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八咫の皇女は奇病を食む ~おてんば娘の討魔奇譚~  作者: 八山たかを
「森に棲む、あるいは死の種を蒔くもの」
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序:「蛇足」


 平間京作は、上司の佐田(さだ)桂兵衛(かつらひょうえ)の憎らしい顔面に渾身の一撃を叩き込んだ。無論、妄想のなかで、である。

沌州(とんしゅう)*からたった今帰還し、報告書を提出したばかりの平間は、ようやく一週間ほど皇都でのんびりできる、と安堵していた。にもかかわらず彼は、よりによって日々頭脳労働にいそしむ上司に、平然と次の出張先を告げられたのである。しかもその台詞は「ご苦労。では明日から勝未に行ってきてくれ。調査期間は二ヶ月だ。じゃあ、よろしく!」であったものだから、せめて頭の中では一矢報いようと思い至ったのだ。

 しかし今回ばかりは我慢ならない。

「何が『よろしく』だ。こちとらたった今、半年の出張から帰ってきたばかりだぞ! いつもいつも出張出張出張……! たまにはお前が行ってみろよ!! そもそも何が二ヶ月だ……今まで二ヶ月で帰ってこれた(ためし)など無いだろう!!」

……と、平間は堂々と啖呵を切れるような男では残念ながらない。正解はこちら。


「……かしこまりました」

 まさに下級役人の(かがみ)のような受け答え。安定が羨望されることもあるが、役人とはおおむね、こういう(つら)い職業なのである。


 さて、私・平間電助の祖父で、今作の主人公でもあるこの平間京作という男だが、この者は取り立てて何か卓越した才能があるわけではないし、また他者に何かしてやろうとするような最低限の人格も持ち合わせていないのだ。であるから、人望やら何やらで成功する、古代の太祖**たちのような人種ではない。おまけに本質は好色だから目も当てられない。

 しかし、それはこの時点(と言っても今から五十年ほど前)の話で、昔(これも大体それくらい前)はそうでもなかった。

 平間はこの物語の開始時点である皇紀五十五年時で、二十二歳である。

 彼は幼いころ、学問に多少は秀でていたため、貧しく学の無い彼の両親は、我が子を神童だの後の大大臣だのと誉めそやした。幼さゆえの無知に囚われていた彼は、果たしてそれを鵜呑みにし、増長し、また(おの)が父母を見下した。

 若さから生まれる根拠の無い、そして後々一人で赤面するであろう自信である。若気の至りとも言う。


 そんな彼は十四の時、生まれて初めての挫折を味わうことになる。それについては後述するが、兎角(とかく)、彼は挫折した。その挫折からはや六年と四ヵ月と二十三日、未だに立ち直るきっかけを掴めずにいる。その間にもとから腐りかけていた彼の性格は、白蟻に蝕まれた柱のようにぼろぼろに腐敗し、ついに彼の鈍重なる自尊心を支えきれず、倒壊してしまっていた。要するに彼は、そんな(ひね)くれた男である。


 無論、読者諸兄におかれましては、このようなやさぐれ男の話なぞにあまり興味は無いかもしれないから、さっさとこのあたりで場面を変えることにする。安心して欲しい、次は可愛くて理知的な少女の話だ。

 けれども、この平間という男にも中々良いところがある。その事を頭の片隅に、それも片隅の片隅にでも良いから、置いておいて貰いたい。それは私にとって大変ありがたいことだから。


 さて、玲漸院(れいぜんいん)壱子(いちこ)の話をしよう。

 彼女はこの日、人生で初めての冒険へと踏み出そうとしていた。と言うのはあくまで彼女の主観に過ぎない。客観的事実のみを記述するならば、彼女が為そうとしている事はすなわち、皇宮からの脱走に過ぎなかった。


「次の角を右、二人通ったら、二つ目の角まで走る……通った!」

 壱子はなにやら小さな端紙を手にし、皇宮の廊下を駆け抜けていた。


 玲漸院壱子は皇女である。正式には玲漸院宮(れいぜんいんのみや)壱子内親王と言い、齢は十二で、父は前の帝、母はそれに仕える女官だった。

 ちなみにこれは完全に蛇足だろうが、私としてはこの国の大英雄を呼び捨てにするのは心苦しいものがある。彼女のおかげで具体的に何人の命が救われたか分からないが、彼女が活躍する前の皇国の惨状は、それはそれは酷いものだったらしい。なんでも当時の皇国では、生まれる赤ん坊の五人に一人は何らかの奇形を持っていたと言うし、また三人に一人は一年間生きられなかったとか、平均寿命が四十歳だったとか、今では到底信じられないような話がそこかしこにある。だから彼女がいなければ、私もこの世に生を受けることが出来なかったかもしれない。そういった意味では、玲漸院壱子という人物は私の命の恩人だといっても良いだろう。

 では何故そんな惨憺たる状況に皇国が陥っていたのだろうか。それについては諸説あるが、急速に勢力を拡大した皇国が内政に手を回しきれなかったことが一因であるといわれている。

 とは言えこの時はまだ、この少女がそんな大人物になる影も見えないし、いちいち尊称に割く墨も勿体無いから、まあ、呼び捨てでも許されるはずだ。


 話を戻そう。なぜ壱子がこの日、住み慣れた皇宮から抜け出そうとしていたかは諸説あるが、その内で最も有力なものとしては、前々日に彼女が兄である帝に、貴族の次男坊への降嫁(こうか)***を命じられたことが原因だ、と言うものがある。この次男坊とやらの正確な情報は残されていないので私は知る由も無いのだが、彼はなんでも中々貫禄のある腹をしており、また壱子とは三十近く歳が離れていたと言う噂だ。


 ところで壱子は、母から受け継いだ小さな魔鏡をいつも肌身離さず持ち歩いていたという。魔鏡と言っても何か特別な、魔法的な力を持っているわけではなく、原義としては「精密に磨き上げられた銅鏡」をこのように呼ぶのである。しかし事の顛末(てんまつ)を知る今の私としては、魔鏡の定義を貴兄らが想像したそれとしてしまっても、おおむね差し支えないと思う。

 なぜならこの金属製の板は、酸で腐食もしなければいかなる高熱にも融解せず、また壱子だけが起こすことの出来る不思議な現象が見られたというのだ。ただこの魔鏡は現存していないし、その現象を目撃した者もあまり多くは無い。それゆえ、これらの話を突拍子も無い寓話だ、と断ずるのが現在の主流である。だが私としては、彼女の功績があまりに偉大である要因の一端をこの魔鏡に求めたくなってしまう人々の気持ちもまた、理解できる。


 さて、壱子にとっては構造を熟知した皇宮を抜け出すのはそんなに難しいことでは無かった。そもそも皇宮を守護する者たちだって、誰かが外部から侵入することについて対策を講じていても、内部から外へ行こうとする者がいることなど考えもしなかっただろう。

 果たして、壱子は生まれて初めて卑界の土を踏むことが出来たのである。


 以上がこの物語の導入部分だが、以下はこの本の本質とはあまり関係が無い部分であるから、お急ぎの方は読み飛ばしていただいて構わない。まあ、そんな対した分量でもないが。

 私としてはこの物語を記すにあたり、正確さよりも話としての面白さを優先して書こうと思っている。なぜなら私は、この本を「皇国を謎の敵から救った英雄の叙事詩」のようなものと位置づけて書こうと思っているからだ。さしずめ、三国志演義と水滸伝を足して史記を引いたものと言ったところだろうか。つまるところ、壱子の魔鏡伝説と同じ、寓話に過ぎない。それを踏まえていただけたら幸いだ。

 私が言いたいことは以上である。


それでは、はじまりはじまり。


*沌州:皇国最大の島である春屋島の、西部に位置する行政区。すごく田舎。

**太祖:国家や王朝を打ち立てた人のこと。

***降嫁:身分の高い女性が、自身よりも卑しい身分の者の許へ嫁ぐこと。


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