193. 白い神側の認識
「私は、人が東の秘境というところの住人です」
ドミートリィの母親ーーリーナは、ヴィクトルとドミートリィ、そしてナターリヤを前にそう語った。
部屋に入ったのはこの三人となった。
リーナがなぜだかサーシャを異様に怖がったため、サーシャとイーゴリ、ドミートリィを拉致したラヴィルたちもリーナの前には姿を見せないように外で待機したのだ。
イーゴリの偵察魔法で、中の声は聞こえるようにしている。
ドミートリィが言ったじいやとばあや、という使用人たちは、サーシャの感覚だと、あの黒いものに巻き込まれてしまったようだった。
リーナはそうとも知らないうちに、嘆くがままあの黒いものを出し続けて、自らも黒いものになりかけていたのだろう。
続く言葉を聞き、全員が驚くこととなる。
「私たちは、白い神の子であると言われています。
私たちは白い神のために祈りを捧げ、決まった日課をこなして生活しているの。
それを管理しているのは、白い神の眷属、という存在です。
白い神と眷属には寿命がなく、住人は互いに神に決められたものと子孫を為すようになっています。
私は、なにかの折に住居から少し離れて、偶然村の入口の辺りへいたの。
そのとき出会ったのが、ダヴィード様でした。
迷われてしまってこの聖域に辿り着かれたようだったから、お声がけしたの。
聖域は普通の人間が入ることはできません。神フェオフォンの末裔だから、ご無事だっただけです。
それでも聖域の端だったから無事で、より中心部に迷い込んでしまえば、弾かれて奈落の底へ落ちていたと思います。
私はこっそりダヴィード様を匿って、お食事などを差し上げていたのだけれど、すぐに村人に気付かれて……
ダヴィード様が神の末裔だったから、解放されましたが、掟を破って人間と接触した私は、奈落の底へ放り込まれるところでした。
でもダヴィード様が咄嗟に、私を連れて逃げてくださったの。
私たちの一族はあの聖域を出られないと言われているから、追われはしなかったようです。
聖域を出たら消えると聞いていたけれど、それは本当ではなかったみたいで、私は今まで変わりなく存在できています。
山を降りた後、ダヴィード様は私を命の恩人だとして扱ってくださいました。家来の方もそう思ってくださったみたい。この家を準備してくださって、越冬の折には忘れずに毎年来てくださるの。
でも、ヴィクトル様、貴方様を見たとき、いよいよ白い神の勢力が掟破りの私を始末しに来たと思いました。
ヴィクトル様は、白い神の眷属と同じ性質でいらっしゃるから」
…………
…………
白い神の眷属と同じ性質を持つヴィクトルと、
白い神の子と言われる存在の息子であるドミートリィ。
共通の性質が見えると思ったのは、どちらも白い神由来だからだ。
そして、オレグが推測した通り。
男と女。
力を開放するものと、取り込むもの。
人々の賞賛を浴びるもの、人々が恐れ非難するもの。
光の魔法を得意とするもの、黒いものと通じ合えるもの。
白い神の眷属の性質をもつものと、
黒い神の資格をもつもの……
兄と自分とは、同じ親から、逆の要素をもつ宿命のもとに生まれたのだろうか。
いや、だからこそ、禁忌といわれる神の末裔同士から生まれ出でたのか。
ヴィクトルが、指摘された性質に驚いているようである。
そしてサーシャの疑念を口にした。
「魔剣クラデニエッツ、というものは、ご存知ですか?」
「いいえ……何ですの、それは」
「……ご存知、ないか。
では、奈落の底とはどういったものですか?」
「穢れたものや、掟破りをしたものを始末する場所です。
遥か昔に同じく掟破りをした、白い神の眷属を、二度と這い上がれない地中深くに落としたとされていて、その眷属は黒い堕天、と言われているの。そこに放り込まれたらそれの餌食になると聞いています。
……それに似たものが、さっきミーチャの後ろに……」
「私か?」
窓の外、イーゴリとラヴィルたちの間で、サーシャは呟いた。
「黒い神の眷属が、例の願いが叶う地底湖はクラデニエッツの真下にあるって言ってたけど、それのことか?」
「それは考えられる筋です」
イーゴリが同意する。
「そこで黒いものを手に入れたのも、頷けるよね。
それで、そこの奴は元は白い神の眷属だったってのか。じゃあ黒い神とは関係ないじゃん、黒いものの使い方も間違ってるし。黒い神の眷属はちゃんといる」
オレグがその地底湖の正体を掴みづらい理由もはっきりした。
オレグと同等の存在だからだ。
リーナが黒いものを発現させていたように、白い神由来の性質を持つものは、負の感情を抱えれば黒いものと化してしまうのだ。
その白い神の眷属が地底湖に落ち、負の感情を出していたなら、そこに黒いものが溜まっていておかしくない。
「あれは我が妹なのですが、貴女に危害を加えるようなことはありません。
何がそんなに、怖かったのですか?」
「……白い神と黒い神は、相反するものです。
白い神の意思に沿わなかったから底へ落ちて、黒い神に染められて、邪悪な存在になってしまったんだわ」
「……黒い神は、悪、ではないはずだが……」
「そんなわけがないわ、黒い神は白い神と敵対する存在。白い神の住人は、黒い神の怨念が己の意思に入り込まないよう、あらゆる悪を排した日々を過ごしています。
争いもなく平和なのはそのおかげだわ。だって憎しみも怒りも、ないんだもの。
黒い神の怨念は隙を見せると即座に入り込んでくるから……」
中のヴィクトルが明らかに首を傾げているのを、サーシャたちは外で感じていた。
「白い神のとこの住人って、黒い神のこと、何も知らないの?
黒い神は悪じゃないんだって……」
だがリーナは続ける、
「だから白い神ベロボーグ様が、悪の根源である黒い神を滅ぼしたの。
……でも黒い神の影響は今なお消えないまま、怨念として人々を惑わして苦しめている」
…………
…………
「いや違うでしょ」
サーシャは呟いた。
黒い神がいなくなったから黒いものが抑えきれないほど溜まり、ついに現世に表出したのだから。
黒い神がいれば起きなかったことばかりである、
母の死も、父の国の危機も。
白い神は己の下位存在にそう教えているというのか。
一体なぜ。
コシチェイが悪の根源というのならまだ分かるが。
「そういえば……黒い神の眷属は、白い神がいつしか黒い神を忌み嫌うようになったって言ってたっけ……
人間が、闇や負の感情を嫌うからって」
いつからか、白い神は、黒い神を敵視する存在になり、支配下の存在にそう伝えているというわけだ。
「創造主って存在が、人間の意思を反映するなんて、変な感じだけどなぁ」
「逆に、意思というか……人格がないから、意思あるものに染まってしまうのでは?」
そう言ったのはイーゴリだ。
それが一理ある、というより、その仮説がとてもしっくり来る。
「創造主が絶対じゃないってそんなことある……?
いやそもそも意思を持つ存在でもなかったとか……?」
そこで、サーシャが感じたのは。
意思があって価値観のあるものが創造主の地位についてしまうと、それこそ自分がヴィクトルに言ったように、危険性を孕むのだ。
正しい正しくない、こうしたいしたくない、というのは全てその人格が判断していることであって、そもそも絶対正しいというものも絶対間違っているというものも、本当はないのだ、一般的に人々がそう判断しているからであって。
例えば母が亡くなったのは辛いし悲しいし、母にはもっといてもらいたかった。
だが母の身に起こったこととは、単に、白と黒とに分かれて、この世界を形作るものに戻っただけ、それ以上でもそれ以下でもない。
そこに理由づけをしたり、自分の人生にどう影響を及ぼしたかと感じるのは、サーシャ自身の考え方であるに過ぎない。
オレグに騙されているとは思っていない。
あれは本当に黒い神の眷属であり、本当のことを語っていると思う。
現に、黒いものを浄化できる体質を持つのは、サーシャのみ。
それに、リーナの言った憎しみや怒りは、黒い神が司る感情ではあるけれど、
黒い神の本質ではない。
黒い神の本質とは、だんだんサーシャが感じてきているように、
何ものにも無関心、という状態だから。
黒い神の前では、本当の悪というものは存在しない。
サーシャが個人的に嫌いと感じるものはあっても、それはサーシャにとって都合が悪いだけの話。
サーシャに不利益がなければ、別に何ら気になることもなく、悪とはならないのである。
とはいえ、サーシャが嫌なものは大抵の場合他の人だって嫌なわけで、結果的に人々が悪というものがサーシャによって解消されることにはなるのだが。
「ま、いいや。
そうやって信じてるならそうなんだろ。私には関係ない」
「ええ、私も、分かっておりますから、お気になさらず」
「分かってるって結構すごいよ?イーゴリ。
普通の人はなかなかそう思えないと思うよ」
「いえ、でも、なんとなく、わかりますよ、我々は。
母国よりも親兄弟よりも、何よりも団長の信条を受け入れ従ってきましたから……
世間一般の価値判断とは異なったことでしょうが、自分たちには関係なかった」
オニーシムが言うのは、ツィルニトラでの在り方のことだ。
「貴方たちのとこはほんと、すごいよね。
ヴィーシャが一国の王侯相当だって認めたのも頷けるわ。
こんなすごい手駒を抱えてたとはね、ニキータ殿はジアーナとフェオフォンと二国を手の内にできるよね。
でもまぁ、フェオフォンはそれ以上に私の手駒だけど。
それにあの人、国の統治は別に興味ないんでしょ?」
「そうですね。
最初がそもそも、落ちぶれものの居場所を作るための組織でしたから……
規律を作り仕事をこなすうちに、いつの間にかこうなっただけですよ」
「本当にそう思う。我々は与えられる任務を忠実にこなすだけだった」
「貴方たちとのパイプがあると、いろいろよさそうだ。
私もいずれ、何かしらお願いするかもね、ツィルニトラ傭兵団には。
ただヴァシリーサって離れてるじゃん?こっちの動向ってヴァシリーサにあんまり関わりないんだよね。
うちの軍は全員プロだから、傭兵って使ってなかったし……
でもツィルニトラとは戦いたくないわ」
「団長も、もう一国の王配ですし、傭兵稼業は表立ってはしないと思いますよ。
それにイヴァンやヴァシリーサに敵対する案件なら、依頼先を潰してしまうと思います」
「あはは!やりそう」
「姫さま」
イーゴリが静かに、と人差し指で合図した。