第7章
(1)
トキタフーズの本社は梅田の中心部にあった。12階建ての自社ビルは、イタリアの何とか言う有名なデザイナーが手がけたものだと聞く。
応接室はその最上階にしつらえられており、一目で高級品とわかる黒革のソファが置かれていた。
「えらいもんやなあ。冷凍食品ってそんなに儲かるもんなんか?」
隣に座った宣宏が、小さな声でささやく。
「そうなんちゃう? 最近では、レストランチェーンなんかも手がけてるらしいしねえ」
私も小声で応じた。
今日はタクミも井頭も仕事で時間が取れず、私と宣宏だけがトキタフーズを訪れていた。
「お待たせしました」
少しして現れたのは、ジュンヤとそっくりな男性――兄の文也だった。宣宏が立ち上がって名刺を交換する。
「それで、今日は何のご用でしょう」
私達の前に腰を下ろしながら、文也が尋ねた。
「実は、ジュンヤ君のことなんです」
宣宏が切り出した。文也は黙ってこちらを見ている。
「彼は、ヨシロー君を殺したのは自分だと言い張っています。警察もその方向で固まっているようです。このままでは、彼は確実に逮捕されてしまいます」
その時、秘書と思しき女性がコーヒーを持って現れた。3人の前に置き終わり、部屋を出るのを待って宣宏が続ける。
「私は、犯人はジュンヤ君ではないと考えています。彼は誰かをかばっているのだと」
「ほう。誰をかばっていると言うんですか?」
文也はスティックシュガーの口を破りながら尋ねた。
「あなたですよ。文也さん」
宣宏が穏やかな声で答えると、文也の手が止まった。
「私ですか? 根拠は?」
「目撃者は、ジュンヤ君によく似た男性を見ています。その人物は帽子を目深にかぶっていた。失礼ですが、あなたの口元はジュンヤ君に本当によく似ていますよね」
宣宏が言うと、文也はふっと鼻で笑った。
「それだけで、私を犯人やと言われるんですか。お話になりませんね」
すると、宣宏は上着のポケットに手を入れ、手帳を取り出した。挟まれていた写真を文也に見せる。
「では、このミニカーはどうですか?」
「これ、ジュンヤ君のものですよね?」
私が口を挟むと、文也はその写真をに目を向けることなく、シュガーをコーヒーに流し入れた。
「だったら何だと言うんですか?」
「このミニカーは1979年11月18日の古新聞に包んでありました。あなたのお母様が亡くなられたまさにその日の新聞にです」
宣宏の言葉に何の反応も見せず、文也はスプーンでコーヒをかきまぜている。
「ジュンヤ君は、警察でこれを見せられた時、驚いたそうです。そして、それから自白を始めた。これはどういうことやと思われますか?」
宣宏が言った時、文也の手が止まった。
「これを見た時、ジュンヤ君は初めて、お母様の死の真相を知ったんでしょう。つまり、原因は自分が置き忘れたミニカーにあったんやということにね」
宣宏は続ける。
「ジュンヤ君は愕然としたでしょうね。今まで、あなたが母親を殺したんやと思い込んで、恨み続けてきた。でも、実は自分のせいやったと気付かされたんですから。
あなたはお母様と一緒に転落したわけですし、当然、その真相を知っていたはずですよね。でも、それをジュンヤ君には知らせず、黙って恨まれていた。そのことを知ったジュンヤ君は、いったい何を思ったでしょう」
「ジュンヤ君は、現場で自分を見たという目撃情報を、取り調べの中で知らされていた。母親の転落死に関係していて、自分と間違われてもおかしくない人物。――ジュンヤ君が、ヨシロー君を殺害した真犯人に思い至ったのは、当然のことでしょう。そして、なぜあなたがヨシロー君を殺害したのか、その理由にも気づいたんだと思います」
私は宣宏の後を次ぐと、続けた。
「あなたはジュンヤ君に、母親の死の真相を知らせまいとした。これまでと同じように、自分が恨まれ続ける道を選ぼうとした。それはあなたの、ジュンヤ君に対する愛情に他ならなかった。ジュンヤ君は、そのことに気づいたんです。せやから、あなたの身代わりを買って出た。
ジュンヤ君、一生懸命、犯人は自分やと訴えたらしいですよ。その様子を見ていた刑事は、彼が大切なものを必死で守ろうとしているように見えたと言っていました。――この推測は間違いでしょうか」
文也がスプーンをソーサーの上に置き、目を閉じた。宣宏が静かな声で語りかける。
「今のままやと、ジュンヤ君はヨシロー君を殺した犯人として裁かれることになるでしょう。漫才師として頑張ってきた彼の新たな人生も、これですべて終わりです」
文也は目を開けるとこちらを見た。
「それで、私にどうしろとおっしゃるんですか?」
私は答えた。
「あなたは、ジュンヤ君の新しい人生をずっと見守ってこられたんですよね。私はジュンヤ君が出演していたVTRの中に、あなたの姿を見つけました。舞台上のジュンヤ君を見つめるあなたの眼差しは、とても優しいものでした。
そんなあなたなら、ジュンヤ君のために何をしたらいいのか、おわかりのはずですよね」
文也はコーヒーをすするとカップを置き、ほっと息を吐いた。そして、ゆっくりと話し始めた。
(2)
「ジュンヤが生まれたのは僕が6歳の時でした。未熟児でね。保育器の中にいる彼を見ながら、子供心に愛おしく思ったものです」
彼は、遠くを見るような目をして続けた。
「うちの親父は厳しい人でねえ。何かあると、すぐ手が出るんですよ。特にジュンヤは利かん気が強くて、よく打たれていました」
文也はそこまで話すと、またコーヒーを一口飲んだ。
「母親と一緒に階段下に転落した時、目の前に壊れたミニカーが落ちていることに気づいたんです。私はすぐに、それがジュンヤのものだということに気付きました。私があげたミニカーに、自分で色を塗って遊んでいましたからね。
もし、ジュンヤのせいで私達が転げ落ちたんやとしたら、父親は必ずジュンヤのことを折檻するやろう。私は、絶対にミニカーのことは知られていけないと思いました。それで、駆けつけた祖母にそのミニカーを渡したんです。祖母もすぐにわかったらしく、任せておけと言って受け取りました」
「それじゃあ、ジュンヤ君は、自分のミニカーが転落の原因になったということを知らなかったんですね」
宣宏が確認する。
「ええ。あいつ、しばらくは『ミニカーが無くなった』って探し回ってたんですけど、子供は飽きるのが早いですからね。そのうちに忘れていってくれました。
にしても、当日の新聞に包んでしまっておくなんて、祖母も全くドジなことをしてくれたものですね」
文也が苦笑するのを見て、私は尋ねた。
「お祖母さんとあなたは、本当は仲がよかったんでしょう? どうして仲の悪いふりなんて?」
「新しく来た母親が、祖母と折り合いが悪かったんですよ。あまり懐くと、今度はこちらがいじめられる。それで、祖母が『自分とは関わらないように』って言うてね。僕はもともと器用ですし、当時はもう小学校6年でしたからね。上手い具合に演技ができたわけです。でも、ジュンヤはそういうことができない子でした。まあ、小学校に上がるか上がらないかの子供に、そんな演技をしろという方が無理なんですけどね。
彼の目には、私が裏切り者のように映ったんでしょう。余計に嫌われてしまってね」
文也が寂しそうに笑う。
「どうして弁解されなかったんですか?」
宣宏が尋ねる。文也はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「そうですね。弁解したらよかったのかもしれませんね。でも、なぜかできなかった」
彼は少し間を開けて続けた。
「ただ素直になれなかっただけかもしれませんね。いや、どうなんやろう。僕に真っ向から挑んでくるジュンヤのことが、むしろ好きやったのかもしれません。ほんまに、兄弟っちゅうのは難しいもんですよ」
どういう言葉をかけたらいいのかわからず、私達は黙り込んだ。文也はコーヒーを一口すすると、カップを手にしたまま立ち上がり、窓辺に向かった。窓の外を見ながら、再び口を開く。
「ヨシローから連絡があったのは、私が祖母の病院から会社に戻ってすぐのことでした。あの日、彼は借金を申し込むため、祖母を訪ねたらしいんです。でも、祖母は外出していた。そこで、鍵の開いていた風呂場の窓から中に入り、あれこれ物色しているうちに、あのミニカーを見つけたそうなんです。そして、家を出ようとした時、買い物から戻ってきた祖母と鉢合わせした」
「それで、お婆さんを殴り倒したというわけですね」
宣宏が尋ねると、彼は頷いた。
「ええ。ヨシローは、祖母を殺してしまったと思い込んでいたみたいですね。祖母の買い物を見て、おでんを作っていることに気づいた彼は、それを使ってアリバイ工作することを思い付いたそうです。しかし、警察はジュンヤを犯人と思い捕まえてしまった」
文也は振り返った。
「あなた方がおっしゃるように、ヨシローはあのミニカーがジュンヤのものであることに気付いていました。それで、私を脅してきたんです。このことを公表すれば、ジュンヤのイメージは落ちるだろう。それに、真相を知らされたジュンヤ自身も、今度こそ立ち直れなくなるってね。――彼は500万円を要求してきました」
「あなたは応じる振りをして、ヨシローの家を訪れた」
宣宏の言葉に頷くと、文也は話を続けた。
「そうです。ヤツが私に背を向けて金を数えていた時、私は包丁で彼の背中を刺しました。もちろん、最初から殺すつもりでしたよ。生かしておいたら、またジュンヤの足を引っ張るかもしれませんからね。
でも、まさかミニカーのニセモノを作っておくなんて。私も子供の頃に見たっきりですから、渡されたミニカーを見て本物やと思い込んでしまって……」
「結局、ジュンヤ君に、真相を知られることになってしまったんですね」
私が話しかけると、彼は首を小さく横に振った。
「興信所に頼んでジュンヤのアリバイを探し出してもらったんですが、あいつはそれを否定したって話でしたしねえ。てっきり、自暴自棄になっているのかと心配していたんですが……」
そして、ゆっくりと天井を見上げるとつぶやいた。
「そうですか。ジュンヤは私をかばって……。そうですか」
その顔には、穏やかな微笑が浮かんでいた。
(3)
「え~? あのアウトサイドと合同ライブってどういうこと?」
イワタ演芸場の楽屋3に、深雪の大声が響き渡った。今日はいよいよ「ネタ盛り」の本番だ。事件のお陰で稽古の時間があまり取れなかったのが不安だが、ここまで来たらやるしかない。
「小鮒師匠が、両方の事務所に掛け合ってくれたみたいやで。まあ、直接対決っていうんも、ええのと違う?」
私は、塗り終わったリップをポーチに戻しながら言った。
「直接対決って言われてもなあ。ファンの子達がいざこざ起さへんかったらええけど。――あれ? 彩香、なんか嬉しそうやで」
深雪が私の顔を覗き込んで、ニッと笑う。
「そっか。これで堂々とタクミに会えるもんなあ」
「あのなあ。事件がらみで会ってただけやって、ちゃんと説明したやろ?」
動揺する気持ちを抑えて言い返すと、深雪は私の頬を軽く指で突いて微笑んだ。
「ふふふ~ん。耳まで真っ赤になっちゃって。彩香ってほんま、わかりやすくて可愛いわあ」
「あんた、ほんまに、ええ加減にせな怒るで」
振り向く私に向かい、深雪は舌をペロッと出して見せた。
「まったくもう」
ため息を吐きながら、ポーチのファスナーを閉める。
トキタフーズ社長である戸北文也の出頭は、世間を大いに騒がせることとなった。会社の方も大打撃を受けたようだが、人事を一新し、建て直しを図るという。
釈放されたジュンヤは、もう芸人などできないと言い張り、周りを困らせたらしい。しかし、他ならぬ兄自身がジュンヤの復帰を望んでいること、そしてタクミの必死の説得により、舞台へと戻る気になったそうだ。
お婆さんも徐々に回復し、退院に向けリハビリに入ったという。
『ジュンヤがありがとうって言うてたよ』
この間の電話で、タクミからそう聞かされた。多分、私を気遣ってタクミが勝手に言っているのだろうが。
「涼之介さん、そろそろスタンバイお願いします」
ドアの向こうから、スタッフの声が聞こえてくる。
「行こうか、深雪」
「よっしゃ」
顔を見合わせて頷くと、私達は元気よく立ち上がった。
<了>




