第五章 アジサイ島の日記(四)
ルカの父親のしごきは、本一冊ではおさまらなかった。翌日から、ルカの父親による特訓が始まったのだ。
海図の読み方や天気の変化の予測から始まり、火の起こし方や獣のさばき方など、サバイバル術も徹底的に叩きこまれた。いざというときに備えて、戦う訓練もする。熊のようなルカの父親に、兄弟は投げ飛ばされまくった。
「いってー……」
おかげですり傷だらけだ。庭先で傷口をルカに消毒してもらっていたダレンは、顔をしかめてそうつぶやいた。
「大丈夫? パパったら容赦ないんだから……」
ぶつぶつと文句を言うルカだが、その表情は嬉しそうだ。
「セリフと顔が合ってないぞー」
「えっ、そう?」
焦るルカに、ダレンはぷっと吹き出した。
「まったく、嬉しい気持ちはわかるけどさ」
「だって、ついに海に出られるんだもん!」
ルカの父親の特訓もひと通り終わって、今日はついに旅立ちの日だ。つい笑顔になってしまうのもしかたのない話だろう。
そこに本を抱えたアランが通りかかった。
「おう、アラン。用事はすんだのか?」
「お兄ちゃん。うん、ルカのお父さんに医学書を貸してもらった。万が一、病気になったときにも対応できるようにね」
ダレンはほおづえをついて「はー」とため息をついた。かしこいかしこいと思っていた弟だが、ここにいる間にさらに頭がよくなったようだ。
兄として負けてなどいられない。ダレンも船の操縦のしかたや航海術を学んだし、教わったことで無人島でもやっていけそうだ。
この先の冒険を想像して、ダレンは黙りこんだ。
「お兄ちゃん?」
「あ~~ドキドキするな! 俺たちはどこまで行けるんだろうな! 氷の大地、しゃく熱の砂漠、世界一高い山にどこまでも広がる大海原! 父さんが行けなかったところも行けるかな?」
これから始まる冒険に、期待と不安が入り混じっているようだ。ダレンにしては珍しくちょっと弱気だ。
アランは目をまたたかせたあと、にっと笑った。
「どこだって行けるよ。だってひとりじゃないから」
「そうよ。わたしたち、おたがいがおたがいを支えあって冒険するのよ」
「リィ!」
口々に言う三人を、ダレンはぽかんと見つめた。
「そうだ……。そうだな! 俺たちは仲間だもんな!」
出発の準備は整った。まず目指す場所はふるさと、ヒマワリ島だ。
こぶしを突きあわせる四人のもとに、ルカの父親が現れた。
「みんな、ここにいたのか。準備はできたかい?」
「あぁ! いつでも出航できるぜ!」
ルカの父親は複雑そうな顔をした。娘と別れるのがつらいのだろう。
「ヒマワリ島から西にずっと行った先に、コスモス島という島がある。俺たちの船の航海士をしてたやつがいるから、会いに行ってみるといい。あいつも航海日記を持ってるはずだ」
それを聞いて、ダレンとアランは色めき立った。父の冒険を辿れるならこんなに嬉しいことはない。次の行き先はコスモス島に決まりだ。
荷物をまとめた一行は海に向かった。天気は少し雲のある晴れ。やや風もあって絶好の船出日和だ。
ダレンとアランは海に船種を投げ入れた。大きくなった船を、ルカの父親は感慨深そうに眺める。
「懐かしいなぁ。あの船がおまえたちだとこうなるなんてな」
目を細めるルカの父親の隣に、アランは並んだ。
「お父さんたちの船は、どんな感じだったんですか?」
「ん? そうだなぁ。乗組員が多かったから、この船の二倍はあったなぁ。船の先端にヘラという女神の像が彫ってあってな、これは守り神としての役割があって……」
「パパの船の話をさせると長くなるわよ」
ルカの父親の向こう側から、ルカが顔をのぞかせた。
「ルカ。でもお父さんの船のことだから、聞いてて楽しいよ」
「ふむ、あんまり話してても日が暮れてしまうな。今は君たちの船なんだ。君たちの旅路を刻んでいきなさい」
それもそうか、とアランは船に目をやった。船は最初に海に浮かべたときよりも、ひと回り大きくなっている。ダレンもアランもひと回り成長したのだろう。
仲間も増えたし、知識も増えた。この先、どんどん船の形も変わっていくのだろう。その成長がアランには楽しみに思えた。
ルカの父親はダレンに向き直った。
「冒険を続けるなら、航海日記をつけるといい。コージが使っていたノートが一冊余っている。よかったらこれを使いなさい」
ルカの父親が差し出してきたのは、黒い革の表紙のノートだった。それはダレンたちの家にあった日記と、ルカの父親に見せてもらった日記と同じものだった。
「……いいんですか!?」
「あぁ。俺たちの冒険の続きが紡がれるなら、こんなに嬉しいことはない。天国のコージも喜ぶだろうよ」
ダレンはノートを受け取った。厚みのあるノートはずしりと重い。だけど日記を託された重みを感じた。
「あぁ、でも」
ルカの父親は続ける。
「君たちは君たちの冒険をしていいんだからな。コージの遺志を継ぐとか、俺らの思いを果たすとか、そんな難しいことは考えなくていい」
たしかに最初に海に出ようと思ったのは、父の日記を読んで、叶わなかった父の願いを叶えようと思ったところからだ。
だけどもう、冒険を楽しんでいる自分たちがいた。嵐の海を行くことも、無人島に着くことも、海賊と戦うことも、ヒマワリ島にいたころには思いもしなかったことだ。
ダレンはじっとノートを見つめた。この日記に記すのは、自分たちの冒険だ。父のものでも、ルカの父親のものでもない。
「はい。この日記いっぱいに俺たちの冒険を埋めてみせます。そしていつか、俺たちの冒険の記録を見せにきますから!」
ルカの父親はにっと笑った。ダレンたちの冒険が楽しみだというかのように。
一行は船に乗り込んだ。ダレンは仲間たちに振り返る。
「さぁ! 行くぞおまえら!」
ぴんと帆を張った。風を受けて船は動き出す。
「またね! パパ!」
「お世話になりました!」
さよならではない。いつかまたきっと会える。
大きく手を振るルカの父親に、ダレンたちはいつまでも手を振り続けていた。