2.呪と言の葉
自室に戻った私は、抱き抱えたままベッドの端に座った。
その間、嫌がる事も寄り添う事もなく腕の中にいた彼女。
私は両手で彼女の頬に触れ自分の方へ向かせる。
光のない目を見つめる私。
「ひすい、翡翠。私がわかる?」
とても優しく、問いかける。
だが同じく、何も反応してくれない。
翡翠。
彼女の本当の名前。
命の名前。
本来本当の名前は知られてはいけないもの。
名付けた親にのみが知っているもので、兄弟さえも知らされる事はない。
本当の名前で命令されれば、呪によって知られたものに支配されるからだ。
彼女の様子からして、名前で支配されている事が想像できた。
普通なら命の名前と命令は組してひとつ。
命の名前を言った時点で呪は解け、その命令は崩れるもの。
だが本来の名前を呼んでも反応がない。
この呪を解く為には、名前の他に言の葉が混じっているようだ。
強い術師が本来の呪の他に違う言葉も混ぜてしまったようだ。
命の名前と2つの言の葉。
それほどまでにして、翡翠にどんな命令をしたんだ。
言の葉が分からない以上、今はどうしてやる事も出来ない。
私は優しく翡翠を抱きよせた。
抱き返す事もないが今の私には、こうしてあげる事が精一杯だった。
その日から私は片時も翡翠を離さなかった。
離れていた時間を少しでもうめたい。
翡翠に近づきたい。
今まで私がこんなにも何かに執着する事なかった。
周りの貴族たちは、みんな驚いていたが意見をする者は一人もいなった。
私は色々な言の葉で問いかけてみた。
しかし全く反応を示してくれない。
それでも翡翠の側にいれるだけで満ち足りた時間だった。
数か月が過ぎても好転する気配はなかった。
さして私は気にとめる事もしなかった。
しかしさすがに黙認してきた貴族たちから意見が出始める。
会議中も、いつものように翡翠は私の膝の上で静かに座っていた。
一言も話さず、じっと聞いていた龍王。
それをいい事に調子にのったのか、ポツリポツリと本音が飛び交う。
他の巫女と交代した方がいいのではないか?
何かに取りつかれ様な巫女では気味が悪い。
もっと他に巫女はいるだろう。
あの巫女でなくてもいいだろう。
翡翠を非難する言葉が聞こえてきた。
””こいつらは、なにを勝手なことばかり!!
””私の巫女は翡翠だけだ!!
怒りをそいつらににぶつけようと身を乗り出した時、いつもと違う事に気付いた。
何かが私の袖を軽く引っ張る感触を感じた。
その方を見ると、驚いたことに翡翠が私の袖を掴んでいたのだ。
自ら何かをした仕草をしたのは初めての事だった。
私は翡翠を見つめ返す。
「どうしたの?」
翡翠を驚かせないように、優しく言葉をかけた。
その穏やかな龍王の表情に周りの貴族たちは、驚いていた。
無表情。冷酷無比な龍王が笑っている?!
それを無視して、翡翠に笑いかける。
「こ・こに・・いたい。」
久しぶりに聞く翡翠の声。
他の者には聞こえない。
小さいが確かに聞こえた。
絞り出すような擦れた声。
少し舌足らずの口調。
ゆっくりとしたリズム。
「周りの者が巫女の交代の話をしたから、不安になったの?」
瞳は変わらず淀んだままだったが、翡翠の首が小さく頷いた。
「またどこかに連れて行かれると思って不安になった?」
また頷く。
今までにない、反応。
呪は解かれてはいないが、それを抗うほどの意志。
翡翠の精一杯の抵抗。
私は一目もはばからず強く翡翠を抱きしめ、腕の中に閉じ込めた。
翡翠のとても小さな身体はすっぽりと私に包まれる。
なんと愛らしい事か。
何も心配はいらないというのに。
会議の途中で無理やり終わらせ部屋に戻る。
椅子に座ると少しだけ顔を出す翡翠。
相変わらずその瞳に意志を感じる事はなかった。
しかし、不安を移す様に翡翠は私の袖をしっかりと握っていた。
その可愛らしい反応に、心がほんのり温かくなる。
翡翠はなぜこんなにも、私の頑なに冷え切った心をいとも簡単に癒してくれるのだろうか。
昔も今も、翡翠の前ならありのままの自分でいられる。
必要な存在。なくてはならない大切な存在。
「心配しないで、ずっとここにいていいんだよ。」
袖を握っている手の上から優しく包み込む様に握る手。
小さな手が私の手で隠れて見えなくなった。
なんと小さな身体、か弱き人であることか。
少し力を強くすれば、いとも簡単に砕け散るだろう。
どれぐらいそうしていただろうか?
私の腕の中で安心したように、いつの間にか眠ってしまった翡翠。
その寝顔を穏やかな気持ちで見つめる。
やっと自分の腕に戻って来た。
待ち望んだ希望がこの腕の中にある。
全身全霊をかけて守ってみせる。
翡翠という存在そのものを。
誰にも傷つけはさせはしない。
””青龍の国に行く!!
呪からの解放。
その手がかりを掴むため、翡翠が監禁されていた国、青龍の国に行く事を決意する。