第五章 アジサイ島の日記(二)
ルカの母親はリビングのソファに父親を放り投げると、キッチンに向かった。ダレンとアランはその様を冷や汗をたらしながら見つつ、ルカにならってテーブルにつく。リィもテーブルの片すみに座った。
「ママの紅茶はおいしいのよ。世界一なんだから!」
「あらあら、嬉しいことを言ってくれるわね」
ルカの母親はティーカップやポットを乗せたトレーを手に戻ってきた。「どうぞ」とクッキーの乗った皿をテーブルの真ん中に置く。
「ママ、わたしのはミルクたっぷりね!」
「はいはい。ダレンくんとアランくんだったっけ? 二人はどうする?」
「俺もミルク多めで」
「僕は砂糖もお願いします」
「リィ!」
「はいはい、リィくんのもありますよ」
ルカの母親はそう言って、小さなカップも用意した。おそらくルカの小さいころのものだろう。
ルカの母親は茶葉をポットに入れて、お湯をそそいだ。そしてふたをすると、砂時計をひっくり返した。砂が落ち切ったところでティーカップに紅茶をそそぐ。ミルクと砂糖も忘れずに。
ルカの言ったとおり、ルカの母親の紅茶はおいしいものだった。
紅茶とクッキーを味わったあと、ルカの母親は切り出した。
「それで、あなたたちは三人で旅していたの?」
「はい。俺たちが海に出たのはこれが初めてだったけど、無事にアジサイ島につけてよかったです」
「そう」
ルカの母親はにこにことほほ笑んでいる。
「でも子どもたちだけというのは危ないわ。ご両親は反対しなかったの?」
二人は口をつぐんだ。目くばせをする二人に、ルカがわけを話そうとした。
「ママ、二人の両親は……」
「ルカ、俺が話すよ。俺らの両親はもう死んじゃってるんです。一応おばさんが育ててくれたけど。俺らの父さんは冒険家だったんです。俺らも父さんのような冒険家になりたい……。そう思ったから、二人で海に出たんです」
ルカの母親は少し驚いていたけれど、だまってそれを聞いていた。
島で育って海に出ることは、ヒマワリ島に暮らす子どもたちならば一度は考えることだ。小さな島だ。外の世界にあこがれる。
くわえて二人には偉大な冒険家の父親という存在があった。
父が果たせなかった夢を追いたい。世界中を見て回りたい。
その思いが二人を突き動かした。
「あいつの遺志を継ぎたいなら、それなりの知識をつけておけ」
低い声に振り返ると、ソファの上に身を起こしたルカの父親の姿があった。静かな目でダレンとアランを見ている。
「えっと……」
「まったく。ユウキさんと子どもとちゃんとした生活をしたいとか言いながら、子どもはしっかりコージの子どもになってるじゃないか」
父と母の名前を出されて、兄弟は目を見開いた。
「父さんを知ってるんですか!?」
「知ってるもなにも、コージの船の副船長は俺だ」
「えぇ!?」
ダレンとアランの声が重なる。まさか探していた人物が、こんな近くにいたなんて。
ルカの父親は立ち上がってダレンのもとへ近づいてきた。
「船種、見せてくれるか?」
「……はい!」
ダレンは首からかけていた小瓶をはずす。ルカの父親は、懐かしそうな目でそれをまじまじと見ていた。
「たしかにコージの船種だ。君たちはコージの若いころにそっくりだな。勇敢さと思慮深さを持ち合わせている。海に出たのもその血だろうな」
「あの! お父さんはどんな冒険家だったんですか!」
アランが叫んだ。ルカの父親はアランを見やった。
「僕たち、冒険家としてのお父さんはよく知らないんです。物心ついたときにはもう、お父さんは料理人だったから……。なんでもいいんです。お父さんのことを聞かせてください」
ルカの父親はじっとアランを見つめた。やがて視線を外すと、ふっと小さく息をついた。
「俺が話すより航海日記を見せた方が早いだろう。ついてきなさい。書斎を見せてやろう。航海術や冒険の心得も叩き込んでやる」
ダレンとアランの表情がぱあっと明るくなる。
「はい!」
二人は返事をしてルカの父親のあとを追った。
*
残されたルカとリィは、お茶のおかわりをしていた。
静かな時間が流れていた。
「ねぇ、ママ」
ぽつりとルカがつぶやく。リィは心配そうにルカの顔を見上げた。
「パパは、わたしが冒険に出ることを許してくれるかな……?」
ルカはテーブルに視線を落として言った。ルカの母親はことりとカップを置き、娘に優しくほほ笑みかけた。
「どうかしらね。どちらにしてもあなたしだいだと思うわ」
「わたししだい……?」
ルカの母親は小さくうなずく。
「えぇ。あなたは小さいときから絵を描くことが好きだったでしょ? 絵を描くだけならこの島でもできる。でもルカは世界中を見て回って絵が描きたいのよね。ならその強い思いを持っていれば、きっとパパにも伝わるわ」
「強い、思い……」
ルカの母親はにっこり笑った。
島を出たい気持ちはある。いろんなところを見て、いろんな絵を描きたい。
だが、父親を説得できるほどの気持ちを持っているだろうか。
今までは頭ごなしに反対されて、ただ反発していただけかもしれない。それではダメだ。強い思いを伝えなければいけない。
ルカは立ち上がった。その肩にリィが飛び乗る。
「わたし、パパのところに行ってくる」
「行ってらっしゃい」
ぎゅっとこぶしを握って部屋を出ていく娘を、ルカの母親は笑顔で見送った。