第20話 24階層の守護者、ニル。
悪逆非道のダンジョンマスター格言その2
ダンジョンはダンジョンマスターを映す鏡である、マナーを守り健全運営。がしたいです。
この世界では、大規模な行軍をする場合、4つの部隊を率いる。
1つ目は主戦部隊。
人、もしくは魔物と、直接刃を交える部隊のことを指し示す。
最も多くの精鋭が配属されるのも、この部隊である。
ただ、主戦部隊と一口に言っても、内部ではさらに多岐に分類されている。攻撃部隊と呼ばれる、攻めを担う部隊であったり、守備部隊と呼ばれる、守りを担う部隊であったり、待機部隊と呼ばれる、交代要員として待機する部隊であったり。
また、それら部隊からさらに、攻撃部隊には主攻部隊や補攻部隊などがあり、その中でさらに歩兵、騎兵、魔法兵など、様々な兵科によって分類され、構成されている。
守備部隊や待機部隊も、同様。
内部の者達にとっては、攻撃部隊守備部隊という分類よりも、兵科によって分類した呼び名の方が、一般的かもしれない。
4つの部隊とは、それだけ大まかな括りである。
2つ目は情報部隊。
偵察や伝令を行い自軍を有利に、そして滑らかに動かす役割を担う部隊のことを指し示す。
偵察にも伝令にも、あまり多くの人員はかけられないため、構成人数自体はそう多くない。伝令などは、新人が割り当てられることも多い仕事である。
しかし、だからと言って冷遇されているわけでも、精鋭がいないわけでもない。他の3つの部隊をまとめられる力を持つのが、この情報部隊なのだから。
3つ目は工作部隊。
戦場を作る、戦場を有利にする、行軍を楽にする、様々な役割を担う部隊のことを指し示す。
そのため、工作部隊と言っても、内部でさらに多岐に分類される。道の整備や壊れた武具の修理、テント設営、工場兵器を組み立てる部隊に、城壁を掘って落とす部隊などなど。
戦場によって必要な部隊は異なり、戦功を挙げられない部隊はもちろん、必要がなく出陣もしない部隊も出てくるが、行軍人数に対して、一定割合はいないと成り立たなくなる、必須の部隊でもある。
4つ目は補給部隊。
兵站を輸送し、行軍にかかる日数から、食料の分配を行ったり、医療や回復魔法による怪我人の治療、補給線の確保なども含まれる、縁の下の力持ちの役割を担う部隊のことを指し示す。
ほぼ必ずと言って良いほど、後方勤務であるため、戦功は挙げられず仕事も地味なため人気はなく、人数も最も少ない。有力貴族の子供が、初戦場をこの部隊で経験することが多いのも、不人気の理由かもしれない。
しかし、その割に1人1人にかかる責任は重く重大で、ここが失敗すれば、即座に軍が崩壊してしまうほど。
また、補給部隊も、他部隊と同様に、内部で様々な部隊に分かれる。
そしてその中で、兵站部隊という部隊がいる。
その名の通り兵站を輸送し管理する部隊だ。
行軍する人数が多ければ多いほど、かける日数が多ければ多いほど、この部隊の仕事は忙しく、重大なものになる。
軍の数が2万人3万人という数字になれば、食糧配給量を一度失敗してしまうだけでも、莫大な量の兵站がなくなってしまう。
飲まず食わずで戦場へ、などはとてもじゃないが無理な相談なのだから、絶対に失敗してはいけない。
さらに、この世界には魔物がいる。
人も食料がなければ生きていけないが、魔物も同じである。兵站部隊は、必ずと言って良いほど魔物に襲われる。
だから戦いとは無縁の後方でありながら、常に戦いに身を晒さなければいけない。兵站部隊はそんなところ。
補給部隊の中でも人気がないのが兵站部隊であるが、それも当然のことだろう。
ただ、戦いに常に晒されるとは言っても、賢い魔物や強い魔物に襲われることはほとんどない。
知恵ある魔物達は、いかに飢えていようとも、完全武装の軍隊が守る食料を奪おうとはしない。
それならば、森を歩き回り、他の食料を見つける方が簡単だ、と、当たり前のように知っているからである。
力ある魔物達は、死ぬ寸前くらいに飢えていなければ、完全武装の軍隊が守る食料を奪おうとはしない。
命を賭けずとも、森にいる他の生き物を倒せるからである。
だから襲ってくるのは、知恵もなく、力もない弱い、そんな魔物のみ。
食料があれば何も考えず突撃してしまい、食料を得るだけにも常に命を賭けなければいけない、弱い弱い魔物。
追い払うのも倒すのも簡単だ、ゆえに倒しても倒しても評価は得られない。
しかし、昼夜問わず何度も何度も襲いかかられるのは、面倒極まりなく、しかも一度足りとも食料を奪われてはいけない、それは部隊の死に直結する。
それに、警戒すべきは、そんな有象無象の魔物だけではない。戦っている敵とて、食料庫を狙いにやってくることもあろうだろう。
さらには情けない話だが、自軍に盗まれる可能性もある。
兵站部隊の人気がないのも、やはり当然と言えるかもしれない。
だが、その代わりと言ってはなんだが、兵站部隊には、必ず精鋭が配属される。
それは、初陣を迎える有力貴族の子供の、親に仕える歴戦の騎士であったり、最前線から一歩退いた、歴戦の兵士であったりだ。
彼等は強い。
彼等がいるからこそ、兵站は守られる。
味方の盗難から、敵の計略から、味方の不満から、魔物の襲撃から。だから兵站部隊は戦略的なミスや配給量のミスにさえ気をつければ任務を完遂できる。今までもずっとそうだった。
しかし、今回は違った。
今回だけは違った。
既に、斥候部隊などの先端が、10階層にまで進入している軍勢の、ここは最後尾。
兵站部隊がいる、2階層。
「お下がり下さいっ」
壮年の男が叫ぶ。
「な、なんだっ?」
それに対し、少年に近い男が驚きながら返す。
「敵襲ですっ、数は――1体」
その場で一際豪勢な鎧に身を包んだ、まだ少年に近い男は、顔に皺と傷を刻んだ壮年の男のその言葉を聞いて、守られるように後ろに入った。
身分は、少年に近い男の方が上である。
彼は、力ある貴族の子供であり、今日これが初陣でもあった。
安全で危険がないからとは言え、初の戦場、魔境の中であり、何が起こるか分からないと、緊張と集中を持ち、ここに望んだ。
彼の前に立つ壮年の男は、彼の父親の部下であり、彼の父親と長きに渡る盟友であった。
戦場を数え切れないほど乗り越えた歴戦の雄は、緊張しながらも油断せず望んでいる友の子供を、微笑ましく、そして何かを心に誓って、ここに望んだ。
「1体?」
少年に近い男は、壮年の男の後ろで武器を構えたものの、何が起こっているのかは、未だ把握できていない。
魔物の確認報告すらなかったこのダンジョンで、急な警鐘。しかし、その警鐘内容が、魔物1体が近づいてきたため。
意味が分からないと、そう思っていることだろう。
ただ、それでも従う辺り、父からの信頼厚い部下を信じているようだ。
いや、壮年の男が反論を許さない、油汗滲ませる必死な形相をしていたからかもしれない。
「1体です、ただ、この威圧感はっ――」
その時、空から、バサ、バサ、と翼が羽ばたく音が聞こえた。
広げれば、3mはあろうかと言う大きな翼は、羽ばたきの迫力とは計算の合わない推進力を生み出しつつ、彼等の上空で静止。
そして、無遠慮に彼等2人、そして400名からなる兵站輸送部隊の隊列の近くに、ストン、と着地した。
「んー良い匂いー」
さきほどまであった翼は一瞬にして消え失せ、降り立った張本人は、そんなのんきなことを言っている。
「は?」
「――っ」
現在、そこにいる400名の反応は、大きく分けて2つ。
片方は、少年に近い男がしているような、頭にクエスチョンマークをつけた反応。
物々しい警戒の中、やってきたのは1人の少女。それも飛びきり可愛らしく、そして喋った言葉が良い匂い、という一言。そんな反応をしてしまうのも、当然のことだ。
そしてもう片方の反応は、壮年の男がしているような、信じられない物を見た反応。
心の底が震えている、今すぐにでも心の衝動を叫びとして吐き出さなければ、震える心も体も動きだしてくれない。けれども、叫び声を一度でも出したなら、押しこめた恐怖の全てが止めようも無く溢れてしまう。そんなような反応。
それらの違いは、単純に、分からない者と分かる者の差だろうか。
そこにいる少女の強さが、分かる者と分からない者との差。
「いっぱいあるねー」
400名の内、分かる反応を示したのは、壮年の男を中心にわずか50名。なぜこんな低階層に、などと考える暇はない。50名は各々の武器を取り、隙を見せないまま、補助の魔法をそれぞれに使い始めた。
わずか50名、されど50名。
一目で敵の強さを見抜ける、50名の猛者だ。
50名の頭には、一つの可能性が思い浮かぶ。少女は、ダンジョンとは関係のない魔物かもしれないと。
ダンジョンには、種族の姿と異なる人型の魔物が出現することもある。しかし低階層に強い魔物が出現することは、絶対にない。
自分達が肌で感じる強さは、尋常でないものであった。
だからこそ、ダンジョンとは関係の無い魔物である証だ。
彼等は考えた。ただ単純に、食料の匂いに惹かれやってきただけな異形の魔物ではないのか、と。
ならば戦う理由はなく、武装し構えた自分達と争えば、自らも無事では済まないことは、当然分かるだろうから、立ち去るはずだ、と。
なぜなら知恵ある魔物達は、いかに飢えていようとも、完全武装の軍隊が守る食料を奪おうとはしない。森を歩き回り、他の食料を見つける方が簡単だ、と、当たり前のように知っているからである。
なぜなら力ある魔物達は、死ぬ寸前くらいに飢えていなければ、完全武装の軍隊が守る食料を奪おうとはしない。命を賭けずとも、森にいる他の生き物を倒せるからである。
しかし彼等は知らない。
そこに来たのは――。
「じゃあ、いっただきまーす」
底抜けの馬鹿で、死ぬ程腹ペコな、ダンジョンのネームドモンスター、ニルだ。
そのマヌケな一言と共に、爆発的に増したプレッシャー。
それは、ここまで強さを感じ取ることのできなかった、残る350名の兵站部隊の者達にも、ニルの実力と自分達の未来が、十二分に伝わるものだった。その表情は一瞬にして恐慌状態に移り代わり、内半分はパニックを起こしてしまった。
パニックは加速する。その瞬間、兵站輸送のための馬車の1つから魔力が溢れ、足元を黒い靄が覆う。まるで地面に描かれた黒い絵。
「防げーっ」
壮年の男が叫んだ。
魔力の流れを読み、何が起こるのか分かったのだろう。しかし彼の位置は遠かった、ほぼ同時に気付いた者達と、彼の声で気付いた者達が、馬車を守るために、一瞬にして防御を構築してみせる。
だが、バクン、と。
馬車は、瞬時に黒い靄に覆われ、その半分を、食べられた、という表現が最も似合う具合に、消失させた。
「ば、化け物めっ」
使われた技を解析できる高い能力を持っていた数名は、思わずそんな言葉を漏らした。あれは、異質で異形な技だと。
「あれ……少ない……。あ、半分しか食べれてない」
そんな風に驚く人達に対し、ニルは小首をかしげている。
可愛らしく愛らしく。
しかしその目はまさに異常。
「……邪魔、した?」
ニルは、まるで初めてそこにいる人々を発見したかのように、視線を合わせた。
「狙いは兵站だっ、無くなれば此度の遠征は失敗する。各員剣を取れっ」
「おおおおおーっ」
精神を高揚させる補助的な魔法の力により、戦える者達の士気は向上する。パニックに陥っていない者達の心も、戦闘へと傾く。
「坊ちゃまっ、申し訳ございません。今しばらくはお1人で耐えて下さいっ」
壮年の男は家宝にしている剣を構え、託された親友の息子にそう声をかけた。
「だ、大丈夫だ、私は大丈夫だ。こ、この部隊の指揮官は私だっ、皆の者、今こそ武功をたてる時、怯えている暇はないぞっ剣を取れ、戦うんだーっ」
すると、その親友の息子はそう声をあげた。
あの小さかった子供が、こんなに立派に。壮年の男はそう思ったのだろうか、一瞬驚いた後の表情は、この世への未練全てを捨てた、爽やかで、それでいて、強者の顔をしていた。
「邪魔、したんだ」
だが、そんなものは関係ない。
「邪魔、するんだ」
誰の思いも誰の気持ちも、誰の覚悟も関係ない。
「じゃあまとめて、皆食べちゃお」
ニルはただ、何もかもを食べ尽くすだけである。
「うおおおおおおーっ」
声を揃えて、強者の内の何名かが斬りかかる。
ニルはそれを、体をよじるだけという些細な動きでヒラリと躱すと、その中の1人に向かって手を突きだす。指を真直ぐにして、まるで突き入れるように。
「ゴパッ」
その手は、あたかも水を貫くかのような鮮やかさで、鉄の鎧と高いステータスに守られた体を、そして数十年間、必死に生きた命を貫いた。
全員の動きが一瞬止まる。
味方が殺されたせいではない、貫かれた味方が一瞬にして消えたからだ。
「んー、あんまり美味しくないなー」
一瞬止まった全員は、今度こそ凍りついた。
なぜかなんて、言わなくても分かる。
自分達を食べるという生き物、つまり食物連鎖で上に位置する天敵。それを目にすれば、生物は必ずそうなる。
同種を食べる存在に、嫌悪感を抱かないはずがない、同種を食べる存在に、恐怖を抱かないはずがない。
天敵を見つけた生物が取れる行動は、2つに1つ。逃げるか、怯えるかだ。
350名の内半分は幸せだった。
パニックになった彼等はもう、正常な判断力をしばらく有することがない。だから、目の前の恐怖に立ち向かう必要も、食われる恐怖に怯える必要もなかった。
しかし、350名の内もう半分は、パニックに耐え、魔法で精神を高揚させたため、そうはなれない。
正常な判断力を有しながら、それを見ていなければいけない、剣を握っていなければならない。
そして、50名の猛者は決してそうはならない。
だから正常な判断力を有しながら、立ち向かわなければいけない。
生物として、遺伝子に刻まれた最上の恐怖に。
「いっくよー」
ニルは、軽やかに2歩ほど前へ歩いた。別段それが早かったわけではない、しかし、それだけでニルは誰かの後ろにいた。
誰かの反応は後れる。
動きが速いわけではなかった。証拠に、経験が足りない者達の中には、反応できている者がいた。
理由は、ニルの固有能力にある。
ド天然。
予想し辛くなる、という、至極単純な効果を保有するその力は、あらゆる行動結果を予想させない。
いや、予想を外させる、と言った方が的確か。
戦いの際、知恵が多少なりともあるのなら、敵対者や味方の動きを予想しない者などいないだろう。
特に人は知恵に秀でた生物だ、戦いの中心に情報収集を行い、そこから導き出す予測は常にある。
増してやニルは人型だ。
自分達と似通った姿の、勝手知ったる相手ならば、それはより顕著になるだろう。曲がりなりにも、様々な局面を切り抜けてきた猛者達は、ニルの動きを予想したに違いない。
そのため、経験豊富であればあるほど、素早く反応し、対処した。
だからこそ今この瞬間、予想が全て外れたその瞬間、ニルに後ろに回られた誰かは、別な動きに対処していた。
それはもうどうしようもない、致命的な失敗である。
「ゴハッ、――ぼ、坊ちゃん、グフ、貴方は……生き……」
壮年の男は、自らの失敗を悔やむ間もなく、残る時間の全てを少年に近い男への言葉に使い、この世から消え失せた。
経験不足ゆえに反応できた少年に近い男は、死の間際まで自分を思ってくれたその人を、守ることができなかった。気付いていたのに、手を伸ばせば届いたのに。
「んー、そこそこかな?」
「く、くそおおおおーっ」
「ん? いただき――、あ、違うや、ダメなのだった、えいっ」
バチン、と乾いた音が響き、少年に近い男は昏倒する。
ニルはその少年に近い男を放ったまま、別の強者を強襲し始めた。
そして5000人が、1週間は食べていける兵站が積まれた14台の馬車全てを、その荷台ごと全て食いつくした。
「あ、そうだー自己紹介まだだったねー」
残ったのは378名の唖然とした男達。
「24階層守護者、大食い女王、ニルです。ごちそうさまでした、それじゃあ、これから先も気をつけて進んでね。あ、おかわり早くよろしくお願いしまーす」
どこまでも簡単に、どこまでもあっけらかんと、ニルはそこから去っていく。
引き止める者は誰もいない。
誰にもそんなことはできない。
「はっ――、ここは……、あ、あいつは? あいつはどこへ? ……、……、……、なんでだ、なんでだよ、うわあああああー」
残ったのは空になった食料庫と、喪失感だけだった。
「なんでだ、なんでだよ、うわあああー」
「うるさいですご主人様」
「だって、だってあそこは24階層じゃないじゃない。丁寧に24階層守護者、って自己紹介してたけど、あそこ2階層じゃないかっ」
『 名前:ニル
種別:ネームドモンスター
種族:ハイピュイア
性別:女
人間換算年齢:15
Lv:58
人間換算ステータスLv:233
職業:ダンジョンの残飯処理班
称号:大食い女王
固有能力:ド天然 ・予想し辛くなる。
:英知の道標 ・直感能力の上昇。
:神性 ・神威魔法使用可能、精神体変化可能。
:真実の魔眼 ・右、真実を見抜く。嘘をある程度見破る。
:暴食因果 ・暴食に交わる。
種族特性:食欲旺盛 ・何でも食べられ何でも栄養に変えられる。大量に食べることができ、満腹でも全力行動可能。
:ハイピュイアの翼 ・大空を自由に飛ぶことができる。
:ハイピュイアの足 ・どこにでも掴まれ、何でも掴める。
:空間制御 ・上下左右の空を支配し、支配領域内の空に住む住人の行動を制御する。
特殊技能:エネルギードレイン ・生命力と魔力を干渉するたびに吸収する。
:ニアスペース ・亜空間移動を行う。
:バニッシュフード ・食料を一瞬で消失させ、食す。
存在コスト:2700
再生P:18000P 』
強いよ、強いけど、だからこそお前が2階層に行ったらダメじゃないの。
「というか、2階層に行ってあれだけ強さ発揮できるのかい? Lv180越えてる人、倒してましたけどっ」
「あの場にいた者達は、いずれも最前線から引退した者や、引退間際であったりと衰えた者が多く、Lvよりも弱いことが多いのです。ニルもかなり弱体化しておりましたが、強襲から指揮官を倒し、個々に対処できれば、数刻は優位に立ち回れます」
なんだよ、なんだよそれは、うあああああーっ。
「あ。あるじ様見てたー? ぶい」
「……うん、ぶいだねえ」
……。
でも、もう大丈夫さ。
もうちゃんと待ってくれるさ。
ニルは兵站を襲撃する役目だったからね、低階層に出張することも、仕方ないと言えば仕方ない。
守るべき兵站をわざわざ相手が襲いやすい階層まで持ってくる馬鹿はいないだろうからね、ニルはもう出て行くもんだ、そう思おう。
その代わり、後の子達は絶対に行かない。
次に戦うキキョウだって、ちゃんと25階層まで待ってくれるはずさ。
キキョウは29階層ではゴブリンを強大な魔法から守る役割を持つ。しかし、25階層の階層守護者として、全体に一瞬で死ぬ恐怖を植え付ける役割も担う。
5000名の軍隊の内、実に7割以上が、戦場を生業としていない者達。
それゆえにその実態も知らず、知ってなお突き進む覚悟もない。
目の前に出てくる魔物を倒し、武功を挙げる、ということにしか目がいっていないわけだ。
だからこそキキョウの強力な魔法が、その目を覚まさせる。
そいつらは多分こう考えている、魔物なんて弱い、剣を合わせれば俺が勝つ。
全く持ってお馬鹿なやつらだ、そんなお馬鹿さん達が現実を、相手を目視することもなく一撃の元死んでしまう恐怖を味わったらどうなるのかな?
地球の世界史を読み解いても、戦争での死因のほとんどが矢か投石だ。
剣を打ち合わせるよりも打ち合わせる前に死ぬ方が多い、それが戦争の真実。どんな訓練も無駄に終わってしまう、それを教えてあげるというわけです。
それで逃げ出してくれれば儲けものである。
とは言っても、今は恐怖を覚えさせるだけで十分。最終的に逃げ出してもらったりするわけだが、それはもっと効率的なタイミングでやって欲しいからね。
今後の作戦の成功度合いに関わる、重要な任務。まさか、25階層以外で行うことはないだろう。
「分かるかね、キキョウ。普段やる気を見せない君だが、しっかりやってくれると信じている、頼むぞっ」
俺はあくびするキキョウに言う。
「仕方ないのう」
するとまさかの事態が。
俺が言ったことを分かってくれる、というまさかの事態が起こった。
「そ、そうか、頼むぞっありがとう」
動揺する俺っ。頼むぞってさっきも言ったのにまた言っちゃったし、言うことを仕方なしで聞いてくれただけなのに、お礼まで言っちゃった。けど、嬉しい。
「ならば明日の戦いに備えて今日はもう眠るとしよう、文句はあるまいな」
「ないよないよ、備えてくれるなんて本当にありがとうございます」
俺は布団に入って行くキキョウを、笑顔で見送る。
いつの間にか下手に出ることが、デフォルトの行動になってしまった悲しきダンジョンマスターの俺。
しかし今日、ついにまともに命令を下すことに成功した。こんなに嬉しいことはない、ダンジョンマスターになってから84日目、俺は初めて自分がダンジョンマスターになれたんだと自覚する。
今からこんな感極まってたんじゃあ、明日の戦いを見ていたら、涙で前が見えなくなるかもなあ、はっはっは――あれ?
「明日?」
キキョウ、さっきなんて言ったっけ?
「キキョウさんやキキョウさんや、先ほど明日の戦いに備えてと仰いました?」
現在ダンジョンに侵入してきている軍勢は、斥候部隊を除くと8階層が先頭集団。
兵站がやられたことで進軍が止まった形で、今日はこれ以上入って来ない様子。
明日からはまた進軍が始まるのだろうが、今回の急襲があった事実と、兵站の喪失で一気に進んでくることはない。
おそらくハッキリと進軍するのは、新たな兵站が届いてからなんじゃないかな?
つまり明日もそう動いていない。15階層くらいまで来ることはあったとしても、いきなり25階層のキキョウが待つ階層まで来ることはない。
だから明日戦うとしたら……。
「うるさいのう……」
ゆっさゆっさと肩を持って揺すると、キキョウは不機嫌そうに俺を見る。
「キキョウさん、キキョウさん、明日戦うって、あれですよ? 軍は多分25階層まで来ないですよ? 明日戦う必要はないと思いますよ」
「いやじゃ」
「いやじゃっ?」
「揺らすのならもっと優しく、ゆっくり揺らすが良い。うむ、その加減じゃ、中々心地よいのう。……ふむぅ、礼に明日は張りきってやろう……、くぅ……くぅ……」
……。
……。
……。
ダンジョンマスターになってから84日目、俺はまだ一度もダンジョンマスターになれていないんだと自覚する。
今からこんな落ち込んでたんじゃ、明日の戦いを見ていたら、涙で前が見えなくなるかもなあ、はっはっは――うわあああん。
御愛読ありがとうございます。
戦争編、好みに合わず退屈に思う方もおられるかと思いますが、お付き合い頂けると嬉しいです。
今日はもう少しだけ投稿いたします、よろしくお願いします。
また感想や評価などもお待ちしております。
評価ブクマして下さった方、ありがとうございます。頑張ります。




