第132話 ダンジョンオープン。
悪逆非道ダンジョンマスター心得その21
神様の言うことは、よく聞きましょう。ただし神様がいかれている場合は、その限りではない。
ズズズとお茶をすする。なんとまあ心の落ち着くことか。
幸せの一息。今の時間に名前を付けるとしたら、まさにそんな言葉が似合うのだろう。
しかし……。えてして幸せというものは、突然の理不尽に踏み砕かれてしまうものだ。俺はそれを、よく知っていた。そう例えば、今この瞬間にも――。
「なーんて。冗談冗談」
俺はからからとお気楽に笑い、再びズズズとお茶をすすった。
「もうこのダンジョンができてから、3年が経った。これが4度目の春だよ。ダンジョンとしてはまだまだ若い部類だが、以前に比べれば随分と落ち着いた」
色んなことがあったなあ、と、思い出が駆け巡る。中には涙なくしては語れないものとてあった。
けれども……。
「幸せが突如崩れてしまうなんてことは、最早遠い過去の話」
今となっては、もう良い思い出になっている。
「当時あれだけ暴れていた彼女達も、新たな部下が大勢できたことでネームドモンスターとしての自覚、ダンジョンマスターの相棒でありダンジョンの要である責任感と誇りを持ってくれた。もう何も心配することはない。だからこれで、ようやく今日。このダンジョンも、一般にオープンすることができるんだ」
俺は空になった湯飲みを机の上に置く。
ふと視線を横に向けると、窓の向こうに澄み切った青空が見えた。
一般にオープンとはすなわち、少数パーティーの侵入者を受け入れ、彼等を倒すことによってPを得るという普通のダンジョンの稼ぎ方をする、ということ。
三期組を生成した去年の夏、俺はすぐにでもオープンしたかったのだが、Lv上げをするまで待てと言われてしまったので、この春ようやく、ようやくだ。
ネームドモンスターのLv上げは侵入者を倒して少しずつやるものではないのかい? 当時の俺はそんな疑問を投げかけてみたが、負けるかもしれないから嫌だ、と断られてしまっていたからね。まあ、今となってはそれも良い思い出さ。
Lv上げのために作った隔離迷宮も、すぐにはそんなに強くならないので、ダンジョン外へとみんな飛び立って行ってしまっていたが、まあ、今となってはそれも良い思い出さ。
本当に、良い思い出だけが、頭の中を巡っていく。
それは一体どれほど幸せなことなのだろう。
「なあ? オルテ」
俺は懐から飴を取り出しながら、同じ部屋にいるオルテにそう声をかけた。
「……カラミティ――」
しかしいつもの返答はなく、オルテはなぜだか違う方を向いて弓を引き絞る。
矢がつがえられていないにも関らず、ギリギリと。そこには満身の力と、そして殺意が込められている。
だからか俺には弓につがえられた矢が見えた。存在しないというのに、その存在を色濃くうつしよに映し出す矢が。その矢が何でできているかと問われれば、それは木でも石でも鉄でもなく、俺は殺意と答えるだろう。
「――バジュラ……」
弓はその極限のしなりから、一気にその身を解放した。弦の弾かれた音が、部屋の中に微かに染みいる。それ以外には何も起こらない。部屋の壁に損傷は見当たらず、周囲に風が巻き起こることもない、何も放たれていないのだから。
しかしそれゆえ放たれた矢は、間にある障害物の全てを、壁を、重力を、空間を、そして時間をも無視して目標に突き刺さった。
『くっ、主様、申し訳――っ」
『ダンジョン196階層守護者、ワーフェンリル、個体名ローズが討伐されました』
唐突に鳴り響く聞き慣れた音声。
『勲章、ダレモシンジラレヌ、により9088Pを獲得しました』
「……あと2人」
『そこにおったかオルテ。ならばこれで終いじゃっ。今からいかに遠くに逃げようとも逃れられぬほど、そこいら一体を焼き尽くしてやろうっ』
「……残念、もう……知ってた。……だから、……早いっ」
『なにっ、ぬかったかっ、ぬああー』
『ダンジョン145階層守護者、金華妖狐、個体名キキョウが討伐されました。勲章、ダレモシンジラレヌ、により9045Pを獲得しました』
「……あと1人」
オルテは弓をすぐにでも放てる構え、いわば臨戦体勢のまま動かない。
そう、標的を探しているのだ。
オルテの深い緑色の双眼が、淡く輝き始めた千里の魔眼と呼ばれる目が、それを物語っている。
「……見つけた。……、……聖域を侵せし虚の大厄、封棺の楔を解き放つ。……根を張れ」
発見から一息分の間を置いて紡がれ始めた詠唱。それはかつてこの世界全てに根を張り、生きとし生けるもの全てを養分に変えようとした大樹の解放を願うもの。とある神によって封印された、最早その存在すら神かダンジョンマスターか、一部の不死の竜くらいしか知らぬ原初の世界の厄災であった。
それは一部が綻びたことにより、嬉々として封印から根を伸ばし始めた。
方向は亜空。
存在があろうがなかろうが関係ない。あの大樹は、何もかもを養分に吸収する。
「むむーっ、食べられるーっ」
ゆえに亜空間に潜み、機を伺っていたニルが慌てて飛び出してきた。
「でももうここまで近づいた、負けなーいっ。あ、飴だやったーっ。ボリボリ。やっぱり飴って噛んで食べる方が美味しいよねー」
だが追われて出てきたというのに、そこに焦りはない。むしろ冷静に部屋の中を観察し、俺の手の中にある飴をぶんどると、オルテを的確に挑発して見せた。
「……現世への干渉を許す……。……這い寄れ」
無論それは効果テキメン。オルテは殺意をみなぎらせ、禁忌の窓口を開けた。
根とは、土中に張るものだ。ただそれは土の中に養分があるからというだけのこと。ならば世界全てを養分に変えるその厄災が、空に、空間に根を張ろうとも、なんらおかしいことはない。ゴリゴリと何かが歪む音と共に、根は部屋の中に現れ、世界を終わらせつつニルに向かって突き進む。
そうしてここは、一気に混沌とした戦場に移り変わった。
この2人は、どちらも近接戦闘を最たる武器としているわけではない。とはいえオルテは超長距離戦が、ニルは中距離戦がそれぞれ得意なため、近距離に分があるのはニルの方。
オルテは持ち前の高攻撃力と、大樹の根を活かして戦うも、徐々に徐々に追い込まれていった。
さらに不運なことに、激しい戦闘の最中で、オルテの生命線である根はふと動きを止めた。
そして一切の成長を止め、部屋の中を伺うような姿勢を見せた。その姿は、まるでそこに意思があるかのよう。いや、事実、あるのだろう。意思が。感情が。記憶が。
根は覚えている。かつて謳歌を満喫したあの時知った味を。歓喜を。
根は覚えている。かつて封印され何一つ許されなかった時間を。苦しみを。
根は覚えている。かつて自らを封印した仇敵を。炎に焼かれたあの世界を。それに協力していた怨敵を。憎しみを。
根は動きを再開させた。それも今まで以上に急激に。けれど狙いはニルではない。
どこにも逃がさないという意思を証明するように、天空城砦は一気に巨大な根に侵食され、片っ端から存在をかき消されていく。その光景は、世界の終わりを呼び覚ますに足るものだった。
「……狙い通り。こうなると思った……。……ここまで根があれば……もう十分。……もういらない、楔……、封棺」
ただしそれはオルテの予定通り。
フィールドを有利にするため、使われただけのこと。大樹は張り巡らせた根と内包するエネルギーだけを残し、その意思を、感情を、記憶を、全て再び時の彼方に封印された。
そして残った根はオルテの思うがままに動き、ニルの投擲したフォークをアッサリと受け止める。
「あっちゃー、しまった。あるじ様に向かうから大丈夫って思ったのにー。これはすっごい不利かも。きびしー」
ニルは周囲を見回して言い、その宣言通りに終始押され、そして――。
「んーっ、次は勝つもーんっ」
『ダンジョン144階層守護者、ハイピュイア、個体名ニルが討伐されました。勲章、ダレモシンジラレヌ、により9001Pを獲得しました』
決着。
勝者はオルテ。
「……ふう。第60回ダンジョン最強決定戦。……ダンジョン生誕記念大会、優勝……」
「……」
「……飴」
「飴です」
「……うむ」
オルテは差し出された飴を受け取ると、隣に座って舐め始める。
「……茶」
そしてさらにそう言うので、俺はちゃぶ台の真ん中に置かれた急須を手に取って、オルテの湯飲みとついでに俺の湯飲みにもお茶を注いだ。
いわゆる玉露のお茶。
「……苦い」
少し急須の中におき過ぎたからか、その苦さにオルテは渋い顔をした。ただ俺としては、これもまたこれで味わい深い。せんべいにもよく合う。
ズズズというお茶をすする音。
ペロペロという飴を舐める音。
パキッ、ボリボリというせんべいを噛む音。
静かな一室に、和やかな音が流れていた。
「ところで、オルテや」
「……なに?」
「ちょっと大きな声出して良い?」
「……オケ」
「ありがとう。じゃあ、ちょっと言うな。……ふー、……すー、……ふー、……すー、……」
「……」
「――なんてこったいーいっ」
「……うるさ」
「いやうるさいじゃないよ貴女っ。一体どこで戦ってるんだっ」
「……オーの部屋」
「そうだね俺の部屋だねっ。私室だよねっ。いや分かってて戦ってたのっ? 俺もしかして分かってないのかなーって思ってたよ。むしろ俺のこと見えてないのかな? って。だって凄い激しい戦いじゃなかった? 途中で俺ごと焼き殺そうとしてる人いたし、なんか知らないけど木の根がうわーって来てたし、最終決戦もまあ激しい激しい。部屋の中の惨状を見てみろ、最早誰もここがまさかダンジョンマスターの――」
「……長い」
「部屋だとは思わあぁぁ、ごめんなさいねえ」
俺は叫ぶ際に立ち上がっていたため、今一度座る。
そして部屋の中で唯一無事なちゃぶ台の上に置いた湯飲みを手に取り、再びズズズとすする。うーん、美味いっ、落ち着くっ。
「いや落ち着きはしないねっ」
「……風通しの良い部屋……、……嫌い?」
「そういう問題じゃないもの。見てご覧、さっきまでは窓からしか外が見えなかったのに、今や壁一面から空が見えるぜ? なんなら床だった場所からもお空が見えるよ」
「……絶景かな」
「絶叫系だよ。というか天空城砦自体かなり壊れてない? あの根っこが張った部分、なんか構成ごとなくなってるんだけど。ダンジョン的に一大事」
「……飴」
「飴だよー」
そうして俺はまたズズズとお茶をすする。
オルテもお茶を気に入ったのか、おかわりをして、再び渋い顔を作った。
「まあ、ともあれ、第60回ダンジョン最強決定戦、優勝おめでとうございます」
「……サンクス。……ダンジョン設立記念、オーのバースデー大会だから、頑張った……。……キル数13。……ドン勝つ」
ドン勝つ?
「そ、そうかそうか。ありがとううれしいよ。しかし今日が俺の誕生日ということはつまり、明日がオルテの誕生日じゃないか。おめでとう。一日早いけど、これ、誕生日プレゼントだよ」
「……。やるな。何?」
「それはね、これさ」
俺はそう言って花束を取り出した。
「ダンジョンを広げたら花畑が見つかってね。そこからオルテに似合いそうな花を摘んできたのさ。どうだい?」
「……。……。……30点」
「……低ぅい」
「……いらないわけじゃない。……嬉しいは嬉しい」
「……」
「……ただ、誕生日の花は……メインじゃない。……サブ」
「誕生日の花は、サブ」
「……来年に期待」
「期待されます」
お互い再びお茶をズズズとすすり、同時に空になった湯飲みをちゃぶ台に置く。急須のお茶ももう残っていない。お茶会は終わりだ。
ついに、ダンジョンのオープンを宣言する時が来た。
あくまで内内の宣言であり、侵入者側に伝わるものではない。既に日程を伝えてあるので伝える必要もない。
しかしやはり、気合が入る。これを宣言することで、ネームドモンスター達にも、そして自分自身にも自覚というものが芽生えるのだ。頑張ろうという意欲が湧くのだ。
「ネームドモンスター、総員、玉座の間に集け……、まあ、ここで良いかー。今はネームドモンスターが1人しかいないし」
「……うむ」
「なあオルテ……」
「……なに?」
「今日がダンジョンのオープン日なのに、どうしてネームドモンスターが1人しか生き残ってないんだ?」
「……さあ?」
大事な日なのに、ネームドモンスターがほぼ全滅してるダンジョンってどうよ。
3番目に生成された、ネームドモンスターの中でも最初期の大先輩が13キルしちゃってるダンジョンってどうよ。
こんなダンジョンで、果たして侵入者は良いのだろうか。
命をかけ人生をかけ、己が才覚の丈を信じ生き抜いてくれるのだろうか。
目指すべき最終地点の城も壊れてるし……。いやしかもしょっちゅう壊れてるし……。
今回が第60回大会だろ? 確か三期組を生成した辺りで第40回大会をやってたよな。あれは夏の出来事だから、大体半年ちょっと。
平均すると1ヶ月に3回くらいやってんのか。
つまり1ヶ月に3回くらい大破してんのか。3大会に1回くらいは木っ端微塵になるから、1ヶ月に1回木っ端微塵になってんのか。
というか小破程度なら大会以外でもよくあるよな。訓練とか、喧嘩とか、遊びとか……。なんやかんや毎日直している気がする。
……じゃあ毎日壊れてるんだな。うん。
こんなダンジョンで、果たして侵入者は良いのだろうか。
崩壊する天空の城が中枢のダンジョンって一体全体、向こう側からどう見えてるんだろうか。
「これからはネームドモンスター達の様子だけじゃなく、侵入者の様子も積極的に見て行こう」
どんなことを考えているのか。
そして……。
「ネームドモンスター達が、迷惑をかけていないか」
……かけていませんように。
いや、多分、絶対無理だと思うけど。
「なあ? オル――」
「……あ――」
「飴だよー」
さあ、いざダンジョン新章、開幕だっ。
お読み頂きありがとうございます。
ブックマークや評価、感想ありがとうございます。
随分久しぶりの投稿となりました。もう少し早くできるよう頑張ります。
次の話から、ダンジョンで活動する人々とダンジョンモンスターの関りが増えます。頑張ります。