16.抱擁の旋律
一部残酷表現あり。苦手な方はご注意ください。
(うーん、人によると思いますが、残酷というと大袈裟かもしれません。念のための注意書き。)
ヤロスラフは書斎から歩いてきて、自分たちの位置に並んだ。
この結界は、ヤロスラフが作ったものだ。
結界がひとまず足止めになることを見抜いたのだろう。
「父上……貴方の目は、どこまで……節穴なんですかっ!
ヴァシリーサの末裔を相手にして……それこそ、勝機があるなどと思い上がるなど……
お、愚かなのは、父上の方でしょう!」
ヤロスラフは震えながらも、父と向き合い、言い返した。
サーシャは、それでいい、という思いをこめて、ヤロスラフの肩に手を添える。
ガチガチに固まっているその肩が、少し緩んだようだ。
「何だと、何も知らん操り人形のくせに!」
「僕のことはどうでもいい……王女様を蔑むとは、どれだけ思い上がってるんですか?
父上ごときに、王女様に手など出させません。それと……」
サーシャはヤロスラフが急に頼もしく見えて、若干驚いている。
「警告しますよ、父上。
その黒いものから手を引いてください。さもなければ、父上が取り込まれます……
貴方にその力は、制御できない」
「やっぱり借り物か」
「ええ、殿下」
「さすが、見抜く目があるな」
「……とっ、とんでもございません。……しかし、威力が強いですね。結界が危うくなってきました。仕切り直さないと」
「イーゴリ、前を頼めるか?」
「お任せを」
「ヤロスラフ、防御魔法は続けたままでいれるか?」
「問題ございません。……では結界を解きます」
結界が解かれた瞬間、黒いものが噴き出した。
「父上……何をこだわっているのですか?借り物の力で、何ができるとお思いですか?
僕は……父上に愛されませんでした、僕ごときにその理由が分かるとは思いません。
ですが、最後です、父上のことを思って言います、手を引いてください。
それが人間の手に負える力ではないこと、父上ならばお分かりでしょう?」
「こっ……この、出来損ないの分際で……!あの方より賜った力……わしはこの力で、あの方に……ぐ、うがぁァァァ!!?」
突如、触手が何本も領主の体を突き刺した。
「何をっ……なぜだ、ぁぁーーーっっっっ!!!」
声が途切れ、上げていた腕がだらりと下がる。
領主の体が、みるみる黒いもので覆われていき、すぐに見えなくなってしまった。
触手を通して、領主は黒いものに取り込まれたようだ。
あの方、と言っていた。
裏に何者かがいるようだ。
領主が愚かにもそいつの存在を口にするから、きっと口封じをされたのだろう。
「……父上……」
ヤロスラフが小さく呟いた。
領主を取り込んだ触手が再びうごめく。
先程よりも勢いが増したようだ。領主の魔力も取り込んだからだろうか。
触手が一本にまとまり、こちらへ向かってくる。
まずイーゴリが、剣で受け止め、剣圧を乗せて真っ二つにする、
ばらけながら尚も向かってくる触手を切り払い、
衝撃波を発して一部を消滅させた。
このまま黒いものが減らせるか、と思ったのだが。
「イーゴリ、待って。
……それ以上、消滅させるな。
何か、よくない気がする」
サーシャに言われて、ふと思い出す、
攻撃しても一時的に消えるだけ、すぐ集まる、とサーシャが言ったのを。
「……では、ひとまず足止めをいたしましょう」
「うん、頼んだ」
イーゴリは黒いものに向けて再び剣を構え、
サーシャはヤロスラフを振り返って、尋ねた。
「ヤロスラフ、鎮魂に関する魔法は知っているか?少しでも勢いが削げないかと思っている」
「いくつか知ってはいますが……でも、葬儀などでなければ、効果はそれほど認められません、つまり……真剣に冥福を祈るときでなければ」
ヤロスラフの表情は険しい。
無理もない、自分を敵視していた父の冥福など、簡単に祈れるわけがない。
「試してみます」
ヤロスラフはいくつか、鎮魂の系統の魔法を黒いものに投げかけた。
だが、黒いものに効いている感じがしない。
「……っ……
殿下……申し訳ありません、きっと私に鎮魂の思いが乗っていないから……
魔法が効いていない……!
どう、すれば……」
黒いものはむしろ、勢いを増したように見える。
触手が再び束になって、振り下ろされた。
イーゴリが剣圧を乗せて斬りかかる。
「ふっ!
ぐ、重いっ……」
相当に威力を感じているのだろう、珍しく気合いを込めた声を発する。
早く対処法を見つけなければ、イーゴリがもたないだろう。
鎮魂が難しいのなら、何か他の……
「閣下!
っ、もう一度、鎮魂の魔法を……!」
「ヤロスラフ、焦るな。
鎮魂は考えなくていい、別のものを考えよう。
感情に関する魔法は、何かあるか。
感情を宥めるとか、包み込むとか、何か和らげるものが」
「感情、ですか……
包み込む……抱擁……あ、もしかしてあれなら……」
「姫さま、後方へ退避を!」
イーゴリの声がして、前を見ると、
太さを増した触手が複数本、イーゴリに向かってくるのが見えた。
イーゴリが気合と共に斬りかかるが、半分くらいまで切り裂いたところで、
押し負けて、後方に吹き飛ばされる。
「イーゴリっ!!」
勢いは凄まじく、イーゴリは後ろの壁に叩きつけられ、
サーシャは思わずイーゴリの方を向いて叫んだ。
「姫さまっ……前を!」
何とか体を起こしたイーゴリに言われて前を向いたときには、もう触手が目の前に迫っていた。
「殿下!!」
とっさにヤロスラフがサーシャを腕の中にかばい、自らの背を盾にーー
触手が一撃で払われた。
ヤロスラフが振り返ると。
「……愚か者め……王女様を危険に晒す奴があるか」
ヤロスラフの前に、祖父ボリスラフが立ちはだかっていたのである。
* * *
「お、お祖父様…!?」
眠りから覚めなかった祖父の背を目の前にして、ヤロスラフは驚愕していた。
「話は後だ。こいつをどうにかしてしまわねばならん。ヤロスラフよ、さっさと結界の準備をせよ。殿下に触れるとは畏れ多いことを!」
「しっ、失礼いたしました殿下!」
ヤロスラフが慌ててサーシャから離れる。
今まで、サーシャを自分の羽織っていたローブの半分に隠して庇っていたーーほぼ、抱きしめてサーシャの盾になろうとしていたのだった。
ヤロスラフは耳まで真っ赤になって、顔を逸らす。
「い、いや……気にするな、ありがとう、ヤロスラフ……」
サーシャはやや混乱気味で、結界の準備をするヤロスラフに目を向けながらも、後方に跳ね飛ばされたイーゴリに駆け寄る。
イーゴリは起き上がっていたが、まだ剣を支えに膝をついていた。
「イーゴリ……大丈夫?」
サーシャは回復魔法をかける。
「かたじけない、姫さま。押し負けるとは不覚でした」
イーゴリは立ち上がり、再び前に出て構える。
「ボリスラフ殿!ご無事であったか」
「イーゴリ……いや、総司令官殿、随分とたくましくなられたなぁ!そなたがおれば百人力、こいつを倒しましょうぞ!」
サーシャはボリスラフを初めて見る。
老人だが、肉体はまだたくましく、何よりすぐにわかる強靭な精神。なるほど、ヤロスラフが頼りにしてしまうのも無理はない。
「ヤロスラフよ、今度こそこいつの正体は判別できたんじゃろうな?切るだけでは消せぬのはわかっておるじゃろう?」
「……“抱擁の旋律”を使います。荒れ狂う感情を抱きしめ、包んで癒すもの。
使い手の心情にかかわらず、旋律そのものに癒す効果が乗っています、これで……やってみます」
「わしもそう思う、頼んだぞ!」
ヤロスラフは自分の前に、何やら書き始める。
楽譜のように見えるそれは、温かみのある光で輝いていて、リボンのように伸びていく。
黒いものからの触手が、イーゴリ、ボリスラフに分散して飛んできている。
二人とも、物ともせずに切り払っていく。イーゴリも負担が減って、サーシャやヤロスラフのところまで触手を伸ばさせない。
大きく触手を切り減らしたところで、ヤロスラフの旋律が黒いものに向かって投擲され、黒いものに二重、三重に巻きついていった。
黒いものは旋律に巻かれて震えているように見える。
旋律から黒い光ーー黒いのに輝く、光と表現するのが最適だったーーが立ち上りながら、
黒いものが少しずつ、量を減らしていく。
黒いものを減らすごとに、旋律もまた、役目を終えたかのように光となって立ち上り、消えていく。
もう一度、ヤロスラフが旋律を放つ。
さらに旋律に巻かれ、黒いものはどんどん縮んでいく。
このまま、消えるか?
誰もが油断はしないまま、だがそう期待したとき。
「な……何をしているの?あなた!まさか、あなた!?」
領主の妻が騒ぎを聞きつけたのかやってきて、黒いものを見て驚愕の表情になった。
「あなたたちっ……ロスチスラフ様に何をしたの?
まさか……ヤロスラフ、あなた、お父様を殺したとでも言うの……?
……許さないわっ!!」
この妻からも、黒いものが噴出した。




