6.亡国の少女は口が減らない
ブリギッド王国
メイルストロム大陸南部の肥沃な平原を治める大国。国内の各地は伯と呼ばれる有力者によって治められ、王は彼らに対して様々な形での恩寵を与えることで支配権を確立している。ブリギッド人は恵まれた体格の者が多く、それゆえに軍隊も精強で、肥沃な土地を狙う周辺国からの攻撃を力強く撥ねつけている。
翌朝、人々は森の奥からのろのろと村へ戻ってきた。鋼鉄の盗賊騎士達が散々に暴れまわったおかげで、畑は潰れているし、家もほとんどが壊されてしまった。だが、そこで立ち止まっていても飢えて死ぬばかりである。突如振ってきた災難を嘆きながらも、彼らはそれらの修復に乗り出していた。
「釘が曲がっちまってるよ、直してくれねえか」
「ああ、すぐに取り掛かる」
メリーの父は折れ曲がった釘を手に取ると、切り株の上に刻み付けた魔法陣の上に乗せ、囁くように呪文を唱える。折れ曲がった釘が光に包まれ、やがて新品同然の鋭さを取り戻した。彼はそれを取って老人に差し出す。
「屋根板は大丈夫か?」
「そっちはわしらで何とかするさ。とにかく雨風だけは凌げるようにしないとな。……全く、こんなことになったのは大昔に盗賊騎士どもが村を襲いに来た時以来だ」
老人は土塊の山の中から材木を引っ張り出して溜め息を零す。その視線は、天来の降り注ぐ森へと向けられていた。
「だが、お前の母さんの力を借りて、鉄の武器を作って追い払った。……天来のおかげでわしらは今まで生きてこられたわけだな」
「良くも悪くも、天来に俺達は振り回されているというわけだな」
「ああ。……若い衆もそうして納得できればいいが」
呟いた老人は、ふと溜め息を零すのであった。
ローディとメリーは掬い鍬を墓場の地面に突き立て、新たな墓穴を一つ掘っていた。そばには、棺に花を手向ける女子供の姿があった。からからに萎びた男の亡骸は、あっという間に野の花に包まれていく。
「どうしてあんたが死んじゃったんだろうねえ。最初の子どもが生まれたばっかりって張り切ってたのに」
一人の女が溜め息をつく。そばの少年達も唇を結んでいた。そんな彼らの様子を遠目に見遣り、ローディは眉を寄せる。
「風向きみたいなもんが、少し変わってきてる気がするな」
「風向き、か」
メリーは鍬の歯についた土を払い、小さく溜め息をつく。墓穴はすっかりローディが掘り下げてしまった。棺一つを収めるには十分な広さである。
「ああ。空からガラクタが降ってきたと思ったら、それが動き出していきなり襲い掛かってくるなんて、聞いたことないだろ。メリーの親父に言わせりゃ、そもそも三日に一遍は天来が起きるなんてことがそもそもなかったんだろうが」
「……そうだね。何か、僕達にはわからないような何かが起きてるのかもしれない」
空は再び鈍色になろうとしていた。つい昨日までは青空よりも鈍色の空を見て心を躍らせていたメリーだったが、今となっては胸のざわつきが収まらない。土の結界を刻み付けた術符は昨日使い切ってしまった。今日あの器械の群れが降ってきたら、村が滅んでもおかしくないのだ。
「葬式が終わったら、とりあえず王都に戻る。今回の事を報告しねえとな。他の村や、もしかしたら王都でも似たようなことになってるかもしれねえし……わかることを掻き集めてくることにする」
「わかった。ローディが戻ってくるまで、何とかここを守るよ。あの女の子の助けが借りられれば、何とかなるかもしれないし」
「あの子か。まあ確かに、力を貸してくれりゃあ何とでもなるだろうが」
ローディは顔をしかめる。
「どうしたのさ、奥歯にものが挟まったような言い方して」
「だって、あいつ絶対へそ曲がりだろ。そう簡単に手を貸してくれるかね」
「ううん……」
メリーは返す言葉を見つけられない。目を覚ましてからというもの、彼女はレンガの廃墟にずっと佇んでいる。腹を空かしているだろうと思ってパンを持って行ったが、結局撥ね除けられてしまった。何か話しかけようとしても、袖にされるばかりだ。へそ曲がりと言われれば、頷くしかなかった。
そんな時、いきなり棺の方からずんずんと女がやってきた。
「なあ、マーシャのやつ、遅いと思わないかい? いくら隣村の教会から司祭様を呼んでくるったって、いい加減戻ってくる頃だと思うんだけど」
マーシャとは、夕べ死んだ男の伴侶である。残された家族は、司祭に弔いの言葉を上げてもらうべく教会へ自ら赴くのがしきたりとなっていた。この村から一番近い教会まではおよそ1リーグほどの距離だ。日の出頃に出発すれば、日が天頂に辿り着く頃には戻ってこられる。しかし、マーシャはいつまでも戻ってこない。そろそろ日が傾こうとしている。メリーは唸った。焦りにも似た心地になったメリーは、鍬をその場に放り出す。
「ちょっと探してくるよ。村には戻ってるかもしれないし」
「ああ、頼んだよ」
メリーはローディと目配せすると、一人その場を後にした。
そのころ、レンガの廃墟は騒然としていた。マーシャが鬼のような形相で、天から降ってきた少女へと突っかかっていたのである。
「あんたのせいよ! あんたのせいでダニエルは!」
「一体私がどうかしたの?」
金切り声で喚いても、少女は超然としていた。冷めた目で女をじっと睨み返す。涙を浮かべたマーシャは少女の胸倉を掴み、レンガの山に少女を突き倒した。
「あんたがここに来たせいで! この村が襲われたのよ!」
「私のせい?」
少女が眉を顰めると、マーシャは歯を剥き出しにして威嚇する。
「ええそうよ! 私はずっと考えたの。どうしてダニエルが死ななきゃならなかったのか! 今まで、天来で屋根が壊されるようなことはあっても、生きて人間に襲い掛かることなんてことはなかった! でもあんたが来た途端にそうなった! あれはあんたが連れてきたのよ! そうでしょ!」
マーシャの叫びを聞きつけた村人達が、四方からぞろぞろとやってきた。少女は今にも首を絞められそうになっていたが、それでも一切動じる様子を見せない。その振る舞いが一層マーシャを逆撫でする。いよいよその手が少女の喉元へと伸びた瞬間、メリーが村人の間を掻き分け飛び込んできた。
「マーシャ、やめろ!」
慌ててマーシャを羽交い絞めにして、メリーは彼女を少女から引き剥がす。マーシャは小太りの体を無茶苦茶に振り回し、メリーを突き飛ばそうとする。
「何よ! 離しなさい! こいつが悪いのよ! こいつが!」
「待ってくれよ。一体この子が何をしたんだっていうんだ?」
メリーは何とかマーシャを瓦礫の外へと押しやり、少女とマーシャの間にその身を滑り込ませた。
「そいつがあの器械どもを連れてきたのよ! そしてダニエルは!」
彼女が叫ぶ度に、村人の輪が狭まってくる。メリーは彼らの険しい顔色を窺いつつ、辛抱強くマーシャに訴える。
「違うだろ、あの器械を乗っ取って、俺達のことを助けてくれたんじゃないか。この子がいなかったら、ダニエルだけじゃない。君だって命が危なかったかもしれない」
「こいつがいなければあれが来てダニエルが死ぬこともなかった!」
メリーはマーシャの剣幕に気圧されかけたが、すぐに首を振った。
「待ってよ、そう言い切る証拠なんて何一つ無いじゃないか。ただたまたま一緒に来たからって、彼女とあれを結び付けるなんていくら何でも横暴じゃないか」
「何よメリー、あんたはこいつの肩を持つっていうの?」
マーシャの怒りは少女にとどまらず、ついにメリーへ向き始めた。最初は気圧されたメリーだったが、生来のお節介な気質が彼の背中を押し始める。村を壊された怒りの矛先が全て少女に向けられるのを黙って見ていることは出来なかった。
「ああ、持つさ。彼女は俺達を助けてくれたのに、彼女が何でも悪いような言い草はあんまりじゃないか」
「メリー、あんたは……!」
一触即発の状況。長いこと押し黙り、鼻白んだ顔でそんな様子を眺めていた少女。やがて彼女はくつくつと笑い出し、メリーの肩に手を掛け脇へと押しやる。
「別に肩を持ってもらう必要なんてないわよ。そこのお姉さんの言う通り、この器械と私には大いに関係がある。何てったって、この器械達はもともと私が作ったものなんだもの」
唇を歪めて彼女が言い放った瞬間、周囲が一気にざわめいた。メリーも目を見開き、少女の方に振り返る。
「本当なのかい。それは」
「そんな面白い顔をする必要ないじゃない。ちょっと考えればわかる事でしょ。私が作ったものだから、私は自由に操ることが出来る。それだけよ」
少女が言い放った瞬間、村人達はいよいよ警戒の目を彼女へと向け始めている。足元の石を拾い上げたり、手にした鍬を槍のように持ち替える者もいる。少女は外套をひらりと振り回しながらそんな彼らを見渡す。
「言っておくけど、もちろんあんた達にけしかけたつもりはないわよ。そもそもあれは何かを襲わせるために作ったものじゃないんだから。恨むんならこれがここに降ってきたアンタ達の不運を恨みなさい」
「この阿婆擦れめ!」
「悪魔!」
マーシャが激しく罵る。背後の村人達も合わせて悪口雑言をぶつけ始めた。最初は涼しい顔をしていた少女だったが、声が大きくなるうちに、ほんの僅かに少女の頬が震えた。メリーは見かねて叫ぶ。
「落ち着いてくれよ、皆! けしかけたわけじゃないって言ってるじゃないか! 君も君だ! そんな言い方したら皆怒るに決まってる! わからないのかい?」
メリーの言葉はどちらにも届かない。一触即発の状況だ。彼は自分の不甲斐なさが厭になったが、無力を自覚しても状況は一つも良くならない。村人の一人が今にも飛び掛かろうと身構え、少女も受けて立とうと右手を差し出す。やんややんやと、村人達が煽り立てる。
「落ち着け、皆」
その時、村長とメリーの父親が難しい顔をしてやってきた。村長は囲いの真ん中までやってきて、白い口髭をひっきりなしにいじりながら周囲を見渡す。
「こんなところで少女一人に責を被せたところで何になる。この娘がいたおかげであれらを片付けられたのは紛れもない事実だ。口は悪いが、敵意があるわけではないだろう」
「しかしこの女はあのガラクタと繋がりがあると自ら白状したんですよ! 何の咎めも無いなんて納得行きません!」
マーシャは喉を枯らさんばかりに訴える。メリーの父は頷いた。
「わかっている。……少女。お前が今回の災禍の呼び水であるかもしれない以上、この村にこれ以上置いておくわけにはいかない。今日中にこの村を出て行くんだ。それ以降はお前の命も保証できない」
「父さん!」
メリーは思わず叫び、少女の方へ振り返る。蒼白な顔をしていた少女だったが、やがて奇妙な表情を浮かべた。罵声を浴びせられ、見たことも無い世界に頼りも無く放り出されることになっても、彼女は何処か安堵したように頬を緩めたのである。
「お望み通りに。元々こんなところに長居するつもりなんかなかったし。そうと決まったんならさっさとどいて。いなくなるものもいなくなれないわよ」
少女は奇妙な笑みを浮かべたまま、人の波を断ち割りその場を立ち去る。メリーはその背中を見つめることしか出来なかった。
陽が西の彼方に沈もうとしていた頃、少女はまだメリーの家にいた。赤紫に染まる空を見つめて、彼女は黙々と物思いに耽っていた。少年少女が物陰に潜み、化け物を見つめるような目で窓辺の彼女の姿を窺っている。彼らの視線に気づいた少女は、ちらりと彼らの方に目を向ける。少年達は息を呑み、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。その背中を見送り、少女はぽつりと溜め息をつく。
「私にはお似合いね」
一人呟いた彼女は、静かに振り向く。そこには、沈痛な面持ちのメリーが立っていた。
「ごめん。こんなことになって」
「別にあなたが謝ることじゃないでしょ。それよりも教えてくれない? ここはどこ?」
少女は固く腕組みしたまま尋ねる。差し込む夕陽が、彼女の顔に深い影を落としていた。メリーはそんな彼女の石像のように固い表情を見つめながら答える。
「オスティア伯の領地だよ。ブリギッド王国全体では東の方さ」
「オスティア? ブリギッド? そんな家門あったかしら……じゃあ、ここからラティニア帝国まではどのくらいの距離にあるの」
「ラティニア帝国? ラティニア帝国だって?」
メリーは思わず耳を疑い、オウム返しにしてしまった。そんな彼の顔を見て、少女は首を傾げる。
「どうしてそんな顔するのよ」
「ラティニア帝国は何百年も前に滅んだ国だからだよ。どうして天から落ちてきた君がその帝国の名前を――」
彼が尋ねる間もなく、少女の顔が不意に歪んだ。口端が不意に吊り上がり、彼女はけらけらと笑い出す。
「滅んだ? 滅んだ! 帝国は滅んだのね! ああ、やっぱり!」
声を張り上げ笑っている少女だったが、その顔には血の気が無い。ちぐはぐな彼女の顔色を見たメリーは、胸が詰まるような思いがした。重く積み重なった不安や心労を覆い隠すためにわざと憎らしく振舞っている。メリーにはそうとしか思えなかった。そして、何が彼女をそれほどまでに苦しめているのか、その一端を察するにそう時間は掛からなかった。全ては『天から来たる』ものと信じてきた彼にとってはにわかに信じがたい話だったが、
「ねえ、ひょっとして君は……ラティニア帝国から来たの?」
「ええそうよ。もう無くなってしまったけどね!」
少女は眼をぎらぎらさせながら言い放つと、扉へ向かってふらふらと歩きだした。メリーはその姿を目で追いかけ、少女の背中に向かって尋ねる。
「どこに行くつもりだい?」
「知らないわ。でもこの村から出ていく約束なんだから出ていくわよ。どうぞお構いなく。きっともう会うこともないでしょうね」
少女は早口で言い放つと、力任せに扉を閉めた。蝶番が軋み、戸板が乾いた音を立てた。立ち尽くすメリー。その耳には、少女にぶつけられた言葉の数々がわんわんと跳ね返り続けていた。
「もう会うこともない……」
この村を出て、彼女は一体どうなるだろう。何の用意もなしに目を見張るほど強力な魔法が使えるのだから、きっと野盗に襲われて終いということはないだろう。しかしお金はあるのだろうか。お金が無ければ食べ物は食べられないし、寝床も覚束ない。抑えきれない癇癪に脅かされながら弱っていく少女の姿が簡単に思い浮かんで、メリーはいてもたってもいられなくなった。
「……決めた」
そして彼は、部屋の隅に置かれた旅嚢をひっつかんだ。