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第1話 偽りの記憶

 私、クリスタル・フォン・ヴァルスターには不思議な記憶がある。

 それはかつて私が女の身でありながら男として生きた、偽りの十五年分の記憶だ。




 その不思議な記憶は、私がヴァルスター伯爵家の第一子として生を受けた時から始まる。

 二十代続く名門ヴァルスター家の若き当主クラウスと、王家に名を連ねる公爵家の令嬢アンネマリー・アメシス・オブ・エレスチャル。二人の婚姻は貴族には珍しく、恋愛から結ばれたと聞いている。

 母アンネマリーは生まれつき身体が弱かったため政略結婚ではなく、臣下であった父に嫁すことができたのだそうだ。


 母に関する記憶はかなり朧げだ。

 覚えているのは、ベッドの上から優しく微笑む顔と、折れそうなほどに細く白い手。とても綺麗な人だった。

 その母が儚くなったのは、私が四歳の時だ。

 そして喪が明けるのを待たず父は新しい母を迎え、その翌年には私の弟となる次男が生まれる。


 父が私に対して露骨な態度を取るようになったのは、この頃からだろうか。

 恐らく、弟が生まれた時点で私は不要になったのだろう。だが仮にも私は王家の血を引く長子。正当な理由なく廃することはできなかったに違いない。

 滅多に会う機会のない父の口癖は、「お前さえいなければ」だった。新しい母も弟も数える程しか顔を合わすことはなく、使用人も私をまるでいないかのように扱う。そんな日々が何年続いただろう。


 転機が訪れたのは、私が六歳の誕生日を迎えてすぐだった。祖父である前ヴァルスター伯爵が亡くなったのだ。

 遠くの領地に隠居していた祖父とは、生まれてから数度ほどしか会うこともなかった。希薄な縁ではあったが、彼は私に流れる王家の血に対して敬意を払う、唯一の人間であった。

 その祖父がいなくなったことで枷が外れたのだろう。私は突然ヴァルスターの本邸から出され、僅かな使用人とともに王都の外れ、ウンブリアにある別宅へと居を移された。


 初めてウンブリアの屋敷を見た時の驚きを、なんと表せばいいだろう。

 その屋敷──いや、家といったほうが相応しいほど小さな屋敷に、庭とは名ばかりの畑。そして背後に広がるのは広大な森。

 整然とした王都の街並みと豪華な本邸での暮らしに慣れた私には、辺鄙な田舎での暮らしはなにもかもが驚きの連続だった。

 家を揺らす激しい風の音に怯え、井戸で汲んだ水の清冽な冷たさに驚き、そして畑で取れる野菜にいちいち目を瞠る。

 そんな私がウンブリアでの生活に慣れるのは、そう時間はかからなかったように思う。

 メイドのや家令のいない生活は不便なことも多かったが、それ以上に私を虐げる者のいない家は、とても居心地がよかったのだ。

 今考えるとウンブリアでの数年間は、私が心穏やかに過ごした唯一の日々であったのかもしれない。


 そして十歳の誕生日を迎えた私は、王立学園の門を潜る。

 エレスチャル王国では、貴族の子供は十歳になると全寮制の王立学園に入学し、十六歳までの六年間を共に過ごす。

 子供達は学問はもちろん武術や馬術、ダンスやマナーといった知識まで広く学び、ゆくゆくは王家に忠誠を誓い国の発展に尽くすよう教育を受けるのだ。

 そんな中、私はヴァルスターの人間として恥ずかしくないよう、日々研鑽に励んだ。

 学問はもちろん、伸び悩んでいた体格で劣る剣術では力に頼らない戦い方を覚え、馬術では軽い体重を生かす乗り方を工夫した。

 この時の私は、結果さえ残せばいつかは父に認めていただけるのではと、考えていたのだ。


 そんな私に声をかけてくださったのが、この国の皇太子であるエドワード殿下だった。


「お前、小さいのになかなかやるじゃないか。気に入ったぞ」

「有り難きお言葉、感謝いたします」


 エドワード・ルーサー・オブ・エレスチャル。

 エレスチャル王国の皇太子にして私より二歳上のエドワード殿下は、恵まれた容姿と体格、そして人を惹きつける魅力をお持ちの素晴らしい方だ。

 柔らかな金髪がかかる澄んだ泉のような青い瞳には力強い意志が秘められ、整った鼻梁の下にある形のよい唇にはいつも優しげな笑みが浮かぶ。

 時に大胆な発言や行動をされることもあったが、それすらもエドワード殿下にとっては魅力の一つに過ぎない。

 学園では多くの生徒が殿下に近づこうと躍起になったが、側に置いたのは彼が認めたごく少数の人間のみ。

 そんなエドワード殿下に声をかけられた私は、天にも昇る心持ちになった。


 そしてその日から、私の目標は殿下に認められることへと変わった。

 寝る間を惜しんで勉学に励み、日中空いた時間は身体を鍛えるためひたすらに剣を振る。寝不足と激しい鍛練に身体は悲鳴を上げ、剣だこが潰れた掌は固くなったが、私にはそれすらも嬉しかった。

 そして努力の甲斐あってエドワード殿下と同じ学年に飛び級できた時は、自分がようやく認められたように感じたものだ。


 今思えば、エドワード殿下のお側にいられること、それが私の唯一の(よすが)だった。

 この素晴らしい未来の王に相応しい人間たるべく、いずれはお役に立てるように。

 私は功を焦っていたのかもしれない。

 そして奢っていたのかもしれない。

 故に誤ってしまったのだ。


 そもそも私は周囲を欺く偽りの身だったのだ。

 知らなかったとはいえ、そんな私が殿下のお側にいること自体、許されることではなかったのだ。




 ことが露呈したのは、十五歳の誕生日を迎える直前だった。

 その日は朝から冷たい雨が降っていたのを覚えている。

 普段通り授業を終え部屋に戻った私は、身体の不調を覚えベッドに横になった。そして酷い腹痛に目を覚ますと、己の下肢が鮮血に染まっていることに気がついたのだ。


 その時の心情をなんと表現すればいいのだろう。

 恐慌、悲憤、いや、絶望か……?

 ある時からぴたりと伸びなくなった背。いくら鍛えても薄いままの身体に──膨らみかけた胸部。


 本当は、頭の片隅で鳴る警鐘に気がついていた。

 だが、私は現実を直視できず、ずっと目を背けていたのだ。

 自分が女であるという現実から。




 茫然自失のまま飛び出した外は、いつの間にかに激しい雨に変わっていた。

 幼い時よりより私を知る乳母のハンナとサイラスに真実を問いただそうと、私はウンブリアに向かいひたすら馬を走らせた。

 そしてその途中、落雷に驚いた馬ごと崖から落ちたのだ。


 記憶の最後は周囲を照らす真っ白な閃光。

 間を置かず耳を劈いた凄まじい轟音と振動に驚いた馬が棒立ちになり、天地がくるりと反転する。

 視界に映ったのは虚空に伸ばした自分の手。


 ──私はあの時、一体なにを掴もうとしたのだろう。

 それが私が覚えている、かつて男として生きた時の記憶の全てだ。




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