1.駆け出し錬成士は鉄くずを拾う
天来:てんらい
落雷と同時に空が裂けたように捩れ、その中から様々な物が落下してくる、メイルストロム大陸に特有の現象。天からの授けものと信じた人々がそのように呼称している。落下時の衝撃により破損したものが多く、また都市や農村に落ちれば被害は免れないが、現状の技術では再現しえない純度の鋼鉄などを採取でき、メイルストロムに住まう人々はこの恩恵を受けて技術を飛躍的に発展させてきた。
大陸の南を統べる王国、ブリギッド。大地の神を奉じる人々の住まう土地は肥沃であり、豊富に収穫される穀物が屈強な肉体を彼らにもたらした。鉄の鎧を纏って軽々と戦場を走り抜け、沃野を狙う敵を次々に葬り去っていく。浅黒い肌を返り血で黒く染めた彼らを、周辺国の人間は悪魔と呼んで恐れていた。
東方の要を務めるオスティア伯領に生まれた者達は特に精強である。ブリギッド人の中でもさらに頭一つ抜けた体格を持つ彼らは、巨馬に悠々と跨り、轡を並べた突撃で敵を粉砕するのだ。
そんな彼らであっても、普段は村で畑仕事に明け暮れる毎日である。オスティア伯から与えられた土地とひたすら向き合う事で、己を鍛えているのだ。
さあ、早速オスティア領のとある村へ目を向けよう。一人の青年が畑に向かって鍬を振るい、畑に畝を作っている。冷たい風の吹き寄せる冬は終わりを迎え、今や芽吹きの春が訪れようとしていた。力自慢のブリギッド人達が本領を発揮するのがこの時期だ。彼も隣の畑を耕す牛に負けじと、渾身の力を込めて鍬を振るっている。
しかし、そんな彼の首筋目掛けて、一筋の雫がぽたりと降ってきた。ひやりとした青年は、弾かれたように空を見上げる。今朝がたから少し曇り気味だったが、今やその雲は黒く染まり、空をすっかり埋め尽くそうとしていた。青年は息を呑むと、鍬を放り出して物見台へと走り出した。
「嵐だ! 嵐が来るぞ!」
物見を駆け登った青年は、てっぺんの見張り台に吊るされた半鐘を力一杯に叩く。みるみるうちに雨足は強まり、砂利でならされた畦道をバタバタと叩いた。その騒がしい音を聞きながら、老人は、深々と溜息をついた。
「これはひどくなるな。皆、準備を始めよう」
「土起こしは今日中に済ませたかったのにねぇ……」
牛に犂をひかせていた女は手綱を引き、牛を厩舎へと連れていく。入れ替わるように外套に身を包んだ少年少女が畦道を走り、畑の中に点々と建つ家の屋根へとよじ登っていった。
「みんなー! せーのでいくよ!」
彼らは手を振り合うと、外套の懐から取り出した小さな紙片を広げて屋根へと張り付ける。その瞬間、紙片に蜘蛛の巣のような紋様が浮かび上がり、一気に光が放たれる。光は曇り空の中に広がり、村全体を包み込んでいく。それは硝子の天蓋のようだ。
天蓋が村の彼方の地平線まで下りた時、ついに空が眩く輝いた。その後を追うように、地を揺らすような轟音が鳴り響く。
煉瓦造りの家の中、そんな空模様を見つめていた一人の少年がわくわくと目を輝かせていた。夜闇のように黒い髪、あどけなさの残る顔が濡れるのも構わず、窓から身を乗り出して輝く曇天を見つめている。
「最高だ! まったく、干上がるかと思ったよ……」
その声色ははしゃいでいるようにも、安堵しているようにも聞こえる。そんな少年――メリーの背後で、煙管を燻らせた男、アロンが唸る。
「ここまでの雨じゃ畑も荒れるぞ。よくはしゃげるな、お前」
「だって、最近ずっと晴れ、晴れ、晴れだったじゃないか。俺の仕事はあれが降ってくれなきゃ始まらないのに」
振り返ったメリーは男に向かって口を尖らす。男は不機嫌そうな顔で窓を指差した。
「お前も少しは目の前にあるもので色々作れるようになれ」
「努力するよ」
メリーは眉間にむっとしわを寄せると、窓をぴしゃりと閉じる。再び空が閃いた瞬間、曇天が裂けて捩れ、深紅の炎が一条、村の外れの森へと落ちていった。
空に閃く雷は、神々が諍いを起こしている証。その諍いの最中、神は落とし物をする。大陸に住む人々はそう信じ、落下物を天来と呼んだ。なぜそんなことが起きるのか、本当のところは誰も知らない。けれども、人々にとっては無くてはならないものであった。
翌日。激しい豪雨で畑が水浸しになり、村人達が四苦八苦しながらその水を村の溜め池へと汲み出していた頃、メリーは一人村を離れ、森の中へと足を踏み入れていた。鳥のさえずり、獣の息遣いが藪の向こうから聞こえる。メリーは行く手を阻む茂みを鉈で切り払いながら、鼻歌交じりにずんずんと森を突き進んでいた。
「さてさて、今日は何が落ちてきたかな……っと」
彼が脇目も振らずに目指していたのは、森の真ん中に広がる小さな泉。その水面の毒々しい色合いときたら、誰もが見た瞬間に顔をしかめるほどだ。本当に毒なのか、泉の周りからはさあっと森が引いて、めっぽうしぶとい雑草だけがそこに根を張っている。そんな汚らしい場所だが、メリーにとっては宝の泉だった。つんと漂う鉄の臭いを嗅いで、彼は小さく笑みを浮かべた。
「いいね。大収穫だ」
彼は思わず呟いて、泉の側へと駆け付けた。そこに散らばっていたのは、鎧兜に槍や剣、食器に鏡にと様々なガラクタ。メリーは革の手袋を嵌めると、早速足元に転がっていた剣を手に取る。ずしりと重たいその剣は、すっかり刃こぼれして赤錆だらけだ。それでも、彼にとっては無くてはならないものである。満足げに頷くと、彼は背負っていた大きな革袋に剣を差した。そのまま彼は泉のすぐそばまで足を踏み入れると、今度は平たい皿を一枚拾い上げた。黒くくすんではいるが、それでも天から差し込む日差しを受けて縁取りの装飾は美しく輝く。いかにも値打ち物の風情だが、メリーはつまらなそうに顔を曇らせる。
「なんだ、銀製か……ま、いっか」
メリーは再び革袋の口を開き、銀の皿を放り込む。それから彼は、さらに目ぼしいものはないかと辺りを見渡し始めた。
村に雷が轟いた夜を過ぎると、メリーは必ずこの森にやってきた。彼の村の近くで降った天来は、決まってこの泉の近くに落ちるからである。そんな彼の姿を見て、村人は次第に彼を『物拾い』などと呼び出すようになった。村の仕事も放りだしてそんなことをしている彼へ向けた、呆れ交じりのあだ名だったが、だからと言って彼を咎めようとする者もいない。
この村だけではなく、この大陸全ての人間にとって、彼のような存在は欠かせないのだ。
陽が天の真上に辿り着いた頃、メリーも泉から村へと戻ってきた。泉から拾い集めてきたガラクタで、革袋はもう一杯である。そんな彼の姿を見かけた、大柄な人間だらけの村の中でも、一際屈強な青年が一人、バタバタと彼へと駆け寄っていった。
「ようメリー、今日もまた随分と拾い物があったんだな」
「これでも全部じゃないよ。残りはまた明日拾いに行くんだ」
「まだあるのか。確かに昨日は雷ひどかったしなあ」
青年――ローディは短い茶髪を掻き上げ、空を見上げる。ゆうべの雨が嘘のように、空には雲一つすら見えない。鳥も大きな翼を広げてのんびりと飛んでいた。しばらくそれを見つめていたローディは、不意に眉の太い剽悍な顔立ちをくしゃりと丸め、メリーへと向き直る。
「ってことは材料は十分あるってわけだろ? そんなら新しい武器作ってくれるよな?」
「もちろん。1つ1シリングでどうだい」
メリーは革袋を担ぎ直し、ローディを見上げて悪戯っぽい笑みを見せる。それを聞いた途端、ローディはあんぐりと口を開けた。
「おいおい、金取んのかよ」
「そうさ。君が王都で兵士になったように、俺だってもう錬成士なんだ。もうお互い大人で、ついでにこれは俺の仕事なんだから、お金はきっちりもらうよ」
「この前はただで作ってくれたくせになぁ」
ローディは大きな肩をがっくりと落とす。
「一年に一回くらいならただで作ってあげるさ。友達だもの。でも二か月や三か月で壊しちゃうんだったらそうはいかないよ。思うに、君は力任せに武器を振り回し過ぎているんだと思う。だから変なところにぶっつけて、すぐに折っちゃうんだ。俺の事を友達だと思ってくれてるんだったら、作ってあげた武器ももっと大切にしてほしいね」
「う……相変わらず耳の痛えこと言うよな」
ローディとメリー、二人が並べばローディの方が頭一つ背が高くて、筋肉も一回り大きい。けれどもやり込められるのはいつもローディの方だった。
「反省したかい? それなら次は大切に使ってよ?」
「お? ってことは……」
「また壊したら今度こそはお金を取るからね」
メリーはさらりと言い、赤い煉瓦の大きな小屋へと足を踏み入れる。隅には大量の本が無造作に積まれ、作業用の机や工具の詰まった箱も壁際で窮屈そうにしていた。床一面に刻まれた魔法陣が、小屋の中で幅を利かせているからだ。メリーは机の上に革袋をどさりと乗せると、紐を解いて中身を取り出す。
「これと……これでいいかな」
彼は錆びた剣とナイフを取り出し、魔法陣の中央に突き立てる。うずたかく積まれた本の山から一冊抜き取ると、彼は本を開いてそのページを睨み始める。
「いい加減俺もローディに壊されないような一振りを作らないとね」
メリーが深く息を吸い込み、本に刻まれた呪文を早口で唱えていく。床に刻み込まれた魔法陣に深紅の光が宿り、突き立った剣とナイフが飴細工のようにどろりと融ける。メリーはそのまま、頭の中で想像を巡らせていく。切れ味鋭い名剣を作り上げても、横に立っている屈強な体格の青年は力任せにそれを振り回し、すぐに刃こぼれさせてしまうだろう。ならば少しくらい切れ味が悪くなっても、斧のように刃を分厚くした方がいい。
彼の中で、イメージが一つに固まった。メリーは力強く頷くと、呪文を締めくくって鉄の塊を凝視する。赤熱した鉄が光を放って姿を変え、次の瞬間には、武骨な両刃のファルシオンの刃に変化していた。メリーはほっと息をつくと、未だに光の弾けている刃を麻布で包んで抱え上げた。
「ほらローディ。後は自分で手入れしてよ」
「おいおい、随分と重たいな」
渡されたローディは思わずよろめく。メリーは汗ばんだ額を拭う。赤みがかった黒髪が、ふわりと揺れた。
「こっちも壊すな、ってだけ言ってるんじゃ仕方ないしさ。力自慢のローディにも壊されないような武器を作ろうと思って。どうだい? これなら君だって簡単には折れないんじゃない?」
「ああ。これなら全力で振り回せそうだ。ありがとな」
ローディは刃に縄を括りつけて背負い、白い歯をにっと見せる。メリーも頬を緩めた。
「まだ野盗狩りくらいしかしてないんだろうけど、足元掬われて、怪我とかしないようにね」
「わかってる。俺だって鍛錬してるんだ。心配すんなよ」
雨が上がった日に七色の泉を訪ね、手に入れた鋼鉄材を加工して農具に武器にと様々な物を作り出す。これが駆け出し錬成士メリーの日常であった。
この日まで、彼はそんな生活が死ぬ時までひたすらに続くのだろうと思っていた。