第一章 はじまりの港(一)
もしもこの日記を見た人が
例えば僕らの子どもとかが
海に憧れを抱いたらいいなと思う
僕らがそうして海に出たように
波の音が響いていた。
海を臨む丘の上。一人の少年が座り込んでいる。少年の前にはお墓がある。盛り上がった土の上に石版が立ててあり、潮風を受けていた。そのお墓の前に座り込む少年の目は、涙目だ。
「アラン!」
丘の下から、もう一人の少年が上がってきた。アランと呼ばれた少年よりは少し大きく、どこかアランと似た面影がある。
その少年はアランの真横に立って、アランを見下ろした。
「アラン、また父さんのとこに来てたのかよ」
「……ほっといてよ、お兄ちゃん」
やっぱり兄弟だったようだ。
弟のアランは、覗き込む兄のダレンを拒むように、ぷいっと顔を背けた。ダレンはしょうがないなぁという感じでため息をつきながら、アランの隣に座りこんだ。その目にお墓が映る。
父が死んでしまったのは三ヶ月前。男手一つで兄弟を育ててくれた父は、病気であっけなく逝ってしまった。
落ち込むアランに、ダレンは気丈に振る舞った。いや、ただ単になにも考えていないだけかもしれない。この兄は、考えるより先に口や手が出てしまうタイプだった。
あっけらかんと笑うダレンの手には、小さな瓶が握られている。
「父さんの部屋を片づけてたら出てきたんだ。船種だぞ!」
船種。それは文字どおり、船となる種のことである。一見、小瓶に入っているミニチュアの船だ。でもひとたび海に浮かべると、大きな船になる。海の男たちの必須アイテムだった。
アランは深くため息をつく。
「お兄ちゃん、まだそんなことを言ってたの? 僕らだけで海に出るなんてむりだよ」
「なんでだよ! お前は冒険家になりたくないのか!? 父さんのように!」
父が世界をまたに掛ける冒険家だったと聞いたのは、まだアランが言葉をしゃべりだす前のことだった。荒れ狂う海を越え、新大陸を発見し、父の功績は偉大なものだったという。
ダレンはにわかにはそれが信じられなかった。記憶にある父の姿は、キッチンで鍋を振り客と話しては笑う料理人だったからだ。常連客から「お前らの父ちゃんはすげぇヤツだったんだぞ」と言われても、だまされているだけのようにしか思えなかった。父も「昔のことさ」と言っていた。
それが変わったのが、父の部屋で航海日記を見つけたことだ。そこには父が体験した冒険の数々が書かれていた。当時の新聞も一緒に残されていて、兄弟にはそれがうそではないとわかったのだ。
特にアランは、なんどもなんどもその日記を読み返した。嵐の海をたえきったこと、無人島でトラをしとめたこと、新しい大陸を発見したこと。そのすべてが幼心にあこがれをいだかせるものだった。
それでも怖さの方が勝って、ダレンのように海に出たいと思うことはなかった。
しかし兄は着々と海に出る準備を進めていた。漁師たちに海での生活のしかたを聞いたり、ナイフで戦う特訓をしたり。
子どもだけで海に出るなんてむりだと思っていたアランだったが、ダレンはとうとう船種を見つけてきてしまった。実をいうと、先に船種を見つけたのはアランなのだ。兄に見つかるとやっかいだと思って隠していたのだが、海に出たいという気持ちが強かったのか、見つけられてしまった。
「でもお兄ちゃんだけで海に出るなんてむりだよ」
「なに言ってんだよ。おまえも一緒だぞ?」
ダレンはあたり前のように言う。なにをバカなことを言ってるんだと言うかのように、ダレンはあきれた目でアランを見てくる。
「もっとむりだよ!」
アランは思わず立ち上がってさけんでいた。
「なんでだよ。敵はおれがたおしてやるぞ。頭使うとこはおまえにたのむよ」
あっけらかんとダレンは言い放つ。
計画性がない、とアランは大きなため息をついた。冒険に出るには、ただ強ければいいというものではない。まず、船の動かし方を知っておかなければならないのだ。風の読み方や海図の見方。アランが知らないわけではないのだが、そのすべてを弟にまかせてしまうというのはどうなんだろうか。
この兄は、海がただ楽しくてわくわくするものだと思っている。
「とにかく! ぼくらが海に出るのはナシ! これ以上言ったら絶交だからね!」
そう言い捨てると、アランは町の方へと走っていってしまった。
あとにはダレンだけが残される。背後から絶え間なく聞こえてくる波の音に、ダレンは海の方を向き直った。
父の墓のむこうには、どこまでも青い海が広がっている。海を愛した父がいつでも海を見ていられるように、お墓を立てるのはここに決めたのだ。
「なんだかんだで、おまえも海が好きなくせに」
ダレンのつぶやきは、風に乗って海へと飛んでいった。
*
二人の父は、レストランを営んでいた。母は早くに亡くなってしまっており、二人が手伝ったりたまに母の妹のサナが助っ人に来ることもあった。
「そんで、また振られちまったのかい」
サナはキッチンでフライパンを振りながら言った。
昼下がりのレストランは、数人のお客が入っている。お盆を手にしたダレンは、ふてくされた表情でサナをじとっと見た。
「振られたってなんだよ、サナさん。あいつは弟だよ?」
「乗組員を断られたんだろう? なら振られたも同然じゃないか」
豪快に笑うサナに、ダレンは返す言葉もなかった。
父が死んでから、サナは毎日このレストランに来るようになっていた。子どもだけでは暮らすのは不安がある。それを心配して、店を切り盛りしつつ兄弟の面倒を見てくれていたのだ。
もっとも、ダレンも料理ができないわけではない。いつも父にくっついて料理ができるさまを見ていた。立ったのが先か、包丁を握ったのが先かとまで言われるくらいだった。
ダレンはでき上がった料理をお盆に乗せる。
「ていうかアランがてつだい来なくてごめんね」
「いいの、いいの。まだコージさんが亡くなってから三ヶ月しか経ってないんだし」
そう言って上を見上げる。
帰ってきてから、アランは父の部屋に閉じこもっていた。きっとまた、父の航海日記を読み返しているのだろう。
サナの視線がダレンに戻る。
「そんなことより、あたしはあんたの方が心配だよ。お兄ちゃんだからってがんばりすぎなくてもいいんだよ?」
「だーいじょうぶ! まぁ悲しいっちゃ悲しいけど、おれには父さんみたいに海に出るって夢があるから」
そう言ってダレンは料理をお客さんへと運んでいった。