9.魂喰らいの器械人形が一つの町を潰す
ブリギッドとエルメース
ブリギッド王国の肥沃な大地を狙うエルメース王国と、エルメース王国がほぼ独占している他大陸への交易窓口を狙うブリギッド王国の間では、古くから常に勢力争いが繰り広げられてきた。しかし、土魔法の発展により互いに防衛力が飛躍的に高まった現在では、ひたすらにらみ合いが続いている。
廃墟だらけの町の中、鉄の歯車の戦慄きが響き渡る。はっと息を呑んだイレーナは、固く唇を結んで両手を構える。背中が光り輝き、魔法陣の翼が広がった。
「私の言うことを聞きなさい!」
飛び出してきた器械人形に向かって、イレーナは素早く手をかざす。放たれた光が人形を包み込んだ瞬間、それはがくがくと震え、金色の光を兜の奥に宿した騎士となった。
それは爪を振りかざすと、周囲をぐるりと見渡す。少女の到来を察知した他の器械が、全身の歯車を軋ませながらのしのしと飛び出してくる。一体は折れた垂木を手に取って、力任せに放り投げた。イレーナが右手を振るうと、金眼の騎士は素早く正面へ割って入り、あっという間に垂木を跳ね除けてしまう。
「魂も入ってないガラクタなんかに遅れは取らないわよ」
イレーナの騎士は、全身の歯車を軋ませながら飛び出し、敵の兜を鷲掴みにする。虚ろな光を宿した鎧は、のろのろと手を伸ばして騎士の腕を捉え、何とか引き剥がそうとする。
イレーナは仏頂面のまま器械人形の姿を睨み、右手を捻る。彼女の手の動きに合わせて、騎士は力任せに人形の首を捻った。みしりみしりと鋼鉄が震え、首を支える留め金が弾け飛んだ。
「飢えた亡霊。そのまま大人しく眠りなさい」
イレーナが言い捨てると同時に、騎士は人形の首を引きちぎった。放り捨てられた首はしばらく震え、胴体もその場で暴れ回った。しかしそれも僅かな間の事、すぐに兜から深紅の光は失せ、胴体はバラバラのガラクタになって辺りに散らばった。
「イレーナ!」
メリーの声が廃墟の向こう側から響く。見れば、彼は老人を一人庇うようにして立ち、深紅の背表紙の魔導書を開いて人形に対峙していた。彼が放った火の矢は、一直線に鋼鉄の胸当てに突き刺さる。火花が弾けたが、人形は構う事無くメリーへと迫っていく。
「何してんのよ、あのバカは……」
一人ぶつくさ文句を呟きつつも、彼女は左手を敵の背中へ向ける。騎士は背後から敵へと殴り掛かった。前へとつんのめった器械人形は、兜の奥に深紅の光を揺らめかせながら振り返る。火の矢を浴びた胸当ての中心が白熱している。
イレーナは淡々とその傷口を指差した。騎士は素早く貫手を繰り出し、あっという間に敵の胸元を突き破ってしまった。歯車がいくつも吹き飛び、人形は横ざまにどうと倒れる。彼女は溜め息をつき、じろりとメリーを睨んだ。
「勝手にちょろちょろしないでくれる? 怪我されても困るんだけど」
「わかってるさ。その辺りはちゃんと考えてるつもりだよ。今もね」
メリーはイレーナの肩越しに火の矢を放つ。合わせて三体の器械の人形が、のしのしと彼女へと迫っていた。一体はまさに飛び掛からんとしていたが、その一撃を肩に喰らって僅かに足踏みする。
「……生意気なこと言っちゃって」
イレーナはバツが悪そうに呟くと、騎士を器械の群れへと突っ込ませた。騎士は鋭い蹴りを繰り出す。敵の肩を叩き折り、敵が平衡を崩して倒れかかった隙にさらに足払いを掛けて転ばせる。人形はいきなり倒れ込んできた仲間に躓き、さらに一体がそこへ折り重なるように倒れこんだ。
その瞬間を逃さず、騎士は背中から蒸気を噴き出しながら、力任せに器械の背中を殴りつける。鈍い音が響き、パーツが捩れて二体の歯車同士が噛み合ってしまった。むなしくもがく二体を踏みつけにして、騎士は残ったもう一体をも相手する。
「鉄は鉄に帰りなさい。……私が掛けてあげられる言葉は、それだけよ」
メリーが器械人形の顔面目掛けて火を浴びせると、イレーナもすかさず右手を伸ばして拳を固める。彼女の動作に合わせて騎士も器械の頭に掴みかかり、一気に兜を握り潰した。
バラバラになった鉄くずを広場に寄せ集めると、メリーとイレーナは廃墟の中を探し回った。町はすっかりしんとして、どこかで燻ぶった木の爆ぜる音がやっと聞こえるくらいだった。そんな廃墟の中で見つかるのは、器械の化け物に魂を吸いつくされ、朽ち木のように干からびた人々の亡骸ばかりであった。メリーはしわくちゃになってしまった赤ん坊の身体を抱き上げ嘆息する。
「赤ん坊までこんな目に遭わせるのか。……この子だけ残されても、生きていけなかったろうけど」
メリーは小さな亡骸を抱きかかえたまま、広場を目指して歩き出す。一足早く広場に戻ってきたイレーナは、じっとガラクタを見下ろしていた。
「……誰か生きてた?」
「いいや。この通りだよ」
彼は亡骸を軽く掲げてみせる。イレーナは唇を固く結び、そっぽを向いた。深い嘆息と共に、彼女は応える。
「こっちもよ」
「そうか……」
メリーは風に吹かれて転がってきたぼろ布を拾い上げると、亡骸を包んで廃墟の陰にそっと寝かせる。その場で軽く祈りを捧げたメリーは、微かな笑みを繕い振り返る。廃墟の壁にもたれて、一人の老人が座り込んでいた。メリーは老人の目の前まで歩み寄ると、静かに頭を下げた。
「ごめん、おじいさん。……おじいさんしか助けられなかったよ」
「お前さんが謝ることじゃないだろう。わしはおいぼれだったから後回しにされたようだが、お前さんらが来なければそのうちわしも食われていたに違いないんだからな」
老人は気丈に声を張り上げ首を振る。だが、その顔には全く血の気が無かった。老人はそのままうなだれ、茫然と呟く。
「しかし……わし以外ここに生きていないとなれば、これから先わしは一体どうすればいいのだろうなぁ。ここに一人でいても仕方がないぞ」
「引っ越せばいいんじゃないの」
イレーナはあっさりと言い放った。固く腕組みしながら、彼女はつかつかと二人のそばまでやってくる。相変わらず表情は冷淡だったが、声色はメリーに向けるものよりずっと柔らかい。
「器械の人形に襲われて町が全滅しました、って言えば追い出す人はいないわよ、きっと」
「引っ越しか。……はてさて、一体どこへ向かえばよいやら」
老人がぽつりと呟くと、メリーは早速彼に手を差し伸べ、引っ張り立たせた。
「なら、川向こうのアンゼルムに向かいましょうよ。俺達もこれから行くんです。あそこならだいぶ大きいし、市壁もかなり厚いです。少しくらい器械の連中に襲われたってびくともしないはずですよ」
メリーは老人の手を固く握り、さらに空いた手をそこに重ねた。猫のように丸みを帯びた目つきのおかげか、穏やかなその笑みは、見る者をよく惹きつけた。老人もまたメリーの笑みに励まされて頷いた。
「都市の空気は自由にする、か。……確かに起きてしまったことを嘆いてもままならんな。君達がよければ道中共にさせてもらえんかな」
「ええ、もちろんです。いいでしょ、イレーナ」
「またそうやって勝手に……」
イレーナは顔をしかめたが、メリーはもう言い切ってしまった。しばらく難しい顔をしていた彼女は、やがて面倒そうに手をひらひらさせた。
「いいわ、いいわよ。でもそのアンゼルムとかいう都市までね。それ以上は付き合いきれないわ」
「ああ、それでかまわん」
対岸へと渡るための渡し船が、老人の貼り付けた水の魔符によってひとりでに大河を進んでいく。船の真ん中に座り込んだメリーは真新しい短剣を何本も甲板に広げ、麻布を巻き付け鞄の中に押し込めていた。イレーナはそんなメリーを横目に窺う。
「ちょっと待ってくれだなんて言うから、何かと思ったら……どうしてそんなに短剣を作ったのよ」
「都市に持っていって売るんだよ。お金があれば何かと便利だからね」
メリーは短剣を一本手に取り、軽く振るう。広場に魔法陣を描いて、器械人形の残骸を鋳潰し作った短剣。装飾は少なく、刃も分厚く武骨と呼ぶに相応しい見た目であったが、普段使う分には頼りになりそうな代物だ。
「ふうん、そういうこと……」
気の抜けた返事をすると、イレーナはゆらりと船首の方へ歩いていく。船縁に寄りかかった彼女は、川の上流、ホロウ海――かつての故郷のある方角をじっと眺め始めた。物思いに耽るイレーナの横顔は、大理石の彫像のように美しい。メリーは短剣を残らずしまい込んでしまうと、イレーナのすぐそばまで近寄って、そんな彼女の顔をじっと眺めた。
「何か?」
「……いや。イレーナって、本当はとても優しいんだなあ、なんて」
出し抜けにそんなことを言われたイレーナは、思わずたじろいでしまった。目を真ん丸に見開いた彼女は、眉を震わせながら声を絞り出す。
「な、なんでそんなこと言いだすのよ?」
「だって、あの町が襲われてるって気が付いて、真っ先に動いたのは君の方じゃないか。そんな風にいつも不機嫌そうにしてるけど、誰かがひどい目に遭っていたら放っておけないんでしょ、イレーナ」
「何よそれ……」
イレーナは頬を赤らめ、唇を噛みしめる。メリーの言葉で湧きあがった感情を、上手く捌ききれないでいるらしかった。メリーはそんな彼女の様子をじっと見守っていたが、イレーナはやがて眉根を寄せ、ふいと顔を背けてしまった。
「勝手に人の事を決めつけないでくれない? 礼儀がなってないわ」
むくれて言い放つイレーナ。冷たく突き放そうとしたらしいが、その声色はむしろ意地を張る幼子のよう。メリーは苦笑しながら頷いた。
「ああ。気を付けるよ」
やがて船は河を無事に渡り切る。かくして二人はブリギッドを離れ、エルメースの地に足を踏み入れたのであった。