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ヴァシリーサの指輪  作者: タバチナ
第二章 旅の始まり
16/201

16.抱擁の旋律

一部残酷表現あり。苦手な方はご注意ください。

(うーん、人によると思いますが、残酷というと大袈裟かもしれません。念のための注意書き。)


ヤロスラフは書斎から歩いてきて、自分たちの位置に並んだ。

この結界は、ヤロスラフが作ったものだ。

結界がひとまず足止めになることを見抜いたのだろう。

「父上……貴方の目は、どこまで……節穴なんですかっ!

ヴァシリーサの末裔を相手にして……それこそ、勝機があるなどと思い上がるなど……

お、愚かなのは、父上の方でしょう!」


ヤロスラフは震えながらも、父と向き合い、言い返した。

サーシャは、それでいい、という思いをこめて、ヤロスラフの肩に手を添える。

ガチガチに固まっているその肩が、少し緩んだようだ。


「何だと、何も知らん操り人形のくせに!」

「僕のことはどうでもいい……王女様を蔑むとは、どれだけ思い上がってるんですか?

父上ごときに、王女様に手など出させません。それと……」


サーシャはヤロスラフが急に頼もしく見えて、若干驚いている。


「警告しますよ、父上。

その黒いものから手を引いてください。さもなければ、父上が取り込まれます……

貴方にその力は、制御できない」

「やっぱり借り物か」

「ええ、殿下」

「さすが、見抜く目があるな」

「……とっ、とんでもございません。……しかし、威力が強いですね。結界が危うくなってきました。仕切り直さないと」

「イーゴリ、前を頼めるか?」

「お任せを」

「ヤロスラフ、防御魔法は続けたままでいれるか?」

「問題ございません。……では結界を解きます」


結界が解かれた瞬間、黒いものが噴き出した。


「父上……何をこだわっているのですか?借り物の力で、何ができるとお思いですか?

僕は……父上に愛されませんでした、僕ごときにその理由が分かるとは思いません。

ですが、最後です、父上のことを思って言います、手を引いてください。

それが人間の手に負える力ではないこと、父上ならばお分かりでしょう?」


「こっ……この、出来損ないの分際で……!あの方より賜った力……わしはこの力で、あの方に……ぐ、うがぁァァァ!!?」

突如、触手が何本も領主の体を突き刺した。

「何をっ……なぜだ、ぁぁーーーっっっっ!!!」

声が途切れ、上げていた腕がだらりと下がる。

領主の体が、みるみる黒いもので覆われていき、すぐに見えなくなってしまった。

触手を通して、領主は黒いものに取り込まれたようだ。


あの方、と言っていた。

裏に何者かがいるようだ。

領主が愚かにもそいつの存在を口にするから、きっと口封じをされたのだろう。


「……父上……」

ヤロスラフが小さく呟いた。


領主を取り込んだ触手が再びうごめく。

先程よりも勢いが増したようだ。領主の魔力も取り込んだからだろうか。


触手が一本にまとまり、こちらへ向かってくる。

まずイーゴリが、剣で受け止め、剣圧を乗せて真っ二つにする、

ばらけながら尚も向かってくる触手を切り払い、

衝撃波を発して一部を消滅させた。


このまま黒いものが減らせるか、と思ったのだが。


「イーゴリ、待って。


……それ以上、消滅させるな。


何か、よくない気がする」


サーシャに言われて、ふと思い出す、

攻撃しても一時的に消えるだけ、すぐ集まる、とサーシャが言ったのを。


「……では、ひとまず足止めをいたしましょう」

「うん、頼んだ」


イーゴリは黒いものに向けて再び剣を構え、

サーシャはヤロスラフを振り返って、尋ねた。


「ヤロスラフ、鎮魂に関する魔法は知っているか?少しでも勢いが削げないかと思っている」

「いくつか知ってはいますが……でも、葬儀などでなければ、効果はそれほど認められません、つまり……真剣に冥福を祈るときでなければ」

ヤロスラフの表情は険しい。

無理もない、自分を敵視していた父の冥福など、簡単に祈れるわけがない。


「試してみます」


ヤロスラフはいくつか、鎮魂の系統の魔法を黒いものに投げかけた。


だが、黒いものに効いている感じがしない。


「……っ……

殿下……申し訳ありません、きっと私に鎮魂の思いが乗っていないから……

魔法が効いていない……!

どう、すれば……」


黒いものはむしろ、勢いを増したように見える。


触手が再び束になって、振り下ろされた。

イーゴリが剣圧を乗せて斬りかかる。


「ふっ!

ぐ、重いっ……」


相当に威力を感じているのだろう、珍しく気合いを込めた声を発する。


早く対処法を見つけなければ、イーゴリがもたないだろう。

鎮魂が難しいのなら、何か他の……


「閣下!

っ、もう一度、鎮魂の魔法を……!」


「ヤロスラフ、焦るな。

鎮魂は考えなくていい、別のものを考えよう。

感情に関する魔法は、何かあるか。

感情を宥めるとか、包み込むとか、何か和らげるものが」


「感情、ですか……

包み込む……抱擁……あ、もしかしてあれなら……」


「姫さま、後方へ退避を!」

イーゴリの声がして、前を見ると、

太さを増した触手が複数本、イーゴリに向かってくるのが見えた。


イーゴリが気合と共に斬りかかるが、半分くらいまで切り裂いたところで、

押し負けて、後方に吹き飛ばされる。


「イーゴリっ!!」


勢いは凄まじく、イーゴリは後ろの壁に叩きつけられ、

サーシャは思わずイーゴリの方を向いて叫んだ。


「姫さまっ……前を!」


何とか体を起こしたイーゴリに言われて前を向いたときには、もう触手が目の前に迫っていた。


「殿下!!」

とっさにヤロスラフがサーシャを腕の中にかばい、自らの背を盾にーー


触手が一撃で払われた。

ヤロスラフが振り返ると。


「……愚か者め……王女様を危険に晒す奴があるか」


ヤロスラフの前に、祖父ボリスラフが立ちはだかっていたのである。


* * *


「お、お祖父様…!?」


眠りから覚めなかった祖父の背を目の前にして、ヤロスラフは驚愕していた。


「話は後だ。こいつをどうにかしてしまわねばならん。ヤロスラフよ、さっさと結界の準備をせよ。殿下に触れるとは畏れ多いことを!」

「しっ、失礼いたしました殿下!」


ヤロスラフが慌ててサーシャから離れる。


今まで、サーシャを自分の羽織っていたローブの半分に隠して庇っていたーーほぼ、抱きしめてサーシャの盾になろうとしていたのだった。


ヤロスラフは耳まで真っ赤になって、顔を逸らす。


「い、いや……気にするな、ありがとう、ヤロスラフ……」

サーシャはやや混乱気味で、結界の準備をするヤロスラフに目を向けながらも、後方に跳ね飛ばされたイーゴリに駆け寄る。

イーゴリは起き上がっていたが、まだ剣を支えに膝をついていた。


「イーゴリ……大丈夫?」

サーシャは回復魔法をかける。


「かたじけない、姫さま。押し負けるとは不覚でした」

イーゴリは立ち上がり、再び前に出て構える。


「ボリスラフ殿!ご無事であったか」

「イーゴリ……いや、総司令官殿、随分とたくましくなられたなぁ!そなたがおれば百人力、こいつを倒しましょうぞ!」


サーシャはボリスラフを初めて見る。

老人だが、肉体はまだたくましく、何よりすぐにわかる強靭な精神。なるほど、ヤロスラフが頼りにしてしまうのも無理はない。


「ヤロスラフよ、今度こそこいつの正体は判別できたんじゃろうな?切るだけでは消せぬのはわかっておるじゃろう?」

「……“抱擁の旋律”を使います。荒れ狂う感情を抱きしめ、包んで癒すもの。

使い手の心情にかかわらず、旋律そのものに癒す効果が乗っています、これで……やってみます」

「わしもそう思う、頼んだぞ!」


ヤロスラフは自分の前に、何やら書き始める。

楽譜のように見えるそれは、温かみのある光で輝いていて、リボンのように伸びていく。


黒いものからの触手が、イーゴリ、ボリスラフに分散して飛んできている。

二人とも、物ともせずに切り払っていく。イーゴリも負担が減って、サーシャやヤロスラフのところまで触手を伸ばさせない。


大きく触手を切り減らしたところで、ヤロスラフの旋律が黒いものに向かって投擲(とうてき)され、黒いものに二重、三重に巻きついていった。

黒いものは旋律に巻かれて震えているように見える。


旋律から黒い光ーー黒いのに輝く、光と表現するのが最適だったーーが立ち上りながら、

黒いものが少しずつ、量を減らしていく。

黒いものを減らすごとに、旋律もまた、役目を終えたかのように光となって立ち上り、消えていく。


もう一度、ヤロスラフが旋律を放つ。

さらに旋律に巻かれ、黒いものはどんどん縮んでいく。


このまま、消えるか?


誰もが油断はしないまま、だがそう期待したとき。


「な……何をしているの?あなた!まさか、あなた!?」

領主の妻が騒ぎを聞きつけたのかやってきて、黒いものを見て驚愕の表情になった。


「あなたたちっ……ロスチスラフ様に何をしたの?

まさか……ヤロスラフ、あなた、お父様を殺したとでも言うの……?


……許さないわっ!!」


この妻からも、黒いものが噴出した。


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