第二章 船出(二)
この季節、大陸からは西の風が吹く。兄弟が向かおうとしているアジサイ島は、二人が暮らしていたヒマワリ島のはるか東に位置する。
西風は、追い風だった。
「ひーまーだー」
ダレンは仰向けになって甲板に転がっていた。その顔には退屈そうな表情がありありと浮かんでいる。
アランは船の先端で、望遠鏡を覗いていた。水平線の先に、陸地はまだ見えない。
それもそのはず。まだ出発してから二時間だ。
「もー! お兄ちゃん、もう飽きたの!?」
「いいや違うぞ。お兄ちゃんは『いまだ』って言ったんだ。いま、この空をチェックしてるんだ」
ダレンは勢いをつけて起き上がると、あわてたように言った。自分から旅に出ようと言い出した手前、もう飽きたとは言えないのだろう。
ごまかしたのはバレバレだ。アランはあきれたようにため息をついて、進行方向を向いた。
「じゃあお昼ごはんでも作ってきてよ」
「お? もうそんな時間か? よーし、じゃあお兄ちゃん腕をふるっちゃうぞー!」
そうして意気揚々とダレンはハッチを下りていく。
その背中を見送って、単純な人だなぁとアランは考えていた。
「じゃーん! お兄ちゃん特製BLTバーガーだぞー!」
数分後、ダレンはお盆を片手に甲板へと戻ってきた。お盆の上にはハンバーガーとオレンジジュースが入ったカップが乗っている。
「BLT?」
「おう。ベーコンとレタスとトマトだ。サナさんが生野菜は早く食べろって言ってたからな。悪くなる前に生で食っちまおう」
風に乗っていいかおりがアランの鼻に届いた。ベーコンには油が乗っていておいしそうだ。
「いっただっきまーす!」
ダレンとアランは甲板に座り込んで、ぱくりとハンバーガーにかぶりついた。
「おいしい!」
「だろ?」
あぐらをかいて膝に片肘をついたダレンは、弟の喜ぶような顔ににっと笑った。
「特製ソースを使ってるんだ。マヨネーズとケチャップに、ちょっとマスタードを混ぜてる。父さん直伝だぞ」
「お父さん……」
なんだか懐かしい味がすると思ったら、兄弟の父親の味だったのだ。
ダレンとアランの母親は早くに亡くなってしまったから、家庭の味というと父親の料理が浮かぶ。父親はレストランをやっていたというだけあって、それはおいしいものだったのだ。
食べる手を止めてしまった弟を見て、ダレンはしまったという表情をした。
「あー……。兄ちゃんなんでも作ってやっからな!」
「え……?」
「アランはなにが好きだ? ハンバーグ? オムライス? 言ってみろ。なんでも作ってやるぞ」
あせったように話す兄を、アランはぽかんと見ていた。気をつかわれてしまったのだろうか。いつも強引にものごとを進めてしまう兄にしてはめずらしい、とアランはぷっと吹き出してしまった。
「アラン?」
「ううん、これもおいしいよ。お兄ちゃんの料理ならなんでも好きだから」
ダレンは目をまたたかせた。さっきまでへこんでいた弟がもう笑っているのだ。いまいちわからない。
「そっか……?」
「うん、そうだよ」
さびしくなったのは事実だけど、父の味はいつでも兄が作ってくれる。
それにこれからずっと一緒に冒険をするのだ。さびしいなんてことはない。
二人は船に揺られながら、バーガーをほお張っていた。
昼ごはんの片づけをして、アランが進む先を見ていたときだった。
「ん?」
けげんな声を上げたアランを、マストに上っていたダレンは見下ろした。
「どうかしたのか?」
アランは兄を見ないまま、望遠鏡で遠くの空を見ている。返事をしない弟に、ダレンはするすると甲板に下りてきた。
「あれは……まずい! お兄ちゃん帆をたたんで!」
「お、おい……どうしたんだよ?」
「いいから早く! あれは……」
アランはさっきまで見ていた空をもう一度見上げた。遠くにあったはずの黒い雲が、もうすぐそばまでせまっていた。
「あれはあばれ雲だ!」
あばれ雲。それはその名のとおり、強い雨風を起こす雲のことだ。とつぜん発生して、動きも早い。気づいたらすぐ近くにやってきていて、いろんなものをなぎ倒していってしまう雲だ。
ダレンもあばれ雲のことは知っていた。アランの言葉を聞いて、慌ててマストへ走る。
だがあばれ雲はもう船の上に来ていた。真っ黒い雲が頭の上に広がり、激しい雨が二人のもとに降りそそぐ。
「だめだアラン! ハッチの中へ!」
二人はゆれ動く舟の上、必死になって移動した。
船が荒波にさらわれていく。
ハッチがばたんと閉じた。