第四章 海上の人さらい(二)
甲板の上のアランは、船首に座ってぼんやりと海をながめていた。
さっきは言いすぎたかもしれない。兄の傷ついたような顔を見て、アランは後悔し始めていた。
初めての冒険で浮かれていたのだ。不安もあったけど、いざ海に出てみれば自分は冒険に出たかったのだと思い知らされた。
最初に船を見たときこそ、小さな船にがっかりもしたが、嵐を乗り越えて船が成長したことが嬉しかった。
自分のおかげじゃないのはわかっていた。あの島でダレンががんばったから、船が育ったのだろう。
だけど自分も認めてもらいたかった。
人と話すのが苦手で、いつも家の中で本ばかり読んでいたアラン。「兄ちゃんと違って暗いやつ」といつも言われてきた。明るく料理上手な兄と比べて、自分はなんと暗いことか。そういわれることで、ますます人と話すことが苦手になっていった。
こんな自分が船を成長させたなど、あるはずないのに――
「アラン!」
大声に驚いたアランは、振り返った拍子に甲板に転げ落ちてしまった。
「いったぁ……」
「大丈夫か?」
あおむけになって後ろ頭を押さえるアランを、ダレンは上からのぞき込んだ。涙目のアランと心配そうなダレンの目が合う。
「うん、大丈夫……」
ダレンはアランの前に回り込んで、腕を引いて起こしてやった。ダレンはアランの後ろ頭にそっとさわる。
「ちょっとふくれてるな。しばらく痛いぞー?」
「うん……」
さっきケンカした手前、心配してくれるダレンにアランは素直にうなずくことができない。
ダレンがくるりと背を向けた。
「水持ってくるよ。ほんとは氷がいいだろうけどないからさ」
たんこぶを冷やすために取ってくきてくれると言うのだ。
「お兄ちゃん!」
ハッチを開けかけた兄の背に、アランは焦ったように叫んだ。ダレンはぴくりと動きを止めた。そしてゆっくりと振り返る。
アランは視線をさまよわせたり、口を開けたり閉じたりしている。謝りたいけど言葉が出てこないのだ。
ダレンがふっと笑った。
「さっきは、ごめんな」
アランははっと顔を上げた。言おうとした言葉を、先にダレンに言われてしまった。
違う、そうじゃないと言いたいのに、声にならない。悪いのは自分の方なのに。
謝るのには勇気がいる。言ってしまったこと、やってしまったことを悪かったと認めて、相手に伝わるように心からの言葉を言わなければらならないのだ。
ただ一言を口にすることの、なんと難しいことか。
結局アランはなにも言うことができず、うつむいてしまった。
ダレンがアランのもとへと近づいてくる。
うつむくアランの前に立つと、ダレンはその頭をぽんぽんとなでた。
「俺が悪かったよ。二人の船だもんな。俺らが成長したから船も成長したんだよ、きっとな」
アランは顔を上げることができなかった。
そうだ、本当はそう思っていたのだ。つい意地を張ってしまったけれど、アラン一人の力ではないのだ。二人の力で困難を乗り越えてきた。
だけどやっぱり自分の方から謝りたかった。いつも明るい兄がうらやましくて、今度こそうまく話せない自分を変えたいと思ったのだ。結局アランの口から「ごめん」の言葉は言えていない。
「どんなことがあっても、二人で乗りこえていこうな」
「うん」
アランはそれだけ返事をするのがやっとだった。
*
それからの船旅は、何事もなく進んだ。
風は追い風。あばれ雲に巻き込まれたことで予定より遅れたが、明日にはアジサイ島につけそうだ。
「はぁ? なんでバナナじゃないんだよ」
「リィ! リィ!」
望遠鏡で水平線のかなたを見ていたアランは、後ろで言い争う声に振り返った。
「今度はなに?」
「アラン! リィがバナナ食べないって言うんだよ」
「リィ」
またくだらないことで言い争いをしている、とアランはめんどくさそうな目をした。
さっきダレンが切っていたリンゴは、焼きリンゴになっていた。ほこほこと湯気を上げるリンゴにはシナモンパウダーがかけられていて、ほんのりといいかおりが漂ってくる。ヒマワリ島でも時々ダレンが作ってくれたお菓子だ。
甲板にはまだむいていないリンゴの入ったかごが置かれていて、アランはそこからリンゴを一つ手に取った。真っ赤に熟れていておいしそうだ。ヒマワリ島のリンゴは蜜が多くて甘いのだ。
「たしかにサルの好物はバナナだけど、くだもの全部が好きなんだ。そしてリィはリンゴが特に好き。だよね?」
アランがリンゴを放り投げると、リィは上手にキャッチした。
「リリィ!」
リィはそのとおりだと言わんばかりに鳴くと、リンゴにかぶりついた。
ダレンはおもしろくなさそうに、手すりにもたれかかって頬杖をついた。頭のいいアランの方がサルの生態に詳しいのは当たり前だ。なんだかおもしろくない。
ダレンは波間を見やって、おや、と表情を変えた。
「あれなんだ?」
「ん? どれ?」
「ほらあれだよ」
ダレンが指差す方、水平線のかなたには、黒い影が見えた。
アランが望遠鏡をのぞき込む。そしてさっと顔色を変えた。
「あれは……人さらい船だ……!」
「なに!?」
ダレンはアランの手から望遠鏡を奪い取ると、同じようにのぞき込んだ。
それは小船だった。乗っているのは三人。
大人は二人の男のようだ。一人はひょろりとしていて、銃を持っている。もう一人は太っちょで、剣を腰に差している。どちらの男もひげが生えていて、なんだからんぼうそうだ。
もう一人は女の子だ。長い金色の髪を三つ編みにして、青い瞳は男たちをきっとにらみつけている。女の子はロープでしばられていた。
「海賊かな?」
「わかんねぇ。でも小船で人買いはしなさそうだから、どこかに本船がいるのかもしれないな」
「お兄ちゃん、このままいくと僕らの船まで来るよ……?」
二人は顔を見合わせた。そしてこくりとうなずく。考えていることは同じのようだ。