第3章
(1)
翌日は、奈良県にあるアミューズメント施設での営業だった。今回の出演者は涼之介とチョビヒゲ隊。近鉄特急で向かうことになったのだが、相方の深雪と、チョビヒゲ隊の伊佐山、本宮はいつも喫煙席、私とチョビヒゲ隊のリーダー横田はいつも禁煙席を利用している。そのため、乗り換えをする大和八木駅まで、私は横田の隣で過ごすこととなった。
「彩香さん」
電車が走り出すとすぐ、横田が話しかけて来た。
「何?」
今日の進行表に落としていた目を横田に向ける。
「何日か前に、商店街のそばの長屋でお年寄りが強盗に遭ったん、覚えてはります?」
「うん、覚えてるよ」
当たり前だ。そのお年寄りを発見したのがこの私なのだから。しかし、下手に話すと煩わしいことになりそうなので、関係のない体を装っておくことにした。何せこの横田は、人はいいけれど口が軽いのだ。
「あれ、アウトサイトのジュンヤさんのお祖母さんやったって、知ってはります?」
「うん、そうらしいねえ」
このことは、ネットの掲示板で既に流れているらしいし、まあ頷いてもいいだろう。
「それがね、その犯人、ジュンヤさんみたいですよ。なんや、警察で事情聞かれてるらしいって。このことは、河合プロが必死でマスコミを押さえてるんで、公表されてないんですけど」
「そうなん?」
容疑者のひとりという話は聞いていたが、最有力と見られているのだろか。
もしそれが本当だとしたら、彼が病院で私にお礼を言わなかったことも、鬱陶しそうに言葉を吐き捨てて出て行ったことも、説明がつく。彼は、お婆さんを助けてしまった私に対して腹を立てていたのだろう。お婆さんが意識を取り戻したら、彼の犯行であることがばれてしまうのだから。
「実は、僕のツレに、ジュンヤさんの弟の恋人の兄貴がいてるんですけどね」
横田の声にふと我に返った。
「ジュンヤの弟の恋人の……お兄さん」
関係図を頭に描きながら復唱する。
「ジュンヤさんの親父さん、トキタフーズの会長らしいんですよ。去年、社長を長男に譲って会長になりはったみたいですけどね」
「へえ。トキタフーズって、あの冷凍食品の会社やろ? 国内のシェアナンバーワンやったやんな?」
「ええ。ジュンヤさん、そこの次男らしいんですよ。せやけど、いろいろ問題起こして勘当されたそうで」
「ふうん」
頷きながら、お婆さんのことを考える。あのお婆さんの苗字は戸北。ということは、おそらくジュンヤの父親方の祖母ということになるだろう。今をときめくトキタフーズ会長の母親が、なぜあんなみすぼらしい家で一人暮らしをしているのだろうか。
「ほんま、迷惑かけるのもいい加減にしてほしいって、会長がこぼしてるって。いくら勘当したとは言え、やっぱり何やかやで関わらなあきませんもんねえ。親戚の中でも鼻ツマミなんでしょうね」
「まあ、そうなんやろうねえ」
元暴走族で少年院に入った経験がある上、ヤクザの組員だったとあっては、少なくとも尊敬されることはないだろう。
「これで逮捕なんてことになったら、ジュンヤさんも終わりですね。無理矢理コンビ組み直させられたタクミさんは、ちょっと気の毒ですけど」
「無理矢理って?」
「あれ、彩香さん、知らないんですか? 相方と別れたジュンヤさんが、無理してタクミさんの方のコンビを解散させて、自分と組み直させたって、結構有名な話ですよ。タクミさんの元相方は、今はパチプロやって細々と生活してるみたいですけどね」
「ふうん。知らんかったわ」
どこまでも迷惑な男だ。
「ジュンヤさんの元相方、暴走族時代の仲間やったらしいですよね。解散したん、僕がデビューする前の話なんで、よく知らないんですけど。えっと、たしかヨシローとかいう芸名やったような」
「ああ、そうやったわね」
私も一度か二度、何かの舞台で一緒になっただけなので、顔すらよく思い出せないが。
「そう言えば、宏太さん、ジュンヤさんがそのヨシローさんをボコボコにしてるの見はったことがあったそうですよ。大方、メチャやって逃げられたんと違います? で、慌ててタクミさんを誘ったって感じなんでしょうね」
「相方をボコボコに? まったく、最低な男やね」
ジュンヤのことを知れば知るほど嫌いになってくる。「治療費も入院費も借金してでも払う」なんてヤツの言葉を真に受けて心配してしまった自分が、今となってはバカバカしい。
これで本当にジュンヤが犯人だったとしたら、一番気の毒なのはお婆さんだ。あの笑顔を思い出しながら、私は窓の外を眺めていた。
「で、彩香さん」
「え?」
呼ばれて振り向くと、横田は微笑んだ。
「この間、イワタ演芸場に刑事さんが来てはったそうやないですか。彩香さんのお友達の。あれ、何やったんですか? もしかして、ジュンヤさんの事件と何か?」
「そんなわけないやん」
深雪以上の地獄耳だ。私は焦りを顔に出さないように続けた。
「この間、下着泥棒に遭ったもんやから、それでね」
「へえ、下着泥棒? でも、あの彩香さんの友達の刑事さん、殺人とかが担当なんと違うんですか?」
横田が不思議そうに尋ねてくる。なかなか鋭いところを突くヤツだ。
「ああ、なんや、性犯罪撲滅週間で、救援頼まれたらしいで」
これで乗り切れるとは思えないが、他にいい言い訳が思いつかなかった。
「ほんまですか? いやあ、刑事さんも大変なんですねえ」
予想をくつがえし、横田は納得したように頷いた。鋭いのか鈍いのかよくわからない。
「ほんまにねえ。まあ、仕事をするっていうのは、何にしても大変やわ」
私は必死で真面目な顔を作ってそう言うと、再び窓の外に目を遣った。
(2)
イベントが思いの外早く終わったため、帰りに病院に寄ってみることにした。お婆さんを見舞うためだ。二度と関わるなと言われても、心配なのだから仕方ない。
私は、駅前の花屋でアレンジメントフラワーを買うと、病院に向かった。診察の時間は終わっているので、正面玄関は既に閉まっているはずだ。この間使った、あの裏の玄関に回ってみよう。もし面会できないようなら、看護師さんにでもお花を渡して帰ればいいし。
駐車場を横切り、裏口に向かって歩いていると、正面から知った顔が歩いて来た。それは、ジュンヤの相方のタクミだった。ステージ上では髪をオールバックにし、ホスト張りのスーツを着ていることが多いが、今日はボサボサの頭にグレーのTシャツ、ブルージーンズというラフな格好をしている。ちょっと子供っぽい彼の顔付きには、この方がよく似合う気がする。
「あ、どうも」
すれ違いざま、タクミはバツが悪そうに小さく頭を下げた。ジュンヤよりはまだ可愛げがある。
「どうも」
私も一応会釈をして彼の横を通り過ぎた。と、その時、背後からタクミの声がした。
「もしかして、ジュンヤのバアちゃんのところ?」
「え?」
驚いて振り返った私の方に、彼はゆっくり歩み寄ってきた。
「部屋、わかる?」
「ううん。ナースステーションかどこかで聞こうと思って」
「それやったら、俺、一緒に行くわ」
タクミはそう言うと、玄関に向かって歩き始めた。
「でも、もう帰るとこやったんちゃうの?」
早足で彼を追いながら尋ねる。
「いや、ちょっと買い物に出ようと思ってただけやから」
「そう」
午後6時ちょっと過ぎ。もしかしたら、夕食でも買いに行くつもりだったのかもしれない。まあ、本人がいいと言うのだから、病室まで連れて行ってもらうことにしよう。
私はそのまま彼の後に付いて行った。
(3)
お婆さんの病室は5階の角の一人部屋だった。
ドアを開けると、部屋の真ん中にベッドが置かれており、その奥にジュンヤが座っていた。どうやら、警察の事情聴取から解放されたようだ。
「何やねん、お前。晩飯買いに行ったんちゃうんか?」
ジュンヤは意図的に私から視線を外して、タクミに尋ねた。
「下で偶然会うたから」
タクミが答えると、ジュンヤは「ふうん」と言い、私の方を見た。
「何しに来たんや」
そのぶっきらぼうな物言いに腹立ちつつも、手にしたお花を掲げる。
「お見舞いやけど」
「ふん、同情やったらいらんで」
「同情?」
わけがわからず聞き返すと、ジュンヤが答えた。
「この間、バアちゃんとこ行ったんも、ひどい生活してる年寄りを憐れんだだけやろ? 大体、用も無いのに……」
「用があったから訪ねたんよ」
私はジュンヤの言葉を遮ると、隣に立っていたタクミにお花を渡し、バッグの中から手帳を取り出した。挟んでおいた手押し車の保証書を手に取り、ジュンヤに見せる。
「小林百貨店のおっちゃんから頼まれて、渡しに行っただけや。あいにく、人を憐れんで様子を見に行くほど、こっちはヒマやないねん」
私はそう言って、タクミに保証書を押し付けた。
「ふん」
ジュンヤが鼻を鳴らす。
「おい、ジュンヤ、ええ加減にせえよ。バアちゃん、助けてもらってんから」
タクミが厳しい声で言うと、ジュンヤは舌打ちをして目を逸らした。本当に感じの悪い男だ。
「それじゃあ、お大事に。お邪魔しました」
いささかキレ気味に言って頭を下げ、回れ右したその時だった。
「うう」
お婆さんの声らしきものが耳に飛び込んで来た。びっくりして振り返る。ジュンヤもタクミも驚いたようにお婆さんの方を見る。
「ううあ」
今度は酸素マスク越しにはっきりと、お婆さんの声が聞こえた。近づいて顔を覗き込むと、お婆さんの目がうっすらと開いているのがわかった。
「バアちゃん、俺や、タクミや。わかるか? ジュンヤもいてるで」
タクミの呼びかけに、彼女はゆっくりと頷いた。
「おい、お前、何をぼうっとしてんねん。ナースコール、押せや」
タクミに言われて、ジュンヤは我に返ったように、お婆さんの枕もとにぶらさがったブザーを押した。
少しして、天井に取り付けられたスピーカーから看護師の声が聞こえてきた。タクミが大きな声で、お婆さんの意識が戻った旨を伝える。スピーカーの向こうがにわかに慌ただしくなる様子が聞こえ、応答が切れた。
その時、お婆さんが骨と皮だけのか細い左手をジュンヤの前に差し出した。ジュンヤがその手を両手でそっと握りしめる。
「バアちゃん……」
彼の両目から涙がこぼれ落ちるのを、私は驚きを持って見つめていた。
(4)
翌日の夜、私は愛用の黒いマッサージチェアに身体を埋め、マッサージを施していた。近所のスーパーで買った部屋着を着て、手には本日3本目のワンカップ大関。侘びしい独身生活だ。
ぼうっとテレビを見ていると、同期の家村宏太のアップが突然現れた。関西一円で展開しているディスカウントショップのCMだ。このディスカウントショップの店長とうちの事務所の所長が懇意にしていることもあり、CMにはいつもうちの事務所のタレントを出演させてくれている。次期CMはわれわれ涼之介が担当させてもらえるそうだ。これはかなり嬉しい。
と、その時、テーブルの上に置いていた携帯が鳴り出した。マッサージチェアのスイッチを止めてビンをテーブルに置くと、携帯を手にする。モニターには見た事のない数字が並んでいた。
一瞬躊躇したが、これだけ鳴り続けるということは、ワン切りではなさそうだ。私はアンテナを伸ばして通話ボタンを押し、耳に当てた。
「あ、新田さん? 俺、タクミやけど」
聞こえて来たのは、アウトサイドのタクミの声だった。昨夜、お婆さんに何かあったら連絡がほしいということで、携帯の番号を教えていたのだ。
「お婆さんがどうかしはったん?」
心配になり尋ねる。すると、彼は思いがけないことを口にした。
「いや、ジュンヤのことやねん。あいつ、今日、警察に連れて行かれてもうて」
「何で? 昨日、釈放されたばかりと違うの?」
「いや、それがなあ……。ヨシローって知ってる? あいつの前の相方やねんけど」
「ああ、うん、一応」
話の行方がわからず、ためらいがちに答える。
「そのヨシローが殺されたらしくて……。それで、ジュンヤが犯人ちゃうかって」
「え? 何で?」
思わず大声になる。
「わかれへんねん。バアちゃんの事件の疑いも晴れてへんみたいやし」
「でも、それはお婆さんが証言したら、わかることなんと違うの?」
「いや、それが、バアちゃん、事件の時のことは何にも覚えてへんらしいねん。あの日の朝からの記憶も飛び飛びになってもうてて……。絶対にジュンヤやないって言うてるらしいけど、警察はバアちゃんがかばってるだけやって思ってるみたいで」
「ふうん。そうなんや」
私は溜息を吐いた。
「それでな。今から、会われへん?」
「え?」
真意がわからず聞き返すと、彼は少し早口になって言った。
「実は、助けてもらいたいことがあって」
「助けてもらいたいって……」
呆れて物が言えない。自分達が、私にどれだけ不快な思いをさせてきたか、まったく自覚がないらしい。
私が黙っていると、タクミは泣きそうな声を出した。
「頼む。話だけでも聞いてもらわれへんやろか」
イヤや。――そう言って切ってやろうかと思ったが、昨夜のジュンヤの涙を思い出し、言葉を飲む。少し迷った後、私は答えた。
「わかった。どこに行ったらいい?」
電話の向こうからほっと息を吐く音がし、答えが返ってきた。
「ナンバの駅裏にある『ダイアリイ』ってバー、知ってる?」
「ああ、コンビニかなんかの隣の、地下に降りて行くところやね?」
以前、何かの番組のスタッフに連れて行ってもらったことがある。
「うん。そこで待ってるし」
彼はそう言うと、電話を切った。
(5)
木製の重い扉を開けると、中には薄暗い空間が広がっていた。カウンターの一番奥にタクミの姿が見える。私に気付いた彼は、こちらに向かって小さく手を挙げた。私は軽く頭を下げると、彼の方へと向かった。
「ほんまにごめんな。呼び出したりして」
タクミの右隣の椅子に腰かけると、彼はそう言って頭を下げた。
「うん。で?」
バッグを足元に置きながら尋ねる。
「まず飲み物でも……。もちろん、俺が持つし」
「別にいいよ。自分で出すし」
借りを作る気なんてサラサラない。私はテーブルに置かれたメニューを目で追った。散々飲んでいたので、少し軽めのものがいい。
「シャンティ・ガフ」
私はカウンターの向こうにいるマスターに声をかけると、視線をタクミに移した。
「で、助けてほしいってどういうこと?」
「あ、あの」
タクミは、水割りの入ったグラスに触れながら、私の方を見た。
「新田さんに頼み事ができる立場やないことは、よくわかってんねん。色々、イヤな思いもさせたと思うし」
私が何も答えずにいると、タクミは慌てて付け加えた。
「せやけど、バアちゃん助けてもらって……。ほんまは、ジュンヤも感謝してるねん」
あの態度のどこに、感謝の気持ちがあるというのだ。私は少しいらつきながら言った。
「悪いけど、明日、ロケで朝早いねん。言い訳やったら、聞く気はないし」
「あ、ごめん」
タクミが困ったような顔で軽く頭を下げた時、私の目の前にシャンティ・ガフが置かれた。気泡の入った細めのグラスが、お店のノスタルジックな雰囲気によく合っている。
私が一口飲むのを待って、タクミが口を開いた。
「実は、ヨシローの件やねんけど」
「ああ、殺されたって?」
私が尋ねると、彼は頷いた。
「今朝、俺も警察からちょっと質問されたりなんかしてなあ。昨日の午後10時から12時の間、ジュンヤがどこにいてたか知ってるかって」
「ジュンヤ…君が?」
私のことを「新田さん」と呼んでくれている以上、呼び捨てはマズいだろう。
「ジュンヤ、でええよ」
タクミはそう言うと、続けた。
「俺、知らないって答えてんけど……。そしたら、さっきマネージャーから連絡があって、ジュンヤが警察につかまったって」
「そう」
おそらく、警察はジュンヤのアリバイを探っていたのだろう。つまり、ヨシローが殺されたのは、昨夜の午後10時から12時頃ということになる。
「ジュンヤは人殺しなんてできる奴とちゃう。それは、俺が一番よく知ってるんや」
タクミは、私にというよりも、自分自身にそう言い聞かせているように見えた。その思い詰めた表情を見ていると、何となく気の毒になってくる。
「昨日、病院からは何時頃帰ったん?」
私はタクミの横顔に声をかけた。
私が病室を後にしたのは、午後7時半頃だった。医師の診察が終わるとすぐに、庄吉と山名が話を聞きにやってきたのだが、部外者は外へという話だったので、そのまま帰ることにしたのだ。一緒に病室を出たタクミは、夕食を買うと言ってコンビニに入った。それ以降の彼らの足取りはわからない。
「コンビニで弁当買って病院に戻ったら、まだバアちゃんの事情聴取が終わってへんかったんや。それで、談話室っていうところでジュンヤと二人でその弁当食うて。そしたら、刑事が話したいって言うてジュンヤを呼びに来てなあ。俺、ずっとそこにおってもしかたないし、そのまま帰ったんや。せやから、ジュンヤがいつ頃帰ったんかはわからへんねん」
「そっか」
私は腕を組んだ。
「せやけど、ヨシローとジュンヤは仲が悪かったんやろ? 昔、ヨシローがボコボコにされてるとこ、見たっていう子がいてるねんけど」
「ああ、あれはヨシローが悪いねん」
タクミは水割りを一口流し込むと、グラスを手にしたまま続けた。
「ヨシロー、自分の彼女をソープで働かせて貢がせて……。その上、すごい額の借金までさせとったんや。で、それを知ったジュンヤがキレてもうて。その彼女、ジュンヤの紹介で知り合ったっちゅう経緯があったし、余計腹立ったんやと思うねんけど」
「ふうん」
相槌を打って、グラスを手に取る。
「あの頃、俺の相方がパチンコにはまっとってなあ。パチプロ目指すしとか言うて、一方的に辞めてもうたんや。俺、どうしていいかわからへんかって、引退せなアカンかなって悩んでた時に、コンビ解消してすぐやったジュンヤが声かけてくれて。俺、ジュンヤにはほんまに感謝してるねん」
「そうやったん」
噂ほど当てにならないものはない。あのガラの悪さも手伝って、ひどい方向に膨らんでしまったのだろう。
「バアちゃんのことかって、ジュンヤが襲うはずないんや。バアちゃんはあいつにとって恩人や。そんな人を裏切るようなこと、できるような男やないねん」
「恩人ってどういうこと?」
よくわからず聞くと、タクミはグラスを置いてこちらを見た。
「少年院を出たジュンヤは、両親から拒否されて、結局バアちゃんの所で厄介になることになったらしいねん。せっかく仕事に就いても、何やかやで問題起こして辞めてもうて……。そのうちに、少年院で一緒やったヤツから声かけられて、ヤクザの世界に足突っ込んで」
ジュンヤが19歳の時、居候していた組事務所に出入りがあり、彼は撃たれて生死の境を彷徨った。ヤクザの世話をしたがる病院などあるわけもなく、お婆さんが必死で昔の伝手を頼り、治療を受けさせたのだという。当然保険などに入っているはずもない。結局、治療費や入院費など、すべてのものをお婆さんが支払うことになり、夫の遺産のみならず、家や土地まで手放すことになったそうだ。
治療の甲斐あって、社会復帰できるまでに回復したジュンヤは、きっぱり足を洗って真面目に働くようになったという。
「あいつ、バアちゃんが自分のために全てを投げ打ってくれたっていうのが、ほんまに嬉しかったみたいやねん。酔っぱらうと、いつもその話になるし」
タクミはそう言って私の方を見た。
「なるほどね。それで、お婆さん、今はああいう暮らしをしてはるねんね。せやけど、ジュンヤのお父さんは、何も助けてくれはらへんかったん? ジュンヤを見放したっていうのはわかるけど、お婆さんは自分の母親やろ? ちょっと考えにくいわ」
私が言うと、タクミは神妙な顔で溜息を吐いた。
「バアちゃん、親父さんの実の母親ちゃうから。なんや、ジュンヤのジイちゃんの後妻さんやねんて。親父さんとは折り合いが悪かったし、ジイちゃんが死んだ途端に、ちょっとの財産持たされて放り出されたらしいで。今、社長やってるジュンヤの兄貴も全然なついてへんかったみたいやし、バアちゃんの所を訪れるのなんて、ジュンヤくらいとちゃうかったんかな」
「そうやったん。ひどい話やね」
「そう言えば、ジュンヤの兄貴、バアちゃんが襲われた日の夜に病院に来たらしいわ。ジュンヤは追い返したって言うてたけど」
「ああ。あの人、ジュンヤのお兄さんやったんか」
ようやく、あの身なりのいい男性の正体がわかった。「なんでお前が家族やねん」というジュンヤの言葉も頷ける。
「でも、ジュンヤは、どうして河合プロに?」
「当時働いとった工事現場に、昔暴走族で一緒やったヨシローがいてたらしいねん。その頃には、ヨシローも更正して真面目に働いとったって。二人で飲みに行った店に、たまたまうちの事務所のオーディション用ポスターが貼られとったんを見て、ヨシローが受けてみようって言うたらしいわ」
「それで、受かったんや」
「うん。うちの社長、変わり種が好きやからなあ。元ヤクザと暴走族のコンビって言うたら、いい売りになるやろ?」
タクミが苦笑する。
「まあ、俺も元ホストっていうのが理由で、合格させてもらえてんけどな」
「たしかに、デビュー直後くらいにはネタになるやろけど……。それだけでは、ここまで続かへんのとちゃう?」
私の言葉に、タクミは嬉しそうに微笑んだ。
「そうやねん。再結成してから、俺らほんまに必死で稽古してん。それだけで売れてるって思われたくなかったし」
「そっか。頑張ったんやね」
穏やかな沈黙が流れる。私がシャンティ・ガフを飲み干すのを見て、タクミが口を開いた。
「ところで、新田さん」
「何?」
真面目な表情でじっと見つめられ、困惑しながら聞き返す。
「さっき言うてた話やねんけど」
彼は小さく咳払いすると、続けた。
「新田さん、昨日病院に来た刑事さんと知り合いなん?」
「え?」
「いや、あの刑事さん、新田さんに『なんでお前がここにいてんねん?』って言うてはったし。それで、知り合いなんかなって」
「ああ、そういうこと」
私は頷いた。
「片方の白谷って刑事いてたやろ? あの子と知り合いやねん。大学の時からの友達でね」
「そうか。やっぱり知り合いやったんか」
タクミはしばらく空になったグラスをもてあそんでいたが、やがて顔を上げた。
「ジュンヤは犯人やないって、友達の刑事さんに、直接話してもらわれへんかな? 俺、さっきナンバ東署に行ってきてんけど、全然取り合ってもらわれへんかって」
「いや、そんなこと……」
「でも、友達なんやろ? ジュンヤを釈放してくれるように、頼んでほしいねん」
タクミはグラスを置いてこちらを向くと、顔の前で手を合わせた。
「あのね」
私は困惑して、彼の顔を覗き込んだ。
「悪いけど、そんなことはでけへんわ。警察は警察で、それなりの根拠があってジュンヤを取り調べてるんやろうし」
「ほんならせめて、なんでジュンヤが犯人やと思われてるんか、それだけでも聞き出してもらわれへんやろか」
「聞き出してどうするつもりなん?」
私が尋ねると、彼は首を横に振った。
「わかれへん。わかれへんけど、俺はあいつが犯人やないってことを、証明してやりたいねん」
「せやけどねえ。部外者にペラペラ情報を話すようなことは無いと思うよ」
「部外者ちゃうやん。バアちゃん助けたん、新田さんやんか」
「まあ、それはそうやけど……」
タクミの泣き出しそうなベビーフェイスを見ていると、なんだかものすごく悪いことをしているような気持ちになってしまう。私は溜息を吐くと頷いた。
「明日、ナンバ東署に行ってみようか。ダメモトってことで」
「ほんまに?」
タクミの顔がぱっと輝いた。少し愁を帯びた黒目勝ちな目にじっと見つめられ、ちょっとドキリとする。ホスト時代には、この表情でたくさんの女の子から貢ぎ物を受けていたのだろう。
「明日のロケ、お昼過ぎには終わると思うし、そしたら連絡するわ。番号は……今日くれた番号でええんかな?」
「うん。ほんなら、俺、家で連絡待ってるし。ごめんな、無理言って」
彼はまた、顔の前で手を合わせた。