第六十六話「ツンデレ黒竜のせいで朝から修羅場になりそうな件について」
早朝からエリカの声が聞こえる。
どうやら彼女は俺に馬乗りになっている様だ。
何だかこのパターンは久しぶりなので、思わず嬉しさがこみ上げてくる。
「起きなさい……ラインハルト」
「……」
「起きないとキス……するぞ」
「……」
無言で彼女の出方を伺うと、彼女の長い髪が俺の頬に触れた。
きっと俺の顔を覗き込んでいるのだろう。
薄っすらと目を開ける。
エリカは頬を真っ赤に染めながら室内を見渡している。
他の仲間に見られていないか確認しているのだろう。
「べ、別にお前の事が心から好きな分けではないが……他の女にファーストキスを奪われるくらいなら……私がお前のファーストキスを奪ってやろう」
「……」
「か、かかかか勘違いするなよ!? 別に、お前の事なんて……お前なんて……本当は好きだ……」
彼女の突然の告白に驚きながらも、寝たふりを続ける。
「本当にキスするからな……! お前は私だけのものなのだ……別に私がキスくらいしても構わないだろう?」
「……」
彼女がゆっくりと唇を近付けた時、ふと体に感じていた重みが消えた。
俺の上から降りたのだろうか。
「これこれ、エリカや。全部聞こえているのだぞ」
「ア、アアアナスタシア!? ど、どどどどうして、どうしてお前が起きているのだ!?」
「お主がラインハルトの唇を奪おうとするから起きたのじゃ。これで七度目じゃな」
七度目?
今日で三度目だと思っていたが。
エリカがキスしようとする度にアナスタシアが阻止していたのだろうか。
「別に、私が誰とキスをしようが関係ないだろう! 何故お前はいつも私の邪魔をするのだ!」
「ラインハルトはわらわの主じゃからの。勝手にキスはさせんぞ。無論、ラインハルト自身が望むのなら構いはせんがの」
「全く……いつも私の邪魔ばかりして……」
「わらわはこれからも邪魔をし続けるぞ。さぁエリカや、縛られたくなければベッドに戻るのじゃ」
縛る?
一体何を言ってるのだろうか。
「お前ごときの魔法で私を縛れるとでも思っているのか?」
「これまでもラインハルトの唇を奪おうとした日は朝まで縛り上げていたではないか? お主は記憶力が悪いのじゃな」
「なんだと!? 良いだろう、何が何でもラインハルトのファーストキスは私が奪ってやる!」
エリカが強気な発言をした瞬間、馬車の中の魔力が一変した。
「ソーンバインド……」
アナスタシアが静かに魔法を唱えると、馬車の外から茨が伸びてエリカの体を拘束した。
俺が寝ている間にこんな戦いが繰り広げられていたのか?
動揺しながらも、うっすらと目を開いてエリカの姿を見る。
茨で縛り上げられ、エリカのパジャマがはだけている。
かろうじて胸は隠れているが、パンツは丸見え。
黒の大人っぽい下着姿に思わず興奮する。
慌てて目を閉じると、誰かが俺の頬に手を触れた。
それから俺に馬乗りになると、突然唇に柔らかい何かが触れた。
「え……?」
慌てて目を開けると、レーネが俺の唇に唇を重ねていた。
フローラも目を覚ましたのか、驚きのあまり目を見開いて起き上がった。
「おはよう、ラインハルト」
「お、おはよう……レーネ。どうしてキスしてるのかな?」
「だってラインハルトはレーネの主だから。それに、キスならいつもしてるよ」
「キ、キスならいつもしてるって……!?」
俺が眠っている間に、この家の中ではどんな戦いが繰り広げられているのだろうか。
想像すらしたくないものだ。
勿論レーネがキスしてくれる事は嬉しいが……。
「いつもキスしてるって本当?」
「うん、だってレーネはラインハルトが好きだから。ウィンドホースの頃もラインハルトの頬を舐めてたでしょ」
「確かに……」
彼女はウィンドホースの時に長い舌で俺の頬を舐めていた。
やれやれ……。
俺だけがこの状況を知らなかったのか。
「レーネさん……駄目ですよ、勝手にキスをしては」
「どうして駄目なの? フローラ」
「それは……ラインハルトさんは私の主でもあるんですから、寝ている間に勝手にキスするなんていけません……! それにエリカさん、そろそろいい加減にしてくれないと今後は一切料理を作りませんよ」
珍しく怒るフローラに対し、エリカも罪を自覚しているのか、小さく頭を下げた。
アナスタシアが茨を解除すると、エリカがレーネを引き離した。
「皆、俺が寝ている間にキスするのは止めてね」
「当然ですよ、皆さん。ちょっとはラインハルトさんの気持ちも考えて下さい!」
「そうじゃ、キスがしたいなら起きている間にすれば良いのじゃぞ、エリカや」
エリカとレーネは反省したのか、目に涙を浮かべて俺を見つめている。
俺はそんな二人を優しく抱きしめた。
魔物娘から好かれるのは嬉しいが、せめて起きている間にアプローチして貰いたい。
「今日はパイを焼こうか。レーネもエリカも手伝ってくれるよね」
「べ、別に構わないぞ……」
「うん! レーネのために卵とか使わないパイ作ってね!」
「ああ、卵も牛乳も無し。菜食主義のレーネでも食べられるパイにするよ」
それから仲間達が着替えを始めたので、俺は馬車の家から出た。
ケットシー達は意外と早起きなのか、小さな猫達が家の前で雑談をしている。
何と可愛らしい村だろうか。
猫とドライアドとシュルスクの大木の村。
そして、そんな平和な村を遠くから見つめる一体のデーモン。
ベアトリクスはカイ・ユルゲン達を捕らえたのだろう。
村の入り口には縄で縛られた四人が横たわっている。
流石にBランクの悪魔だからか、犯罪者連中を捕らえるくらいは朝飯前なのだろう。
「ラインハルト、ユルゲン達を連れてきたぞ」
「ご苦労様。俺達は暫くこの村に滞在するけど、君も一緒にどう?」
「どうやらドライアドが私を拒んでいる様だ。私は魔法陣より先には入れない」
ユルゲン達をシュターナーの傍に放置して村に滞在するのも不安だ。
イフリートに変化して一度王都にユルゲン達を運ぼうか。
それからもう一度シュターナーに戻って来れば良い。
仲間を集め、一度今後の予定を確認する。
ギレーヌは酒臭い息を俺に吐きかけながら俺の肩を抱いた。
「先に王都に行っちまうのか? すぐ戻ってくるんだよな?」
「ああ、イフリートとして移動するから、今日中には戻れる筈だよ」
「まぁ、犯罪者は早めに豚箱にぶち込んでおいてくれ。お前さんが戻るまで、あたしもパイ作りを手伝うよ」
俺はフローラにシュルスクのパイのレシピを渡し、一度イフリートに変化した。
それからベアトリクスの元に戻ると、彼女は恐れおののいた表情を浮かべた。
「イフリートが何故この村に……!?」
「ああ、炎の精霊に見えても正体はラインハルト・シュヴァルツだよ」
「ラインハルト!? 本当にお前なのか……? 全く、私はとんでもない相手と喧嘩をしていたんだな。まさか人間がイフリートに変化するとは」
「移動速度を高めるためだよ。まずは俺とベアトリクスでユルゲン達を王都まで運ぼう」
「懸賞金を貰いに行くんだな!?」
「そうだよ、それじゃ出発しようか」
ユルゲン達は突然のイフリートの登場に言葉を失っている様だ。
ケットシー達とドライアド達の殺害を目論んだ犯罪者をつまみ上げる。
一緒に熊鍋を食べ、酒を飲んで語り合ったのだが。
よくも俺達を騙してくれたな……。
「お前達を王都に運ぶ。せいぜい死刑にならない様に祈るんだな」
「馬鹿な……! なぜイフリートがデーモンの様な魔物の言葉を信じるんだ!」
「黙れ、ユルゲン。お前の嘘は聞き飽きた。何が旅の冒険者だ? ふざけるな。お前の罪は全てベアトリクスに暴いて貰うからな!」
翼を広げて一気に飛び上がり、俺とベアトリクスは王都を目指して移動を始めた。
シュターナーと王都は目と鼻の先だ。
徒歩で移動すれば森林地帯なので時間が掛かるが、空からなら時間は掛からないだろう。
暫く高速で飛行を続けていると、俺は遂に王都に到着した……。




