13.街にないなら野に出て摘め
レッドリード
若干の塩分が混じる水辺に群生する深紅の葦。一般的な雑草に生息地を追われやすく、河口近くの中州など、限られた場所にしか群生しない珍しい植物である。
薬草としての効能は解熱と消炎鎮痛。りんご熱や金創など、炎症を引き起こす病に対して非常に効果があるため重宝される。
朝飯時を過ぎて、いよいよ街は騒がしくなってきた。開門を知らせる鐘の音が街の中心にそびえる尖塔から響き渡り、それを合図に職人の見習い達が一斉に工房の作品を抱えて飛び出してくる。町の中央の広場に集まった彼らは、擦り切れた麻布を石畳の上に広げ、店の支度を始めた。そこへ荷馬車を引き連れた交易商の群れもやってきて、彼らも商売の支度を始めた。広場は露店でひしめいていたが、互いに譲り合って一定の秩序が保たれていた。各々のギルドの厳しい約定が為せる業だ。
メリーは市民の列に紛れて、そんな市場へと飛び込んだ。薬草商の姿を求めて、市場の端から端までぐるりと見渡す。しかし、広場は人が集まり森のようだ。どんな商品があるのか、見定めるだけで一苦労である。
「やあ、少年!」
人の列を掻き分けるようにしながら歩いていると、いきなり店先に立つ青年に呼び止められた。彼はにやにやしながらブレスレットを差し出してくる。
「お前、昨日は大変だったみたいだな!」
「は、はぁ……?」
メリーが目を白黒させていると、いきなり青年は一歩踏み出し、メリーと肩を組んできた。
「そんなわけわかんねえって顔すんなよ。みんな見てたんだぜ? 酔っ払ったねーちゃんに絡まれながら歩いてるあんたのこと!」
「あれは、別に」
街中にあの姿を見られていた。改めてその事実に気付かされたメリーは、恥ずかしさのあまり顔を赤らめ青年の肩を振りほどく。それでも青年はめげず、青い硝子玉の埋まったブレスレットをぐいぐい差し出してくる。
「ほら、これでも買ってくれよ。この硝子玉の色、あのねーちゃんの眼の色にそっくりだろ?」
「……」
呑気な調子で押し売りを掛けてくる青年。確かに蒼い硝子玉はくすみもなく澄み渡っている。だがそこには、感情豊かな心が無かった。メリーは歯を剥きだすと、青年を無理矢理露店の奥へと押しやった。
「イレーナの眼は硝子玉なんかよりもっときれいだ! いいからほっといてくれ! 俺には探さなきゃならないものがあるんだよ!」
メリーは肩を怒らせながらその場を立ち去る。取り残された青年は、そんな彼を茫然と見送ることしか出来なかった。
「な、なんだぁ……?」
商人達でごった返す広場は、歩いて回るのがやっとである。メリーはますます苛立ちを募らせながら歩いていた。
「どこだ。薬草はどこにあるんだ?」
焦りが口をついて出る。その声を側で聞きつけた女が、いきなり麻布から立ち上がって彼へつかつかと歩み寄ってくる。
「薬草売りを探してるのかい?」
「ええ。どこにいるかご存じですか」
「わかるとも。だがタダで教えるってのもねえ」
女はカラスの足跡が付いた目を細め、腕組みしながら勿体つける。見れば、彼女の足元には川魚の干物がずらりと並んでいた。溜め息をついたメリーは、財布の中から銀貨を一枚摘み取り、女の手元に放り出した。
「わかりましたよ。二つ下さい」
「そうそう。世の中ってのは持ちつ持たれつじゃなきゃあね。薬草売りなら北の方だよ。通りを歩いてりゃちゃんと見つかるさ」
にやりと笑って、女は干物を二本取ってメリーに差し出す。メリーは肩を竦めた。
「その通りですね」
彼はくるりと踵を返す。干物の一本に噛みつきながら、ずんずんと街中を歩いた。道行く人と肩がぶつかり合うのも気にせず、流れに逆らいながら広場の北を目指した。
「薬草はいらんか。旅のお供に膏薬は欠かせんぞ。今なら特別に薬を作るところまで手伝おう」
やがて、人込みの隙間から老人の声が微かに洩れ聞こえてくる。メリーは人込みを掻き分けながら、一直線にそこへ向かった。薬草から漂うつんとした匂いが鼻をつく。敷き布に座り込んだ老人が、薬草がたっぷり詰まった籠に囲まれながら、石臼をぐるぐると回し続けていた。メリーは息を呑み、慌てて老人の正面へと駆け付けた。
「おじいさん。薬草売ってるんですね」
「ああ。見ての通りだが」
メリーは早速ポケットに突っ込んだ羊皮紙を取り出し、老人へ向かって突き出す。
「これは売ってますか?」
「うん……? これは赤葦か。残念だが今は無いな」
「ええっ! なぜです!」
「そりゃ売れちまったからに決まってるだろう。この街の衛兵が丸ごと買って行っちまったよ」
やっとの思いで辿り着いた薬草売り。しかし目当ての代物は無いという。落胆に耐えきれず、思わずメリーは老人へと詰め寄った。
「そんな! どうして全部売っちゃったんです!」
「買ってくれたからに決まってるだろう。わしは薬草売りだぞ」
「限度があるでしょう! 俺達だってレッドリードが必要だったのに!」
「そんな事を言ったって仕方なかろうが。衛兵達もレッドリードが必要だったんだろ。最近の襲撃で怪我したモンが大勢いたっていうからな。早いもん勝ちだ」
「……ええ」
メリーは憤懣やるかたなく、固めた拳で自らの太ももを打ち付けた。こうしている間にも、イレーナは熱と痛みに苦しみ続けている。自分の無力が腹立たしい。
「別に薬草売りはわしだけじゃない。他も探してみたらどうだ」
「言われなくたってそうします」
メリーは歯を食いしばると、そのまま市場の奥へと再び身を投じた。
数時間後。すっかり意気消沈したメリーが宿の部屋に帰ってくると、額に水の魔符を貼られたイレーナが今なお浅い息を吐き続けていた。アランソンは黙々とイレーナの頬や首筋を冷やした手拭きで拭い続けている。そんな二人を見渡し、メリーは深々と溜め息をつく。
「おじいさん。困ったことになりました」
「……見つからなかったのか」
「ええ。いくつも薬草売りは回りましたが、誰も彼も、この街の衛兵がまとめて買い上げていったとの一点張りです」
メリーは頷く。アランソンは唸った。
「仕方がないな。先日の器械人形の襲撃で、多くの衛兵が傷を負った。それがもとで熱病に罹っている者も少なくないから、どうしてもレッドリードは入用になる。市場からはあらかた巻き上げられてしまったか」
「ですが、りんご熱を治すにはそれが必要なんですよね?」
「その通りだ。ふむ……」
アランソンは顎をさすってしばし考え込む。メリーは祈るような目で彼を見守った。
「そうだな。レッドリードは河口付近の中州に群生している事が多い。折に触れて水浸しになるおかげで、他の植物が上手く育つことが出来んからだろう」
「河口付近の中州。なら――」
「君が思い描いている通りだ。ここから三マイルほどシレナ河を下ったところに、いくつか小さな中州があったはずだ。そこにならよく生えている」
三マイルならば歩いて二時間ほどの距離だ。半日もあれば十分である。希望が見えて、メリーは萎れていた表情を引き締める。今にも飛び出していきそうな気色だ。アランソンは咄嗟に彼を引き留める。
「待て待て。あの辺りは流れが複雑だ。下手に泳げば流されかねん。近頃の襲撃で渡し船をやっている連中も散り散りだろう。危険があるとだけは言っておくぞ」
「そんなことは承知です。ですが、光明が見えているのに尻込みなんて出来ませんよ」
メリーは勇んで言い放つ。イレーナはうっすら目を開き、僅かに身じろぎしてメリーを見上げた。
「そんなに無理しないで。私は大丈夫だから」
「どう見ても大丈夫じゃないだろ。心配しなくたって、さっと中州に行って、すぐにレッドリードを摘んで、あっという間にこっちに戻ってくるよ。だからイレーナは、とにかく休んで」
「メリー……」
屈託なく笑うメリーにつられて、イレーナも小さく微笑んだ。メリーは旅嚢を背負うと、足早に部屋を飛び出した。