100.それぞれの情報収集
サーシャとイーゴリは、警備兵が訓練場として使う裏庭を案内してもらった。
早速剣を抜き、向かい合って構える。
基本の打ち込みから始まり、剣舞奏の型の確認と練習、サーシャがひと休みする間にも、イーゴリは休まず黙々と鍛練を続ける。
こうしてイーゴリと一緒に訓練していると、張り詰めていたものが消え、穏やかな心持ちがする。
気を張るはずの訓練なのに。
「とてもいい精神状態でいらっしゃいます、姫さま。
戦いの最中に至るのは至難の業ですが、剣を極めるという目的におきましては目指すべき高みでございます。
生誕祭のときとは段違いに、高められましたな」
イーゴリが褒めてくれる。
先程までの無表情、不快感から打って変わって、いきいきしているというか。
さすが、修行バカだ。
それにしても、イーゴリってこんなに分かりやすかったっけ?と思った。
感情を表に出さない男だと、ずっと思ってきたのだ。
今まで、サーシャがイーゴリに対して感情をさらけ出すだけで、イーゴリの様子を特に気にしたことがなかったのだ。
イーゴリのことを気にし出したのは……
イーゴリを好きだと、自覚してからか。
サーシャはイーゴリから視線を外した。
この人を好き、と意識してしまうと、不自然な態度になってしまう。
「いかがなされましたか、姫さま」
「え?……うん、なんでもない。……休憩はいい、続きをお願い」
「仰せのままに」
再び、剣を交えていった。
…………
…………
この国の兵士だろうか。
遠巻きに見られているのをサーシャは発見した。
彼らの訓練の場を占領してしまっている。
イーゴリに言って、端に移動した。
イーゴリは見ていた兵士たちに声をかけに行った。
「訓練場を占領して失礼いたした。
我々は隅で結構、どうぞお使いくだされよ」
簡素な鎧を身につけているが、この城に似つかわしくなく、品に今ひとつ欠けている気がした。
6人いるうち一番屈強な男がリーダー格だろうか、イーゴリを前にしても動じる様子がない。
「……たまげたな。
あれが王女って本気かよ」
イーゴリの眉がかすかに動く。
見るからに、王族に対する態度ではない。
「貴官の所属と名を伺ってもよろしいかな」
イーゴリはあくまで、丁寧な物腰で問うた。
「俺ぁ、チュリーラ国地方師団長、
アルトゥールってもんだ。
あんたが、ヴァシリーサのイーゴリ、か」
「俺を知っているのか」
「俺ぁゲーシャと同じ村のもんだ、貴族じゃねぇ。
あんたのことはゲーシャからよく聞いてるぜ」
農民出身。
この地方の。
「……この地に由来するものが、城勤に上がれるようになったのか」
「おう、ゲーシャに聞いた通りだ……うちの歴史にも造詣が深いとは、さすが大国のお偉いさんは違う。
こんなところで立ち話もなんだ、今晩宿舎に飲みにこねぇか」
イーゴリは一瞬、戸惑った。
敵地とみなしているこの城で、サーシャの側を離れたくないのが本心だった。
だがゲーシャの知り合いなら、チュリーラ本隊よりは信頼ができそうだし、話も聞いてみたい。
と、後ろに、サーシャが来ているのに気づき、振り返る。
「ヴァシリーサの王女さんか?
物怖じしねぇんだな、チュリーラの王女と違って」
主君であるはずのグゼル王女に、敬意を払わない言い方。
イーゴリもさすがに、驚いた。
この国も、何か抱えていそうだ。
関わっている暇はないから、首を突っ込むわけにはいかないが。
「いずれあんたらのような荒くれもまとめ上げねぇといけなくなりそうだからな」
サーシャはこの荒くれたちを前にして、堂々としている。
この前、イーゴリにすがって泣いていたのが嘘のように。
「はっ、こいつぁ威勢がいい王女さんだぜ!
だがあの訓練の様子といい、腕前はモノホンだな、おもしれぇ、王女さんも飲みにこねぇか。
滞在してんのは迎賓室だろう?非常用の通路があるからそこから来ればいい」
「へぇ、すげぇ、行ってみたい」
「……この地ゆかりのものなら知っていることだ」
アルトゥールも、後ろに控える部下たちも、鋭い目をしている。
チュリーラに支配された地の、秘められた何かがあるのだろうか。
今後のために、サーシャは話を聞いてみたいと思ったのだ。
「姫さまがお望みならば、お供いたしましょう」
イーゴリはそう言ってくれた。
* * *
ナターリヤは、適当に城内を歩いていた。
自由に使っていいと言われても、そこは表面上だけだろうというのはわかっている。
が、表向きだけでも、城の様子を見ておこうと思った。
サーシャと違い、農村出身で軍事学校を経たナターリヤは、優美さや繊細さといったものには鈍感だった。
王族の側につくに十分な教育は受けているし、将校として堂々と表に立てる経験も積んでいるから、物の価値もそれなりには分かる、だが、そういったものに興味を惹かれるということがない。
その点サーシャは、この城自体は美しいといって興味を惹かれていた、
自分は根っからの武人なんだと改めて思う。
前方から、貴族らしき男が歩いてくる。
中肉中背で、穏やかな雰囲気、年の頃は40過ぎくらい。
剣は持ち歩いていないから、文官か。
代わりに護衛を引き連れている。
ナターリヤは立ち止まり、男を見つめた。
男も、ナターリヤを認め、歩みを止める。
「ヴァシリーサが国、王女付き近衛隊長でいらっしゃいます、ナターリヤ殿ですね」
ごく普通に微笑んで、話しかけてきた。
近衛隊長マクシムとは随分雰囲気が違う。
「いかにも。私をご存知でいらっしゃるとは、恐縮にございます」
「わたくしはこの館の管理責任者、ヴァジムと申します、どうぞ、お見知り置きを」
「ヴァジム殿。お会いできて光栄です」
「お急ぎのところ、ご招待申し上げたと伺っております。
足止めをして誠に申し訳ございません」
礼儀正しく、高圧的な感じもしないが、
何だろう。
油断ならない、と軍人の勘が告げている。
敵という感じとは違うのだが……
「そちらにもいろいろ事情もおありでしょうし、世話になる身です、
ありがたくご好意はお受けいたす」
「ごゆっくりおくつろぎくだされよ。
……そう申し上げておいてなんですが、少し、貴殿にお伺いしたいことがあるのですが」
「私でよろしいのですか?」
「はい、私が直接王女様や王子様に伺ってしまいますと、グゼル王女のお立場がなくなってしまいますので」
「……私も、我が主君を差し置いて勝手に喋るわけにもいかないのですがね」
「ご心配には及びません、貴殿のことについてのみですので」
「私のこと……何についてでしょうか」
ヴァジムはわずかに眉を上げた。
「先日まで、ペルーンの世界会議にいらっしゃいましたでしょう?
それで、少しお話を伺えないものかと」
「主君チュリーラ国王にお聞きすべきことでは?」
「いえいえ、国王陛下のお手を煩わせるほどのことではございませぬ。
たまたま王女様方がいらっしゃったので、少し、と思ったのですが……」
「……いいでしょう。お答えできないこともあるかと思いますが、ご理解いただけるのでしたら」
「結構でございます。
執務室へご案内いたしましょう、こちらでございます」
ヴァジムの後について、背後に護衛の気配を感じながら。
ナターリヤは、城の管理者というこの男についていった。
* * *
「お待たせいたしました。ヴィクトル様」
「グゼル殿」
「では、お庭からでいかがですか」
「いいですね」
ヴィクトルは、グゼルに城の案内を頼み、了承してもらった。
王族は王族でも、神の末裔のヴィクトルの方が格上である、
ヴィクトルが会話をリードすれば、基本、答えてくれるはずだ。
実際、案内されてからわずか5分ほどで、ヴィクトルはグゼルから様々な情報を聞き出したのである。
グゼルはこの城を好み、子どもの頃から定期的に滞在している。
社交界にデビューしてからはこの城で舞踏会もよく開催していて、国内の貴族たちはもちろんのこと、近隣の連合諸国からも参加があるほど評判なのだとか。
東側は大国ジアーナとフェオフォンもあるし、文化的に華やかなのは東側である。
世界的に著名な芸術家は大抵東側で修行を積んだ経歴をもっている。
ヴィクトルは、ペルーンの定例世界会議において、閉会後に開催される舞踏会には何度か参加しているが、グゼルと会うのは初めてだった。
「わたくしは、政治には関わりがありませんので……世界会議の舞踏会には伺ったことはございませんの。
でも、ヴィクトル様の評判はこちらにも聴こえておりますわ」
グゼルは微笑みを浮かべる。
ヴィクトルも微笑みを返すが……
どちらも、表面的だった。
「今回は臨時の世界会議でしたから、舞踏会もありませんでしたが。
世界情勢が落ち着き、定例世界会議が開催される折には、お父上と一緒に舞踏会にいらしてみてはいかがかな。
そうすれば、私が貴女と踊る機会もできるというもの」
「わたくしと踊ってくださいますの?
まぁ嬉しい、こんな名誉なことはそうそうございませんわ。
でも、随分先になってしまいそうですわね」
「そんなに先にならないように、私たちはコシチェイ……悪魔退治に行くのですよ」
「伝説の悪魔が、実在したのですってね。恐ろしいことですわ、父もそれを目の当たりにしたとおっしゃって……
ヴィクトル様のお力におすがりするほか、ありません。
イヴァンとヴァシリーサの血を引かれるヴィクトル様なら、きっと」
「それと我が妹、アレクサンドラのね」
「まぁ、王女様でいらっしゃるのに」
「アレクサンドラの装束はご覧になったでしょう?あれは男装ではありません。
ヴァシリーサの国王については、貴女もご存知でしょう、アレクサンドラも代々そうであったように、武闘の修行に励み、ヴァシリーサ軍のトップとなるのですよ」
「想像がつきませんわ、ジアーナの国のレギーナ女王も同様に戦われるお力を持ち、お強いのは聞き及んでおりますが……
失礼ながら、てっきり、イーゴリ様が実質のトップだと」
ヴィクトルの瞳の奥が、一瞬光る、
グゼルはちょうど庭の方を向いていた。
イーゴリ、と言ったか。
「イーゴリをご存知でしたか」
「ええ、我が国でも評判でいらっしゃいます、世界でも指折りの武人でいらっしゃると」
「その評判は間違っていませんね」
「アレクサンドラ王女様が羨ましいですわ、我が国の王女付き近衛隊長は本当に、無口で気の利いたこと一つ言わないものですから。
アレクサンドラ様やイーゴリ様ともわたくし、お友達になりたいですわ」
「私は貴女の友として加えてくださらないのですか」
「あら、わたくしったら早とちりをしてしまって。
もうヴィクトル様のお友達の心持ちでした、ごめんなさい。
ヴィクトル様さえ差し支えございませんでしたら、お友達に加えていただきとうございます」
「貴女に友とおっしゃっていただけるとは、嬉しいものです、グゼル殿。
アレクサンドラは社交界デビューはまだでしたから、貴女のように朗らかに会話をするのが苦手でして。
それにイーゴリも、マクシム近衛隊長殿に劣らぬ無口です、
私から彼らに予め伝えておきましょう。
それで少しは心の準備ができるでしょうから」
「そうでしたの。どうか、お気楽になさっていただくよう、お伝えくださいませね」
その後もヴィクトルは会話を続けた。
グゼルの表情を探りながら。
おそらく同じことを思い合っている、
つまり、
美貌を餌に、多少でも相手の気を引くことで有利な立場に陣取ろうとしている。
だが、どちらも、それに成功していない状態なのだ。
一般的な女性ならヴィクトルが優しく微笑めば一発で落ちる、
だがグゼルはそうではない。
同様に、グゼルの微笑みの前に降参しない男はいないというほど、その笑顔は美しかった、
だがヴィクトルには、通用しない。
これは、したたかな女だ。
しかも、そうと感じさせないほど、表向きの顔は柔らかい。
そして、彼女の本音の検討はついた。
可能ならば、確証を得たい。
ヴィクトルは用心深く、チュリーラ王国の情報集めとグゼルの本音を探るため、会話を続けるのだった。