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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
 序章 ヴァシリーサの国の王女
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4.母娘の語らい


アレクサンドラは飛び起きた。

急いで戸を開けに行く。


サーシェニカと自分を呼ぶ者は、身内ーー今は母王ーーしかいない。


「お母さま」

「サーシェニカ。寝るところだったか?入ってもよいか?」

「大丈夫」


アナスタシアも、シャツとズボンという軽装になっていた。

母も娘も、普段着にさえ滅多にスカートやワンピースを使わない。


母王は寝室の戸を閉めると、寝室の窓際のソファーに腰を下ろす。

アレクサンドラも、母の向かいに座った。


「緊張しているか?サーシェニカ」


アナスタシアの声はとても穏やかである。

一声聞くだけで、アレクサンドラは気持ちが落ち着いていくのを感じた。


国王だからこその威厳の為せる力だな、と思う。


「緊張は……してる。

成人の儀を終えたら……背負うものが大きくなりそうで。私って、国王に見合う実力……ないし」


目を伏せ、つい小声になってしまう。


「案ずることはない、サーシェニカ。

王位継承……戴冠の儀のとき、王の力はお前に受け継がれるのだから。


今はその土台づくりの時期だ。

現に、土台としてはしっかりしたものができていると私は見ているよ」


「本当に?」

「もちろん。

ヴァシリーサの末裔として、本当にそう感じている。


……成人の儀にあたって必要なものを持ってきた」


アナスタシアの手の中が光り、手のひらには指輪が残っていた。


「これを持って行きなさい。お前の血筋とこの指輪とで、神殿の扉は開く」


アレクサンドラは指輪を手にとった。

金の指輪だが、表面はマットで、光沢はない。

太く無骨なデザインである。

小さいが、どこまでも透き通っているように見える石が一つ埋め込まれている。

どの指にも、随分とサイズの大きな指輪だった。


「それは男物だよ。本来ならば私の王配となった者がはめるはずだったものだ。

お前の父親と私は結婚しなかったから、私が代わりにお前に受け継ごう。将来お前が結婚する相手が、それをはめることになる」

「えと……なんかプレッシャーなんだけど……」

「それがないと神殿に入れないぞ。結婚のことは今気にしなくてよい。そういう役割の指輪というだけだ。

失くさぬよう、指にはめて、念じてみるといい。使用者の指に合わせてくれるから」


アレクサンドラは再び中指にはめ、意識してみた。

指輪の石が淡く光り、指にぴったりとはまった。


「すごい……あれ、お母さまは今、手からこれ出したよね?」

「王の力を継承すれば使えるようになる。それも神殿で学んでくることだ。王となったものにしか使えない力が、いろいろとあるからな、楽しみにしておくといい」


「……私にも、使えるようになるかな」

アレクサンドラは指輪を見ながら呟いた。


「……私は魔法の適性がないし、どんなに頑張っても念じても力が出ていかない……」


自信なさげに、俯きながら、つい弱音を吐いてしまう。


だが、母王はゆったりとした微笑みをこちらに向けていた。


「大丈夫だ。女神ヴァシリーサの力とは、魔法とは似て異なるものだからな。

現に、今指輪はお前の意思に反応しただろう?お前がヴァシリーサの血を引くものである以上、心配することはない。それと…


お前は力が思うように出せないことを気にしているようだが、

それならそれで、人に頼ればいい。例えばイーゴリ、ナターシャ。ソーニャ、ガーリャ、エドガル。強さに関して心配な者はいるまい?」


ソーニャ、ガーリャ、エドガルは、アレクサンドラ付き近衛隊員で、ナターリヤの部下である。

本名でなく略称で呼ぶあたり、アナスタシアが彼らを信頼していることが表れている。


ナターリヤ以下、全員がイーゴリの武術指導を受けており、表立って示してはいないものの、アナスタシアに言わせると各々がミロスラフに劣らないほどの実力を持っている。


「わかってる。

イーゴリがいれば何も心配することはないし、ナターシャも、近衛隊のみんなも信頼できる。


でも……

可能なら、私だって、自分のことは自分で守れるほど強くありたかったな、って思っちゃって」



「ふむ。

サーシェニカ。

一つ、気づいたことを言っておこう。


お前にも、適性と思われるものがあるのだよ。私にもはっきりは分からなくて、思われるとしか言えないんだがな」


「私の、適性?」


「お前は、防御というか……攻撃によるダメージを全ては受けていないようなのだ」


「……?」


「試合の後、お前の剣を確認した。ミロスラフの威力に対して、随分と刃こぼれが少なかった。彼も全力ではなかったが、威力は十分に保っていた。普通ならもっと刃こぼれするし、彼との体格差を考えて、競り負ける回数がもっとあっただろう」


国一番の実力者である母王の言うことである、その通りなのだろう。


「うーん……私、防御の魔法もすぐ破られるんだけど……

今日だって防御をかけてたけど、すぐなくなっちゃった」


「普通なら魔法効果がなくなった時点で、剣圧が一気にかかって体勢が崩れる。

だがお前は防御魔法は関係なしに競り合っていただろう?おそらく、魔法とは違うのだろう」


そういえば、試合が進むにつれ、ミロスラフの剣は少しずつ重くなっていった。

耐えられる重さを確認し、アレクサンドラが受け得る重さまで出していたと思われる。


「私もそこまでしか分析できないし、お前から何か特別な力を感じているわけではないんだ……

だが、私とアレクサンドルの娘だ。何か、私にも見えない資質があるはずだ。

お前の兄ヴィクトルは確かに優れているが、お前は決して二番煎じではない」


いつも、母に救われてきたと思う。

剣や魔法の習得が遅くても、この母王は何も咎めることはしなかった。


母王は、アレクサンドラの兄と何度か会っている。

世界の国々が一堂に会する場にその兄も出席していたことがあったり、過去何度か、イヴァンの国を訪問してもいる。

アレクサンドラは兄の話も聞いているが、母は自分と兄とを比べたことは一度もないのである。


「……ありがとう、お母さま。必ず、王の継承のための力を得て帰ってきます。私のことだから、時間はちょっとかかるかもしれないけど」

「道中は魔の者が多少いるから気をつけて。お前でも心配はしていないし、ナターシャがいればまず大丈夫だ」

「はい。

……あの、もう一つ、聞いてもいい?」


「ああ、何かな?」


「……この指輪があるっていうことは、その……私用の指輪もあるっていうこと?」


少し恥ずかしそうに、アレクサンドラは尋ねた。


「もちろんだとも。

ヴァシリーサの指輪、と伝えられている。

私が持っているが、お前が望み、私がお前と国にふさわしいと判断したら、その者に私が受け継ぐ。

そして互いに指輪を交換するというわけだ。

無理な相手と結婚しろなどとは言わないから、心配することはない。

ヴァシリーサの加護とともに受け継ぐから、仮に私から奪うような奴がいても、そいつに指輪が所持されることはない」


「成人したら、結婚の話とかも……やっぱり出てくるの?」


「ふむ、まあ、いずれは決めねばならんがな……

気になる人でもいるのか?」

「まさか。イーゴリが常についてくるからそういう出会いとかさ……ないじゃん」

「急ぐことでもあるまい」


国によって成人とされる年齢は異なるらしいが、聞くところによると、アレクサンドラくらいの年頃の女性は一般に、縁談を持ち込まれるそうだ。


ここヴァシリーサの国でも、貴族令嬢は大体二十歳前後までに結婚すると聞いている。

平民でも貴族でも、仕事を持つ女性たちは多少事情が異なるが、結婚する者は25歳くらいまでにする者が多い。

もっともこの国では、仕事をしたい、結婚に興味がないなどで独身を選ぶ女性も少なくないが。


王族ともなると、早くからふさわしい家柄の相手と婚約が決まっていて……というのがよくある話と聞いているが、アレクサンドラは母王から今までそんな話は聞いたことがなかったし、

今話を聞く限り、候補の相手さえいなさそうだった。


アナスタシアはその辺り、娘に対する焦りはまだないようである。


とりあえず、無理な相手と結婚させられることはないと聞いて、内心ほっとしていた。


「お母さまは、お父さまと出会ったとき、すぐにこの人だって分かったの?」

「いいや。

初対面で喧嘩したからな。

というより、私が一方的に叱ってやった、アレクサンドルは当時は王太子で、先代国王の後ろで自信なさげにしていたのでな」

「ははっ、お母さまらしい」


普段は穏やかなこの母王だが、昔はもっとキツく、部下の男たちが皆そろってタジタジとなることがよくあったとイーゴリから聞いている。


「お父さまは、どんな方なの」


普段アレクサンドラは、父のことを聞いたりすることはない。

いないのが当たり前で、寂しいとは特に思ったこともなかった。

会ってみたい気がしなくもないが、母やイーゴリを始めとして、父のことをほとんど口にしないので、これまで何となく父について聞きづらかったのだ。


だが今は、少しだけ、父というものについて知ってみたい気がしていた。


「気質の優しい男だ。

お前はそのまま受け継いだようだな。

あとは、意外にロマンチストだった」

「ええ、そうなの?

お母さまと正反対じゃない?」

「だから、惹かれたのかもな」

「そういうものなの?」

「まぁ、人それぞれだろう。

それに思いがけず一本気で強情なところもあったし」

「へぇ……」

「でなければ禁を犯して私と結ばれようとなどしまい?

しかも、保守的な先代国王の元でな。

禁を犯したのは褒められたものではないが、国王になるだけのタフさもきちんと持ち合わせている男だったよ」

「口説いたのはお父さまの方?」

「ふふっ、まぁな。

この私に並び立とうなどという男は後にも先にも、アレクサンドルだけだ。

怖いもの知らずと言えば怖いもの知らずだな」

「そうなんだ」


「成人したら、お前も少しずつ外交の場に出ていくようになる。

そう遠くないうち、アレクサンドルにもヴィクトルにも、会えるだろう。

とても楽しみにしていると言っていたよ」


「……お父さまが?

本当に……」


会ったことのない父親からのメッセージは、現実感がないが、それでも嬉しい気分にしてくれた。


「これも、渡しておこう。

いつもは魔法通信だが、今年はお前のためにアレクサンドルが手紙をくれた」


母の手が再度光り、そこに一通の封書が現れる。

アレクサンドラは母から手紙を受け取り、ゆっくり封を開けた。


父から手紙をもらうのは初めてだった。

毎年、魔法通信で伝言という形で母が伝えてはくれていたのだが。


父の筆跡は、とても見事なものだった。

一枚の便箋に、簡潔にだが、娘をとても思ってくれている文が綴られている。


『成人と、誕生日おめでとう、我が愛しい娘、サーシェニカ』


その最後の一文に、アレクサンドラの顔に、微笑みが広がった。


「お母さま。

成人の儀を終えたら、お父さまにお返事を書いてもいい?」


これまで、手紙のやり取りもないのは考えてみると不思議だった。

ないのが当たり前で、その理由など考えたこともなかったのだが。


「そう、伝えておくよ。

何分、彼の国とは折り合いの悪い勢力もあってな。

自由な手紙のやり取りも、実は簡単ではない。

成人の儀から戻ったら、少しずつそういうことも伝えねばならんと思っていたんだ」

「そう、だったの」

「これから私とアレクサンドル、お前とヴィクトル、4人で両国の関係を再び強固なものにしていけたらと思っている。

それが、ヴァシリーサの国とイヴァンの国の始まりなのだから」


母王がいうのは、神話の一節。


女神ヴァシリーサと勇士イヴァンは想い合い、二人の間に生まれた子どもたちが、ヴァシリーサの国とイヴァンの国をそれぞれ治め、今に至る、と。


神話とは言っても、作り話ではなく、史実だという。

すべて、成人の儀でヴァシリーサの神殿に行けば明らかになると、祖母と母から教えられてきた。

ヴァシリーサの血をひくものしか知ることができない史実でありながら、一般には伝承、お伽話として残る、特別な物語である。


どこで両国の折り合いは悪くなったのだろう。

王位継承者として各国の歴史も学んでいて、隣国イヴァンについてももちろん知ってはいるが、

父としてのアレクサンドル国王や、先代国王の行いについては、時期がきたら教えると言われていた。

実の父親に関することだから、気を遣われていたのだろうか。

だがもう、それも、遠からず知ることになるのだろう。


国を背負って立つものとして、受け止めなければならない苦い事実も、きっと多いのだと思う。

それを思うと、少し気が重いような。

そんなことを言っていては、国王などやっていられないだろうけれど。


そういう気の弱さも、複雑な事情から遠ざけられていた理由なのかもしれない。


そう、自分は気の弱いところがあるのは、自覚している。


例の、出涸らし王女の陰口に、その場にいるのを気づかれないように逃げてしまったのが始まりだっただろうか。

例えば気の強いナターリヤなら、悪口を言っている場に乗り込んで、鉄拳制裁を浴びせたことだろう。


母は部下たちに頼ればいいと言うが、

自分のこと、自分の気持ちの持ちようくらいは、自分でなんとかできるようにならなければ、とは思っている。


母の強さは、力だけではない。

何より、精神力が強靭なのだ。

20年ほども国王をやっているのだから、当然といえば当然かもしれないけれど。


護衛のリーリヤや、イーゴリやナターリヤ、信頼できる部下がいるにしても、

想い合う人と離れ離れでいるのは、つらくはなかったのだろうか。


「お母さまは、お父さまと離れていて……寂しくなかった?」


母王は、思いがけず苦笑する。


「私はずっと男といると息が詰まるのでな……

ときどき会うくらいが、ちょうどいいのだよ」

「そうなの?

私は好きな人なら、ずっと一緒にいたいなぁ」

「それは人それぞれだよ、サーシェニカ」

「それは、わかってるけど」


ヴァシリーサでは、想い合っていても、さらには子がいても、結婚しないという選択をする者も少数だが存在する。

アレクサンドラにはよく分からない感覚ではあるが。


「父上……お前のお祖父様のような、かな」

「ああ……そうだね、お祖父様みたいな人がいいな。

お優しくて、強くて。

でも付き従ってくれるの。

……うーん、なんか、いかにもお姫さまな理想像だな……別に私、姫っぽくないのに……」


ふふっ、と母王が笑う。


「お前の好みは何となく分かった。

時期がきたら、そういう話も詰めよう」


「……なんか、相思相愛っていう感覚が分かんない。

立場もあるしさ……

自分がモテる気もしないし、なんか誰かを好きになれる気もしない、叶う気がしないな……」


「そんなに悲観的になることはない。

お前を想ってくれる者はきっといるよ。


目の前のことに真摯に向き合って、こなしていきなさい。

お前のそんな姿を見てくれる者は必ずいる。


それにまだ18だ、焦ることはない」


アレクサンドラの頰が少し赤くなった。

母の言葉は、いつでも真実を告げている。

母の言葉を聞くと、どんなに自己否定に陥っているときでも、大丈夫だと思えてくる。


「長居をした。ゆっくり休むといい」

「はい。おやすみなさい、お母さま」

「おやすみ、サーシェニカ」


アナスタシアは優しく微笑むと、寝室を後にした。


……とりあえずは成人の儀を成し遂げること。

こんな私にでも、務まることはきっとある。


母の言葉を胸に、アレクサンドラはベッドにもぐると、眠りに落ちた。


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