2.ヴァシリーサの国の王女 2
「いや、素晴らしい試合でござった」
「王女さまは名実ともにもう一人前ですな」
「いかがでございましたか、陛下」
高貴な服装をした男たちの賞賛が、女王アナスタシアを取り囲む。
「……まあ、こんなものだろう」
彼女は静かにそう口にした。
その目は、優しいがどこか物憂げなものをたたえているようでもある。
「ミロスラフ殿は一段と腕を上げられたようですな」
「あれならば姫さまに見劣りはしませんでしょう」
「いやぁ、愚息も、姫さまのお眼鏡にかなおうと頑張っておるようでして。
親バカは承知しておりますが、姫さまをお守りできるほどには、なっておるかと」
「今回はミロスラフ殿の、一人勝ちになりそうですな、我が愚息ではいささか見劣りが……」
男たちが勝手に白熱していく。
彼女はそっと左手を上げた。
「……失礼致しました、陛下」
男たちは押し黙る。
彼女も言葉を発することなく、椅子に腰掛け、軽く頬杖をつき、娘である王女が去った訓練場を見つめていた。
「失礼致します、国王陛下」
従者が観覧席の背部の入り口から現れ、彼女に告げた。
「姫さまの準備が整ったとのことです。謁見の間へ」
彼女はそれを聞くと立ち上がり、観覧席を後にした。
* * *
謁見の間には、装った人々が集まっていた。
玉座の下方には、甲冑を外し、正装の軍服を身につけている王女アレクサンドラ。
その後方に、ミロスラフが控えている。
アナスタシアが、護衛を引き連れ姿を現す。
玉座の前まで来ると、アレクサンドラと向き合った。
「アレクサンドラ。此度の試合、見事であった。
我が国と我が国民のため、日々己の技量を高め、深く学び、次期国王にふさわしい器に近づいていること、皆が目の当たりにしたであろう。
今後も一層文武に励み、いずれ私を打ち負かして見せよ」
「ありがたきお言葉、わたくしを生み育て、これほどまでにわたくしを高めてくださった国王陛下と、国民のみなさまに感謝いたします。
次期国王にふさわしく、一層努めますゆえ、どうかこれからもご教示くださいませ」
アレクサンドラは恭しく頭を下げる。
「では、アレクサンドラの成人の儀、最後の課題を授けよう。
ヴァシリーサの神殿に赴き、王たる資格を身につけて参れ。
尚、共の者は、王女付き近衛隊長、ナターリヤである」
ミロスラフの更に後方に整列していた兵士の先頭に、ナターリヤと呼ばれた女性兵士が出て、一礼した。
ミロスラフにはもちろん及ばないが、女性としてはしっかりした体格で、堂々とした佇まいである。
正装の軍服に身を包み、余裕のある微笑みを浮かべてミロスラフの後ろに控えている。
ウェーブのかかった栗色の短髪で、たくましいという言葉が似合う女軍人だ。
「出発は明後日。それまで十分に休むがよい。
皆に告げる。これより王女が王位継承を懸けた修練に臨む。無事継承の資格を得、この場に戻ってくるまで、この城内は修道期間とする。娯楽、快楽は禁ずる。王女が、ひいては我が国が女神ヴァシリーサの加護を授かるよう、皆の助力を得たいと思う。
さて、この度お集まりいただいた公家の皆様、並びに各地代表者の皆様、我が国のお祝いに足を運んでくださり、心より感謝申し上げる。これにて、成人の儀の一般公開を終了とさせていただく。
どうか気をつけてお帰りくださるよう」
アナスタシアは挨拶を終え、向きを変えると、玉座から控えの間へと戻って行った。
この後下城する各地貴族のものたちの元には案内の者が向かい、兵士たちはそれぞれの持ち場へと向かう。
謁見の間は、移動を始める者たちでざわつき始めた。
「姫さま、お疲れ様でございました。お部屋に戻りましょう」
玉座の下方にいたアレクサンドラに声をかけるのは、それまで玉座の後方で控えていた、軍服に身を包んだ男であった。
背が高く大柄で、少し長さのある銀髪、
眼光鋭く意志の強そうな顔立ちである。
「イーゴリ。ありがとう」
アレクサンドラはその男を見上げて、微笑んだ。
* * *
「あー、だるかったー」
城内を自室へと向かいながら、大きなため息とともに、アレクサンドラは王女らしからぬ物言いをした。
「マジで肩こる。母上もほんとはこんな格式ばったの好きじゃないと思うんだけど…
私が即位したら、もっと気楽にしたいよなー」
「お気持ちはわかりますが……王の威厳も必要でございます、姫さま。
姫さまもそれをお分かりだからこそ、ふさわしい振る舞いをなさっているのでしょう」
「そうなんだけどねー」
「各地公家貴族に王が舐められることがあってはなりませんので」
「貴族、ウザいわ」
「……言い過ぎです」
アレクサンドラは凝り固まった体をほぐすように、腕を振り回しながら、自室へと向かう。
ときおりぞんざいな言葉を咎めもせず、イーゴリと呼ばれた軍人がアレクサンドラに続く。
「姫さま、お疲れ様でございました」
アレクサンドラの自室の前には、軍服に身を包んだ女性兵士が待っていた。
「ナターシャ。おつかれー」
先ほどアナスタシアより、アレクサンドラの共を言い渡された、近衛隊長のナターリヤであった。
イーゴリとナターリヤは、アレクサンドラに続いて部屋に入る。
「ナターシャ。明後日からよろしくね。準備ってどうするの?母上から何にも聞いてないんだけど」
「この後イーゴリ大将が説明してくれるそうですよ。
剣と、敷物、簡単な自炊道具くらいで、大して必要ないと聞いております。遠征と思っていただければ」
「遠征ね……ある意味初陣かぁ、自力であの神殿がある山を登れってことだからね」
「神殿で資格を身につけるのに加えて、姫さまがお一人で判断し、神殿までたどり着くのも目的の一つでしょう?
私は予期せぬ事態に対応する護衛役のみ。食料は現地調達、もちろん野宿です」
「うん……知ってる。姫って言われる人のすることじゃないよね。
いや、私はいいんだけどさ、うちはヴァシリーサを筆頭に代々武闘派だし」
イーゴリがいつの間にか、紅茶を準備して来ていた。
ソファーに体を投げ出しているアレクサンドラの前に、ティーセットを用意し、紅茶を注ぐ。
「ありがと、イーゴリ」
「模範試合は見事でございました。確実に、剣さばき、姿勢、重心のかけ方、どれも基本に忠実に、揺るぐことなく、できておりました」
「……イーゴリのおかげでやっと、ここまでできるようになったんだよ。でもミロスラフには歯が立たない。彼が、対等なように見せてくれたけど……そう演じれるほど、彼には余裕があるってことだな」
アレクサンドラの表情はいつしか曇っていた。
「大丈夫です、姫さま。そのミロスラフ相手に、基本を崩さず対峙できるようになったのですから。
昨年に比べ、確実に進歩しておられます。アナスタシア様より教育係を任されたこの私が保証致します」
「……イーゴリが……我が国の総司令官様が言うんだから、まぁ、受け取っておくわ」
アレクサンドラは、そう苦笑した。
「そうそう、ミロスラフ殿のあの重量級の剣を受けるだけでも、相当の実力がなきゃできませんよ」
ナターリヤもそう同意してくれる。
王女の護衛を任される近衛隊は、当然のことながら手練ればかりであり、
隊長であるナターリヤの実力は国のトップクラスであるのは間違いない。
そのナターリヤもそう評価してくれるのだから、とりあえず王位継承者として恥ずかしくない程度には、
成長できているのだろうとひと息ついた。
…………
…………
お茶を飲んでひと息ついた後、アレクサンドラはドレスルームで正装から普段着に着替えた。
普段着はドレスではなく、七部袖のカットソーに、裾がゆったりめのズボンと、軍人と同じブーツである。
戦闘訓練を日常的に行う王女は、基本は戦闘に適した服装なのだった。
同じく正装から普段着に着替えてきたイーゴリ、ナターリヤと共に、私室内の書斎へと移動する。
ここで、明日の神殿への出立について、イーゴリから説明を受けるのだった。
書斎のテーブルにみんなでつき、神殿までの地図を広げる。
城の裏手に小高い山があり、神殿はその頂上付近にある。
歩けば1日ちょっとかかるこの地まで、王位継承者は自力で歩いて赴くのが、成人の儀の習わしだそうだ。
アレクサンドラは驚きはしない。
武闘派ヴァシリーサの国に生まれたこの王女は、幼いときから剣や魔法の訓練のみならず、遠征の方法も叩き込まれているのである。
イーゴリが道のりの説明をするが、基本一本道で、道の通りに行けばいいだけである。
どこで休むか、ペースはどうするかは、アレクサンドラが判断しなければならない。
成人の儀とはつまり、今まで学んできたことの総テストでもある。
それができて初めて、王の資格を身につけることができるようになるのだ。
「イーゴリは、神殿に行ったことあるの?」
「はい、10年以上前ではございますが。
姫さまのお生まれになったときと、アナスタシア様の戴冠の儀のときに」
「ナターシャは……初めてだよね?」
「そうですね。戴冠の儀のとき、私はまだ勤めに上がってませんでしたし」
「それほど険しい道中ではないはずですから、ご心配なさることはありません」
「あのさー、イーゴリの大したことないは、私には結構なハードルだよ?
体力だけでどれくらい違うと思ってんの。
剣と魔法の威力は……言ったらもう悲しくなるわ」
「姫さまのお生まれ当時、14だった私が感じたことですから、今の姫さまとそれほど差異はないかと」
「貴方のことだから、14歳でもそこらの男子より一回り以上デカかったでしょ」
「大将はほんと、そういうとこ鈍いですよねぇ。
ま、だから遠慮なく部下をシゴくんですよね、お陰様でみんなものすごいタフになってますけど」
アレクサンドラより一回りどころか二回り以上も体格のいいイーゴリは、この国きっての武人である。
アレクサンドラが生まれた当時14歳、現在は32歳になる。
アナスタシア王の信頼厚い部下で、アナスタシアの右腕と言われており、アナスタシアの指示で武官と文官を取り仕切る総司令官という役職を与えられている。
その類稀な剣の腕と、軍事全般の博識さ、さらには世界情勢にも明るいことにより、アレクサンドラの教育係に任命されているのに加え、
ときどき軍事学校や軍隊でも教えているほか、アレクサンドラ付きの近衛隊員を鍛え上げたのはこのイーゴリであった。
文武ともに秀で、人格も高尚、将軍ミロスラフと並んで貴婦人の憧れの的らしいが、相当な朴念仁である上、剣にしか興味がなく指導は男女隔てなく容赦ないと評判である。
アレクサンドラも例外ではなく、長年このイーゴリから厳しく鍛え上げられており、
王女でありながら何一つ甘やかされてはいない。
しかも集団で指導を受ける軍の訓練と違い、イーゴリの一対一の指導だから、ごまかしたり気を抜く余地もないのである。
王女が国で一番キツい指導を受けていると、軍では冗談半分に言われているとは、ナターリヤの弁。
「女神ヴァシリーサの加護の地ですから、数はそれほどでもありませんが、弱い魔の者が多少は出ます。
姫さまの技量ならば問題ございますまい」
「う、はい……
不安しかない……」
アレクサンドラは縮こまってうつむいた。
「本日の模擬戦を拝見する限り、十分でございます。
それに、いざというときのナターシャです、心配なさることはありません」
「まぁ、ナターシャがいれば安心だけど」
「ですが最初からナターシャに任してはなりません。
引き際もご自身で判断なさいませ。
ナターシャ、いいな、お前は少々お節介なところがあるから、姫さまが判断なさるまで手を出すな、
分かってはいるだろうがな」
「ご心配には及びません、大将、大将こそお節介ですよ?
そんなこまごま指示されなくとも、ちゃんとわきまえておりますから」
ナターリヤは上官であるイーゴリに気後れすることなく、対等であるかのように振る舞う。
ナターリヤが軍事学校に所属しているときから、イーゴリが指導しており、イーゴリが最も信頼している部下である。
アレクサンドラより頭一つ分は大きいナターリヤは、態度まで割とでかく、
イーゴリに次ぐと言われる実力を持ち、何事にも物怖じしないことで有名だ。
イーゴリの前ではもちろん、アナスタシア王の前でも堂々としているし、
そこらの男軍人よりもよっぽど頼もしい。
城の外、人里離れた地には、魔の者と呼ばれる、人を襲うものが出る。
城の周辺各地に赴いて魔の者を討伐するのが、軍の日常業務の一つとなっているほど、人にとって身近な脅威である。
剣または魔法で倒すことができるが、どこからともなく現れ、出現の原因やその正体は解明されていない。
亡霊とか、悪霊ではないかと見られている。
アレクサンドラも、討伐軍に加わったことはあり、倒したこともあるのだが、
自分が中心になって魔の者に対峙しなければならないのは、今回が初めてである。
魔の者が弱いと言っても、不安は拭えない。
百戦錬磨のナターリヤがいるから、何とか大丈夫だとは思えるのだが。
「ではほかにご質問がございませんでしたら、持ち物の準備をいたしましょう。
その後軽めに訓練して、終わりとしましょう、
夜は城内での晩餐ですから、本日の疲れを残されませぬよう」
「えっ、大将、まだやるんですか」
「当然だ。実戦で乱れた型もある、その日のうちに修正しておかねば」
「マジすか……お誕生祭なのに容赦なさすぎっしょ……
姫さま、ご愁傷様です、頑張ってください」
ドン引きするナターリヤを、イーゴリが睨みつける。
「あー、いいよナターシャ、いつものことだから」
アレクサンドラは立ち上がり、イーゴリを従えて、城の倉庫へ向かった。
準備物も、王位継承者本人が判断するという規則のもと、自分でしなければならないのだ。
本当に何から何まで自力でできなければならないという伝統に、アレクサンドラは苦笑するが、
これまで代々その伝統をこなしてきたのだ、
自分には完遂する義務があるし、次に受け継ぐためにも完遂したい。
ヴァシリーサの国の王女であるという誇りが、アレクサンドラにやる気を出させていた。
* * *
国王控え室の、一室。
激しい勢いで、剣を交える者。
先程のミロスラフとアレクサンドラの打ち合いとは、比べものにならない威力を伴っていた。
ややあって、両名が離れて構え合う。
片方が、ふっと力を抜き、構えを解いた。
「それまで。リーリャ」
低めの、落ち着いた声。
それを合図に、もう片方の剣士も、構えを解いて剣を鞘に収め、一礼した。
「リーリャ、そなたはどう見た?我が娘の戦いを。
忌避なく申してみよ」
「恐れながら、陛下。
ミロスラフは実力の半分程度しか出しておりませんでしたでしょう。
殿下の剣の受けは確かに、お見事でいらっしゃいました。
打ち込みの速さも申し分ございません。
ですがやはり、その威力と、魔法の威力は攻撃、防御ともに、かなり本来あるべき高さには程遠いかと」
片方は、国王アナスタシア。
もう一人は、アナスタシアの後ろに控えていた護衛の女性兵士であった。
「そうだな。
あれほど美しい型をしているというのに。
私にも、原因は分からぬ。
イーゴリの指導だ、間違いはないのだ。
現にミロスラフほどの重い剣を、完璧に受け流し、剣を折られることなく最後まで戦い切ったのだから」
「それは……おっしゃる通りでございます」
「ほかに何か、言いたそうだな?リーリャ」
「は、……いえ。
ただ、副長クラス以上の者には、あの試合を見れば殿下のお力が分かってしまっているのでは、と……
恐れ多いことですが、弱みにつけ込む輩の存在を、危惧しております」
「それについては、案ずるな。
その可能性を考えていたから、イーゴリやナターリヤ、近衛隊をあれの側に置いているのだ。
私とて探っていないわけではない。
……それとも、”出涸らし”のことか?」
護衛リーリャが、表情を固くした。
「……お聞き及びでしたか」
「ヴァシリーサの末裔たる私に、聞こえぬわけがなかろう」
「……恐れ入りましてございます」
「よい。
そなたの咎ではない。
……それに、きっと、心配することはない。
あの子の魔法に威力がないのは、何か意味があることだろうから。
あの子自身も気にしている。
我々がすべきことは、あの子が不安材料なくこの国を統治できるよう、国を整えてやることだ。
噂をどうこう言うことではない」
アナスタシアは、窓際に向かうと、庭の方を見つめた。
遠目に、イーゴリと訓練をする娘の姿が見える。
「……本当に、よい子に育ったものだ」
アナスタシアはそう呟いて、微笑んだ。