189.王子の変化
それから三日ほど、サーシャはイーゴリと共に、ドミートリィにいろんな話をした。
世界史はイーゴリの得意とするところだから、フェオフォンの建国から現在に至るまでの概要をイーゴリに語ってもらい、サーシャはドミートリィと一緒に生徒役になっていた。
ヴァシリーサやイヴァンの歴史も簡単に話し、現在の世界情勢についても話して聞かせる。
ヴァシリーサの城が陥ちたこと、チュリーラからモコシの国が再興したことなど、後世に残りそうな出来事の当事者となっていたことに、サーシャは今になって、すごいことだなと感心した。渦中にいるときは、その場を切り抜けることしか考えられないが。
国王となる以上は自分は歴史に多少なりとも名を残すことにはなるのだが、こんな事件を経てしまっては代々の国王以上に、歴史の転換点にいたとして有名な王女となるのだろう。
そう思うと面白い気もする。
同時に、自分は歴史に評価されることになる。
後の世の人々がどう評価するか。
サーシャは別に今更人にどう言われようとどうでもいいのだが、国王とはそういう立場であるということを、ドミートリィに話した。
また、ヴィクトルとナターリヤも交えて、王家に生まれたとはどういうことかという話もし合った。
神の血を次に繋ぐということ。
王家を取り巻く者たちとの付き合い方。
隣国や周辺国、さらには世界の国々との付き合い方。
実はサーシャとヴィクトルも、両親が結婚していないという一種特殊な状況であり、しかも神の末裔同士の子という、世界の理とは矛盾する形で存在している。
アナスタシア王とアレクサンドル王がそれぞれ慣例通り結婚し世継ぎを設けた場合とは異なる視線を、サーシャもヴィクトルも受けてきた。
ドミートリィもこれから、国内外からそういう目で見られる可能性は十分にある。
特にサーシャは“出涸らし”と影で言われていたくらいで、王家だから絶対の尊敬をされる、という保証はない。王家の弱みに付け込もうと企む輩はどこにでもいるしーージアーナではそれを目の当たりにしたーー、決して安心していられる地位ではないのである。
神の末裔は護られ崇められ常に安泰と思われている節もあるが、内情はそんなに甘いものではないのは当事者が一番よく分かっている。
イーゴリとナターリヤも、長年サーシャを教え導き、支えて仕えてきた立場から話し合った。
王族が国にとって、国民にとってどんな存在か。
側につくものもそれをわかっていなければ、次期国王を導くことなどできないし、守ることもできない。ただ警護して教育を与えれば済むというものではないのだ。
そんな話を、ラヴィルと部下二人も神妙な顔をして聞いていた。
かなり王家の内情を赤裸々にした談話の場であるが、サーシャは敢えて彼らを同席させたのだ。
ドミートリィを側で支える人材の必要性と、その重要性を理解してもらうためである。
ドミートリィがどういう性格であろうと、国王として国を背負っていかなければならないし、ドミートリィの得手不得手により必要な支え方も違ってくる、部下たちはそこをうまくカバーしていかなければならない。
サーシャにはイーゴリとナターリヤがいたように。
しかも、国では唯一の王女だったサーシャに比べ、ドミートリィは兄一人と何人もの姉妹がいる。本来継承者であるはずの兄王子に加え、姉である王女も王位を目指しているというし、サーシャよりずっと立場は危ういものである。
ドミートリィがしっかり自分を持って生きることに加え、強力な部下の存在は欠かせないのだ。
ラヴィルに指令を授けた上役は、ドミートリィの味方になり得るのか。
いずれフェオフォンに乗り込んで、確かめなければならないだろう。
ドミートリィはそうした話を、ずっと黙って聞いていた。
理解できてもできなくても、いろんな素材を与えること、サーシャはそれが大事だと思っているから、難しい話も大人向けの話も躊躇なくする。
そして、将来迎えるであろう妃の話題も。
ラヴィルはそういう話題はあまり得意でないようだったが、部下の一人はその辺の情報をきっちり押さえていた。
フェオフォンの王子は本来、女官に囲まれてかなりちやほやされて育つそうだ。
ここは、国王が絶対権力を持つという意識が強く、この国で出涸らしなどと陰口を言ったのが露呈すれば牢に放り込まれるだろう。
男も女も、貴族で位が上がるほど美しく着飾り、国王の寵愛を受けようと必死だそうだ。
特に今は王女の数が多いから、王女の降嫁先になるべく貴族各家、また周辺の属国の国主が競って花婿修行を息子たちにさせているという。
一夫多妻が認められているこの国だが、裏では妻の方も複数男ーー同じ屋敷に済む若い下男だったり、夫の部下で遊びたい盛りの若い兵士などを囲っていたりするらしい。
実態はつまり、多夫多妻である。
「私は無理」
サーシャがそう一言。
「同感です、アレクサンドラ様。一人の相手でも大変なのに、複数妻がいるなんてこちらの身も心ももちませんよ」
ラヴィルの部下ーーオニーシムが言う。
イーゴリと年は同じ頃、体格も似ている、見かけはいかにも武人という感じだが雰囲気や喋り方は柔らかい。
「えー男もそんなふうに思うの?」
「人によると思いますが俺はそうですね。あっちの機嫌とってこっちの機嫌とってとか大変でしょう。
ちなみにフェオフォンの平民はそこまで自由にはしていません。それこそ家族を養うので、大多数の国民はいっぱいいっぱいなんですよ。
複数の妻を養うのとなるとかなり裕福でないと無理があるし、やはり複数相手がいるとトラブルの方が圧倒的に多いですからね。
貴族の中にも、一夫一妻がいいからそうするという人々も、もちろんいます」
「複数同士でもいいって相手ならうまく回るのかもねぇ」
「ここの貴族社会ではごく当たり前のことですから、そういうものとして受け入れている女性も多いです、内心は分かりませんが。それとやはり財力がものをいいますね、裕福に暮らせるなら夫に複数相手がいてもいいという女性は少なくありません。
恋人になる男にしても、裕福な夫人から小遣いでももらえればいいという場合もあります、本気で入れ上げる若者もいますけどね」
「まぁそこはヴァシリーサでもそういう連中いたからなぁ。多分世界共通でどこにでもいるよ。
別によそのとこが一夫一妻でも多夫多妻でもいいんだけど……
なんか、人の欲望ーー黒いものがうごめいてそうだなぁ、これまで以上に。
フェオフォンも一回ぶっ壊れるんじゃないかな」
「穏やかじゃありませんね」
「ていうか私が関わったら多分そうなるんだよね……
ま、そこで残る奴は残るだろ。ミーチャを支えてくれる人たちが現れてくれるといいな。
ナターシャみたいな強いお姉さん的存在がいたらいいんじゃないかな?
あ、それとも、儚げなお姫様のほうがミーチャは好み?」
ドミートリィは首をかしげている。
「まだこの年じゃ、女の子に興味はないか」
「ちょっと早いんじゃないすかね、ませた子ならともかく」
…………
…………
「サーシャはどうして、王女さまなのに剣を持ってたたかうの」
数日後、不意にドミートリィが尋ねてきて、サーシャは驚いた。
話を聞くばかりで、自分からはあまり喋らないし、質問というものをほとんどしてこなかったドミートリィが、初めてサーシャに疑問を投げかけたのだ。
「我が国では国王が一番強いからね。
王女のときから、強くなれるよう訓練しなきゃいけないんだ」
「ナターシャは女の人なのに、どうして男の人みたいなしゃべりかたをするの」
「えっと……性格?」
よくよく聞いてみると、今まで家で読んでいた本などでは、登場する女性といえば王子様に守られるお姫様らしい。
ヴィクトルに言わせれば母親も、か弱い女性という感じだ。
女性にもいろいろいるということは知らなかったのだろう。
ところがそれからドミートリィは、サーシャにもイーゴリにも、ヴィクトルやナターリヤにも、いろんな質問を浴びせてきた。
質問の内容がだんだん複雑なものになってきて、今まで聞いていたことをものすごい速さで整理しているかのような印象だ。
そもそも、知識を得なければ質問するということ自体ができないのであって、つまりドミートリィはかなりサーシャたちの話を既に理解しているのだ。
ラヴィルにはまだ近寄りがたいようだが、話しやすそうなオニーシムには質問をするようになった。
みんな、ドミートリィの質問には真摯に答え、よく分からなければドミートリィを交えて相談し合った。
そして、更に数日後。
「サーシャ、僕にも剣の踊りを教えて」




