表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

歴史とDNA

エジプト人とアラブ系ハプロ

作者: とびうお君

 ネットの問題はレベルの低い内容より、それがコピーされて広がっていく事にあると思う。それに対抗する手段は良質な内容の方を氾濫してもらうのを願うだけになる。ネットで氾濫してるもので、古代エジプト人はアラブ系ってmtDNAハプロを利用した分析がある。これはハプロを扱うものとして無視できない。それに前回これまとめてやろうと思っていたらうっかり忘れて、まるまる無視してしまったのもある。


 これ研究自体は間違ってない。元ネタの記事をそのまま受け止めて皆がばら撒くのが問題。これ研究者の意図を無視してる。この研究者は、ギリシャ時代のギリシャ人のエジプト人に対する影響を調べようと思ってこの研究を行った。その証拠に間にギリシャ時代の変化もきちんと入っている。元ネタ記事を書いた人はその意図を捻じ曲げるように書いた。


 それ自体はそれほど問題が無い。コピーする人たちはそれを捻じ曲げられてるのを気が付いて氾濫させてはいけないと考えなくちゃいけなかった。氾濫させるべきは、研究者の意図をきちんと捕らえてばらまくべきだった。見事に氾濫したほうは捻じ曲がった方がばら撒かれている。


 実際の所どうなの?ならまず幾らなんでも偏った地域からデータ取りすぎ。これはハプロに詳しい読者は皆批判してる。エジプトは古代から、上下エジプトと言って、2つに別れていて、これを統一して世界史で有名なエジプトになるのだが、それからも何度も分裂したり、実質南北に分かれてるような状態に度々なってる。地域差が昔から激しい。


 その元になってるのは、元々ヌビア=アフリカ奥地からの国から別れた分家のような国がエジプトの由来だから。ただ実証的ではない。そういう伝承がある。それゆえ古代エジプトと人種ってのはややこしいネタになる。


 エジプトには大きく分けて2回アラブ系の侵入が分かっている。1度目は牛の流入。要するに家畜牛になる。これは中東からやってこないと、問題がある。それは遺伝調査でインド系を除いて、すべての牛は中東の1つの起源に落ち着くから。ただここでややこしい事があり、アフリカの牛は現地の野生種と再度混血して誕生している。


 これがアフリカで家畜化されたように見えてしまう部分もある。詳しい人間ならまず間違えないのだが、勘違いしてしまう人もいて、アフリカから中東へ向かった流れと間違える。実際アフリカから中東への人の流れがある。ずっと書いてきたE系の流れになる。家畜牛のDNAからはおそらく中東からアフリカへの流れになる。


 R1Bのレバント農業の流れもあるのだが、これは牛の家畜化とずれる。牛の家畜化は山羊や羊に較べて遅い。大型で希少の荒い牛は難易度が高かった。やや遅れて別の地域で家畜化される。これがR1Bではなくて、J系のアラブ系じゃないか?と私は見てる。単に確率的に多いからに過ぎないが。


 次に有名なヒクソスの侵入がある。良くある支配者と住民って分離になりやすいが、これ歴史的にきちんと語られてないらしい。それと言うのもエジプト側がこれをあまり快く思ってなくて、資料となるものの大半削除してしまったらしい。それでも残ったものから、どうやら、野蛮な侵入者と言うより、アラブ人が平和的にエジプトに入植していった事が記録から分かるようになっている。


 ただある時その頻度が激しすぎて、平和的に受け入れることが出来なくなったと言う話しになる。それがヒクソスの侵入って事件になるのだが、その前から下流域南部はかなりの数のアラブ人が入ってた事が文献から読み取れる。ネットで記事になった調査は、このアラブ人の入植後の時代になる。


 当たり前じゃないか?って話しになってしまう。記事の中では、元々住んでいたアラブ系を押しのけるように奥地のアフリカ系に変わってしまった。要するに乗っ取られたとなっている。いやいやむしろ乗っ取られたのはアフリカ系じゃないか?って話しになる。地域的に、きちんと分布を考えて、多数の地域から、古い時代から取って調査しなくては、古代エジプト人はアラブ系だったって結論にはまずならない。


 この研究者にとっては特に問題が無い。ギリシャ支配は特に河口域を中心に見ればそれで良い。アレキサンドリアと言うのはギリシャ人が作った新しい都市で当然ここにギリシャ人は集中する。基本的には様々な分布を調査する必要は無い。むしろ北部地域に集中し無いと、研究の目的は果たせない。


 この研究の結論は、前の時代のアラブ系からギリシャ系になってアフリカ系に現在なったとなる。アラブ系の前の時代は採って無いとなる。そしてエジプトはこの前の時代も無茶苦茶長く王朝は継続されている。有名なクフ王も前の時代になる。研究者の調査は問題が無い。ギリシャ系の影響を見るのがポイントなので、一般向けに記事を書いた人が誤解意図的に狙って書いてる。


 おそらく記事を書いた人は白人だろう…。白人的なプロパガンダではない、こう書けば白人の読者に興味を持つからになる。しかも問題のある書き方はしてない。一部だけ悪いだけで、誤解される論理誘導はしてない。読めばすぐ分かるから、誤解を受けないようにただし書きを付け加えるぐらい出来る。ハプロに詳しい人は大体この記事に但し書きを添えている。


 では過去どうだったか?でハプロ的には無い。だが緑のサハラってのがある。エジプトが始まる前にサハラは湿潤で草原だったという話し。これが最初に話した牛の話しに繋がっている。最初は中東人だったかもしれないが、その後の担い手は当然黒人になる。これは証拠がある。サハラで黒人の子供のミイラが見つかっている。


 今まですっかり白くなった人達の先祖になる。サハラの伝承を探っていくと、ちらほらエジプト神話と近い神話が現れる。こういった民族が、サハラの乾燥化で遊牧をしながらナイルに集まってきたのは大体分かっている。ナイルは過去のサハラの延長にある。アフリカで少数派となる牛が過去の野生の牛の原型を留めた形のものがいる。


 これはおそらくサハラでの遊牧の牛の子孫だと見ている。サハラ中の黒人がナイルに集まる。ナイルの上流からヌビアから分かれた支配者がエジプトで新しい国を作る。この両者は黒人になる。だがそもそも中東からの移住者によって始まっただろうサハラの牧畜を持っていた人達はナイルの河口で多分アラブ系として住んでいたと見ている。


 後は豊かなエジプトに度々押し寄せる中東の人によって河口だけじゃなくてアラブ系の人が南下したと見ている。その後アレクサンダー大王の東征によって、ギリシャ化し、現代に至るまで上流部から黒人が出てきてまた人種が上書きされると見ている。


 ざっとこんな感じだと見ている。


 ついでにこういった流れにフェニキアも関わっていると見ている。実際にはフェニキアはセム語になる。だが聖書的にはハム語族となってるらしい。さてアフリカに行ったアラブ系なのか?アフリカから来た黒人とアラブ系の混血なのか?これは分からない。ただハプロ的にもユダヤ人が後に混血したフェニキア人と言うのが、おそらくE系だと思われる。そこから確かにアフリカと深く関係していると思われる。


 ユダヤ人はエジプトに一時いたのでその時期の混血の可能性もある。だが私はハプロ的にはアインシュタインのE系はフェニキア人とユダヤ人が混血した事によるユダヤ系だと見ている。それは以前書いた。ユダヤ人のハプロの系統を見るとフェニキア人の活動範囲と大体重なってくるから。父系、母系どちらか知らないが、フェニキア人はアフリカにルーツを持っている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ