348.自分でも驚く程、望郷の念がない
後ろにリーラを控えさせ、席に座ったサンドラはとても落ち着いていた。
「そう。ヴィクセル伯と……。アルマスの対応でいいと思うわ。どちらにしろ、一度は話す必要はあるでしょうから。これで向こうは正面から来るしかないわけだし」
「余計な企みをされなければいいのだがな……」
向こうは俺を恨んでいるという、何をしでかすかわからない。
「出方を伺うという意味でも、俺が一人で行ってみるのが一番良いかもしれないな」
「兄さん、それは危険じゃない?」
「万が一、荒事になってもアルマス様ならお一人で脱出可能です。交渉ごとも、上手く先延ばしするか、お嬢様に投げて頂ければ何とかなるかと」
リーラの言葉に、サンドラが頷いた。いつのまにか良い香りのするハーブティーなど飲んでいる。しかも、冷たいやつを。
「今日の出来事でお父様も探りをいれるでしょうから、何かしらできるでしょう。商売に絡んだことなら、向こうに多少の利益をあげて落とし所をさぐることもできる」
「無駄に敵を作っても良いことはないからな。そういう方向で行きたいものだ」
「それよりも……」
空になったグラスをテーブル上に置いて、サンドラがアイノの方を見た。
「問題はアイノさん達に貴族が絡んできた方ね。アルマスが一番目立つから、そちらに接触があるかと思っていたのだけれど、甘かったみたい」
「驚きました。どんどん人が集まってきて。敵意もないので強く出ることができず……」
無念そうに言うのはマイアだ。護衛としての役目を果たせなかったことを気にしているのだろう。
「サンドラの方は大丈夫だったのか? リーラと二人で相当買い物していたようだが」
部屋の隅に積み上がった荷物を見ながら言う。ちなみに後でこの店から屋敷に送って貰うらしい。
「わたしの方は大丈夫。おおかた、交渉が難しいと思って除外されたんでしょうね。アルマスやアイノさんがいるなら、直接話したほうが楽という判断ね」
「な、なるほど。それはたしかに……」
アイノが納得していた。世間知らずで素直、しかも辺境から出てきた田舎者だ。色々と有名であろうサンドラに比べれば、アイノの方が与し易いと見るのは自然だな。
「それでどうする? ここで買い物を続けるのは無理だろう?」
「予定を変更しましょう。観光するわよ」
意地でも仕事はしない。そんな思いが透けるくらい固い決意を感じさせる口調で、サンドラは言い切った。
○○○
とりあえず、せっかくなのでその場で昼食をとった。それから向かったのは帝国記念博物館という場所だ。
イグリア帝国が長い歴史の中で培ってきた様々な品が展示されており、説明を読めば歴史まで学べるという大変良い施設だ。近くに美術館なども併設されており、そこだけで数日楽しめるらしい。
アイノとマイアは美術館が良いとのことで、そちらに向かい。俺とサンドラは博物館を選んだ。人の入りはそこそこで、たまに俺をチラチラ見るが話しかけて来る者はいない。館内では静かに、というわけだ。
「どうかしら、アルマスならこの辺りを見て思うところがあると思ったのだけれど」
「……そうだな。懐かしいものもあるな」
サンドラと共に眺めているのは、地図だ。それも一枚じゃない。ここ数百年の地域の勢力図が年代順に並んでいる。『嵐の時代』における小国家の乱立から、イグリア帝国の成立までを目で見て理解できるという寸法だ。
「懐かしいじゃなくて、違和感とかないかしら?」
「特にないぞ? 戦時の地図なんて頻繁に変わる。後から見ればこんなものかな、という所だな」
「そう……矛盾点とか見つけて修正できるかと思ったのに」
「さりげなく俺に証言をさせようとするな」
当時を知る者ならエルフやハーフエルフがまだ生き残っているはずだ。そもそも皇帝だってその一人だろうに。寿命の長い種族からの聞き取りから作ったであろう、この地図はかなりの精度があると思う。
「想像以上に正確だよ。俺達の故郷がとっくに消えていることも含めてな」
「そうね……」
俺とアイノの出身地は、北の小国だ。ここの説明によると、俺が聖竜様探索の旅に出てしばらくしてから、『嵐の時代』に飲み込まれて消えている。今では町の名前まで全て変わってしまっているようだ。
「サンドラの祖先、フレス・エヴェリーナは苦労しただろうな。こんな南まで逃げ伸びたのだから」
「魔法師としての技能があるから何とかなったそうよ。何度も危ない目にあいながら、イグリア帝国の前身にあたる国に身を寄せたのだけれど」
それまで何年もかかったわ、とサンドラが続ける。辛い旅だったろう。察するにあまりある。
「いつか、故郷に行きたいと思う?」
地図を指さしてサンドラが問いかける。故郷は残念ながら、イグリア帝国外だ。気軽に行ける場所ではない。ハリアに運んで貰えないからな。
「アイノが行きたいと言ったら考えるよ。もう、俺と関係ある物は残っていないだろうからな」
自分でも驚く程、望郷の念がない。アイノが生きているから問題なしということだ。年数も経ちすぎていて、思い出に浸ることすらできないだろうしな。
「そんなものかしら。余計なことを聞いてしまったわね。次の展示は面白いわよ?」
「なんだ、この国における食事の変遷とかか?」
『ほう。興味深いのう』
「……いえ、色んな武器の展示なのだけれど」
その後見た、色んな武器の展示はなかなか見応えがあった。
それからアイノ達と合流した後、港の近くにある市場を軽く回った。皮肉なもので、貴族の少ない普通の市場の方が気兼ねなく買い物できてしまった。
見たことのない食材や魚が沢山あったので、何を持って帰るかでちょっと揉めた。結局、リーラが選んだ物を、俺が冷凍保存するということで話がついたが。
午前中と違い、賑やかかつ有意義な午後を過ごし、ヘレウス邸に帰る。
事件はそこで起きた。
「待っていたぞ! 聖竜領の賢者アルマス!」
門をくぐり。庭に入るなり、空気を震わす大声で呼び止められた。
そこに居たのは禿頭の大男。他にも四人が彼を守るように立っている。全員が屈強な戦士であることは一目でわかった。ヘレウスの屋敷には似つかわしくない人物達だ。
「たしかに俺がアルマスだが、どちら様かな?」
問いかけに、禿頭の男が再び空気を震わす大声を放つ。
「俺の名はレフスト! 伯爵だ! 貴様の実力を試しに来たぞ! がははは!!」
豪快に笑いながら、そう名乗られた。
……なんで普通にここにいるんだ、この男は。








