4.村に襲い掛かる器械人形の群れ
エーテル
人の生きる世界に満ちているエネルギー。この世界そのものとして存在していたと言われる神、アイテールが自らを地水火風の四相に分け、それぞれ新たな神としたことで、今の世界が形作られたと言われている。人々はこのエーテルに干渉する事で自らの思い描いた現象を発生させることができる。人々はこれを『魔法』と呼んでいる。
騎士は唸りを上げ、常人の二倍はあろうかという図体でメリーとローディを押し潰そうと迫ってくる。二人は一斉に横へ飛び退いてかわし、器械を見上げた。きりきりと歯車を鳴らしながら、騎士はその場に屈みこむ。畑に放置された犂を拾い上げたかと思うと、メリー目掛けて放り投げてきた。
「うわっ」
メリーはその場に伏せ、何とか犂の爪をやり過ごす。
「こいつ! やりやがったな!」
ローディは吼えると、器械の背後目掛けて切りかかる。火花が散って、日暮れ前の薄暗がりをうっすら照らす。だが、騎士の鎧には擦ったような傷が一つつくばかりだ。ローディは呻いて仰け反る。荒布を巻いただけの柄。それを握る彼の手は血が滲んでいた。
「くそっ、やっぱり固ぇ」
騎士はぐらりと身体を傾げ、ローディへと向き直る。青年は咄嗟に長剣を水平に構えた。騎士は青年へ掴みかかり、そのまま地面へ押し付けようとする。兜の顎がいきなり開き、溢れた深紅の光がローディを飲み込もうとする。ローディは眼を見開き、血を口から零して呻いた。メリーは歯を食いしばると、起き上がって魔法陣の描かれた紙片を騎士へ押し付ける。
「ローディを放せ!」
炎の渦が巻き起こり、騎士の肘を白熱させる。騎士は怯み、ローディは何とか騎士の手を払いのけた。彼はよろめきながらも何とか起き上がり、再び騎士と対峙する。
「このバケモン、一体、何しやがった」
「いくつか思い当たることはあるけど……今は考えてる場合じゃない。何とかこいつを倒さないと」
「ああ。……さっきのやつ、もう一回行けるか」
「何とかね。まだ動けるよ、俺は」
メリーは頷く。騎士は姿勢を整えると、再び前屈みになって二人を威嚇した。
「次に仕掛けてきたときに、行くよ!」
二人は頷き合うと、その場で身構えた。騎士は腕を振り上げ、一気にとびかかる。メリーは素早く身を翻し、再び魔法陣を騎士目掛けて突き出した。放たれた火の球は、歯車がいくつも噛み合った騎士の膝に直撃した。鼠色の歯車はみるみるうちに白熱していく。ゆがんだ歯車が軋み、騎士は体の平衡を崩した。
その隙を見逃さず、ローディは素早く剣を振り抜いた。熱で脆くなった歯車はローディの一撃で拉げた。歯車は騎士の体重を支え切れずに砕け散る。ぐらりと傾ぎ、騎士は畑にどっと倒れ込んだ。騎士が残った手足で暴れるほどに、よく耕された柔らかい土の中へと埋まっていく。それを見下ろし、ローディは溜め息をついた。
「いつもやってるみたいに丸ごと溶かせりゃいいのによ」
「あれをやるには魔法陣もそれなりのものを描かないといけないんだよ」
「わかってる、それくらい。だが、いちいち相手の隙を窺いながらじゃどうしたってキリがねえぞ」
「でもやるしかない。だろ?」
メリーは額に浮かんだ汗を拭うと、結界を殴り続ける器械の群れへと駆けていく。結界の向こうでは、屋根の上に立った彼の父が、マスケット銃を構えて騎士の群れに狙いを定めていた。
彼が引き金を引くと、銃身に描かれた幾何学模様が輝きを放ち、鋭く飛んだ炎の弾丸が騎士の足元を穿つ。朽ちた歯車が一つ吹き飛び、一体がその場に崩れるが、残りは構わず魔法の結界を殴り続ける。
度重なる攻撃に結界は乱れ、今にも突き破られようとしていた。メリーとローディは肩を並べて器械の背後へと迫る。振り返るよりも先に、メリーは灼熱を器械の肩に浴びせ、複雑に歯車が噛み合うその関節を歪ませた。
器械は錆びた腰を軋ませながら、のろのろとメリーへ振り返る。ローディは素早く死角へ回り込むと、長剣をすかさず歯車へ叩きつけ、器械の腕を叩き落とした。重心が崩れた器械は、その場で横ざまに倒れ込む。メリーの視界が開け、屋根の上に立っていた父親と目が合った。
「やっと戻ってきたか」
「仕方ないじゃないか。俺だって泉の方で襲われてたんだ」
「お前の熱心さにはいっそ呆れる。……早く受け取れ」
父親は脇に置いていた魔導書を手に取ると、メリーに向かって放る。両手で受け止めると、メリーは栞の挟まれた頁を開いて器械へと振り返った。
「……よし、これなら少しはましに……」
メリーは素早く呪文を唱える。魔導書の上に小さな魔法陣が浮かび上がり、地面から噴き上がった炎が器械の体を捉えた。一心不乱に結界を殴り続けていた器械だったが、炎で炙られている間に鎧が白熱し、歯車の隙間から煙が上がる。
「熱っちい! 叩っ斬りにいく俺のことも考えてくれよな……」
ローディは器械から放たれる熱気を受けて顔をしかめながら、力任せに剣を振り抜き器械の首を撥ね飛ばした。落ちた首はカタカタと暴れていたが、胴体は糸の切れた操り人形のように、その場にぐしゃりと崩れ落ちた。
「こいつで終わりか?」
剣を担いで威勢よく叫ぶ彼。しかし、天の雷鳴が否と叫び返してきた。赤紫の空が捩れ、村の真ん中に展開された結界へ向かって、真っ逆さまに器械の騎士が三体降ってくる。メリーは呻く。
「そんな……!」
騎士たちの執拗な攻撃に晒され続けた結界は、天から降ってきた鉄の塊を受け止めきれず、ついに砕けた。鈍い地響きと共に、砂利や土塊が辺り一面に飛び、メリーは為す術もなく畑の中へと吹き飛ばされる。
村人達の目の前に墜落した騎士は、素早く起き上がって村人達を睨む。村人は悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げだした。騎士はその場にしばらく立ち尽くしていたが、やがて家の中へと逃げ込んだ数人の村人に狙いを定めた。
力任せの突進は、あっという間に家の脆い土壁を砕いてしまう。屋根が潰れ、くぐもった悲鳴が家の奥から聞こえてくる。騎士は瓦礫を掻き分けると、青あざだらけの男を一人引きずり出す。メリーは起き上がると、慌てて魔導書を取り直した。
「やめろ!」
父と共に炎を放つ。しかし、先まで相手してきた壊れかけの器械とはわけが違う。火の玉を少し浴びたくらいではびくともしない。
「くそ、こいつ!」
ローディは長剣を叩きつけるが、装甲に微かな引っ掻き傷を残すだけ。騎士は腕を振り回し、ローディをいとも簡単に突き飛ばしてしまった。それを言葉もなく見下ろした騎士は、再び手に掴んだ男を睨んだ。
男は言葉にならない叫びを上げる。必死に騎士の手から逃れようと暴れるが、とても敵わない。兜の奥に輝く深紅の光が揺らめいた瞬間、その身体は老人のように萎び、枯れ果てた。枝のように固く引き攣れた亡骸を放り捨てた騎士は、次の獲物を探してその目を揺らす。
無残な死体を見て、メリーは言葉を失う。目の前で繰り広げられた突然の出来事に、思わず彼はぼうっとなってしまった。村人達の悲鳴が、今や彼には遠く聞こえる。
「ぼんやりするな、メリー! 今は戦え!」
メリーの父が叫び、器械へ火の玉を撃ち込む。腕の装甲を焦げ付かせたが、さしたる決定打にはならない。それどころか、器械はぐるりと振り向き、両腕を振り上げて父へと襲い掛かった。
「父さん!」
天から降り注いだ脅威を前に、メリーには悲鳴を上げることしか出来なかった。巨大な騎士が、容赦なく村長の家を――
「何の騒ぎかと思ったら」
しかし騎士の腕は村長の家に届かず、それどころか鋼鉄の巨体はふわりと浮かび上がった。腕を虚ろに振り回すが、そのまま為す術もなく吹き飛ばされる。呆気に取られるメリー。咄嗟に声がした方角に振り返ると、金色の光を背に纏った少女が立っていた。重そうに半分だけ瞼を開いた彼女は、起き上がろうとする鎧を見つめる。
「落ちてみたところで、相変わらずなのね」
少女は肩を落とし、深々と溜め息をついた。