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第4話 目覚め

 視界を遮るように降りしきる雨の中、私はウンブリアに向かい馬を走らせている。

 横殴りの雨に体温を奪われた身体は氷のよう冷えきり、気を抜くと一瞬で馬から振り落とされそうだ。

 かじかんだ手で手綱を握り直した瞬間、暗闇を幾つもの閃光が切り裂いた。


 白く染まった世界。

 宙に放り出される浮遊感に、私はたまらず手を伸ばす。


 私は死ぬのか。

 いや違う。死んだのだ。

 ──死んだはずなのに……?




 あれから再び高熱に浮かされた私は、夢の中で何度も自分の最期を繰り返した。

 恐らく四歳の心と身体では、自分に起こった出来事を受け止めるには幼すぎたのだろう。

 その間ハンナから手厚い看護──全裸にされ身体を拭かれ、あろうことか下の世話までされるという、健全な十五歳の男の心を持つ者としてはたまらない屈辱──を受けた私は、これが間違いなく現実であると、身を持って思い知ったのである。


「……それにしても、四さいか」


 一週間ぶりにベッドから出た私は、鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめた。

 十五歳の時の半分ほどしかない身長に、短い手足と丸く幼い顔。滑舌がたどたどしくなるのは、諦めるしかなさそうだ。


「クリスタル様、どうかされましたか?」


 よほどおかしな表情をしていたのか、私にガウンを着せていたハンナが不思議そうに顔を覗き込んだ。


「今まで気がつかなかったが、わたしの顔はお母さまに似ていると思って」

「そうでございますね。アンネマリー様の幼い頃にそっくりで、大変お綺麗でいらっしゃいますよ。御髪が短いのが残念でなりませんが」


 そう言いつつも、ハンナは嬉しそうに私の髪を梳かし始めた。

 四歳の男の子らしく切り揃えた母と同じ銀色の髪が、肩の上でサラサラと揺れる。鏡の向こうから自分を見つめる大きな瞳も、やはり母と同じ紫の瞳。寝込んだせいか色を失った肌と小さな唇も、皮肉にも身体の弱かった母にとてもよく似ている。

 つまり、なにが言いたいのかというと、どこをどう見ても紛うかたなき女顔。どうして過去の自分が十五になるまで性別を疑わなかったのか、首を傾げたくなる。


「男として生きるには、きれいではこまると思うのだが」

「いいえ、世の中には綺麗な殿方もいらっしゃるのですから、ちっともおかしくはありませんよ」

「そうだろうか」


 目が覚めた私は、真っ先にハンナとサイラスに自分のことを打ち明けていた。

 自分は今までの「クリスタル」とは違う。

 かつて女だと知らずに男として生きた記憶があり、十五歳の時に事故で死んだ。

 そして気がつくと、母の葬儀の場面に戻っていた、と。


 二人に話したのは、この先どうすればいいか見当が付かなかったせいもあるが、なにより自分自身がこれが現実だと確証が持てなかったからだ。

 これは夢ではないだろうか。

 自分はどこかおかしくなったのではないか。

 起きてからというもの、そんな不安が常に付き纏う。


 どちらにせよ、四歳という年齢はあまりにも幼すぎる。

 ハンナとサイラスがいなければ、普通に生活を送ることすら難しいだろう。

 ならば、下手に隠すより正直に話したほうがいいだろう。

 幼い子供の戯言と思われるか。それとも母親を亡くしたショックで気が触れたと思われるか。

 それは私にとって一種の賭けでもあった。

 故に覚悟を決めて告白したのだが──


 話を聞き終わった二人は、困惑したように互いの顔を見合わせた。


「今のはなしを聞いてどう思ったか、ふたりのそっちょくな意見を聞きたい」

「恐れながらクリスタル様」

「なんだ、サイラス」

「葬儀のあとに倒れられてからのご様子を拝見しておりましたので、納得と申しますか、腑に落ちた、というのが正直な感想です」

「ふに落ちた?」

「はい。寝込んでいる間、クリスタル様は譫言でずっと名前を呼んでいらっしゃいました。アンネマリー様と、あとエドワード殿下、と」

「そうか……」


 それを聞いた私は思わず目を瞑った。

 前世、いや前回と言うべきか、唯一心残りはエドワード殿下方と交わした数々の約束だった。

 翌日の講義の、鍛錬の手合わせの、晴れた日の遠乗りの、そして遠い将来の約束……叶えられなった未来が重く心にのしかかる。


「エドワード皇太子殿下がお生まれになったのは、クリスタル様が生まれるより前の話です。私共がお教えしなければ、殿下のお名前を知る術はありません。そしてなにより、振る舞いや話し方が、今までとは明らかに違います」

「そうなのか?」

「ええ。普通四歳の子供はこのように流暢には喋れません」

「む、そうか? だいぶかつぜつが悪いと思うが」


 どう注意しても舌っ足らずな口調になるのが、我ながら情けない。

 だが、そんな私にハンナは呆れたように首を振った。


「クリスタル様、普通の子供はそのような喋り方はいたしませんよ」


 そして首を横に振るハンナの横で苦笑いしていたサイラスは、一転表情を険しくした。


「ですが、あまりにも荒唐無稽な話です。疑うつもりはありませんが、理解が追いつかないのも正直な心情です」


 無理もない話だ、と私は肯いた。四歳まで時間が巻き戻ったなど、自分ですら未だに信じられないのだから。


「サイラス、わたしのきおくが正しければ、近く父上はゴドフルだんしゃく家のさん女、リリアーヌさまとさいこんされる」

「クリスタル様、なぜその名前を……」

「来年には弟が生まれるだろう。名前はアビゲイルと名づけられる。そしてわたしのろく歳のたんじょう日をすぎて間もなく、前ヴァルスターはくしゃくが亡くなられる」

「なんですと?」

「そして、そのちょくごにわたしはこの屋しきを出され、ウンブリアにいく」


 驚きに言葉を失う二人に、私は続けた。


「どうしてこのような記憶があるのか、わたしにもわからない。運命のいたずらか、神のさいはいか……わたしの夢ものがたりである可能せいもある。だが、もう同じあやまちをくり返したくないのだ」


 そこで言葉を区切り、二人をじっと見つめた。


「──わたしは、女として生きたい」


 ヒュっと息を飲んだのは、どちらだろう。


「……恐れながら申し上げます。クリスタル様、それは難しいかもしれません」


 長い沈黙を破り異を申し立てたのは、サイラスだった。




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