32.覚悟あるものの強さ
イーゴリとナターリヤは、アレクサンドル国王に従い、一階の大広間へ向かった。
大広間に集まっていたのは、レオニード副将と呼ばれていた者を筆頭に、兵士、貴族、使用人と、様々な者たちだ。
大半が男性だが、十人程度、女性もいる。
「ご苦労であった、レオニード。短時間でここまで集まれば上出来だ、一度に全てのものには教えきれぬ、まず副将と小隊長級のものから習得していこう。でき次第、下位のものに教えていくのだ」
「仰せのままに、国王陛下」
ナターリヤが提言した、
「陛下、私はまず女性陣に指導いたしましょう。その方が皆さま抵抗も少ないかと」
先程の会議の様子から、ここの男たちは女から教えてもらうというのに抵抗がありそうだったし、
女側も、女から学ぶ方が気が楽だろうと思えたのだ。
アレクサンドル国王は、ナターリヤの提案に微笑んで頷いてくれた。
「そうだな、心遣い感謝する、ナターシャよ。
ではまず私と副将の者たちは、こちらのイーゴリ総司令官に教えを乞う、頼んだぞ、イーゴリ」
「かしこまりました、国王陛下。では早速」
ここで、副将レオニードが意外な発言をした。
「陛下、私はナターリヤ殿に教えを乞いたいと存じます。代わりに我が部下にご教授くださいませ」
彼は部下に代理を命じると、ナターリヤの方にやってきた。
…………
…………
「ナターリヤ近衛隊長殿。副将レオニードと申します。
この度はぜひ貴女様に、抱擁の旋律をご教示いただきたく、お願い申し上げます」
女性たちを集めて教えようとしていたナターリヤは、少しばかり驚いた、
女性に頭を下げる者がいたとは意外だった。
「構いませんが、意外ですね?この城では、女性の言うことなど聞かれる雰囲気ではありませんでしたが」
「私は貴国に使者として参ったことがございます。そのとき、貴殿の訓練をお見かけしたのです、アレクサンドラ殿下と稽古をされておいででした。
貴殿は実に美しく、力強い剣筋をお持ちでした、我が国の将校に決して引けはとらぬと、身が引き締まりましたよ。ぜひ、貴殿から習得したいのです」
「褒め言葉と受け取っておきましょう、でも容赦はしませんのでご覚悟ください。時間の余裕は少ないとご認識ください、いつ何が起こるかわからない状態です。
では始めますよ」
女性たちは、なぜこの場に呼ばれたのかと不安そうな顔をしているものばかりだった。
女性が戦うという意識がそもそもない国なのだ。
ヴァシリーサの国でさえ、貴族の女性たちはいわゆる普通の女性、ドレスを着て優雅に過ごし、結婚して跡継ぎを産む、そういった女性が大半だ。
貴族でも平民でも、少数の勝ち気で剣がやりたいという女の子たち、又は、財産がなく働くことを選ぶ女性たちが、軍に志願することが多い。
貴族でも学問に長けた女性は、魔術方面で軍に携わることもあるが、それもやはり少数派である。
ヴァシリーサの国でもこれなのだ、戦う覚悟ができているものなどこの場にはいないに等しい。
「これから教える魔法は、貴女達の身を守るために使ってください。何も国のために戦うなどと考えなくてもいいですよ。
自分のため、ご家族やご友人がこの城にいるならそのために、使ってください」
ナターリヤは明るく語りかけた、戸惑いとともに、少し安堵したような表情も見える。
「ナ、ナターリヤ殿、何を言われる?国のために……」
「貴殿は黙っていてください、一人でも生き残って術を紡ぐこともまた重要ですよ。守れる人は多い方がよいでしょう?」
ナターリヤはレオニードにピシャリと言う。
「命令されて紡がなくてもいいですからね。では、魔術を使ったことのある方?挙手をお願いします」
おずおずと数人が手を挙げる。生活上で魔法を使うこともあるから、魔法を使うこと自体は珍しくない。魔法を使ったことがあれば、教えやすい。
だが魔法を使ったことのない者の方が多かった。
短時間で、一から教えていかなければならない。
王と、レオニードの他もう一人この場にいる副将、そして小隊長級の軍人は、さすが魔術の扱いに長けている、ヴァシリーサのゆかりのものでなくても多少の旋律が辺りに舞い出した。
ヴァシリーサの血が混じっているかどうかは、旋律の習得には関係がないことがこれでわかった。
ナターリヤはレオニードそっちのけで、ゆっくり、丁寧に力の使い方を説明する。
紙に書いて図解し、まず一人、旋律の始めの部分が出現した。
女性たちが歓声を上げる。
生活魔法以外の魔法が使えたことの喜び、
おそらくこの国で男性と同じことができたことの喜び。
小さな旋律だが大きな一歩、大きく広がる希望であった。
ナターリヤも、共に喜び、力づけ、女性たちに自信を与えていく。
「あの、ナターリヤ殿。先に私に教えていただけないか?そうすれば私からも皆に教えられる」
レオニードは自分だけまだ教われていないことに焦ったようだ、ナターリヤに声をかけた。
だが、彼を振り返ったナターリヤの顔は。
今女性たちに対して温かな笑顔だったのが、一瞬にして、厳しい軍人のものになった。
「うるせぇな、黙ってろっつっただろ?
貴様は教えなくたってわかるじゃねーか、私の言ってることを聞き取って自分で理解しろ。
私が魔法を使ったことのない者にどうやって旋律を出せるようにしてるかまでちゃんと見ておけ、貴様にもやってもらうんだからな」
…………
…………
レオニードは驚きのあまり、しばし硬直していた。
「……この、女のくせに……」
言いかけて、レオニードは首を振って打ち消した。
ナターリヤは、旋律だけではない、旋律を教えるところまでレオニードに教授しようとしているのに気づいたのだ。
女性のこんな言葉遣いを聞くのも初めてで、プライドに触って思わず出てしまった言葉だったが、
女だからどうこうと言っている場合ではない。
女性たちも唖然としている、男性に対してこんな言葉遣いをする女性など、この国の常識ではあり得なかったのだーー
「さ、邪魔する奴は鎮めてやった。続きやろう、続き!
もう一度この辺りに意識を集中してーー線譜をイメージしてーーそう、いいぞ」
再び、旋律の頭が出現した。
続いて別の女性も試み始める、そして、短い旋律の頭のみが、一瞬浮かんで消えた。
ナターリヤは上出来と褒めちぎっている。
堂々としたナターリヤはまるで、ここにいる女性たちの姉ーーまたは母のように見える。
抱擁の旋律というものを操るにふさわしい、まるで皆を抱擁するかのような懐の大きさが見えるような気がするのだ。
レオニードはナターリヤのことをずっと見ていた。
この女は確かに……強い。
自分を含む副将クラスと同格である。
自分が血反吐を吐く思いで耐えた訓練を、この女もこなしたということか。
自分はヴァシリーサの国に行ったことがあるからまだこう思えるが、
他の者にはおよそ信じがたいだろう、
この女が真に強いということが。
それに先程王女が言った、主君を庇って黒いものに取り込まれて生還した、ということーー
真に覚悟を決めている者が、まさにここにいる。
もちろん自分も国王陛下、ヴィクトル殿下のため、喜んで命を捧げるつもりだ。
だが実際にそれをやったことがある者と、そうでない者には、超え難い壁がある。
この女のことを……知りたい。
「コラァ、ボーッとしてんなよ、副将!やる気がねーんならこき使ってやろうか?
手始めに飲み物人数分持ってこい」
「う、くっ、クソ、わかったよ!」
レオニードは部下を何人か見繕うと、飲み物を取りに行った。
* * *
魔法の使用に慣れていない者にとって、旋律を紡ぐのは重労働だ。
ナターリヤは旋律の頭だけでも成功させた女性たちを休ませ、順番を待っていた女性たちに指導を始めた。
本当なら今日はこのくらいで終わりにしたい。
女性たちにとってかなりの負担なのだ。
成功して気が高ぶっていて、まだできると頑張りたがる者ばかりになったのだが、
戦いにおいては休めるときは休むのもまた鉄則である、
そうした心得もナターリヤは女性たちに聞かせた。
「じゃあ……貴女たちはそのまま休んでいるように、今からコイツに叩っこんでやるから」
ナターリヤはレオニードを指差すと、自分の方に手招きした。
レオニードは唾を飲み込み、神経を研ぎ澄ませてナターリヤの前に立つ。
「私が教えるのを見ていたんだろうな?
線譜を出せ」
ナターリヤ自ら、旋律の始まりを描き出す。
レオニードも続けて、ナターリヤの指導を見てイメージしていたように、旋律の始まりを出現させた。
「さすがは副将。では私の紡ぐようについてこい」
レオニードは必死でナターリヤの旋律を追った。
一瞬も気が抜けない、間違えれば旋律は途切れてしまう。
「本番では一瞬でこの1フレーズを出す。でないと間に合わない」
ナターリヤは旋律の一部を繰り返し、一瞬で出してみせる。
レオニードは何度か間違えながら、旋律を頭に叩き込んだ。
一瞬で出せるように。
その様子にいつのまにかイーゴリに教わっていた者たちが注目していた。
「ほほう、やるな、ナターシャは」
国王が感心している。
「私の指導についてきた実力の持ち主ですから」
イーゴリも、ナターリヤのスパルタ教育に満足そうだった。
「さすがはそなたの妹だな?」
「……お見それいたしました、陛下」
「ふふ、これでも勇士イヴァンから王位を認められたのだ、そのくらいは見えるぞ」
「おい、とんでもないぞ、あの女」
「レオニード副将があんなに苦戦なさるとは」
「あんな女がいていいものか!我が国の脅威になる」
「女があんな力を持つなど、あり得ない」
兵士たちが様々に言っている。
「皆、よく見ておけ、女性だからどうなどと関係ない。
あれが、主君のために命を投げ出し、そして生還した者の強さだ。
女性だからなどと言っているようではあの強さには敵わぬぞ」
王の言葉に、皆息を飲む。
女性たちを一から教え、今副将である実力者レオニードに猛スピードで教えているというのに、
ナターリヤの息は上がらないし、紡ぎ出す旋律の威力は衰えない。
イーゴリは、ナターリヤが戦いを経て使える力が増しているのを見て取った。
魔力も、体を鍛え技術を高めるのと同様、基本は鍛えて伸ばすものだ。
ナターリヤはもともと素養が高く、厳しい訓練により国で有数の魔力の持ち主となっていたが、
瀕死状態を経て、更に魔力が増強されたのだろう。
いまだに伸びしろのあるこの妹を、イーゴリは満足して眺めていた。
男前なナターシャに作者が惚れそう。




