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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
第八章 女神の国
178/201

178.浄化の鍵

今回、R 15界隈の内容が含まれています。


ニキータは、まだ息があった。


レギーナが回復魔法をかけてはいたが、ヴィクトルがさらに回復魔法を重ねる。

黒いものさえなければ、これで無事に立て直せただろう。


しかし状況は悪い。サーシャが今この場にいない状態で、黒いものがニキータを侵食してしまえば、ニキータは失われてしまう。

まだ息があるから、取り込まれていないようなのだが。


ヴィクトルは、結界越しにニキータにすがりつくレギーナの肩に手をかけた。


「レギーナ殿、状況を説明してほしい。まだニキータは息があるから、サーシャが来るまで持ち堪えられるかもしれん。絶望するんじゃない」

「ニキータ、サーシャが来るまで気張りやがれ、この野郎」


ニキータに悪態をつきながらも励ますのはナターリヤだ。


「……もういいっつってんのに……いやぁ、意識、そろそろヤバいんだぜ……

説明とかいいからさ……ギーナとキスさせてくれよ」


息はあるが既に弱々しく、ニキータが言葉を発した。


「はぁ?余裕ぶっこいてんな、でもまぁ……それが案外いいのかもな……

ヴィーシャ、そういうことみたいだ」

「……分かった。

レギーナ殿、ニキータの願いを叶えてやってくれ。

その間、俺が浄化を試みる」

「ヴィクトル様……ありがとう……」


ヴィクトルは、ニキータの胸部に取り憑いてうごめく黒いものに目を向ける。


「ヴィーシャ、どうすんだ。旋律は効かなかったろ?」

「ああ、そうだ。

だが、ニキータが刺されてからもう10分以上経つってことだ。

なのにこの状態でいられるのは逆に、サーシャの力以外でも、なんとかなる方法があるんじゃねぇかってことだ」


確かに、本来なら刺されればあっという間に取り込まれてしまうはずだ。


「イーゴリ。サーシャと剣舞奏の型を合わせていたときのことを聞かせてくれ」


ヴィクトルは、佇むイーゴリを見上げて、言った。

イーゴリとサーシャの剣武奏の術は、変異した黒いものに効果があった。

ならばそこに、ニキータの黒いものを浄化する手がかりがあるはずだ。


そのとき、イーゴリの目が一瞬泳いだのを、ヴィクトルは見逃さなかった。


咄嗟に自分とイーゴリのみを囲む結界を張る。


「……言いにくいならこうしてやる。教えてくれ、イーゴリ。

サーシャとお前の剣舞奏に含まれていた要素と、今のニキータに共通した要素を見つけ出さなきゃならん。

ヴィーカは、二人でやる型など本来はないと言ったんだ、お前とサーシャしか知らないんだろ?

頼む、イーゴリ。

俺はこの男を、死なせたくない」


イーゴリの表情は、これでもかというほど険しかった。

よほど、言いたくないのだろう。

だがおそらく、ヴィクトル王子が頼むという言葉を使ったことに、危機感もまた十分に感じている。自分の情報がなければ、人一人、命を今にも落としそうな状況なのだ。

イーゴリは、声を絞り出すようにーー


「……あれは……互いの術が混じり合い……

心が直に触れ合う、とでも言いましょうか。

その、本当に満たされた感覚になるのです……


他の誰ともやりたくないし、姫さまにも、私以外の者とはしてほしくない。

姫さまも、私にそうおっしゃいました。


私も、これ以上何とご説明すればいいか……

少なくとも、今までに経験したことのない感覚でして……」


「ふむ……」


ヴィクトルは、真剣に考えこむ。


術が混じる。

心が触れ合う、満たされる……


剣舞奏を構えているときのサーシャの表情を、思い出す。


あれは、どこか、恍惚としているように見えたのだ。

そういう色気のようなものを、サーシャに感じた。


経験のないイーゴリには見抜けないことだっただろうが、確かに、()()()()()()()()だ。


サーシャが感じたことで黒いものが浄化でき、

ニキータが今まだ命を消していない共通点とはーー


「ーーわかった。

感謝するぜ、イーゴリ」


ヴィクトルはさっと結界を解くと、今度はナターリヤの方を向いた。


「ナターシャ。

俺の読みが正しければ、ニキータが生きてるのはああやって、満足してるからだ」


目をやった先では、泣きながらニキータに口付けを繰り返すレギーナ、穏やかに、満足そうにそれを受けるニキータ。


「サーシャが黒いものを取り込むんじゃなく剣舞奏で浄化してたのは、イーゴリと術を交えて、満足してたんだろう、ーーイーゴリと、()()()()()のようにな」

「……サーシャが妙に女っぽく見えたのはそれか」

「分かるんなら話は早い。

ニキータの黒いものを、俺が引き受ける。

俺が取り憑かれたら、お前はああやって、俺を満足させてくれ」

「……はぁ?何考えて……」


ナターリヤがヴィクトルの考えを理解し切る前に、ヴィクトルは素早くニキータの側に寄り、ニキータの胸に手をかざした。


「ちょっ、待て、ヴィーシャ!アンタに取り憑かせてもニキータから黒いものが離れる保証があるのかよ!?」


ナターリヤが止めようとしたときには、ニキータの胸部から黒いものがヴィクトルに向かって飛び出して行くところだった。


「うぐっ……」


黒いものはヴィクトルの掌を貫き、瞬く間に腕を這い上がり、腕を突き刺していく。


「おいっ、このバカ、だから言わんこっちゃない!」


ニキータの様子を確かめる間もないまま、ナターリヤはヴィクトルの胸ぐらを掴んで、口付けた。


…………

…………


無茶だろ!

こんな状況でそんな甘い気になれるかっつーの!

バカかマジでこいつ!


ナターリヤは内心ヴィクトルへ罵詈雑言を飛ばしながら、口付けを繰り返した。


腕を貫かれているヴィクトルは、痛みをこらえて床に倒れ込んだ。

だがナターリヤも黒いものに貫かれた経験があるから分かる。


黒いものに意識を持っていかれそうな。

ヴィクトルはおそらく、必死でそれに耐えている。


ナターリヤは、ヴィクトルから唇を離した。


「……バカかよ、お前は……

人のために自分を犠牲にしてんじゃねーよ、お前自身が満足できてねーだろうが、だからこういうことになる!


……満足、させてやるよ、ヴィーシャ。

分かったら黒いものに飲まれるのを恐れるな。

抵抗するな、委ねてろ。

私が引き上げてやる」


ナターリヤはそう言うなり、自分とヴィクトルの周りだけに結界を展開させる。

外からは見えず、音も聞こえない。


ナターリヤの言葉に従って抵抗をやめたヴィクトルの体を、次々と黒いものが覆い、貫いていく。

上腕、肩、反対の腕、首元、だんだん急所である胸部に近づいていくる。


その中でーー


ナターリヤは剣を外し、そして、衣服を全て脱ぎ去った。


* * *


「我が主よ」


「……オレグ」


やっぱり、この空間に来た。

でも、いつもと違うのは。


「……なんだっ、ここは……お、お前は、ヴァシリーサの王女……」

「宰相補佐風情が、私をお前呼ばわりするとはな?

いい度胸だ」


黒い壁に磔になり、体のあちこちが黒く埋もれかかっているように見える、エメリヤンの姿があった。

この空間で自我を持っていられるということは。


「一応、黒いものに適合する性質を持った人間だけあるということか」


オレグが恭しい態度で、サーシャの後ろから説明する。


「稀に生まれ出でる種類の人間のようです。これまで、黒いものが顕現することはありませんでしたから、この変異者となる人間は今まで確認しようがなかったのですが。

我が主よ、この者、いかが処分いたしますか」


「救世主ってやつについて知りたいな。

あんたがそう言ったんだ。知ってるよな?」


オレグを従えるサーシャは、一歩エメリヤンに近づく。


「お前こそっ……何者なんだ!」

「私は、黒いものをあるべき姿に還せる者だよ。

あんたは?黒いものを溜め込んで増殖させてたよな?それを使うだけ?」

「僕のもとに力は集まっていた!なのに横取りしただろ!?」

「私の方がいいって黒いものたちが来ただけだよ。

力が集まったって、どこから?」

「僕がっ……力を手に入れたのに……」


質問に答えろよな、とサーシャはため息とともに呟いた。

この男は、会話をする気はないようだ。


「女神ジアーナだってこの力の前には敵わない!もっと大きい存在になって、僕が至高の存在になるんだよ。

この力があればジアーナも取り込める!僕が世界をこの手にするんだ!」


何の芝居だよ。

思わず突っ込んでしまった。


「ああそう、で、世界を手にして何がしたいわけ?」


世界を手にってめんどいだけだと思うけどな。


「なんだと……?」

「世界を手にしたら楽しいんですか?思い通りになるから心地いい?崇められたい?

力を手に入れて何に使うの?」


エメリヤンは、硬直したようにこちらを見つめてくるだけで、反論しない。


力を手に入れるということだけが目的になっていて、だからどうするということが分かっていない。

目的と手段を混同してしまった典型というわけか。



私もこの前まで、力を欲していたっけ。


自分の身は自分で守りたいから。

強い者に舐められたくないから。思い通りに物事を動かしたいから。

一人前になりたかったから。

……出涸らし王女、と弱いのをバカにされたのが、悔しかったから。


でも今は、そんなにいらないや、と思っている。


だってイーゴリが全面的に守ってくれるし。

イーゴリがいるしと思えば、結構強気に出れるようになったと思う。

私は剣舞奏源流の地の修行者たちが恐れるイーゴリを叱ることだってできるんだから。


この空間にいれば、オレグがこうやって全面的に従ってくれる。

私の力はそこにはいらない。

オレグの力はまだ見たことがほとんどないけど、この世の理そのものだから、殺しても消えない類のものだと思う。

人間を超越してる時点で強い弱いっていう価値観は当てはまらないよね。


魔法も使えなくなり、剣舞奏の術さえ発動しにくくなって、段々と力を手放しつつあるのか。


だから、力に固執するこの男が、薄っぺらく見えてしょうがない。


「パウキの連中や、グゼル王女に黒いものを取り憑かせたのは、あんたか?」

「……グゼル王女……?」

「黒いものを大量に持ってたよ。私が取り上げたけど」


そういえば、イーゴリの敵だったから、始末したんだった。

自分も、黒いものを使ってではあるが、既に人の命を奪っている。


アネータや偽のエーヴァ前国王たちを多分同じように黒いもので葬ったこの男と、やってることは変わらないような気がしてきた。

でも私はイーゴリに受け入れられ、オレグにこんなに慕われ、エメリヤンがそうでないのは何が違うんだろう。


「……僕は……知らない、グゼル王女にお会いしたことはない……」

「救世主からの遣いってのには会ったのか?」

「……いや、望みの叶うという渓谷へ、導かれて……」

「なに、そこ?私も行きたい」

「……それは……フェオフォンとの国境の……秘境と言われるところにある……

でも村人が住まうところじゃない。地中深くにある」


東の秘境、というやつだろうか。


「そんなところがあるんだ。

それを教えてくれたのは、誰?」

「……裏社会で、囁かれていた噂だった……」

「宰相補佐も裏社会の事情に通じるんだ?」

「……僕はそもそも裏社会で育ったから……」


そう言って、エメリヤンは語り始めた。


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