25.父の国
「おー、できた!」
ナターリヤが歓声をあげた。
目の前に、きらきらと輝くリボンのような、抱擁の旋律が伸びている。
「さすがナターシャ」
サーシャの前には、ナターリヤの半分ほどの長さの旋律。
「でも、サーシャだってできてるじゃん」
「こんな短くっちゃ話にならない」
「大事なのはまずできたってことだよ」
そっか、とサーシャは思い直す。
できる、という時点で、その魔法を正しく理解できたということなのだ。
イーゴリやナターリヤより時間はかかってしまったが、ひとまず自分にもできるようになった。
「サーシャにはサーシャの役割があるでしょ。
城が攻められたときに実感した。
アナスタシア様に引けを取らない指揮だったもん、アナスタシア様より実戦経験ないのに。
私はあのとき心底反省したよ、サーシャは敵が倒せないから守らなきゃ、ってどこかで思ってたこと。
そうじゃないんだ、サーシャは頭脳だから、私たちが守るんだ」
イーゴリも頷く。
「姫さま……これを」
イーゴリが目の前に出現させたものを、サーシャとナターリヤは覗き込む。
「これって……」
「アナスタシア様の、最後のご指示です……最後の部分をご覧ください」
『もし万が一、我が娘が城に戻るようなことがあったら……
そのときは、娘の指示に従うこと』
サーシャは思わず、掴めもしない指示を手に取ろうとしていた。
「イーゴリ……これ……」
震えがきて、止まらない。
「……アナスタシア様だけは……姫さまのお力を、見抜いておいでだったのですよ」
…………
…………
昨日も泣いた。
なんだか旅に出てから、泣いてばかりだ。
自分には何かあるはずだと言ってくれていた母が、
本当にここまで、自分を信じていてくれたのだ。
私になら、王の代理が務まるはずだとーー最も信頼していたはずの、総司令官イーゴリよりも。
泣き疲れて眠るとき、母に初めて祈った。
ーー今まではただ悲しむだけだった。
お母さま、ありがとう。
こんなに純粋に感謝したことは、生まれて初めてかもしれない。
それほどに無心に湧き出てきた思いだった。
目を閉じてそれを感じていると。
自分の中で、光が舞っているような気がする。
でもこれは……黒い光?
黒いけれど、美しい。
全てを受け止めてくれるような、暖かさを感じるような、不思議な感覚。
そんな黒い光に包まれて身を委ねていたところで……
空が白んできていた。
火の前で、イーゴリが物思いにふけっているようだった。
ナターリヤは自分の横で寝ている。
イーゴリと火の番を代わった。
ナターリヤがいるのでテントに入るのは遠慮して、イーゴリは火の横に敷物を敷いて寝転がり、まもなく寝入ったようだ。
さっきの不思議な夢を思い出す。
美しく暖かく感じる、黒い光。
……黒いものとは全然質が違うようだが、何か関係あるのか?
でも、黒が心地いいものだなんて、なんだかおもしろい。
黒といえば、邪悪、絶望、無、暗い……、普通はそんな言葉しか連想しない。
だが今自分には、黒も美しく暖かいという感覚が備わった。
ーーこれは希望かもしれない。
サーシャは立ち上がって、眼前に広がる朝靄の中、遠くに佇む城の影を認めた。
父の国は、もう目の前だ。
* * *
途中山道もあったため、馬はナターリヤの村に与え、
村からはずっと徒歩だった。
はやる気持ちを抑えて、王都に足を踏み入れたのだが。
……やはり、か。
荒らされた跡がそこかしこに見える。
だが、人の姿はある。
復興に取り掛かっているのだろうか?
それにしては皆沈んでいる……いや、怯えているように見える。
軽食を取りがてら、町について情報を集めようと思ったのだが、食事屋も酒場も閉めている。
宿屋もやっていないようだ。
道行くサーシャたちを、町の人々がじろじろ見ている。
と、イーゴリが小声だが殺気立った声で言った。
「ナターシャ。姫さまの後ろを。囲まれかけているぞ、走れ」
3人は走り出した。
後ろから何者かが追ってきているのがわかる。
なんだ、こいつらは!?
サーシャは走りながら、こちらを見てくる人々の様子を捉えようと試みる。
これは……
恨み?
なぜ、私たちに?
広場に入ったところで、四方から人々が飛び出してきて、サーシャたちは完全に囲まれてしまった。
互いに背中合わせになり、各々が目の前の人々を警戒する。
「てめぇら!どこぞの貴族だな!この町を通ろうとはいい度胸してらあ!
身ぐるみはいでやるぜ!」
「見殺しにされた恨み、受けてもらうからね!」
男も女も罵声を飛ばしてくる、クワやら金棒やらを手にして、闘いは素人ばかりだろうが、
今にもかかってきそうな雰囲気である。
「さて……こいつらは、生きてる奴らか、それとも亡霊の類か」
サーシャが言うと、イーゴリとナターリヤははっとしたように一瞬顔を見合わせた。
「なぜそう思われましたか?姫さま」
「恨みで溢れてんのさ」
「そんなものが見えるのか、サーシャ。私には普通の人間にしか見えない」
「もしかして、黒いものが尻尾を出すかな」
「……!」
サーシャは、抱擁の旋律を紡ぎ出した。
両腕を広げた程度の旋律を、自分の正面にいる女に飛ばす。
旋律は女に巻きついた。
「ああぁ……私の子……誰も助けてくれなかった、私の子……!」
女が光の中で呻き出す。
「……聞かせてみろ。私が聞いてやる」
サーシャは女に手を伸ばし、差し伸べる。
「黒い洪水に……皆飲み込まれた……城門は閉ざされ……黒い波が……町中を……」
「兵士どもは引き上げていった」
「貴族の者どもは城門の中へ」
「貴族の者よ……お前も行かせぬ」
「我らと飲み込まれるがよい」
サーシャの周りに人々が寄っていく。
人ではない!
そう直感したイーゴリは、剣を抜く。ナターリヤも戦闘態勢に入る。
「待て、イーゴリ」
サーシャの声がする。
「旋律を紡ぎ出せ。ひとまず私たちを旋律で囲め」
イーゴリとナターリヤは、言われた通り旋律を紡いだ。
サーシャは、旋律を巻きつけた女に手を添えた。
「……黒いものに飲み込まれたのだな?私がその恨みをもらおう」
「……ああ……まだ恨んでる……すぐに消えなどしない」
「恨むといい……私が受け取ってやる」
胸の奥が締め付けられるように苦しい。
これは、この女が感じたものか?
……子を失うということは、これほどまで……
絶望感で意識が飛びそうになる。
だが、これはきっついわ、と人ごとのようにどこかで思っている、自分でも実に不思議なのだが。
大丈夫、まだ立っていられる。
気づくと女は消え、旋律のかけらがきらきらと輝いていた。
……ありがとう……助けてくれて。
女の感情のかけらだろうか、そんな声が聞こえた気がした。
イーゴリとナターリヤが旋律を紡ぎ続け、自分たちをドームのように覆っている。
旋律の隙間から、手当たり次第、人の形をした感情に手を差し伸べていく。
「サーシャ……何をやろうってんだ?人じゃないなら、切り開いたほうが早い!
大丈夫か?顔色が悪い」
「切っても一時的に消えるだけだ。どうせ後からもっとでかいのがくるだけだ。反動ってやつだよ。限界まで取り込んでやるから、私が限界になるまで突破は待て」
「くっ……分かったよ」
「旋律が効いてる。助かるぞ」
あとどれだけあるのだろうか?
まぁ、ものすごい数であろうことは分かっている。
前は、一気に黒い攻撃で発射されたが、今回はそうなる様子がない。
一人一人を取り込んで行かねばならないということか。
「サーシャ……無茶だ。無謀すぎる!貴女一人でどうにかできるものだと思ってんのか?
貴女が先に駄目になる!」
ナターリヤが悲鳴のように叫んだ。
まぁ、そうだろうな。
誰だってそう思う。
サーシャは目を閉じて頭を垂れ、両腕を旋律の外に突き出し、腕にまとわりつくものをただただ、感じている。
取り込もうなどとはもはや思っていない。
感じるだけだ。
だから、限界もない。
「サーシャ……人型じゃなくなったぞ、これは……あの黒いものだ」
やはりそうか。
こいつはほんとに、色々な形で私の前にやってくるな。
後どのくらいある?とは聞かない。
この腕に感じる限り、私のところへ来い。
「イーゴリ……頼みがある」
「何なりと、姫さま」
「私の背に手を当てていてほしい」
「……姫さまがお望みならば」
背中に、イーゴリの大きな手を感じた。
それだけで、しっかりと支えられている感じがする。
大丈夫。
このままいくらでも向き合っていられる。
「ナターシャ」
「はい……サー、姫さま」
「かしこまるなよ。貴女はそのまま旋律の維持だけでいい。
慌てるな。戦闘態勢は必要ない」
「……サーシャのいうことならそうなんだろうな」
「状況報告はいらない」
「わかった」
* * *
なんだかもう、もどかしいな。
旋律の外に出て、この黒いものの海に飛び込んでやろうか。
……さすがにやりすぎか。イーゴリを巻き込むわけにもいかない。
黒いもののうちに、ところどころ、重い塊を感じる。
なんだろう?
そしてひしひしと感じる、王宮への恨み。
なんでだ?何やらかした、お父さまとお兄さまは?
ーー我らは二度殺された……
一度目は黒い海に……
二度目はあの白い光に……
光に引き裂かれても……我らは消えることはできないのだーー
わかってる。
攻撃では本当にはなくならないんだ。
一見見えなくなっても、どこかに潜んでいて、または押し込められて、
いつかまた出てくるんだ。
大方、超優秀なお兄さまが、力任せに黒いものを消していったとかじゃないか?
サーシャは目を開けた。
目の前には、黒いものが広がっているが、かなり浅い。
「よし。イーゴリ、もういい。ありがとう」
サーシャは旋律を通り抜けて、外に出た。
外に出たサーシャに、残った黒いものが集まっていく。
サーシャにまとわりつき、サーシャを覆っていく。
同時に、周囲の黒いものがなくなり、地面が現れた。
「大将……何なの、姫さまは?大将が黙ってるから止めなかったけど。
ああやって黒いものを取り込んできたの?」
「そうだ。だが油断はするなよ、姫さまのお力はまだ未知数だ。
楽観はできん」
「でも……あれを見てるとなんか……泣きそうになってくるのは何だろう…?
体の奥底に響いてくるような……
心が洗われるような……」
「俺も……これは初めて見る。今までは姫さまに黒い攻撃が発射されてたんだが……
お前の言う通りだ、これは何か……神々しいものを感じる」
サーシャを覆っている黒いものが、少しずつ黒い光の粒となって、サーシャの周りで輝き始める。
ナターリヤは、最初に黒いものに会ったとき、サーシャが黒いものを払うと黒い光が生じていたのを思い出した。
あれは、黒いものがサーシャに変換されたものだったのか。
サーシャはあのとき既に、そうとは知らず、黒いものを取り込んでいたのだ。
息を飲んでその光景を見つめているとーー
突如、イーゴリは旋律の中から飛び出し、剣を抜いてサーシャに駆け寄った。




