第134話 天城ダンジョン遺跡迷路第44階層城砦都市、通称、ニル食番街。
悪逆非道のダンジョンマスター心得その23
調和の志を忘れずに。それ以外に生きる意味も道もない。なら今の俺はなんなんだろう。誰か……教えてくれ……。
『今から3年と少し前。
魔境には上級風竜が住み付いていた。
ロキュース王国の豊富な資源であった魔境の環境は大きく狂い、王国は経済に著しい悪影響を受けてしまう。ゆえに、ロキュース王国は国の存亡と威信をかけ、上級風竜の討伐に乗り出した。
英雄になるための試練を受ける軍隊の総数は2万。
錚々たる猛将が並ぶその軍隊に人々は勝利を、否、国の未来を託し、彼等は最後、魔境にほど近い町、フォーティール城砦都市にて見送られ、出陣した。
戦いは激しく、レベル200を越える超越者と呼ばれる者達ですら多くが倒れ、最後にはレベル250を越えるに至った剣聖、ラルベール氏ですら命を失った。
しかし、王国軍は見事勝利を手にした。
天災と呼ばれ、人の身で勝つことなどできないと言い伝えられ、勝てば栄誉を手にする上級竜に対し、彼等は見事、勝利を手にしたのである。
その瞬間の歓声は、凄まじかったに違いない。
だが、そんな時だ。
天城ダンジョン、かつて魔境ダンジョンと呼ばれた、あのダンジョンが誕生したのは。
天城ダンジョンはまず、2万の軍隊の1割を越える3000人の尊い英雄達を、そして彼等が散った意味ですらある上級風竜の死体を、無慈悲に奪い去った。
残酷にして残虐。あまりにも非道な行い。
上級風竜が倒されたことを肌で感じ取ったフォーティール城砦都市の住人は、その後凱旋した英雄達を歓喜によって迎え入れたが、しかしそれに応えてくれる者はどこにもいなかった。誰もが総じて死人のような、そして鬼のような形相をしていたのだ。
無情な宣戦布告を行った天城ダンジョンに対し、ロキュース王国は3ヶ月後、5000からなる軍勢を送り込んだ。
しかし天城ダンジョンはあっけなくこれを撃退。
ロキュース王国の最高戦力であった勇者すらはねのけ、それどころか傘下に収めてしまったのである。
そして翌日、天城ダンジョンと呼ばれる所以となった、空に浮かび上がる城が現れた。
ダンジョンは人を、魔物を、命を食って深くなる。
その通りに、天城ダンジョンは深くなり、その最終階層が空に浮かんだわけである。
ダンジョンは、建造物やアイテムを自在に作りだせるが、規模の成長による方向性、指向性を操ることはできないと、近年の研究成果が結論付けている。したがって、成長させても良いダンジョンと、決して成長させてはいけないダンジョンが、この世の中には存在する。
天城ダンジョンは、後者と認定された。
ロキュース王国は魔境ダンジョンという呼称を、天城ダンジョンと改め、SS級危険指定ダンジョンとして冒険者の侵入を禁止。ロキュース王国の総力をあげた大軍により、滅ぼすことを決定した。
しかし間の悪いことに、上級風竜や天城ダンジョンとの度重なる戦いによって、戦力が著しく低下していたロキュース王国に対し、グラファローザ魔王国が宣戦を布告。ダンジョンは侵入しない限り、大した危険にはなり得ないが、魔族は違う。
ロキュース王国は天城ダンジョンとの講和を決定した。
非公式の話であり真偽のほどは定かではないが、王が顔面を殴打された、国庫の食料が強奪された、そういった事件もあった。にも関らず講和という決断を下すことは、まさに業腹であったに違いない。しかしロキュース王国は断腸の思いで、誇りよりも民を思って、講和に臨んだのだ。
だがその結末は誰もがご存知の通り。使者として赴いたイツガール侯爵家当主とエデロード侯爵家当主を含む15名の死という形で、王国に届くこととなった。
ロキュース王国は、戦争を決断する。
また同時期に、テストリャ帝国も同様に、天城ダンジョンへ使者を送っていた。
グラファローザ魔王国に、テストリャ帝国も宣戦布告を受けていたために、その協力要請を願って。
交渉には、テストリャ帝国における最高戦力であり、単騎で上級竜を倒すと謳われる、クロード・エヴァン閣下が赴く。それほど、帝国は天城ダンジョンとの交渉を重視していた。
なぜなら魔王国に帝国と王国が敗北すれば、この大陸は魔族に支配されてしまう。
魔族による人間種族への恨みは根深い。大陸を支配したならば、人間を根絶やしにするに違いない。それゆえに、その交渉は真剣な思いで行われたのだ。
ただ結果は、クロード・エヴァン閣下の死亡で終わりを告げた。
そして最後に交渉に赴いた、グラファローザ魔王国からの使者、魔王国幹部第三席(個人名は不明)すらもが殺害された。
それぞれの遺体すらもが、国には帰って来なかった。
交渉の場で、何が起こったのか、王国にも帝国にも魔王国にも分かりようはない。
しかし、交渉の場においての死亡、それが意味するところはたった一つである。
天城ダンジョンは徹頭徹尾、全ての敵だった。
天城ダンジョンは三国との敵対を望み、ロキュース王国とテストリャ帝国は望み通り、対天空ダンジョンロキューステストリャ戦線を組み、10万人もの大軍を用意。
天城ダンジョンの登場からおよそ2年の月日が経った頃、勇者や英雄、転生者や転移者を多数内包した最強の軍隊は、進軍を開始した。
また同時期に、グラファローザ魔王国も攻め入る手筈であり、さらには多数のダンジョンが、天城ダンジョンに対し攻撃を仕掛けた。ダンジョンはダンジョン同士での戦争も頻繁に行われるのだが、天城ダンジョンが脅威とみなされた結果だった。
誰しもが、勝利を、天城ダンジョンの敗北を信じた。
しかし、そのいずれも敗北。
いくつものダンジョンが消失し、グラファローザ魔王国は魔王やそれに準ずる幹部が軒並み戦死。ロキュース王国とテストリャ帝国も高Lvの者や国力に直結する勇者や英雄、転生者や転移者が軒並み戦死した。
特に王国帝国の主戦部隊として天空の城へ登った部隊は壊滅的で、まさに神の居城を荒らしたかの如く。生き残ったのはたった1名のみであった。
この幸運な者、ある意味では不運な者についての証言は、『天城ダンジョン戦記、第三集~天空の城、魔女と呼ばれたたった1人の生還者~』にて別記する。
結果、王国、帝国、魔王国は、三国ともその戦力を低下させ、国の中枢が揺らぐ事態が発生。
民衆は蜂起し、国家に対して保障と保護を求め、また一部の者達は王家の討伐を掲げ、反乱を起こしている。混沌の中で建て直しを図る各国だったが、隣国からの侵攻などもあり、現在は最早国家として立ち行かない事態に陥っていると見られている。
そしてもちろん、それだけの命を奪った天城ダンジョンはさらに深くなり、3ヵ月後、現在の150階層の形となった。
その際には、ロキュース王国の北端、魔境の入り口でありその恩恵を授かるための拠点であったフォーティール城砦都市を飲み込み、さらにそこから30km以上も国境が後退し、およそ24の村や町が飲み込まれた。
帝国、魔王国も、王国ほどではないが多くの町や村が飲み込まれている。
しかし驚くべきことに、ダンジョンとは通常、町などを無断で飲み込むものであるが、天城ダンジョンに関しては事前の交渉が行われており、国家としての取り扱いを求めたり、そのまま居住する者に対しては国民として、そうでない者に対しても戦争捕虜としての扱いを行ったりといった光景が見られた。
そして6月18日現在、ダンジョンは冒険者に対し開放され、A級からG級まで163組の冒険者が活動する活気溢れたダンジョンとなっている。
これが、天城ダンジョンの歴史。
たった3年の間におびただしいほどの事件を起こし、現在はSSS級への引き上げが検討されている異常なほどの強さを誇る天城ダンジョン。
もたらすものは、終わりの絶望か。
それとも、ここから何かが始まるという希望か。
それを筆者は、かつてフォーティール城砦都市と呼ばれた、天城ダンジョン遺跡迷路44階層城砦都市、通称ニル食番街にて見届けようと思う。
しかしそれにしても、新たに領主として君臨したホウキ様は、あまりに美しすぎはしないだろうか。男性は虜に、女性も虜に、偏屈なお爺ちゃんとお婆ちゃんも政策に反対しているのを見たことがない。
12歳と成人にはまだあと2年もあるが、既に成熟した女性と言えよう落ち着いた口調に体と顔つき。一体なぜあそこまでお美しいのか。
その美しさの理由は、『天城ダンジョン都市別刊第3号~美し過ぎる町長、ホウキ様の秘密~』にて記載する。尚、本刊は現在第8号まで発売しており、創刊号から購入するとなんと2割引とお買い得になっている。是非お求めあれ。
著者、マゼラン・バース』
「……なんか、うちの雑誌が発売されてるって聞いたから買ってきて貰ったけど……。やっぱりさあ、悪行が酷かったんだねえ……」
序盤からもうフルスロットルよ。
涙なくしては語れない。胃痛なくしては語れない。ヒドイっ。
「しかし、そんなヒドイことをしてきたダンジョンに住むことになって、住民感情は果たして本当に大丈夫なんだろうか」
俺はふと思った。
軍が負けた時くらいから、あの町の人口流出はひどいものだった。町がダンジョンの占領下、属することが決まった頃からそれはさらに加速。みるみる内に町としての機能を失い、ゴーストタウンと化した。
残った住民は元々の5%以下。こちらが食料の援助などをしなければ、本物のゴーストタウンになっていたに違いない。
「だからまあ、そういうこともしたし、そもそもそれでも残ってくれてたってことで、わだかまりはないかなーって思ってたけど、……ないわけはないよな」
このダンジョンへの恨みつらみで残っている人もいそうだし、大体の人が反感を持っていそうな気がする。
「……」
……。
「……」
……。
凄く心配になってきた。
「……でも、そんな心配事よりも、俺には一つ言いたいことがある」
ダンジョンの名前が天城ダンジョンって名前に変わってたなんてことは別に良いんだ。
遺跡迷路って名前で呼ばれるよりも、大迷宮って呼ばれることの方が多いことも別に良いんだ。
「どうして44階層の町の名前が、通称ニル食番街になっているんだ……」
一体何をしたんだ。いや、何をするつもりなんだ。
あの町に何を求めるつもりなんだ。
あそこの食料自給率は今3%よっ。貴女が行ったら、食糧事情がどれだけ……。いや、もう行ったのか……?
「……」
……。
「……」
……。
恨まれてないだろうか。凄く心配になってきたっ。
「天城ダンジョンかー」
少女は机に座ったまま、開け放たれた3階の窓から見える天空の城を見て、ポツリと呟いた。
それは、自らが住んでいた町を占領し、自らが属する新たな国家となった、ダンジョンの名前であった。
『3/27 きょう、へいたいさんが、ぐおおおおーっていつもこわいわるいやつを、たいぢしにいってくれた。あしたからぐおおおーがなくなってこわくなくなるよ。ララはへいたいさんにがんばれーっておうえんしたら、おかあさんにきしさまっていうのっておこられた』
机の上に置かれていたのは、少女が幼い頃からつけていた日記帳。
それが、入ってきた風によってパラパラとめくれていく。
『4/3 おかあさんがないてた。ぐおおおおーはララがやっつけるよっておかあさんにいったら、おかあさんはよろこんでたよ。ララはぼうけんしゃさんになる。でもぼうけんしゃさんは、おかあさんのおりょうりをうまいうまい、うまいっていうとおかあさんにおこられる、おいしいおいしいってたべるから、おかあさんになりたい』
筆不精だったのか、最初の数枚は日付が一日刻みだったが、急に飛ぶこともあった。
4月4日5日6日と続いた次は、いきなり9月に入っていた。
『9/1 ゆうしゃさまがすごくきれいだったよ。おうつくしいをおぼえた。ちょっとしかみえなかったけど、あんなにきれいでびっくりしたよ。きらいなものはなんだろう。ぴーまんだったらいいな。お母さんもよろこんでた。よるにお父さんもお母さんといっしょによろこんでてベッドのおへやですごーいっていってた。でもララがかいだんおりてったらいわなくなるからふしぎ』
思い出したように、9月1日の次からは、しばらく毎日の更新が続く。
『9/2 おそらにへんなのがあった。とりさんかなってお母さんにいったらお母さんはおそとに出てって、そのあとないちゃった。ララがかなしいことしちゃったのかな、お母さんはおこってくれない。おこってくれなくてララもないちゃった。でもお母さんちがうよ。ララはあのおそらの、すっごくおうつくしいとおもってるよ』
『9/3 きしさまがかえってきた。みんなげんきがなくてかわいそうだったよ。きしさま。騎土様ってかく。騎土様騎士様騎土様』
『9/4 ルッルちゃんとあそんでたらおこられたよ。こんなときくらいしずかにってしらないおじいちゃんに。こんなときってどんなとき? かなしい』
『9/5 ララはもうこどもじゃない。おとな。かくさなくてもいいよ、わるいやつがまたでてきたんだよ。お母さんにきいてもちがうっていうけど、ぜったいそう。こどもじゃないからかくさなくていいよ』
『9/6 ルッルちゃんちにおとまりした。ルッルちゃんにおとなだからよるに、ララのお母さんとお父さんたちみたいに、すごーい、とか、あーん、とかっていおうねっていったら、ルッルちゃんははなぢだしてた。おんなの子だしできないよ、っていわれた。できるっていったら、できなくはないけど、こころのじゅんびが、って。ルッルちゃんはおとなをなんだとおもってるのかな』
日記はしかしその日の次から、またもや日付が激しく移り変わる。
そしてまためくれば日付はまたしても飛んでおり、しばらくは月に1度の更新という、散発的なものだった。
『3/19 今日もお友だちがおひっこし。かなしいなあ』
『4/10 空のおしろは、なんだかすごくばくはつしてる気がするよ。ルッルちゃんもそうおもうっていってた』
『5/29 お母さんのおきゃくさんがこなくなっちゃったよ。こんなにおいしいからみんなきてってよびこみしたら、お母さんはもういいのって』
『7/3 まちをでてとおいところでくらすんだってお父さんがララにいった。いやだけど、ルッルちゃんとはなれるのなんていやだけどお父さんたちがすごくかなしいかおしてたのもしってるから、おひっこしすることになった。ララはおとなだから』
日記がどんどんめくれていることに気づいて、少女は小さな手でその端を押さえた。そして閉じようとするが、そこに書かれている拙い文字に思わず笑う。
「字、汚っ。へちゃくそだなー」
少女は、今度は自らの手でページをめくっていった。
『9/24 おひっこししなくてもよくなったー、やったー。ララはおわかれかいでもないたりしなかったけど、ルッルちゃんはないてた、お父さんがおひっこしなんてしない、だって。よくわかんないけどやったー。お父さん大すき』
『10/30 ルッルちゃんちにおとまり。だけどルッルちゃんはへやのすみでじーっとして、はなしかけても、まだこころのじゅんびが、っていうだけでつまんなかった。子どもみたいないじわるはきらい。だからおとなになろうよっていってみたら、ルッルちゃんははなぢだしてた』
『12/7 かいだんをそろっとおりてみた。大人のはなしあいは、はだかでする? おかしい。なにかうらがあるとララはこのときおもったのであった』
「うへへへ」
少女はなにやらニヤニヤしながらページをめくる。
『1/8 かいだんをそろっとおりてみたら、お母さんがいた。なにしてるのっておしり叩かれた。いたい。次こそはしょうこをつかんでやる』
『2/2 なんだか町に、たくさんき士さまがやってきてる。あのお空にうかぶおしろのダンジョンをたおしにいくんだって。お母さんとお父さんはすごくよろこんでた。でも、だれにも言えないけど、ララはあのダンジョンはおうつくしいとおもうよ。見てるだけで心があったかい』
『3/1 騎士様がダンジョンたおしにいっちゃった。止めたかったけど、でも、なんだか大じょうぶかなっておもっちゃって』
『4/2 やっぱり大じょうぶだった。ララのよげんはよく当たる。でも騎士様はかわいそう。お友だちがたくさんしんじゃったって。ララはルッルちゃんがしんじゃったらぜったいないちゃう。すごいないちゃう。ないちゃった……気がする』
『5/15 今日もいっぱいおひっこし。だから一しょうけんめいお母さんをお手つだい。おきゃくさんがきますように』
『6/27 かぜです、つらい。することない』
『8/1 今日はララとルッルちゃんのたんじょう日。もう8さい。だからうわーいってなってたら、ダンジョンがすっごく大きくなった。すんでる町も、全ぶダンジョン。ビックリした。でもちょっとうれしくて、なんだかなつかしいかも。でもお父さんとかお母さんとか、みんなはどうしようってなってた。町から出るよって言ってる人もいて、ララもそうなのかもしれなくてすごくふあん』
『8/2 こうみんかんでお父さんとかお母さんだけがあつまっていろんなことをおはなししてた。ララも大人なのにズルイって思ったから、ルッルちゃんといっしょにせんにゅうした。そしたらみんなでおひっこしのおはなしをしてた』
『8/3 なんだろう。わかんない。でも、なんだか右の目だけ色がちがったりする。今はふつうだけど、なんだろう。今日は早くねるよ。夜おそくにねむれなくなって目がさめたら、お母さんたちがはなしあいをしてる声が聞こえた。またおひっこしするはなしあいかもしれない。だからララはかいだんを下りる。これではなしあいはなくなるからふしぎ』
『8/4 またいっぱいおひっこししちゃう。一か月かけてばしゃでじゅんばんこにさよならするよ。ララもルッルちゃんもおひっこし。おひっこしする町はお父さんのむかしのとこ。でもララはしらない。ルッルちゃんもいない。おひっこししたくないよ。ルッルちゃんとはなれたくない。このダンジョンからもわかんないけどはなれたくない』
『8/13 お母さんが、かぜひいた。つらそう。おひっこしは25日までしないんだって』
『8/24 弟ができるよー。わーい』
『8/25 おひっこしもしないってー。わーい。ばしゃはおなかの赤ちゃんにだめだから、お父さんはここでがんばるよって言ってた。うれしい。でもルッルちゃんとはおわかれ』
『8/26 やったー。あばれてやりました。ルッルちゃんと2人で。さいきんパワーがあふれてくるからすごかったなー。それでそしたらルッルちゃんもおひっこししないことになった。お友だちはルッルちゃんだけになっちゃったけど、すっごくうれしい』
それからも少女はページをどんどんめくっていく。
日記には、それからの様々なことが書かれていた。
町からたくさんの人が出て行ってしまったこと。住んでいる人がほとんどいなくなってしまったこと。母親は大きいお腹で食堂を再オープンさせたが、お客はほとんど来ないこと。父親が木こりの仕事にせいをだしてなんとか暮らしていけること。でもいつ魔物に襲われるかも分からない仕事で、母親はいつも不安がっていること。
町の周辺に生えている木々はどれも質が高いもので、父親の収入は3倍になったこと。魔物に攻撃しない限りは向こうからも攻撃してこないので、魔境に通っていた頃より安全になったこと。ダンジョンが冒険者に解放されること。冒険者がいっぱい来るから食堂にまたお客が来るかもしれないこと。
町長がやって来たこと。凄く綺麗だったが、なぜか覚えがあるような気がしたこと。食料を確保できない人達のために、毎日焚きだしが行われていること。カレーが美味しかったこと。母親の食堂のメニューにカレーが追加されたこと。町長がなぜか自分と友人の2人に訓練の厳しさの愚痴を言ってくること。
学校ができること。12歳以下の子供はみんな学校に行かなければならないこと。なんにでもなれること。みんな笑っていること。
そしてダンジョンがオープンして、冒険者だけでなくたくさんの人がやってきて、また賑やかな町になったこと。
弟が生まれてお姉ちゃんになったこと。母親の食堂はいつも満員御礼で、特にカレーが大人気なこと。自分が食べる分が残らないので、それだけが残念ということ。
日記はそんな文章を最後に次のページからは空白になっていた。しかしそれは筆不精だからではない、そこから先は、未来を描くページだったからだ。
「あはは。――あ、そうだっ。今日の給食ってカレーの日だっ」
少女は言う。
「ララちゃーん、迎えに来たよー、起きてるー?」
「あ、ルッルちゃん、今行くよーっ」
少女は開いた窓の外から聞こえた声に、すぐさま体ごと乗り出し応えると、勢いよく部屋を出て階段を下りて行く。料理の仕込みをする母に見送られ、少女は玄関から飛び出した。
「おっはよー、ルッルちゃん。今日も元気良いねー」
「なにそれ。でも元気だよー。ララちゃんは?」
そこにいたのは、少女にとっては古くからの旧友。親友と呼べる、歳格好が同じくらいの少女。
2人は今日もたくさんの言葉を交わしながら学校へ向かう。
「元気いっぱいだよっ。だって今日の給食はカレーだもんっ」
「あはははー、ララちゃんそればっかりっ」
今日の給食のこと。今日の授業のこと。好きな先生のこと。給食喪失事件の時に見かけた美人2人組のこと。
「そうそう、今日お家出る前、日記見てて、なつかしかったー」
「日記? あー、書いてたねー。すっごいたまにだけど」
過去の思い出のこと。昔のこと。最近片方の目の色が違うこと。妙にパワーが出ること。ノーマルモンスターが言うことを聞くこと。父親と母親が、夜再び話し合いを始めたこと。
「全く大人はねー。ララだってもう子供じゃないんだから混ぜてくれたって良いのに」
「い、いや混ざるっていうのはちょ、ちょっと違うんじゃないかな? う、うん、そうだよ、きっとそうっ」
「それはルッルちゃんが子供だからだよー。ララは大人だから。ルッルちゃんも早く大人になろうよ、いつまでも子供のまんまじゃいられないんだよ? ララと一緒じゃ嫌?」
「ち、違うのララちゃんっ。別にララちゃんが嫌ってわけじゃないのっ。で、でもほら、やっぱり女の子同士だからっ、女の子同士っていうのは、ほら、色々とっ、そのっ、世間の目がっ」
「? なに言ってるのかよく分かんない。心の準備だっけ? 早くね」
「こ、心の準備を、そ、そ、そ、――ぶぅっ」
少女達は学校へ行き、授業を受け、家に帰り宿題をして、実家家業の手伝いをする。そんな毎日、平和で幸せな今日を過ごした。少女はその日の夜も机に向かってペンを取る。
『7/10 ルッルちゃんが鼻血出してた』
「どうやら、これからを担う子供達に悪感情はないようだ」
俺はホッと胸を撫で下ろす。
「ダンジョンができる以前から現在まで住んでいる、数少ない家族の内一つを覗いてみたが、あれなら他の家もおおむねそんな感じだろう。良かった良かった」
ダンジョン内を自在に見られる機能をオフにして、玉座に深く背を預けた。いやあ、背もたれがこんなに心地良いものだったなんて。
「気になる点もあったような気がするけど、なんだったっけなー、ホッとしたら忘れちゃった。ともあれ良かった。一先ず良かったよ」
恨みというのは時にとてつもないエネルギーになるが、やはり拠点に住むただの住人にまで恨まれるなんて事態は、歓迎できない。
「なんだか悩みが解消したというか、つっかえていたものがなくなったというか。……なあ、みんな? みんなもそう思うだろ?」
俺はどこか清々しい声で、玉座にいるメンバーに言う。
「だからよー、44階層はもっとデカイ町にした方が良いってー」
「ですがまだ工夫などの人員が足りません。あそこのことはあそこのことで住人にやらせると決めたではありませんか。公共事業のための税金は貸付という形で構いませんが」
「……人員増加、先月対比……2014%……。……空き家率……、……97%から、……62%」
「落ち着きつつあるとは言うが、いずれは溢れるだろうな。それに……」
「うむ。まだ大きな爆弾もあるからの」
「踏破の腕輪とかが出たら、すっごいいっぱい人が来るよねー」
「そうだな。今まで以上の大移動だろう。なんせ死なずに冒険者家業ができるんだからな。あとどのくらいの予定だ?」
「うーん、神託じゃなくて夢で語る程度だけど、一応行動を始めてくれた子がいるみたい。多分来月頃には見つけてくれるかな?」
「なんだか悩みが解消したというか、つっかえていたものがなくなったというか。……なあ、みんな? みんなもそう思うだろ?」
「ほらっ。見つかったら多分溢れるぜ? なんてったってマリアンヌのとこでもらい放題なんだからよ。だからもう拡張しちまった方が良いってー。そのためにあそこら辺の地上と地下になんも作ってないんだからよ」
「元々魔境と接していた都市ですから宿泊施設は現在も多くあります。また各所に点在する町や村もありますし、急場はしのげるはずです。溢れるのは、そういった冒険者を目当てに開業する者達が来てからですよ」
「……軍備施設……もう無駄。……だからここも宿泊可……。……その分……いける」
「広げるよりも上に伸ばす方が先決とも言える。外壁が10m以上あるのだから、町の中心部にはある程度の高さのマンションを作っても問題ないだろう。限界はあるから早目に手は打つべきだがな。しかしなんという名目で行うかも問題になる」
「恵まれ過ぎた状態では、成長はせん。良い土壌とは適度に、そして時には極度に飢えさせて作るものじゃからの」
「町の人はお腹空かないねー、学校の給食すっごい美味しいからねー」
「ああ。あれは美味かったなあ。美味過ぎた。美味過ぎるのが悪いな」
「早く来て欲しいわー。冒険者には踏破の腕輪、住人には踏破の指輪、これでもっと活気溢れるものね。というかわたしもボスやりたいわ。11階層の奥に隠し部屋作って、そこから隠しダンジョンに繋がるようにしちゃおっかな」
「……。……なあ、みんな? みんなもそう思……、あれ、俺なに考えてたんだっけ?」
あまりにもシカトされるから忘れちゃった。
衝撃発言も飛び出すし。貴女は信仰される神様なんだから敵になっちゃいかんよ。
しかし……、なんだこの熱い議論は。戦争の時にも聞き覚えがないぞ。ネームドモンスターがダンジョンの未来を考えてくれているというのは、とても嬉しいことだが、ちょっと複雑だ。
それに聞き捨てならないことが聞こえた気もする。踏破の腕輪とか踏破の指輪とか。
あれは悪い事をしたダンジョンが、神から下される罰そのもの。
侵入者の手になるべく渡らないような対策こそ必要だが、今話し合ってたことってそういう対策じゃなかったような……。もしかしてこの子達踏破系アイテムを……。
「あのー」
「気のせいだぜ」
「気のせいですね」
「……気のせい」
「なんだ、気のせいか。……いやでも絶対言って――」
「それよりも主様、他人の日記を覗くとは、罪深いことかと」
「うむ。女の秘密を暴こうとは言語道断じゃ」
「セクハラだよー」
「――たよ……。き、気のせいかな? なんだか、セクハラとかって聞こえたような……。うん、気のせいだな。よーしみんな、おやつの時間にしようか。他のみんなには内緒だぞ」
「気のせいじゃないぞ」
「気のせいじゃないわ。罰として1500P。2人分で3000Pね」
「……」
44階層の町に住むダンジョンの住人達は、どうやらダンジョンマスターに対して悪感情を持っていないようだ。戦争などで色々不安を与えてはいたが、様々な恩恵をもたらしたおかげか、大きく改善され、むしろ好感を持ってくれている。
きっとこの町で育った子供が、10年後20年後ダンジョン攻略の主力となり、我が血肉となり、子々孫々が100年後200年後もダンジョンを盛り上げていってくれるのだろう。どんどん変わっていくダンジョンの未来が、今からとても楽しみだ。
でも、なんでかな。
このダンジョンに元々住んでいた住人、いや家主達は……変わらない。財政がピンチでも、戦争があっても、部下ができても、侵入者がたくさんきても、ダンジョンの未来が変わらない。
今からとても……。
いや昔からとても……。
「胃がい――」
「楽しいだろ」
「楽しいですよね」
「……楽しい」
「楽しいかと」
「楽しいじゃろ」
「楽しいよー」
「楽しいと言えっ」
「楽しいわよね? ね? ね? ね?」
「……。楽しい……ですぅ……」
愛するネームドモンスター達は今日も暴走機関車のように駆け抜ける。願わくばその先が……その先が……、今日みたいな日でありますように……。
お読み頂きありがとうございます。
またブックマークや評価、感想ありがとうございます。
誤字脱字のご指摘も毎度助かっております。前回の話は、直前で大きく変えたために、非常に見落としが多かったですが、今回は少ないかと思います。お手数おかけしないよう、頑張ります。
なお、今回も文字数は多いですが、ひらがなが多いだけなので、実は大したことはありません。すみません。次回はちゃんと短いかちゃんと長いか、どちらかに致します。
話は変わっていきますが、面白くなるよう書きますので、どうかお暇な時にでもお読み頂ければ嬉しいです。
ありがとうございました。