387.字面だけで戦慄するほど無茶苦茶
イグリア帝国皇帝が邪竜の眷属になる。
字面だけで戦慄するほど無茶苦茶なことだとわかる。国家を乗っ取るといっているようなものだ。隣のサンドラなど顔色が青を通り越して白くなっている。リーラは完全に硬直した。
「それは、まずいんじゃないか? 政治とは距離を置いた方がいいと認識していたと思うのだが」
「ああ、勘違いさせてしまったな。クレストが皇帝を引退した後の話だ。何十年か先、自由の身になったら一緒に世界中を旅したいということでな」
「……そういうことだったの。心臓が止まるかと思ったわ」
サンドラが机に突っ伏して言う。ただでさえ疲れているのに、今のは相当効いたようだ。
「アルマス様、寝室のご用意をして参ります。少々、お嬢様をお願いしても?」
「わかった。よく眠れるようにしてやってくれ」
「勿論です。……久しぶりに死ぬほど驚きました」
珍しく個人的な感想を呟きながら、リーラが寝室に消えていった。
「思わぬところで眷属問題が解決したわけだが。そんなに先でいいのか?」
「それまでは俺一人でやるさ。手間をかけるが、協力をお願いしたい」
「問題ない。拠点と思って聖竜領に来てくれていい……よな?」
「ええ。わたし達もできる限りのお手伝いをさせて頂きます。『嵐の時代』を防ぐことができるなら、とても良いことだもの」
立ち直ったサンドラがぎこちない笑顔で同意してくれた。まだ精神的なダメージは残っているようだ。
「感謝する。まさか、こんな所で逸材が見つかるとは思わなかった」
「正直、俺が手伝うつもりだったのだが。意外だよ」
「クレストは本質的に放浪や冒険を求めるたちのようでな。混沌について話したらとても乗り気だった。同行者がいるのは、楽しみだな」
「次の皇帝陛下……。まだ想像もつかないわ」
「まったくだ。候補者の影も形もないからな」
それも時間が解決するだろう。何十年もたてば社会も変わり、新たな人材が現れる。きっと、クレスト皇帝はその時に喜んで退位するに違いない。
「案外、長命な皇帝が引退後に行方知れずになるという意味では、よいことかもしれないな」
「本人もそう言っていた。余計な揉め事の種になりたくないとな」
どうやら話し合いはとても楽しかったらしく、アレクはずっと笑みを浮かべている。
「今回の大雪を見て、眷属アルマスはこの地にいるべきだと思ったんだ。少なくとも、サンドラがいる間は、この理想的な共生関係を続けて欲しい」
「理想的とは、大げさだな」
俺はちょうどいいように振る舞っているだけだというのに。
「大げさではないさ。俺達がこうして気楽に話せているのがその証拠だ。昔は、色々あったからな」
「そうか……」
色々あった、について詳しく聞くことはできない。聖竜様も話したがらないような事が多かったのだろう。想像するのも難しいものではない。
「想像以上のことが起きるわね、この冬は……」
満足げなアレクを見ながら、サンドラがぼそりと呟いた。
「色々と良い方向に動いている。そう考えるようにしよう」
そのくらいの言葉しか出てこなかった。しかし、数十年後とは気長な約束をしたものだ。
◯◯◯
「ということがあったんだ」
「ええと、良かったわね? でいいのかしら?」
翌日、聖竜領に戻ってアイノに事の次第を話すと、やはり困惑していた。
ちなみに話しているのは森の中の自宅だ。ようやく屋敷から戻ってこられた。エルフ達も避難を終えて、それぞれ帰宅している。少しずつ、元の生活が戻ってきた証拠だ。
「クレスト皇帝の間は、聖竜領を拠点に世界各地に飛んでいく生活になるだろうな。俺達も情報収集などで協力したいところだが」
「協力……そうだ、ちょっと思ったことがあるんだけれど。混沌を浄化する魔法具の件なのだけれど」
「大雪の前に話が出たやつだな」
結果的に先送りになってしまっていた話だ。色々と別のところで話が動いたが、こちらも実行にうつすべきだろう。
『その件じゃが、ワシも色々考えてみた。魔法師に近い存在であるアレクとアルマス達がいれば実現できるかもしれん』
『なら、やる価値はありますね』
そう、やる価値はある。世界中で人間の手によって混沌が浄化できれば、『嵐の時代』が再来するのを防ぐことができるかもしれない。土地が痩せ、異常気象が続く、あの寒い時代が来ないなら、こんなに良いことはない。
『明日にでもサンドラやロイ先生に相談してみましょう。研究施設を作る協力をしてくれるかもしれません』
『うむ。ワシの方からアレクにも話しておくのじゃ。受肉して現れたときは困ったが、意外な所で役に立ちそうじゃのう』
『未来が楽しみになりましたね』
『あの、本当にただの思いつきなんだけれど……』
『大丈夫だアイノ。世の中にある便利なものなんて、大抵思いつきから始まっているものだ』
それから大量の試行錯誤があるわけだが、それはこの際おいておこう。将来に渡って、この世界が安定する可能性が開けた。それだけでも朗報だ。
深刻なことが続く日々だったが、この日は久しぶりに良い気持ちで眠りにつくことができた。








