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11.罪を犯した乙女は涙を零す

 陽が傾いて暗くなり、道に松明が焚かれるようになっても、市場の活気はまだ衰えていなかった。メリーはそんな市場を練り歩き、店先に立つ人々へと自ら作った短剣を次々差し出す。


「この短剣、買いません? パンを切るのにぴったりですよ。これ」

「鋼鉄製か。確かに悪くないな。ちょうど使ってたナイフが刃こぼれしてたんだ。これなら銀貨二枚は出せるぞ」


 短剣を手に取ったパン屋の店主は、刃を松明の火に照らして感心の溜め息を零す。


「なら、銀貨二枚分のパンをくれませんか? 黒パンにしてくださいね」

「よし。取引成立だな。待ってろ」


 店主は頷くと、手近な籠に積まれていたパンを麻布の中に包み始める。それをメリーの背後から覗き込み、ひっそりと溜め息をついた。


「また黒パンなの?」

「白パンじゃ日持ちしないんだもの。売値も全然違うし」

「むむむ」


 眉根を寄せる彼女。メリーは店主からパンを受け取ると、今度は斜向かいの店へと向かう。そこでは女が店先に瓶をずらりと並べていた。メリーはポケットから取り出した銅貨を数枚女に差し出す。


「二本くれます?」

「はいよ」


 女は酒枯らしのだみ声で応え、メリーに瓶を二本差し出す。メリーは早速一本をぐいと呷る。イレーナは怪訝そうな顔でそんなメリーを覗き込む。


「何飲んでるの?」

「葡萄酒だよ。どう?」


 メリーは瓶を片方差し出す。それを聞いたイレーナはひったくるように瓶を受け取った。


「ふうん。ちょっとは気の利いたもの買ってくるじゃない」


 イレーナも早速酒を呷る。だが、彼女は急に目を剥いてむせ返ってしまった。


「何よこれ。すっごく辛いんだけど。おまけに渋いし。葡萄酒ってもっとこう……甘くてまったりした飲み物よ。これは葡萄酒じゃないわ。別の何かよ」

「ええ……? そんなこと言われても」


 メリーは目を瞬かせる。好きに文句をぶつけてきたイレーナだったが、結局ぐいぐい葡萄酒を飲み進める。口から僅かに零れた酒を拭って、彼女はじっとメリーを見つめる。メリーが首を傾げていると、彼女は急に溜め息をつく。


「ねえ、普通なら怒るわよ」

「怒るって……どうして」

「だって、私さっきから文句ばかりよ? このお酒にしろ、パンにしろ……愛想尽かすわよ。反対の立場だったら、間違いなく私は愛想尽かすわ」

「まあ、確かに文句は多いかもね」


 メリーは声のトーンを落としながら頷く。さらに酒を呷ったイレーナは、僅かに頬を赤らめ、にたりと笑みを浮かべた。


「ふうん。もしかしてメリー、私のことが好き? 私のことをモノにしたくていい顔してるのかしら」


 どこか投げやりな口調でイレーナは言い放つ。口元は緩んでいたが、その目は変わらず冷たかった。メリーは一口酒を含んで乾いた口を濡らし、小さく首を振る。


「そんなつもりはないよ。俺はどうしてもほっとけなかったんだ。……初めて君と出会った時、君は泣いていたから」

「泣いてた? 私が? まさかそんな」


 イレーナはそう言って目を丸くする。酒瓶を握りしめて、彼女はぼそりと呟く。


「何かの見間違いよ、そんなの」




 旅籠に戻る頃には、すっかりイレーナは酔っぱらっていた。足はもつれ、首は据わらずこっくりこっくりと船を漕いでいる。メリーが肩を貸してやらなければ一歩も前に進めないという具合だ。ただでさえ色白な顔を余計青くして、彼女はへらへらと笑っていた。


「品のないお酒ね、やっぱり。正気を失わせるだけで、こんなの風情の欠片もないわ」

「君がお酒に弱いんだよ。普通の人なら酒瓶一杯くらいじゃそんなにならないもの」


 メリーは溜め息を零す。すっかり眠っているならいざ知らず、事あるごとにわめいて暴れる彼女を肩に担いで階段を登るのは中々の大仕事だった。今もメリーの文句に目を剥いて、瓶の底で回りの壁を手当たり次第に叩き始めた。


「なーにぃ? 私が悪いってわけ? 私に言わせればねえ、むしろあんた達が粗雑なのよ。パンは固いしお酒はえぐいし、体を洗うってなったら濡れた布で拭くくらいだし! 何とも思わないの?」

「気にしたこともなかったよ。みんなそうしてるんだから」

「私は嫌よ! お風呂に入りたい! 最近風が強くて埃っぽいし! お風呂の中で葡萄酒をゆっくり飲みたい! 身体の芯からふわふわってなってねえ……厭なことから解き放たれた心地になるのよ。あんたは知らないでしょ」

「知らないよ。そんな生活が出来るのはそれこそ王様ぐらいだもの。……ほら、着いたよ」


 メリーは建てつけの悪い扉を何とか押し開くと、足元がぐらぐらしているイレーナを何とかベッドに横たわらせた。ベッドに寝転んだ彼女は、身体をくねらせメリーを見上げる。


「ご苦労さま」

「本当だよ。もう少し大人しくしててくれても良かったのに」


 そばの椅子に腰かけ、メリーは額に浮かんだ汗を拭う。イレーナはひくりと喉を鳴らすと、僅かに身を起こし、そんなメリーに流し目を送った。


「それは申し訳なかったわね。でもね、見習い錬成士のメレディス君、ここからはもう貴方の手番よ。好きにすればいいわ」


 言うなり、イレーナはローブの襟元を留める紐を緩め始めた。酒に酔って潤む瞳は爛々としている。汗で薄い生地のローブが軽く張り付いて、肢体の線がほっそりと浮かび上がっている。月明りに照らされたその姿は、精霊と交わり始まりの人間を成した土の女神ブリギッドのように、艶やかさと神々しさが入り混じっていた。メレディスは思わず喉を鳴らしそうになったが、それでも彼は理性を保ち、そっとイレーナの手を押さえる。


「やめてほしいな。別に俺はそんな事が目当てで君と一緒にいるんじゃないんだよ」

「いいの、そんなこと言っちゃって。滅多にない機会よ。あなたががむしゃらに襲い掛かったって、今の私は身を守る呪文の一つだって頭に浮かばない。お酒でぐちゃぐちゃなんだもの。だからしたいようにしなさいよ。別に酔いが醒めた後も、あんたを責めたりしないわ。誓ってあげる」


 うっすら狂気さえ孕みはじめた声色。メリーは顔をしかめると、小さく首を振った。


「イレーナ、君が不幸せになるために俺を使おうとしないでくれ」

「私が不幸せに? どうしてよ? 別に、何だか気分がいいからあんたに私を抱かせてあげるって言ってるだけなのに。意気地なしね。それともお子様なのかしら」


 メリーは苦虫を噛み潰したような顔をした。それでも彼は拳を固めて辛抱強く耐え、じっとイレーナの目を見つめる。


「そうして朝になって、君はまた後悔するんだ。そしてその後悔が自分にはふさわしいと思うんだ。村での事もそうだよ。あの時にわざわざあんなことを言い出さなかったら、マーシャはともかく、村のみんながこぞって君のことを敵扱いするようなことはなかったはずなんだ。君は進んで不幸せになろうとしてる。意地の悪いことばかり言って、周りをみんな突き放そうとして。僕には君がヤケになってるようにしか見えないよ」


 彼がイレーナを諭そうとする間に、彼女はその肩をわなわなと震わせる。その目には並々と涙が浮かんでいた。


「やけっぱち!」


 ベッドを叩いて彼女は叫ぶ。


「ええ、そうよ! だって私が全部悪いんだもの! どうして自暴自棄にならずにいられるの!」


 イレーナは両手で顔を覆った。その手の陰から、涙がつうと零れ落ちる。


「私はみんなの助けになると思ってあの『自律人形オートマタ』を作ったの。毎日仕事をしているみんなの力になるようにと思って。でもその結末はあれよ! オートマタは人を喰らい始めた。未来の果てに突き落とされても……それでも人間の命を求め続けている。私は化け物を作ってしまった。今この世界を生きる人には何の罪もないのに。それなのにあれはお構いなしにどんどんこの世界を壊そうとしてる。私はどう償えばいいの?」


 彼女はメリーを見つめる。少年は彼女の頬を伝う涙を拭い、そっと細い肩に手を重ねた。


「……そうか。やっとわかったよ。君がこの世界に来た時、泣いていたわけが」


 イレーナはしゃくりあげながら頷く。メリーは彼女にそっと微笑みかけた。


「大丈夫。今日一緒に見たじゃないか。あの器械人形がやっつけられてるところ。あんな人形を作れるような技師も学者も今の世の中には一人もいないけど……でも、今の人間はしぶといんだ。俺の父さんが生まれる頃にはとんでもない病気が流行って、村が百も二百も無くなったけど、俺達は滅んじゃいない。だから器械に襲われるくらい、大したことじゃないんだよ」


 彼女は茫然とメリーを見つめる。メリーはそっとイレーナの手を取り、柔らかく握りしめた。


「それでも君が我慢ならないなら……俺は一緒に見つけるよ。あれを止める方法を。そして一緒に見つけてほしい。この世界が、互いに争い合わなくて済むくらい、豊かになれる方法を。それでどうだい?」

「メリー。メリーは、私を赦してくれるの?」


 メリーはこくりと頷いた。刹那、イレーナはメリーの胸元にしがみつき、わんわんと声を上げて泣き始めた。他人を跳ね除け、自らの心も押さえつけていた重い殻は、すっかりなくなっていた。


「ひどいことばかり言ってごめんね、本当にごめんなさい」

「俺は気にしないよ。……ああでも、お子様はひどいや。そこはちょっと気にしてるんだよね。ほら、俺の村はみんな背が高いからさ」

「……ふふ。そうだね。メリーは子どもなんかじゃないよね。私の方がずっと子ども。すぐに癇癪起こして、こんな風に慰められて……」


 やっと顔を上げたイレーナは、目を泣き腫らしながらも、おずおずと眉根を開いた。固い蕾がやっと割れて咲いた花は、華やかだった。


「やっと笑ったね、イレーナ」

「うん。ありがとう」




 だが、メリーは赦しても、運命を司る神はまだまだイレーナの事を赦すつもりはないのである。


イレーナ=ヒュパティア

 滅びたラティニア帝国の生き残りを称する少女。金色の髪と色白の肌、空のように青い瞳があらゆる者の目を引くが、気性は荒くすぐ人に食って掛かる。しかし、それは器械人形『オートマタ』を世に解き放ってしまった自責の念の裏返しであり、良心の呵責に耐えかねていたのであった。

 メリーという支えを得た彼女は、この世界で次第に重要な役割を担っていくようになる。

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