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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
第二章 旅の始まり
19/193

19.器の大きさ


雨上がりの、まだ湿った空気のにおいがする。

サーシャとイーゴリは、ヤロスラフの好意で旅の準備を十分に整えさせてもらった。


防御力の高い旅用の服、持ち物を保管できる石のついたベルト、野宿に必要な道具一式、等々……

さすがはこの国随一の領土を持つ公家である、何でも揃うし、至れり尽くせりであった。


ついて行きたい気持ちを抑えて、ヤロスラフは代わりにと書物をくれた。

抱擁の旋律が記されている。

習得は簡単ではないが、使えれば、サーシャだけが危険を冒して黒いものに立ち向かうこともない。

「離れていても、殿下を少しでもお守りできれば」

ヤロスラフはどことなく照れたように言った。


「殿下、閣下、今一度、お礼を述べさせてください。

戦う意志を下さったのは、お二方です。

同時に、公家の当主となる覚悟も持てたように思います、全て殿下と閣下が私を導いてくださったからこそで、感謝してもし切れません……

私はこの地を守り、殿下が国を復興なさる折には、何をおいても馳せ参じます」


初めてあった時とは見違えるような、頼もしい新当主ヤロスラフの表情である。


「わしからも、深く御礼申し上げます。どうあっても父親に反抗できなかったこの子が、あそこまで戦えるとは、まさに女神ヴァシリーサのお力……

あの黒いものを退治したら、妻の後を追うつもりじゃったが……この子を一人前の領主にする仕事がまだ残っております、そうもいかなくなりましたわい」

「な、なんてことを、お祖父様!」

「それに、殿下の即位も拝見せねばなりませんからな。閣下……いや、イーゴリよ、頼んだぞ」

「ボリスラフ殿。全身全霊をかけて姫さまはお守りします。即位のときにまたお会いいたそう」

ボリスラフは満足そうに頷いた。


「これから、どちらへ?」

「父の国へ向けていく。何か聞いているか?」

「……彼の国も襲われたらしいと噂がございます。くれぐれも、お気をつけて」

「黒いものはまだどこに出てくるかわからん。うちの城の方はあれに覆い尽くされているからな。こっちでも気をつけろよ」

「はい、殿下。……あの」

「なんだ?」

「……いえ、何でもありません。……ご武運をお祈りしております」


…………

…………


サーシャとイーゴリの姿が見えなくなっても、ヤロスラフは二人が去っていった方を見つめていた。


「スラヴシュカ、いつまでそこにおる」


ボリスラフが孫の背に声をかける。ヤロスラフを家族ーーといってもボリスラフとレーナ、そしてヤロスラフの亡き母のみーーが呼ぶときの呼称である。


「お前、殿下に何を申し上げようとした?」

ヤロスラフはやっと振り返って、城の方へ戻っていく。

「……何でもありません」


ボリスラフはため息をついた。

「お前……あの父親みてぇなことは言いたかねぇが……

さすがに、無理じゃぞ」


「……」


「惚れてんだろう?王女さんに」


ヤロスラフは立ち止まった。

「……だから、何も言ってないでしょう?お祖父様」


「……見ただろ?あの黒いもんを身に取り憑かせて、受け入れることのできるお人だ。

ヴァシリーサの末裔ならではの力かもしれんが……

強い攻撃や強い癒しの力、そういう相手に作用を及ぼすのと、真逆のことだ。

器の大きさが、尋常じゃねぇ。

……それよりも深い器を持つ者じゃなきゃ……王女さんをまるごと受け入れることができる者じゃなきゃ、あのお方のお相手は務まらねぇ」


「……わかってます。そんなんじゃ……ありませんから。

僕はただ……殿下に受け入れてもらっただけなんです。父の影に怯える僕を。

赤ん坊のように、自力で立てなかった僕を、一人で歩けるようにしてくださったんです。

だから生涯かけて、ご恩をお返しするだけです」


ヤロスラフはそのまま、城へ入っていった。


ボリスラフはその背中を見て、首を振りつつ、笑みを浮かべていた。


* * *


予定外に日にちが過ぎてしまったが、父の国はあと数日というところだ。

ヤロスラフにもらった地図には、国境近くに宿場町と、すぐ近くに小さな村が記されている。

この辺りが無事かどうかわからないが、ひとまずここを目指して行くことにした。1日ちょっとあれば着くだろう。


ヤロスラフは立派な馬を用意してくれた。

旅はだいぶ楽になるだろう。


…………

…………


馬を軽く走らせたり、歩かせたりして、少し経った頃。


「姫さま。今回のことですが」


無言だったイーゴリが、唐突に口を開いた。


イーゴリがこう前置きするときは、高い確率で説教になる。


「正体の分からぬ、確実な対処法が分からぬものにあのように向かうのは、非常に危険な賭けです。

結果がよかったから、で済んでいますが、もし思っていた通りにいかなかったら、どうなっていたか。

何度もお教えしているはずです」


黒いものに身一つで対峙して、黒い力を受けたときのことだ。


イーゴリのいうことは尤もで、反論の余地はない。だが、


「あれに関してはさ……あれ以外に方法がなくない?結界で閉じ込めはできるけど、攻撃は防戦にしかならないし、ヤロスラフの術を上回って黒いものが出てきたんだし。

前回取り込めてるから、勝機はあったでしょ」


「前回と同様にいかなかったら、どうするおつもりですか?

取り込めずにそのまま飲み込まれてしまったら?

それは油断というものです。

それに……姫さまはあの黒いものを取り込んできていらっしゃいますが……

それによって、後になって姫さまに悪い影響が出ないとも限りますまい。事は慎重に運ばねば……半分程度の勝機では、負けるとお心得ください」


「うーん……」


サーシャは考えこむ。

というか、わかっている感覚があるのだが……

それは、


「なんかさ……私自身が、あの黒いものを欲してる感じがあるんだよね。

思い当たる理由は何もないけど……」


「欲している、とは……

あの黒い力を浴びたとき、どんな状態なのですか」


「そうな……

感情を、全身に感じてる、かな。

負の感情がほとんどみたい。

そういう感情だから、感じるのはしんどいけど、

今回は、その感情たちが”助けて”って思ってた」


「……」


「うん、そりゃ信じられないでしょうよ」

「いえ、そういうわけでは。

私も、この目で見たのですから、黒いものが姫さまに吸い込まれ、黒い……何というか、光の粒が姫さまから出ていくのを。

何か、姫さまの中で変換などされているのでしょうか?」


「浄化、みたいなものかな。

私の中で浄化されてんのかな?

泣いてすっきりした後、って感じ。あの後一日、頭が痛かったけど。

泣いた後ってそんな感じじゃん、溜まった感情が浄化される」


イーゴリはため息をついた。


「……これからはあの旋律がありますから、少しでも助けになりましょう。

ですからどうか、身を呈するようなことはおやめください。……姫さまが攻撃を受けるお姿を、我々が平気で見ていられるとでもお思いですか?」


「そう言われてもな」


正直、ヤロスラフは高等魔術まで使える力の持ち主だから、あそこまで黒いものに太刀打ちできたのだが。

魔法は一般並のイーゴリと、出涸らしの自分では、旋律の力を使ってもそこまで威力が出るわけがないのである。


「この前のは、まともに受けるだけだったけど、今回は前より冷静だったんだよ。

いろんな感情たちがあって……お祖母様の感情も残ってた」


サーシャは、ボリスラフの肉体が残った理由を説明した。


「自惚れが危険なのは言わずもがなだけど、試していかないと、道は開けないのもわかるだろ?

私に可能性があるのなら、私がしないと。

今までの戦いとは、種類が違うんだよ。


……だからイーゴリ、貴方にサポートを頼みたい」


「……姫さまも、なかなか頑固でいらっしゃいますな」

「貴方の直伝だ」

「おっしゃいますな……

よろしいでしょう、姫さまのお望みのために尽くすのが私の役目、これ以上は申しませぬ」


……何とも、懐の深い男だ。


「それと……もしも、の話なんだけど」


サーシャの声は少し細くなる。


「もしも……私が、黒いものの主みたいな存在になったら、どうする?」


イーゴリは少しだけサーシャを振り返ると、再び前を向いた。


「……ご無礼を承知で申し上げます。

……もし自我を乗っ取られておられるようならば……なんとか手立ては見つけますが、最悪、もしもどうにもならなくなったら、刺し違えることも辞さない覚悟でございます……


……もし姫さまがご自身の信念に基づいて行動されているのならば……たとえそれが悪であろうとも、私は姫さまに従います」


サーシャはイーゴリの言葉を噛み締めていた。

……ここまで受け入れるって、すごいな。

イーゴリは、少しでもできないと思えば、決してするとは言わない男である。


もはや感心するしかないくらいだ。

どこまで、懐の深い人なんだろう?


いつでも、そうだった。

できない私でも、受け入れてくれていた。

思えば5年くらい前、どうにも苛立っていた時期があって、イーゴリに八つ当たりしたこともあったっけ。厄介な年代の子どものすることだったとはいえ……

それも……全部、受け止めてくれた。


「ありがとう。イーゴリ」


それ以外に、言葉が見つからなかった。


「姫さまの御心のままに」


イーゴリらしい、生真面目な返事であった。


本章あと数話続きます。

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