第六章 クジラの島(二)
縄はしごをつたって三人は黒い島に降り立った。切り立った島のようで、ぎりぎりまで近寄ることができたのだ。
なだらかな坂道が続いている。
「しっかしなんにもない島だなー。木すら生えてないんじゃないか?」
ダレンの言うとおり、ここには黒い大地しかない。ざらざらしているが、ところどころ湿ったところもある。砂ではないと思うが、どんな物質なのかよくわからない。
とりあえず丘の上を目指して、三人は進む。
「はー! 俺たちの初冒険だな!」
「アランは船に残ってるけどね」
にっと笑ってルカが言った。ダレンは苦々しげな顔をする。
「あいつなはー、頭がいいせいかチャレンジ精神がないからなー」
兄としてそこは心配なところだった。
頭がいいせいで、むだに挑戦しようとしない。ヒマワリ島の同じ年ごろの子どもたちとも、「子どもっぽい」と言って一緒に遊ぼうとしなかった。
いつも家の中で本を読んでばかりいる弟が心配でならなかった。
「でもこうして一緒に海に出てるじゃない」
「そうなんだよ。それだけでももう成長かなって」
そう言って笑うダレンを、ルカは目をまたたかせて見ていた。しっかり『お兄ちゃん』の顔をしている。
いつだって、無茶をするダレンを弟のアランがいさめる、というような図式ができていたと思ったけれど、ダレンだってちゃんとお兄ちゃんなのだ。
ちょっと頼りになるな、とルカは小さく笑った。
「あっ、あそこがてっぺんじゃないか!?」
坂道の終わりにたどりつこうとしていた。
たどりついた先には、結局なにもなかった。黒い大地のてっぺんで、島のまわりに広がる海が見えるだけだ。
「なーんだ、つまんねーのっと!」
口をとがらせかけたダレンだったが、なにかにつまづいた。
ルカはダレンがつまづいたところを見ている。
「なにかしら、これ。あな……?」
ダレンも立ち上がってそれを見る。
そのときだった。
「お兄ちゃん!」
船からアランの叫び声が聞こえたのと、ダレンがもう一度すっ転ぶはめになったのはほぼ同時だった。穴から勢いよく水が吹き出したのだ。
「なっ、なんだ!? 温泉!?」
ダレンたちは水びたしになる。ルカはぬれた手をなめてみた。
「いいえ違うわ……。これは、海水?」
「お兄ちゃん! これは島じゃない! こっちに来て!」
アランの叫び声に、ダレンたちは坂を駆け下りた。吹き出した水のせいでつるつる滑って、何度もこけかけた。
「な……んだこれぇ!」
なんとか船に戻ったダレンが上げたのは、そんな声だった。
島がゆっくりと動き出している。そして「グォォォ!」という地響きのような音が聞こえた。
「これは……クジラだ!」
くるりと反転した島には、目があった。島だと思ったものは、実は巨大なクジラだったのだ。丘の上になにもなかったことにも納得がいく。
ダレンとクジラの目が合った。
「すっげー! でけー!」
ダレンは大興奮だ。それはダレンだけではない。アランもルカもリィも目を輝かせていた。こんな大きなクジラは初めて見たのだ。
「グォォォォ!」
クジラはなおも潮を吹きながらうなる。
「お、襲ってこないかな……?」
「上までのぼったんだ。大丈夫だろ」
いち早く我に返ったアランが、不安そうにつぶやく。
ダレンの言うとおり、クジラは襲ってはこない。なにかを訴えるようにうなり声を上げるだけだ。
「なにか言いたいのかしら……」
ルカが呟くけれど、クジラの言葉は四人ともわからない。
うなり続けるクジラを四人はじっと見つめた。
アランはふと、うなり声に混じってなにかが聞こえる気がした。目をつぶって耳を澄ます。
『グゥゥゥゥ』
アランはぱちりと目を開けた。まさかこの音は……。
「ひょっとして、お腹空いてる?」
呟いた瞬間、クジラはうなるのをやめた。
『グゥゥゥゥ』
今度ははっきり聞こえた。これはお腹の音だ。
伝わったことが嬉しかったのか、クジラはまた潮を吹いた。
「なんだおまえ、腹減ってたのか!」
「グォ!」
クジラは尾っぽを動かして水を跳ねさせた。
「ごはんのにおいにつられてやってきたのかしら」
「オムレツ食うか?」
「グォウ!」
あっさりと言い放ったダレンに食ってかかったのは、他の三人だ。
「えぇ!? まだわたしたちも食べてないのに!」
「お兄ちゃん! 僕らのは!?」
「リィ! リリィ!」
ダレンは三人の勢いに圧倒された。
「なんだよ。また作ってやるから」
それなら、としぶしぶといった様子で三人は納得した。
キッチンからオムレツとライ麦パンを運んできた。
「これで足りるのかなぁ?」
「チーズたっぷり入ってるから、腹持ちはいいだろ」
ダレンは手すりから身を乗り出した。
「ほら、食えよ!」
クジラは大きく口を開けている。ダレンはオムレツを四ついっぺんに放りこんだ。
もぐもぐしているクジラを、ダレンは満面の笑みで見下ろしていた。
「どうだ!? うまいか!?」
ごくりと飲みこんだところでダレンがクジラに問いかける。
「グォウ!」
どうやらおいしかったようだ。クジラは一回転すると、潮を吹き出した。
しぶきが四人に降りかかる。
「グォォ!」
そう一鳴きすると、クジラは去っていった。
「びしょ濡れだし、ごはんは食べ損ねるし、まったく……」
ぼやくアランに、ルカも同感と笑う。しかし甲板に目を向けて、その表情は驚きに変わった。
甲板に転がっているものがある。
「見て! これ真珠じゃない?」
クジラの潮がかかった甲板には、いくつもの真珠が転がっていた。
「わーきれい! クジラさん、おれいにくれたのかしら?」
「かもな。高く売れるぞー?」
「えー!? いくつかわたしにちょうだい! ネックレスにしたいわ」
ルカのネックレスを作っても、まだ十分に余りそうだ。
たくさんの真珠に、みんな笑顔だ。
『グゥゥゥゥ』
その空気をそんな音が切りさく。
四人とも顔が赤い。
「そういやみんな飯食いっぱぐれてたもんな……。よし、飯にするか!」
「はーい!」
元気よく返事をすると、四人は揃ってハッチを下りていった。