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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
第三章 父の国
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37.自らを助くるもの


夜は無事に明けた。

空は曇っていた、ただでさえ重い空気の城が、一層どんよりと感じる。

イーゴリとナターシャは、野宿と同様の感覚で早めに起きてきた。

問題がいろいろありすぎて、ゆっくりするのも難しい。


サーシャはーー


あまりに起きてこないので心配になったナターシャが寝室をのぞいたところ、

爆睡していた。

昨日ヴィクトルとの手合わせで疲れ切ったのはわかるが……


「サーシャって大物だな……この状況であんな爆睡できるかよ」

「当分お目覚めにはならんだろう。ナターシャ、お前ももう少し寝ておけ、疲れがたまるぞ」

「……じゃあこの部屋でもう一眠りする。大将も、休めるときに休んでよ?」


ナターシャは、サーシャの部屋の方のソファーに横になって、目を閉じた。


…………

…………


朝食の時間には、さすがにナターリヤがサーシャを起こして、

まだ寝ぼけ眼であるサーシャを引っ張るようにして食堂へ向かった。


食後、ナターリヤはメイド長に、一旦メイドの部屋に戻していたファイーナを引き続き借りることを断りにいく。


そのとき聞いてみた、

「この城のメイドたちは、みんな大人しい方ですね?」

「メイドは従順でなければ務まりませぬ。

この城で雇うメイドは、従順で真面目に勤め上げ、大人しい者ばかりを選別しております。

この国では気の強い女は嫌われます、口答えする女など役に立ちませぬからな」


答えたメイド長は、老人に近い男だった、年代的に、先代派、というやつだろうか。


「なるほど、じゃあ私は役に立たないっつーわけだ。

身を呈して主君を守ったこともない男どもが、ここでは役に立ってるんだな?」


メイド長をひと睨みして、

返事は聞かずに踵を返し、ファイーナを連れ出した。


* * *


旋律の訓練の前に、国王による演説が行われることになった。


演説するのは、城の中庭、知らせを受け兵士達が庭に集まっている。

昨日の会議後には姿を見なかったヤン将軍や、副将たちもそろっていた。

城に避難している貴族やメイドたちも、中庭に面している廊下に出てきている。


王がまず演説をする。


「昨日、旋律の習得に励んだ諸君、よく休んだかね?

本日も引き続き、旋律の訓練を行う。イーゴリ殿とナターリヤ殿の指示に従うこと。

そして、昨日訓練に参加しなかった諸君」


旋律の訓練に来なかったーー将軍と副将も含む、半数ほどの兵士ーーから、息を飲むような雰囲気がした。

王は続ける、


「私は、生き延びる覚悟のない者は必要ないと言った、休んでいろと。

事実、そうした者がこの半数を占めるようだ、残念ながら。


だがもう一度だけ言おう、生き残りたければ、旋律を習得すること。


あの黒いものをなくすには、今それしか手がないのだ。

そして旋律を使った者にはわかっただろう、自分の身を守るのが精一杯だと。

旋律を紡げぬ者まで守る余裕は、誰にもないのだ。

守ってもらおうなどと思っている者は滅びると心得よ。


旋律というものを初めて聞かれた方もおられよう、

ヴァシリーサに伝わる鎮魂術の一種で、抱擁の旋律といい、黒いものに有力な効果が確認されている唯一の対抗手段である。

皆においては、できるだけ短時間で、この術を習得してほしい。

この術を使える者だけでは、自分以外の者まで守り切れぬというのが習得した感覚である。

男も女も、貴族も平民も関係なく、やるしかないのだ。


今この城は、内にも外にも不穏な空気が満ちている。

戦いのときは近いと思え。

どうか一人でも多くの者に、自分の身を守り、生き延びてもらいたい。

それにはヴァシリーサの力が不可欠なのだ。


先代のやり方にこだわる者もいるのはわかっているが、それをして、何が残るだろうか?

諸君はそれで、幸せになっただろうか?

この国は一見強くなったが、本当にそうだったろうか?


ヴァシリーサに頼ることは恥ではないのだ。

私がヴァシリーサの女王と子を成したから言うのではない。

神話のときからそうだったではないか?

ヴァシリーサの抱擁によりイヴァンは力を発揮するという一節を思い起こせ、

抱擁の旋律とはまさにふさわしい手段ではないか。


先代のよいところは残したらよい。

だがそうでないことまで引き継ぐことはない。


自分のためだけで構わない、自分が助かるために今できることをするのだ。

これはそういう戦いなのだ。

これが最後である、助かりたければ、旋律を習得せよ」


王は演壇を下りた。

辺りがざわめく。


と、ヴィクトル王子が演壇に上がった。

誰も聞いていなかったようで、国王も、将軍たちも、皆驚いている、が、止めようとする者はいない。


「今まで私の力に頼ってきた諸君。

父上の……我が国王のおっしゃることは理解しただろうか?


誰からともなく私のことを光の御子と呼び、崇めていたようだが、

現実を見よ、

私は黒いものを無数に切り払ってきたが、

あれは消えないまま、またどこかから湧いて出てくる。


私の力は根本を解決するには至っていないことを認めねばならない。


だが希望はある、

それがヴァシリーサの力だ。

私はイヴァンとヴァシリーサ、どちらの血も引いている、もとより抵抗などない。


ヴァシリーサの力は、勘違いしてほしくないが、

我々を守るものとは違う。

我々が戦うための力を与えてくれる存在である。


我々が戦う覚悟を持ちヴァシリーサに助力を願うのならば、

ヴァシリーサは力を貸してくれるのだ……この通り」


ヴィクトルは、旋律を紡ぎ、宙に舞わせた。


誰もが目を見張る、父王やイーゴリ、ナターリヤも。


ヴィクトルの旋律は、群を抜いて美しく、輝きが一際違うのだ。


父王は思う、今まで使っていた強烈な光の魔法と異なる、旋律の温かな輝き。

祖父譲りの尊大さばかりが気になっていたが、このように見事な旋律を作り上げるとは。


「私の力でも、どこまで守ることができるか、未知数である。

黒いものの全容は未だわからぬままなのだ。

次期国王として、守れるものは守りたい。

だが自分の身を自分で守ることをまず行うこと、これを徹底してほしい。

神々は自らを助くるものを助くる、

これを念頭に置いて己の行動を選択せよ!」


ヴィクトルは威厳ある宣言をすると、演壇を下りた。


王が再び登壇し、訓練の手順と振り分けについて説明した。

男性はこの場で、女性は広間でそれぞれ旋律の教授と訓練を行う。

貴族付きのメイドも今日は仕事をしなくていいと国王から直々に宣言した、

貴族たちは不満そうだが、不満にしている暇があったらその貴族自身も訓練に参加しなければ、命の保障はされないのである、

城に受け入れてもらっている時点で国王の命令を無視することもできない。


男性は国王、ヴィクトル、イーゴリが、女性はサーシャ、ナターリヤ、レオニードが指導を行うことになった。


だがサーシャの目は、そっとこの場を離れる者がちらちらいるのを捉えていた。


* * *


貴族の女性の数は、昨日より数人増えただけである。

その中には、レオニードの母がいた。


訓練前に少しだけ話したが、貴族の女性で自ら動きたがる者など珍しいのだそうだ。

これだけ危機感を煽っても、戦いは自分とは関係ないと思っている。


息子の足手まといになってはならないからと、この母親は貴族ながら訓練に参加してくれたのである。

ーーその際にそっと教えてくれた、息子には女性を虐げるようになってほしくないからと、女性を尊重するように教えて育てた、と。

ナターリヤは、レオニードは間違いなく国を立て直す主力になることでしょうと母親に言った。

お世辞ではなく、レオニードの言葉や行動の端々に、この国の未来への希望が見えるのだ。



ファイーナを始め、昨日訓練をした者は少しずつ旋律を伸ばすことができていた。


従順な者を選別しているというメイドの性格が、ここではいいように作用している。

訓練にも従順で、覚えも良いのだ、人によっては男性兵士を上回るようになるかもしれない。


ナターリヤは女性全員に伝えた、

「くれぐれも誰かの命令によって紡がないように。

貴女たち自身を守るために、紡いでください」


そしてそっとレオニードに告げた、

女性に命令して守らせようとする者がいたら、私が切り捨てるから、そのつもりで、と。

レオニードも、ナターリヤの覚悟を見てとった、

足手まといは切り捨てなければ、守る者守らせる者も共倒れになる、と。

少なくとも自分の隊にはそう伝えておくと、ナターリヤに約束した。


* * *


男性側は。

兵士・貴族・城の者にも王直々に呼びかけたためか、訓練の人数は昨日の倍以上であった。

ヴィクトルが演説したのも効果的だったようだ、

神の子と呼んでいた王子がいうのならと思い直した者も多かった。

王子が、自分一人では無理だと認めたことに、納得した者、

王子の旋律の美しさに、やはり特別なのだと思い直した者も。


国王と王子が直々に指導するのだ、士気はかなり上がっている。


副将が二人、今回は加わった。

考えを改めたと王に謝罪し、自ら下位の者に旋律を教わっていた。

その部下たちも、ほぼ同様に付き従っている。

戦力も増え、備えは着々と進んでいた。


黒いものとの戦いは消耗戦だ。

持久力が何より大事になる。

とにかく旋律の力で黒いものを減らしていくことだけが、この城の者にできる唯一のことなのだ。



イーゴリは、教える傍ら、作戦についても考えを巡らせていた。


ヴァシリーサの城が襲撃されたことを思い起こすと、黒いものはどこから襲ってくるのかわからない部分がある。

いきなり下から突き上げたこともあったから、陣形を整えることは不可能かもしれない。

ここは城の敷地内に既に結界を張っているから、その可能性は少ないと思いたいが。


考えうるあらゆる可能性に備えなければならない。

ナターリヤとも話して、役割分担や陣形について、考えを共有しておいた。


そして国王と王子に進言した、


いざとなれば、サーシャに指揮を任せるのがよいかもしれない、と。


かなり過激な提案である。

国王を差し置いて、いくら国王の実の娘とはいえ、他国の王女が指揮を取るなど、前代未聞である。

だがイーゴリに言わせると、国王も王子も重要な戦力である。

旋律の使い手としてはそれほどではないサーシャに状況判断をしてもらい、

国王は旋律に集中してはどうか、と。


そもそもここまでたどり着いたのは、サーシャの指揮があったからこそなのだ、

黒いものについての経験は、国王や王子よりも多い。


国王は、たしかにそうだと頷き、王子もサーシャとの手合わせの経験から、サーシャの判断力は買っている、理に適っていると了承した。


というより、そのときが来たら姫さまがいつのまにか指揮を取っていると思います、と付け加えておいたーー今までがそうだったから。


王も王子も、あり得るなと笑った。

会議のときもいつのまにか、城の重鎮たちを圧倒して主導権を握っていたのだ、

そんな状況になってもおかしくないと思える。


そのことをサーシャに伝えようとして、イーゴリは、ふと思った。


ーー最終的には、やはり姫さまが黒いものを取り込むことに、頼らねばならないのだろうか?


今まで毎回、それで解決してきて、

サーシャはそうするのが当然のようにしているが、果たしてそれは正解なのか?


サーシャは、自分しかできないから試さないと、と言っていたが……


サーシャが決めたことだ、反論はせぬと決めたのだが、やはりどこかでは心配なのだ。


いや、サーシャが決めたのならば、そうすればいいのだが、

自分たちが、サーシャありきで結末を考えているのは、いいとは言えないのではないか。

サーシャはサーシャのタイミングで行動に出るだろう。

だがサーシャがなんとかしてくれるという思いを持ったままでは……


…………


しばらく逡巡し、心を決めた。


どのような形になろうとも、サーシャがやろうとしていることをやり切れるよう、

自分は全身全霊でサポートする。


自分はサーシャに隠し事などできないから、例のメイドの話をしてしまったのだが、

そのときにサーシャが自分を守ろうとしているのを強く感じたのだ。


それと同じように、いやそれ以上にーーサーシャを全身で受け止めたい。


そして。


サーシャに、黒いものを何とかする責務を負わせてはならない。


サーシャしかできるものはいないが、だが、それでも、皆の命運をサーシャに託すようなことはしてはならない。


おそらく、一部の覚悟の決まっているもの以外は、サーシャをあてにし、

サーシャに救いを求めるだろう。


だがサーシャが救おうとしたばかりに、サーシャが苦難を引き受けるようなことがあってはならない。


それは、全て、自分が負おう。



もしも、サーシャが、黒いものとの対峙を放棄するならば、


それで構わない。


起こる非難や恨みは、全て自分が負う。

サーシャが無力感や罪悪感を持つならば、それも自分が負う。



そして、もし、サーシャが、全てを放棄するならば、そのときはーー


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