15.領主の正体
正直、どうしていいものやらわからない。
黒いものに襲われて生存しているものを、今初めて目にするのである。
襲われかかったミーナを助けたが、あの時はまだ取り込まれてはおらず、無事だった。
「というか、魔術類については貴方も詳しいんだろ?例えば、魂を取られたとか、そういう種類に対処する魔術って、ないの?」
「そうですね……まず、魔術の学問的な話をしますと、“魂”という分類はしないのですよ。
“意志”とは言うんですが。強く望む力のことです。
“意志”は個人の内から生じるもので、我々人が何かを感じて生きている上では、基本的に枯渇はしないものです。例え望み切ってしばらく何もする気が起きなくても、時が経てば望む力はまた復活します。
……そうか、もしかしてあの本になら」
ヤロスラフは自分の書斎にサーシャたちを案内し、本で埋め尽くされた棚から何か探し始めた。
意外にもヤロスラフは勉強家のようだ。
学問の話になると落ち着いて、流暢に喋る。
出涸らし王女と見下していた奴と、自分も変わりはしなかったようだ。
サーシャは内心反省した。
イーゴリをちらっと見ると、イーゴリも同様に感じたようだ。
ヤロスラフは、数冊の本を取り出し、目を通している。
「お二人も、よろしければご覧ください。これは医学書なんです。
回復魔法の専門書でして、医術者しか基本は読まない種類ですね。今……『意志』に関する記述を探しています」
急に頼もしくなったな、と言いそうになって、サーシャはこらえた。
だが、これで解決策が見つかれば、肉体さえ無事なら救える者がほかにもいるかもしれない。
サーシャも分厚い医学書を手にとってみたが、医学魔法の専門用語だらけでほとんど理解できなかった。
ヤロスラフも魔術は使えるが医術者ではない、読みこなせているようではなかった。
「……“意志”の回復……休息……」
「見た感じ……“意志”を奪う魔の者の記述は見つからんな……
“意志”枯渇の原因としては、何かに集中しすぎた場合、とか魔力の使いすぎくらいしか見当たらんぞ」
武人は学問が苦手な者も多いが、イーゴリは学問にも精通しており、本は苦にならないようである。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
「ここにいてください」
ヤロスラフは緊張した表情で書斎を出て行き、扉を閉めた。
* * *
ヤロスラフはすぐに戻ってきた。
祖母が夫であるボリスラフに添い寝しに来たのだった。
ボリスラフが眠りに落ちて以来、毎晩ボリスラフに添い寝しにやってくる。
ベッドは広いから問題はないが、ちょっとボケてないか?とヤロスラフは心配になっているそうだ。というのも、ボリスラフがこのようになってから、言動がおぼつかないというか、焦点が合わない感じなのだ。
夕食のときに話したことを思い返すと、確かに会話が噛み合わない印象があったが、
夫の惨状にショックを受けてしまったのだろうか?
ここにきて、ヤロスラフは黒いものに襲撃されたときのことを語った。
思い出すのが怖くて話せず申し訳ありません、と謝罪し、当時の状況を回想した。
とはいえ、現場そのものは見ていなかった、というのも、祖父がやられる前に精一杯抵抗してやると、家族や兵たちを、黒いものが現れた広間から締め出したのだった。
父と妻はさっさと逃げ、自分は中に入ることもできず、かといって祖父を置いていきたくないという葛藤で、物陰に隠れながら広間の近くをうろうろしていた。
そこに、祖母がやってきた。
兵たちにヤロスラフを避難させるように言うと、自分は広間に入ってしまったのである。
その言葉に甘えてしまい、兵に引き連れられるがまま、そこから遠ざかり……
黒いものが退散したと知ったのは、祖母がふらつきながら城の中を歩いているのを見張りが見つけたからだった。
広間へ飛び込むと、祖父が傷だらけで倒れていた。
息があるのは奇跡だと、ヤロスラフは懸命に治療をほどこし、父が戻る前に自室へかくまった。
……………
祖母の様子も、黒いものの影響なのだろうか?
そう思いつつサーシャは話を聞いていた。
そのとき。
爆発音が響き、ガラスが割れる音がした。
「危ないっ!」
ヤロスラフが防御魔法を紡ぐ。
爆風をやり過ごしたのを見計らって書斎から飛び出すと。
なんと、黒いものをまとった領主がそこに立っていた。
* * *
ヤロスラフの部屋の入り口は大破してしまっている。
扉のあったところに領主が立ちふさがり、黒い衣のように、あの黒いものが渦巻いている。
領主は、書斎の方を向き、獲物を見つけた蛇のようにヤロスラフに視線を固定した。
「ち……父、上……」
ヤロスラフは机にしがみついて、震えている。
いつもそうなのだ。
自分のやろうとしたことは、いつも潰される。
「愚かな息子よ……貴様がこれほどまでに愚かだったとはな!
王女と総司令官を取り込んで、勝機があると夢見たか?
貴様ごときに何もできはしないのだよ……?」
それは呪いの言葉。
無力であることを思い知らされ、自分にできることなどありはしないという絶望に引きずり込まれるのだ。
失敗したときも、成し遂げようとしたときも、試みようとしたときも、
繰り返し、繰り返し、意識に刻まれてきた呪い。
跳ね返すどころか、逃げる意志さえ……
呪いに打ち消されてしまうのだ。
「貴様は何をやっても、無駄。
無駄、無駄なのだよ!!」
領主の蔑みが部屋中に響く。
「もう生きていることさえ、無駄なのだ!
貴様は我が一族の糧となるがいい、老いぼれた我が父と一緒にな!」
領主を取り囲む黒いものが、うごめき出す。
触手が現れ始め、伸びていく。
「さて……この愚か者の話に耳を傾けるとは、随分とお目が高いことですなぁ、殿下、閣下」
領主はサーシャとイーゴリに視線をうつし、いやらしく笑みを浮かべた。
「大人しく部屋で眠っていてくだされば、楽でしたのに。出涸らし王女が、一体何ができるというのかな?その昔英雄と名を馳せた我が父もあの有様……総司令官殿一人ではどうにもならない力を、わしは手に入れたのだぁ!ファーハハハハハ!!」
触手がおぞましくうごめき、長さを増してくる。
イーゴリとサーシャは剣を抜き、身構えた。
「ロスチスラフ!やはり隠していたか。ミロスラフもいるのか?」
イーゴリが叫ぶ。
「ミロスラフだと……我が息子はもう、いないのだ!
王が供にしたばかりに……かわいそうな我が子よ!全ては王のせいなのだ!禁を犯してよその王子に熱を上げ…その挙句に我が息子を引き連れ玉砕するとは!
呪われた王女よ!この報い、貴様に受けてもらおう!
そして将軍の上に立つ者でありながら、王の供もせず安全なところでのうのうとしておった総司令官……息子に代わり、無念を晴らしてくれよう!!」
領主が手を掲げると、触手がまず書斎の方ーーサーシャとイーゴリがおり、室内にヤロスラフが座り込んでいるーーに束になって飛んできた。
イーゴリが一撃で払う。束からこぼれ出た触手を、サーシャが鮮やかな剣筋で切り払った。
威力こそないが、イーゴリ直伝の剣術である、動きに無駄はなく、効率よく切れるのだ。
「うむぅ!出涸らしが、我が息子に太刀打ちできるわけがないのだ!息子の恨み!受けるが良い!
我が一族が、呪われた王女に代わり、国を支配するのだぁぁ!」
触手が再び生え、伸びていく。
「ヤロスラフ。防御を頼むぞ」
サーシャはヤロスラフを振り返った。
だが、ヤロスラフは震えて動けない。
「う、あ……」
「ヤロスラフ。私の声を聞け。私を見ろ」
サーシャはヤロスラフに駆け寄り、黒いものに覆われた父から目を背けられないヤロスラフの顔を手で挟み、自分の方へ向けた。
「私の声が、聞こえるか?ヤロスラフ。聞こえるまで呼ぶ」
「ああ……あ……」
「私を見ろ。私だけだ」
「で……でん、か……」
「そう、それでいい」
轟音がして、衝撃とともにガラスや壁の瓦礫が舞う。
イーゴリが次の触手を断ち切ったのだった。
「イーゴリ、もちそうか?」
「お任せを、姫さま!」
少しは時間がある。
サーシャはもう一度、ヤロスラフの頰に手を添える。
「ヤロスラフ。私が見えるか」
「は……はい……」
「私に防御魔法を紡げるか」
「はっ……はい……」
ヤロスラフは、震える手で魔法をサーシャに巡らせる。
「よし、よくやった。お前は出来る奴だ」
「え……?」
「お前は出来る奴だ、と言った。もういっちょいくぞ、私の声だけ、聞けばいい」
「は、はい、殿下」
「目は閉じておけ、お前なら見えなくても私がどこにいるかわかるだろう?私がどこにいるか、しっかり集中して探せよ」
「はい、殿下」
サーシャは立ち上がり、イーゴリの戦う位置まで出る。
「ヤロスラフ!防御せよ!」
サーシャの体が、防御魔法に包まれる。さっきよりも随分しっかりしたものになっている。
「よし!上出来だ!」
サーシャはイーゴリの前に出て、触手を切り払った。
「ヤロスラフぅぅ!貴様ぁぁ、生意気に、この父に逆らうだとぉぉ!?」
呪いの声が響き渡る。
「ひっ……うあ……」
「ヤロスラフ!私の声を聞け!
他の声に耳を貸すことはない。私がお前を守ってやる。
私の言う通りにせよ。私が救ってやる。もうお前は呪いにとらわれなくてもいい」
「はい、殿下……!」
ヤロスラフは、サーシャの後ろでひざまずいた。
* * *
呪いの言葉で頭が支配された。
うごめく触手と同じように、自分の心を蝕んでいく。
何も感じなくなり、動くこともできない。
そこに一縷の光が差し込んだ。
暖かく、柔らかな声。
呪いがじわりと溶けていく。
頬に感じる、暖かいもの。
これは、お祖母様……?それとも、母上……?
少しずつ、声がはっきり聞こえてくる。
目の前にいるのはーーアレクサンドラ王女。
防御魔法を紡げるか?と聞いている。
王女に防御を念じる。
「お前は、出来る奴だ」
暖かい声が、呪いの代わりに頭に響き渡る。
呪いにとらわれた頭が、少しずつ晴れてきた。
ひたすら、暖かい声だけを探し、声の言う通りに魔法を紡ぐ。
再び呪いにかき消された。
あの声はどこだ?
必死に探す。
今度はすぐに見つかった。
この声だけが頼りだ。この声についていけば、ぼくはーーー
「出涸らし王女め!その愚か者の援護など無駄なのだ!」
領主がサーシャに向けて触手を放つ。
イーゴリが斬りつけようとしたとき、強力な防御魔法がサーシャとイーゴリを包み、
目の前に結界が現れた。
触手が結界に阻まれてもがいている。
「おのれ……愚か者の分際で!」
「出涸らし、ですって…?誰のことなんです、父上?」
サーシャが振り返ると、しっかり立ち、父を睨みつけるヤロスラフがいた。