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好敵手  作者: 深月咲楽
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第5章

(1)


 翌日の午前10時過ぎ、私は岩田事務所本社にいた。本社は、イワタゴールデンシアターという、事務所の主要な劇場の4階に置かれている。同じフロアには他に大小いくつかの会議室があり、ベテランの芸人達との打ち合わせや、雑誌の取材を受ける際などに用いられていた。

 私は、中でも一番小さな会議室Aのソファに座っていた。テーブルを挟んで向かい側には広報部の池谷いけたに部長が座り、私の背後には峰村マネージャーが立っている。

「これ、どういうことや?」

 池谷部長が、私の前に折りたたまれた新聞を差し出した。

 彼は、頭頂部を横の髪の毛でカバーしているため、ちょっと不思議な髪型になっている。口の悪い芸人達がこのことを放っておくわけはなく、色々なところで話題にされていた。職員という裏方的な存在でありながら、ファンの間でも有名な人物である。

 差し出された新聞は『大阪日日スポーツ』。受け取って広げると、そこにはジュンヤが警察で事情を聞かれているといった内容の記事が大きく掲げられていた。

 私がお婆さん――戸北千寿子ときたちずこさんというらしい――を発見したことでも載せられているのかと思い読み進めたが、どこにもそんなことは書かれていない。

「どういうことって……?」

 不思議に思って尋ねると、峰村マネージャーが後ろから紙面の隅の方を指差した。

「これや」

 指の先の小さな記事に、思わず目を疑う。そこには、「涼之介・新田とアウトサイド・タクミ、熱愛発覚!」という見出しが付けられていた。ダイアリイで飲んでいるところを目撃されたらしい。「ばれることを怖れたのだろう、2人は時間をずらしてそのバーに現れた」だの「少しして痴話喧嘩が始まった。あのクールなタクミが新田に向かって必死で手を合わせ、頭を下げていた」だの、真実を知っている人間から見たら失笑してしまうような内容になっている。

「お前、タクミと付き合うてるんか?」

 池谷部長がぎょろっとした目で私の方を見る。

「いえ、付き合ってませんよ」

 私は大きく手を振った。

「ほんなら、なんで2人で飲みに行ったりしてるんや? アウトサイドがお前を中傷したこと、河合プロに抗議までしたんやぞ。それが、こんな風に実は仲が良かったんですなんてことになったら、こちらの立場がないやろが」

「ネットでも、『不仲は話題づくりのヤラセやったんちゃうか』なんて噂が囁かれているみたいやで。お前にとってもイメージダウンやろ?」

 峰村マネージャーがテーブルに手をついて、私の顔を覗き込むようにして言う。

「いや、ほんまに、そんな関係と違うんですよ。ジュンヤの事件を担当している刑事が私の友人なんで、助けてくれへんかって頼まれただけです。その流れで弁護士を紹介したりもしたんですけど、それだけのことですし」

 私が答えると、池谷部長は腕を組んだ。

「ほんなら、お前とタクミは、ここに書かれているような関係ではないんやな?」

「もちろんです」

 勢いよく頷く。

「わかった。しばらくは張られてるかもしらんし、誤解されるような行動は慎んでくれや」

 池谷部長はそう言うと、立ち上がった。


(2)


 ファストフード店で適当に時間を潰し、午後1時にテレビ局に入った。

 打ち合わせが一通り終わり、本番まで楽屋で待機する。今回、出演者の中で女性は私と深雪だけだったため、楽屋は2人きりだった。

「なあ、どういうこと? タクミとはどうなってんの?」

 深雪が少しふてくされたように尋ねてくる。

「せやから、何でもないって」

 さっきから何度同じ会話を繰り返していることか。いい加減うんざりしながら答えていると、バッグに入れてあった携帯がメロディーを奏で始めた。

「もしかして、タクミからなんと違う?」

 深雪が探るような目で私を見つめる。

「まさか」

 言いながら携帯を手にとってモニターを確認し、思わずあっと声を上げそうになる。その「まさか」の電話だった。

「ちょっとごめんな」

 そう言って携帯を持つと、急いで廊下に向かう。

「もしもし」

 人気ない階段の踊り場に出ると、私は小さな声で応答した。

「今、大丈夫?」

 タクミもつられたように小さな声で尋ねてくる。

「うん。少しやったら」

「そうか」

 タクミはそう言うと、続けた。

「『大阪日日』の記事、ごめんな。俺がキミを呼んだばっかりに」

「ううん、ええねん。気にせんといて」

 私が答えると、タクミは少し間を開けて本題に入った。

「それがな。さっき、大曽根先生から電話があってんけど、どうやらあのミニカー、事件と関係があるらしいねん」

「どういうこと?」

「どうやら、ジュンヤのバアちゃんの指紋が出たらしくてな」

「え? ジュンヤのお祖母さんの?」

 思わず声が大きくなる。

「ああ。今夜、先生に会って詳しい話を聞くことになってんねんけど、君も来えへんか?」

「そうやなあ」

 宣宏の話をすぐに聞きたいのはヤマヤマだが、あんな記事が出てしまったからには、会わない方がいいような気がする。

「今日は遠慮しとくわ。また後で宣宏から話聞かせてもらうし」

 私が答えると、タクミからは思いがけない言葉が返ってきた。

「せやけど、俺、新田さんに会いたいねん」

「え? なんで? また記事になったりしたら大変やん」

 意図がわからず戸惑う。

「俺、今頼れるのん、新田さんしかいてへんし」

 彼はそう言うと、少し間を開けて続けた。

「でも、もう会うたらアカンよな。俺みたいなもんと噂になるやなんて、迷惑やろうしな」

 その寂しそうな声に、私は思わず答えた。

「ううん、そういうわけやないねん。ただ、うちらは仲が悪いって色々なところで言われてるやろ? それやのに、噂になったりしたらアカンのちゃうかなって意味やねん」

「ほんまに? せやけど、今日は大曽根先生が一緒やし、噂の方は大丈夫なんちゃうかな?」

「そうやねえ。でも、『大阪日日』のことやから、また都合のいいこと書かれてまうかもしらんしねえ」

 私はしばし考え込んだが、意を決して頷いた。

「わかった。行くわ。何時にどこ?」

 タクミから教えられた時間と場所を復唱し、電話を切る。その時、背後から声をかけられた。

「タクミか?」

 驚いて振り返ると、そこには井頭が立っていた。彼は今日の番組に作家として参加している。

「いえ、違いますよ」

 私は動揺を顔に出さないように、首を振った。

「せやけど、噂がどうとか言うてたやんけ。それに、ジュンヤの話もしてたやろ?」

 どうやら、話を聞かれていたらしい。私はあえて微笑んだ。

「偶然、私の大学時代の友達がジュンヤの弁護をしているんです。それで、経過を教えてもらったんです」

「なんで、お前がジュンヤのことを知る必要があるねん」

「ただの好奇心です」

 井頭の目を見て答える。

「――ちょっと、彩香。そこにいてるの?」

 その時、向こうの方から深雪の声が聞こえた。

「そろそろ出番やし、すぐ来てや」

「わかった。先に行ってて」

 私は大声で答えると、井頭に小さく頭を下げ、深雪の後を追った。


(3)


 午後7時ちょっと前、私は指定された居酒屋の個室にいた。宣宏は少し到着が遅れており、4人用の丸テーブルには、私とタクミが向かい合って座っている。こんなところを見られたら、また何を書き立てられるかわかったもんじゃない。

 あの池谷部長のゆでダコのような顔を思い浮かべ、少々憂鬱な気分になる。

「迷惑やったやんな。やっぱり」

 私の気持ちを感じたのか、タクミがジョッキについた水滴を指でなぞりながら言った。

「ううん、そんなことないよ。私もジュンヤの事件のこと、気になってるし」

 正直に迷惑だと言ってやればいいのだが、彼の寂しそうな表情を見ると何となく言うことができない。

「なあ、新田さん」

「何?」

 顔を向けると、彼は微笑んだ。

「俺、なんか誤解してたわ。キミはインテリを鼻にかけたイヤな女やと思ってた」

 なんとまあ、正直な男だ。私は吹き出しそうになりながら答えた。

「前に『元ホストやから雇ってもらえた』って言うてたやん? それやったら、私も一緒やわ。国立大出てるから雇ってもらえたんよ。せやから、どうしてもそのイメージでいかなアカン。わかるやろ?」

「うん。俺もこんな格好の方が楽やけど、やっぱりちょっとホストっぽい衣装着なアカンかったりするもんなあ。おばちゃんを口説く企画とかも多いし」

 タクミはところどころ破れたジーンズを指差して溜息を吐く。

「お笑いは、自分の過去までネタにせなアカン仕事やから。そう思って諦めるしかないわね」

「ほんまやな。因果な商売を選んでもうたもんや」

 私達は顔を見合わせて笑った。

 少しして、お通しとおしぼりを持った店員が現れた。ビールといくつかの料理を頼む。

「――彩香、お前、何やってんねん」

 店員が下がるのと入れ違いに個室のドアが開き、井頭が顔を出した。

「あ、え?」

 驚いて立ち上がる。

「悪いとは思ったけど気になってもうてな。お前が電話で言うてたこの店に来てみたんや」

 何か言おうとしたタクミを手で制すると、井頭は私の前に来た。

「で、これはどういうことや? なんでタクミと2人でこんなとこにいてんねん」

「それは、あの……」

「お前、池谷部長からも注意されとったやろが。こんなことしとったら、次のCMも他に回されてまうぞ」

 井頭はそう言うと、タクミの方を見た。

「君もどういうつもりやねん? 相方が大変なことになってるっていうのに、彩香に近付いてくるってどういうことや」

「申し訳ありません」

 タクミは頭を下げると続けた。

「新田さんに弁護士さんを紹介してもらったんです。それで、つい色々と甘えてしまって」

「弁護士を紹介した? ジュンヤのか? 何でや?」

 井頭が私の顔を見る。

「それが、あの、成り行き上……」

「そうなんです。成り行き上って感じで」

 タクミが私に同調するのを見て、井頭が私達の間の椅子を引き出した。

「何や、訳がありそうやな。詳しい話を聞かせてくれへんか?」


(4)


「ふうん。偶然、ジュンヤのお祖母さんとなあ」

 井頭は、これまでの経過を聞き終わった後、そう言って黙り込んだ。間を持てあまし、タクミの方を見ると、彼も私の方を不安そうに見つめている。

「おう、遅くなってごめんな」

 その時、引き戸が開いて宣宏が現れた。タクミが立ち上がって頭を下げる。宣宏は片手を挙げて応じたが、井頭を見て驚いた表情を浮かべた。

「あ、申し訳ありません。彩香と同じ事務所の井頭です。突然お邪魔してしまって」

 井頭が慌てて立ち上がり、上着のポケットから名刺入れを取り出す。

「いえ、あの弁護士の大曽根です。彩香とは大学が一緒で」

 宣宏も急いで名刺入れを取り出した。2人が名刺を交換し合うのを、座ったまま眺める。

「ジュンヤの弁護をされてるとか」

 井頭が、椅子に腰を下ろしながら尋ねる。

「ええ。彩香から頼まれましてね」

 宣宏はそう言うと、井頭の正面の椅子に座った。

「それで、例のミニカーはどうなったん?」

 宣宏が私の質問に答える前に、店員が大根サラダと串の盛り合わせを持って現れた。ビールと料理の追加分を頼んで、再び本題に入る。

「あの古新聞からもミニカーからも、お婆さんの指紋が見つかってな。ヨシロー君の指紋もあったらしい。クッションから見つかったミニカーは、1974年からイルマというおもちゃメーカーが販売していたものやった。でも、ヨシロー君にそのミニカーをプレゼントした女性の話では、彼にあげたのは2003年に限定販売されたものやったそうや。つまり、この間俺らが見つけたミニカーは、ヨシロー君のものではないねん」

 宣宏は、串を一本手に取ると、続けた。

「それから、やっぱりあの黒い部分は油性のサインペンで後から色付けされたみたいやな。ボンネットと座席は塗りつぶされとって、ドアにはラインが入れられとったそうや」

「お婆さんの指紋があったっていうのは、どういうこと?」

 私の質問に、宣宏は首を傾げた。

「それがさっぱりわからへんねん。昔、コンビを組んどった頃にでも、お婆さんがあげたんやろうかなあ」

「でも、壊れたものを人にあげるなんてあり得ませんしねえ。もし、バアちゃんがあげたもんやとしたら、ヨシローが潰したってことになりますよねえ。あの居間に置かれてたハンマーを使って」

 食べ終わった串をカラ入れに入れながら、タクミが尋ねる。

「それが、潰れてる部分からも、お婆さんの指紋が見つかってるらしいんですよ。つまり、お婆さんの手元にあれがあった時から、既に壊れとったってことになりますね」

 宣宏がそう答えた時、店員がビールと追加の料理を持って現れた。会話はしばし中断される。

「あの、部外者ですけど、ちょっといいですか?」

 店員が下がった後、井頭が口を開いた。

「どうぞ」

 宣宏が微笑む。

「そのミニカー、クッションの中に隠されていたんですよね? もらったものなら、そんなことしないんと違いますか?」

「ああ、たしかにそれはそうですね」

 宣宏が頷くのを見て、井頭は続けた。

「お婆さんを襲った犯人、ヨシローなんと違いますか? その時に、潰れたミニカーを見つけて持ち出した」

「何のためにですか?」

 私が尋ねると、彼は私の方を見た。

「ヨシローは、ジュンヤに関するネタで大金が入るようなことを言うてたんやろ? それがそのネタやったとは考えられへんか?」

「でも、犯人はヨシローを殺しただけで帰ってるんですよ。脅迫のネタって、家中探し回ってでも取り返したいもんと違いますか?」

 私が反論すると、彼は頷いた。

「その通りや。せやから、ヨシローのカウンタックが無くなっとったんや」

「ああ、そういうことか」

 よくわからず目をしばたたかせる私の隣で、宣宏が井頭の方を見る。

「ヨシロー君は、自分のカウンタックに同じように色を塗り、潰した。そして、それを本物のネタであるかのように見せかけて、犯人に渡したってことですね。自分であのカウンタックをコレクション・ボードから取り出したのなら、鍵の問題もすぐに解けますし」

「そういうことやと思います。本物を隠していたってことは、この先も強請りの材料に使うつもりだったんでしょう」

「なるほどなあ。犯人は本物を手に入れたと思い込んで、何も探さずに出て行ったってことか」

 井頭の答えに、タクミが感心したように何度も頷く。

「それなら、バアちゃんを襲ったのはジュンヤではないってことになりますね。その上、ヨシローが殺された時間、ジュンヤにはアリバイがあったわけやし。これでジュンヤは無罪放免や」

 タクミが嬉しそうに宣宏の方を見る。

「ねえ、ジュンヤにアリバイがあったってどういうこと? 本人は家で寝てたって言うてたんやろ?」

 私が尋ねると、タクミはこちらを向いた。

「多分、相手の女の子のことを気遣ってたんちゃうかな」

「女の子って?」

 私の質問に、タクミが答える。

「ATSUMIって知ってる?」

「うん、知ってるで。何回か一緒に仕事したことあるわ」

 ATSUMIというのは、最近関西で売り出し中のバラエティアイドルだ。言いにくいことでもズバズバ口にする、いわゆる今時の子という雰囲気の女の子である。たしか今年18歳になったばかりだったと思う。

「実は、昨日の夜、ATSUMIから電話があってな。ヨシローが殺された日、ジュンヤ午後9時過ぎから朝までATSUMIと一緒にいてたらしいねん」

「朝までって……。あの2人、付き合うてるの?」

 私の言葉にタクミが答えた。

「いやあ、別に付き合うてるわけとちゃうみたいやで。ATSUMIはノリやったって言うてたし」

「ノリ?」

「うん、ジュンヤ、あの日は警察でさんざん絞られて腐っとったんちゃう? バアちゃんの無事も確認できたし、適当に知り合いのとこに電話しとったらしいねん。で、引っかかったんがATSUMIやったみたいやな。それから、飲みに行って盛り上がって、ATSUMIの部屋に上がり込んで……」

「朝まで一緒にいてたってわけやね」

 なかば呆れ気味に続ける。

「ジュンヤ、途中で抜けたとか、そういうこともなかったん?」

「らしいな。何度も頑張ったし、絶対外には出てへんってATSUMIは言うとったで」

 タクミはそう言うと、意味ありげな表情を浮かべる。

「へえ」

 何度も頑張った? そんなことを平気で言うのか、最近の娘は。呆れる私を無視して、彼は続けた。

「でな、ATSUMIのマンションのエントランスに防犯カメラが付いとったらしいねん。それを見てもらえばはっきりするって言うてたし、彼女がかばってへんのはたしかや。今日、そのことを警察に伝えてもらうように、先生に頼んどってんけど」

 タクミが宣宏の方を見ると、彼は残念そうにため息を吐いた。

「タクミ君。それが、どうもダメみたいなんですよ」

「どういうこと?」

 私が尋ねると、宣宏はビールを一口飲んで答えた。

「ジュンヤ君、昨夜、急に、ヨシローを殺したんは自分やって言い出したみたいで」

「え? 何でですか?」

 タクミが顔色を変える。

「本人は、ヨシロー君がお婆さんを襲ったことに気付いて、復讐しに行ったって言うてるみたいですね」

 宣宏がため息を吐いた。

「何でヨシローが犯人やって気付いたん?」

 不思議に思って尋ねる。すると、宣宏は首を横に振った。

「それが、何となくらしいねん。自分の周りでお婆さんから金をせしめようとするヤツなんて、ヨシローしかおれへんからとか言うてるらしいわ」

「そんないい加減な理由で、人殺しなんてする?」

 驚いて宣宏の顔を見ると、彼は顎に手を当てた。

「事実、お婆さんの部屋の所々からヨシロー君の指紋が発見されてる。ただ、コンビを組んどった頃にはよく出入りしとったらしいし、それがすぐに強盗事件につながるとは言われへんやろな。それに、ヨシロー君は、お婆さんが襲われた日の午前11時から午後3時頃まで、ナンバ駅近くのパチンコ屋にいてたみたいやし。防犯カメラに写ってたって話やったわ」

「アリバイがあるってこと? それやったら、ヨシローは犯人と違うってことになるやんなあ」

 私が確認すると、宣宏は頷いた。

「ああ。あのおでんの状態から見て、お婆さんが襲われたんはお昼頃やったと思われるからなあ」

「俺、ちょっと気になってんねんけど」

 タクミはそう言いながら、私の方を見た。

「バアちゃんが倒れてるのん見つけた時、かかってた鍋はひとつだけやった?」

「うん、ひとつだけやったよ。焦げてたんを、流しに置いて水かけて……。間違いないわ」

 思い出しながら答える。

「牛スジは? その鍋に入ってた?」

「多分。竹串らしきものの一部が、焦げずに残ってたし」

「そうか」

 タクミはそう言うと、顔を上げた。

「前にも言うたけど、バアちゃん、牛スジが嫌いやってん。それでな、他のタネと一緒に炊くとニオイが移るしイヤやって言うて、牛スジだけ別に炊いとったんや」

「ほんなら、今回だけ一緒に炊いてたってこと?」

「いや、そんなはずないと思うねん。バアちゃん、おでんにはほんまにこだわりがあってなあ。俺、一度手伝ったことがあるねんけど、いちいち順番があるねん。大根とか卵とかは味をしみ込ませるために早めから炊き始める。でも、はんぺんとかちくわぶとかは食べる1時間くらい前にしか入れへん。その方が美味しいって言うて」

「ちょっと待って」

 宣宏が片手を挙げた。

「この間は、はんぺんとかちくわぶとかも一緒に炊いてたはずですよ。空袋が流しの中に残ってたらしいし」

「あの日、ジュンヤ、バイト8時まで入る予定やったんですよ。おでんを食べるのはそれから後になるはずですよね? それやのに、そんなに早くから一緒に炊いてるなんて、おかしいです」

 タクミが言い切る。

「ほんなら、誰か別の人がおでんを炊いたってこと? せやけど、ダシもしっかりとってあったし、大根も面取りしてあったんやろ?」

 私が口にした疑問に、宣宏が手を打った。

「タクミ君が言うように、大根と卵だけ他のものより前に炊いとったとしたらどうやろ? 実際、お婆さんがあの日の朝に買ったんは、練りもの類と牛スジだけみたいやし」

「ああ、そうか」

 私はあの流しの状態を思い出して頷いた。

「大根の皮と卵の殻はきちんとビニール袋に入れられとったけど、他のものは散乱しとったわ。一緒に炊き始めたとしたら、同じ袋にまとめるはずやもんねえ」

「バアちゃん、ああ見えて几帳面なところがあったし、散乱させたままにしておくなんてこと、あり得へん」

 タクミが言う。

「ってことは、お婆さんが炊いていた大根と卵の中に、犯人がはんぺんや牛スジを放り込んだってこと?」

 私が尋ねると、井頭がつぶやいた。

「今までの話を聞く限りでは、そういうことやろうな。せやけど、何のためやろうなあ。火事を出したかったんやったら、そんな面倒くさいことせんでも、直接火を付けたらしまいやし」

「事故にみせかけたかったんとちゃうかな? バアちゃんが料理中に火を出したようにしたかったとか」

 タクミが私の方を見る。

「揚げ物なんかで一気に火が天井までいくなら別やけど、あれだけ煙が出る状態やったら、全焼する前に近所の人に気付かれる可能性が大きいんと違うやろか。部屋には物色された跡が思いっきり残ってたし、事故に見せかけようとしたんやったら、その辺もきちんと直すんちゃうかな」

「それもそうやな。現に、彩香が気付いて火事になる前に終わってるわけやし」

 井頭が首を傾げる。私は思い付いて顔を上げた。

「おでんの準備をしていた時間を考えるせいで、犯行時間がお昼頃ってことにされてるわけやろ? でも、お婆さんが帰宅直後に襲われたんやとしたら、午前10時過ぎの犯行ってことにならへん?」

「つまり、襲われた時間を誤魔化すために、バアちゃんがおでんを作った後に襲われたように見せかけたってこと?」

 タクミが私に聞き返す。

「うん。おでんの火を大きめにしたんは、早く発見してもらわないと、おでんを作っていたことがわからなくなってしまうからかも」

 私はタクミの顔を見返した。

「なるほどな。ヨシローが犯人やったとしたら、ほんまは帰宅直後やった犯行時間を、それ以降にずらそうとした理由は説明が付くわ。パチンコしとったっていう偽のアリバイを作るためやったんや」

 タクミが意気込んで身を乗り出す。

「うん。そうやわ、多分」

 タクミの嬉しそうな笑顔につられ、私も微笑みながら頷いた。

「そうか。もしヨシロー君が犯人やったとしたら、暗証番号の謎も解けるなあ」

 私達の会話を聞きながら揚げ出し豆腐を食べていた宣宏が、顔を上げた。

「今日、お婆さんが前に住んでいた家の辺りで聞き込みしてきてんけどな。あのお婆さんが、トキタフーズの前社長である夫を亡くしてその家に移ったんは、ジュンヤ君が中学に入った年やったそうや。ジュンヤ君はしょっちゅうお婆さんの所に立ち寄っとったらしいな。家に帰りたくなかったんやろ。

 ジュンヤ君、4歳の時に母親が事故死したらしくてな。その後、継母が来てんけど、どうも折り合いが悪かったらしいから。弟ができてからは、特にな。お兄さんは、その継母と上手いことやってたみたいやけど」

「俺も、あいつからそんな話を聞いたことがあります。親父さんは仕事が忙しくて全然相手にしてくれへんし、味方はバアちゃんだけやったって」

 タクミが悲しそうにつぶやくと、宣宏が髪を掻き上げた。

「でな、ヨシロー君も、ちょいちょいその家に出入りしとったらしいねん。改造バイクにジュンヤと2人乗りして来とったらしいし、暴走族に入ってからの話やろうけど」

「へえ。そうなんや」

 私が頷くのを見て、宣宏は続ける。

「つまり、ヨシロー君は、お婆さんの前の家の電話番号を知っていた可能性が大きいねん。しかも、お婆さんが襲われた翌日、借金を返した形跡もあるし」

「やっぱり、ヨシローがバアちゃんを……。最低なヤツやな」

 宣宏の言葉に、タクミが吐き捨てるように言う。

「となると、問題は本人が自白したっていうヨシロー殺害の事件の方ですね」

 井頭が宣宏の方を見た。

「そうなんですよ」

 宣宏が頷く。

「一体、なんで突然自白なんて始めたのか」

「でも、アリバイがあるんやろ? 自白したって、認められへんのちゃう?」

 私が言うと、宣宏が首を横に振った。

「それがなあ。警察は、俺が伝える前にジュンヤ君がATSUMIさんと一緒にいてたっていう情報を得とったんや。それで、ジュンヤ君を問い質したらしいねん。そしたら、ジュンヤ君は、ATSUMIさんが寝ている隙を見て、防犯カメラの無い裏口から出て殺しに行ったって言うたそうでな。自分でアリバイを崩してもうてんから、しゃあないわ」

「そう言えば、ATSUMI、知らん男から金渡されて、ジュンヤのことを話してくれって言われたって言うてました。あれ、刑事やったんですかね」

 タクミが宣宏の顔を見る。

「警察やったら金は渡さないでしょう。きちんと名乗ると思うし」

 宣宏が腕を組む。みな黙り込んだ。

「にしても、きっかけは何やったんやろ。ジュンヤが自白を始めたきっかけは」

 沈黙を破るべく、宣宏に向かって尋ねる。

「ようわからんけど、自白を始める1時間くらい前に、ジュンヤ君はあのミニカーを見せられたらしいわ。お婆さんの指紋が付着してたし、お婆さんのもんかどうかジュンヤ君に確認するためやったって話やけど」

 宣宏がため息混じりに答える。

「ミニカー? ほんなら、やっぱり強請られてたんかなあ。現に、ヨシローは金が入るようなことを言うてたわけやし」

 私の言葉に、宣宏は首を横に振った。

「本人は、ミニカーなんて知らんって言うてるみたいやな」

「どういうことでしょうねえ? ほんまに知らんのか、何か隠してるんか」

 タクミが腕を組む。

「なあ、タクミ。そのミニカーやねんけどな」

 井頭が口を挟んだ。

「赤い車体に黒いペンで色が着けられとったって言うてたよな? 俺、昔、ジュンヤが漫才でそんなネタをしてたような気がするねんけど、お前、覚えないか?」

「え? ミニカーですか? 少なくとも、俺らのネタにはそんなものはありませんけど」

 話を振られたタクミが、困惑したように言う。

「いや、前のコンビの時やったと思う。暴走族ネタの中に入ってた覚えがあるし」

 井頭は、タクミに向かってそう言うと続けた。

「実は、俺の甥っ子が、ミニカーに色塗るんが好きでなあ。ジュンヤのネタ聞いてどっきりしたんや。うちの甥っ子も、ジュンヤみたいに暴走族に入ったりするんとちゃうやろかって。それで印象に残っとってな」

「舞台ですか?」

 私が尋ねると、彼は首を横に振った。

「いや、テレビやと思うわ。俺はジュンヤの前のコンビの舞台は見たことないし」

「せやけど、前のコンビって、デビューして2年もせんうちに解散してますからねえ。テレビに出たことなんて、あるかどうか……」

 タクミが首を傾げる。

「ねえ、『お笑い新人類』は?」

 私が思い付いてタクミの方を見ると、彼は頷いた。

「ああ。そうやったな。あれやったら出てるかもしれへんわ」

 「お笑い新人類」というのは、私がデビューした当時、関西ローカル局・上方テレビの深夜枠で放送されていたネタ番組だ。デビュー2年目までの超新人達を対象としていて、私達も何度か出演させてもらったことがある。

「そう言えば、『笑撃ライブ探検隊』でも、新人のライブが流されることがあったやろ? 大阪毎朝放送でやってた番組や」

 井頭が、私達の顔を交互に見る。

「ああ。あれにも出させてもうたことがありますねえ。たしか、お互いに前のコンビの時に、うちの事務所の新人だけのライブを流してもうたんです」

 タクミが懐かしそうに目を細めた。

「VTRを借りて確かめてみますか? 誰か知り合いの人とか、いてはります?」

 私が井頭に尋ねると、彼は頭をかいた。

「それがなあ、俺、どっちも知り合いがおれへんねんな。大阪毎朝の方には友達がおってんけど、ついこの間、関東の放送局に出向してもうて」

「俺もおらんなあ。事務所に頼むと、理由とか聞かれそうで鬱陶しいしなあ」

 タクミも困った顔でこちらを見る。

「私もいてませんけど……」

 そう答えて、はたと思い出した。そうだ、あの人に頼もう。

「わかりました。ちょっと聞いてみます」

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