクトル光の魔法も膨大な魔力を使う、さらに転移門まで作るのはほぼ難しいと考えた方がよかろう。
ヴィクトルさえ生き延びれば、この国はいつか再興できる。
ヴィクトルの回復を待って、決行としよう。
脱出先で転移門を作るという名目にする。
転移門ができずとも、残った者たちが私を殺そうと何しようと、そこまででしかないのだからな。
私はここで、最期を迎える覚悟はできている。
……この地で起こったことは全て私の責任だ、
私は黒いものを最後まで受け止めようと思う。
最後にーー」
「お父さま」
サーシャが、遮った。
「私に、黒いものを取り込めとおっしゃらないのは、なぜですか……ヴィーシャも。
言ったでしょう、黒いものを取り込んでここまで来たと」
「アレクサンドラ……
それはならぬ。これだけの量だぞ?どうにかなると思っているのか?
そなたはヴァシリーサの未来だ、ヴィクトルという最後の切り札があるのだから、身を危険に晒してはならぬ!」
「うちの問題であって、お前に託すことじゃないしな」
「ヴィクトルの言う通りだ、そなたは生き延びることを何よりも優先させねばならぬ、アナスタシアよりそう教わっているはずであろう?
頼む、アレクサンドラ……逃げ延びてくれ、私はアナスタシアの形見まで……我が娘まで失いたくなどないのだ……」
父王は、サーシャの腕を掴んで懇願した。
「お父さま」
サーシャの声は、不思議なほど静かだった、
「私も、もう親を失いたくありません。
それに。
あの黒いものたちは、私に抱かれることを望んでいるのですよ。
何も死を覚悟してなどと言うつもりはありません、ただ、大仕事にはなりそうですけどね。
でも、イーゴリがいてくれるから、どうにかなるでしょう。
正直、どこまで取り込めるかは……未知数ですが、残った者で旋律でどうにかできるくらいには、なると思います。
全部取り込めたら、ベストですけどね」
「む、無茶を言うでない、アレクサンドラ!
イーゴリは……なぜ止めぬ!
そなたの主君が危険に向かうのを、止めぬのか!?」
「父上!」
イーゴリに掴みかかりかねない父を、ヴィクトルが制した。
「父上……
イーゴリに任せましょう。
……貴方の代わりに、アレクサンドラを育ててきた男です」
父王は、それ以上言えなかった。
力なく、その場に座り込んだ。
イーゴリがその前に膝をつく。
「陛下。私は、姫さまが決められたこと、全てお支えする所存です。
姫さまは、犠牲になられるおつもりなどございません、そして私に死ねと命じなど、決してされぬお方です。
姫さまと共に行って参ります、そして無事に陛下の御前にお連れいたします」
父王は、娘の一番の部下の顔を見る。
ヴィクトルから聞いた、娘がこの男に全てを預けていると。
この男もまた、娘に全てを預けている……
国王アレクサンドルは、イーゴリの前に、頭を下げた。
「イーゴリ……
……娘を、頼む」
* * *
サーシャはイーゴリと共に、3階のテラスに立った。
2階で黒いものの足止めをしている兵士以外は、ほとんどが城内で疲労回復のため眠りについている。
この場にいるのは、国王、ヴィクトル、起きてきたナターリヤ、王の側近のみだ。
「さて。
私たちはここから飛びますので、私たちを旋律で覆ってください。
多分、黒いものの中に沈んでいくでしょう。
もし可能だったら、旋律を送り込み続けてください。
貴方達全員がいれば、ある程度の時間はもつでしょう」
「万が一途中で姫さまが限界になられたら、結界を張って戻って参ります」
ヴィクトルが前に出て、旋律を紡ぐ。
続いて、ナターリヤが。
王の側近も。
サーシャとイーゴリの周りを、旋律が球状に囲んでいく。
サーシャは、イーゴリと共にテラスの手すりの上に立った。
「姫さま、お手を」
「うん」
イーゴリがサーシャに手を差し出し、サーシャがその手を握った。
「また苦労をかけるな」
「数年前、姫さまのご機嫌をとるときの方が、神経を擦り減らしました」
「もう、やめてよ、黒歴史なんだから」
父王は、覚悟を決める。
アナスタシアそっくりの意志の強さ。器の、深さ。
母も娘も、引けといって引いたりなど、決してしないのだ。
自分も、イーゴリのように、信じなければ、アナスタシアは浮かばれまい。
手を出して、旋律を紡ぐ。
父王の旋律が加わり、サーシャとイーゴリが、球体の旋律に完全に包み込まれた。
そしてーー
サーシャとイーゴリは、黒い海に向かって、飛び降りた。




