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好敵手  作者: 深月咲楽
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第2章

(1)


 翌日、私は再びジュンヤの祖母の家を訪ねていた。明日行われる単独ライブの稽古からの帰り道、シャープの芯を買おうと小林百貨店に寄ったところ、おっちゃんから「お婆さんに保証書を渡すのを忘れたから、持って行ってほしい」と頼まれたのだ。

「お婆さん、こんにちは」

 午後4時。大声で呼びかけながらドアを叩いてみるが、何の反応もない。玄関前には昨日の手押し車が置かれている。出かけてはいないと思うのだが。

「聞こえてへんのかなあ」

 もう一度大声で呼びかけてみたが、やはり反応はない。ドアノブを回してみても、鍵がかかっているようようで開けられない。私は庭の方に回って、窓から部屋の中を覗いた。そして息を飲んだ。

 タンスの引き出しが全て開けられ、部屋中が滅茶苦茶に荒らされている。

「お婆さん!」

 叫びながら窓に手をかけるが、こちらも施錠されていて開かない。

「空き巣やろか」

 警察に連絡しようと携帯を出しかけたその時、焦げくさい臭いがぷんと鼻先をかすめた。

「え?」

 背伸びをして、もう一度部屋の中を覗く。すると、居間の奥の方に、黒い煙のようなものが見えた。

「大変!」

 台所の方に行けば、勝手口があるかもしれない。玄関の横から奥に続く細い通路を通り、家の裏側に回る。案の定、そこには表口よりもさらにボロいドアがあった。引っ張ってみると、こちらは鍵がかかっておらず、すんなり開いた。大急ぎで中に飛び込む。

「お婆さん、大丈夫?」

 そこには、お婆さんが倒れていた。ガスコンロの上には、真っ黒に焦げた鍋がかけられたままになっている。私はツマミを回して鍋の下で踊る火を止めると、置かれていた雑巾で鍋の持ち手を掴み、流しに置いた。水をかけた途端、激しい音を立てて水がはねる。とりあえず蛇口を開いたままにして、お婆さんに駆け寄った。頭から血が出ているが、脈はかすかに触れる。

 私は肩にかけていたバッグから携帯を取り出し、救急車を呼んだ。


(2)


 お婆さんが救急車へと担ぎ込まれた後、すぐに警察から事情を聞かれることになった。本当は病院に付いて行きたい気分だったのだが、強盗事件かもしれないと言うことで引き止められてしまったのだ。

「なんでここに来たんや?」

 ナンバ東署の刑事、白谷庄吉しらたにしょうきちに尋ねられ、私はこれまでの経過を説明した。彼は大学からの友人なのだが、この事件を担当にすることになったらしい。

「へええ、被害者はアウトサイドのジュンヤのお祖母さんか。アウトサイドと涼之介は仲が悪いんやと思うとったけど、実はこんなところでつながっとったんやなあ。ラジオでも問題になってるって聞いとったのに」

「あのなあ、さっきも言うたやろ? ジュンヤのお祖母さんやったなんて、全然知らんかってんから。こうやって捜査に協力してあげてるんやから、私が発見者やってこと、絶対公表せんといてよ」

 私は慌てて庄吉のスーツの袖を掴んだ。変な噂でも流されたら、鬱陶しくて仕方ない。

「で、ジュンヤの連絡先は?」

「え?」

「身内に連絡せなアカンやろが。電話番号知ってるやろ?」

「知らんよ、そんなもん」

 私が首を振ると、庄吉は驚いたように目を見開いた。

「ほんまか? ほんなら、事務所の方から連絡してもらうわ。アウトサイドは河合プロやったな?」

 彼は確認しながら携帯を耳に当てると、河合プロへの連絡を指示した。そして、電話を切り、私の方を見た。

「ほんでお前、今まで何してたんや?」

「今までって?」

「要するに、アリバイや」

「は?」

 私は庄吉の顔を見つめた。

「ジュンヤの連絡先も知らんっちゅうことは、お前とヤツはほんまに仲が悪いわけやろ?」

「そうやで。さっきからそう言うてるやん」

 わけがわからず言い返す。

「それが、お前は昨日、たまたまジュンヤのお祖母さんの家を知った。そこで恨みつらみが積もっていたお前は、力の強いジュンヤではなく、そのお祖母さんを狙った」

「あんた、本気で言うてるのん?」

 思わず拳を握りしめる。

「冗談や。いや、冗談であって欲しいと言うとこか」

 真面目な顔で答えるところを見ると、この男は本気らしい。大学の時はここまで疑い深い性格ではなかったはずなのだが。職業病とは正にこのことだ。

「いずれにせよ、お前は第一発見者や。アリバイだけは聞かせといてもらおか」

 私は溜息を吐きながら、今朝からこれまでの行動をつぶさに説明した。


(3)


 アリバイが確認されて無罪放免になると、私は速攻でお婆さんが入院した病院へと駆け付けた。お婆さんの手術はまだ続いており、微妙な状況らしい。

 結局、ジュンヤはつかまらなかったらしく、現場に現れることはなかった。事務所の方でも行方がわからないなんて、どうせどこかで遊び呆けているのだろう。

 手術室のそばに誂えられた家族待合室のベンチに座り、手術が終わるのを待ちながら、私は祖母が亡くなった時のことを思い出していた。祖母が脳卒中で倒れた時に担ぎ込まれた病院にはこんな立派な待合室はなく、私は手術室の前のベンチにひとりで座っていた。ライトが消えて手術着の医師が出て来た場面は、今でも昨日のことのように思い出される。「残念やけど……」――その言葉は、私が天涯孤独になったことを告げるものだった。

「アカン、しっかりせな」

 首を振った時、廊下の方からバタバタと足音が聞こえた。すぐに待合室のドアが開き、紫のニッカポッカを履いた男が入って来る。頭にまいたタオルを取った姿を見て、それがようやくジュンヤであることに気付いた。

 彼は無言のまま私の隣に座り込んだ。袖をまくった白いシャツには、所々に塗料のようなものが付いている。

「バイトやったん?」

 重苦しい雰囲気に耐え切れず、小さな声で話しかける。彼はめんどくさそうに「ああ」と答えた。どうやら遊んでいたわけではないらしい。

 たしかに、事務所からのお給料のみで生活ができる若手芸人は少なかった。大抵の芸人は仕事の傍ら、何らかのバイトをしている。私は今年に入って、どうにかお給料だけでやっていけるようになったのだが、去年までは近所の本屋でバイトをしていた。私達よりもレギュラーの仕事が少ないアウトサイドだったら、まだそれだけで食べて行くことは難しいかもしれない。

 ジュンヤは険しい顔をして、じっと前を見つめている。私はそれ以上声をかけるのをやめ、黙って手術が終わるのを待つ事にした。


(4)


 どれくらい時間が流れただろう。突然ドアが開く音がして、三十代半ばくらいの男性が入って来た。見るからに高そうなスーツを着込んだ、少しキザな風体の紳士だ。

「何しに来たんや、お前」

 その姿を見て、ジュンヤが立ち上がる。

「バアさん、どうなんや?」

 その男性はジュンヤの言葉を無視して尋ねた。

「どうなろうとお前には関係ないやろ」

 ジュンヤが言うと、男性はふん、と鼻を鳴らして彼の顔を見た。

「お前みたいな出来損ないに、偉そうな口を叩かれる覚えはない」

 座っている私の頭上で、二人が激しくにらみ合う。正面から見た時にはあまり感じなかったが、横顔――特に鼻から下――がよく似ている。親戚なのだろうか。

 そんなことを考えていた時、看護師が顔を出した。

「手術が終わりました」

 その声に、二人がドアの方を見る。

「手術は成功しました。ドクターから今後のことも含めて説明がありますので、ご家族の方はお越し下さいますか」

 看護師はそれだけ言って、ドアの向こうに消えた。

「今後のこと、か」

 独り言を言いながらドアの方に向かおうとする男性を、ジュンヤが止める。

「待てや。なんでお前が家族やねん」

 すると、男性は低い声で言った。

「お前みたいないい加減なヤツに、治療費や入院費が出せるんか」

「おお。出したるわ。借金してでもな」

 ジュンヤが噛み付かんばかりに答える。男性はしばらく黙ってジュンヤを見ていたが、鼻で笑うと言い放った。

「後で泣きついて来ても、一銭も出さへんからな」

 そして、私の方に軽く会釈して待合室から出て行った。

 他人様のゴタゴタを見てしまうというのは、何とも言えずバツが悪い。お婆さんの無事も確認できたことだし、ここで去ることにしよう。

「あの、私はこれで……」

 拳を握りしめてドアの方をにらみ付けていたジュンヤは、険しい表情で私の方を振り返った。そして、一言、

「二度と関わるな」

 と吐き捨てるように言うと、待合室を出て行った。

「は? なんや、あれ」

 恩を売る気はサラサラないが、一応私はお祖母さんを助けた人間だ。「ありがとう」の一言くらい、あってもバチは当たらないだろう。それなのに、一体何なんだ、あの態度は。

「ほんまにヤなやつ」

 私は心の底からそう思った。


(5)


「なあなあ、聞いた? 昨日の夜、ナンバ駅の前で、アウトサイドのファンの子達と、うちのファンの子達が小競り合いしたみたいやで。気が付いたスタッフが間に入って穏便に済ませてくれたみたいやけど、いずれ警察沙汰になるんちゃうかって、上層部が頭を悩ませてるらしいわ」

 ネタ合わせのために我が家に来た深雪が、カップラーメンにお湯を注ぎながら言う。

「ほんまに? もう、かなわんなあ」

 私は食器棚から割り箸を出して言った。

 単独ライブは昨夜無事に終了し、今は2週間後に控えている「ネタ盛り」というイベントの準備に取りかかっていた。これは、1ヶ月に1回、若手芸人達が集まってネタを見せるライブなのだが、必ず新ネタを出さなければいけないという決まりがある。おまけに最後に観客達の投票があり、最下位になると次のライブへの出場権を失うため、下手なことはできなかった。自然に力も入ろうというものだ。

「今日の『大阪日日スポーツ』で大きく取り上げられたらしいで。岩田事務所と河合プロの闘い勃発かって」

「『大阪日日』のやりそうなことやな。そんなもん、煽ってどうするんやろ」

 いささか呆れて首を傾げる。この『大阪日日スポーツ』というのは、関西のみで売られているスポーツ紙だ。夕刊だけの発行で、仕事帰りのサラリーマンなどが通勤時間の暇つぶしに読む類のもの。大阪を中心に活動する芸人のゴシップなんかも取り扱っており、何やかやで迷惑を被ることも多々あった。

「その上、あのアウトサイドのラジオ、今月で打ち切りになるらしいねん。まだ内々の話らしいけど、ファンに知れたら更に大騒ぎになるやろなあ」

「打ち切りに?」

 私は深雪の顔を見た。

「うちのファンからえらい抗議が行ったらしいで。それに、事務所の方からもラジオ局に圧力かけたみたいやし。ほら、あそこ、うちのタレントも結構番組やってるやん? 敵に回したら大変やし、打ち切りすることにしたんちゃう? あの番組の後も、うちの事務所の子に決まりそうやって話やし」

「そうやったん」

 私は、複雑な気持ちで深雪に割り箸を手渡した。あのジュンヤがイタイ目に遭うことに対して、同情する気持ちは全く起こらない。しかし、ジュンヤのテレビやラジオを楽しみにしているという、彼のお祖母さんの笑顔が脳裏にちらついた。

「いい気味やわ。あのラジオのギャラ、結構高いねんて。お給料も減るやろし、これに懲りて少し大人しくなったらええねんわ」

 深雪はそんな私の気持ちに気付くはずもなく、愉快そうに笑った。

「そっか。お給料も減るねんなあ」

 自分で撒いた種とはいえ、こんな状態でお婆さんの治療費や入院費を払うことができるのだろうか。私は小さく溜息を吐いた。


(6)


 翌日、イワタ演芸場の楽屋3に向かって廊下を歩いていた私は、マネージャーの峰村みねむらから声をかけられた。今し方まで家村宏太の単独ライブにゲストとして出演していたのだが、その出番が終わるのを待っていたようだ。

「彩香、客が来てるから、会議室1に顔出してくれ」

「お客さんですか?」

 こんなところまで訪れてくるような人物に心当たりはない。

「なんや、ナンバ東署の刑事らしいで」

「ナンバ東署? それやったら、多分、私の友達やと思います。すみません」

 ジュンヤのお祖母さんの件で何か進展があったのだろうか。私は大急ぎで会議室1に向かった。

 ドアを開けると、そこには庄吉の他に、彼の相棒で後輩の山名耕平やまなこうへいが座っていた。

 この山名という刑事は、実は私のファンらしい。前回の事件の時に私の本性を知り、もうファンを辞めてしまっただろうと思っていたのだが、庄吉曰く「あいつ、ますますお前のこと好きになったらしいで」とのことだった。世の中には本当にいろんな人がいる。

「おお、彩香。事務所の方に聞いたら、ここやって話やったから……」

 庄吉は立ち上がったが、すぐに顔を歪めた。

「とりあえず、顔洗ってきた方がええんとちゃう?」

 その言葉で、私ははたと自分の現状を思い出した。

 そうだ、私は今、額にでっかく「肉」という文字を、そして両頬にナルトを書き込まれていたのだった。何も趣味でやっているわけではない。宏太のライブでゲームに負け、罰として墨で顔に模様を書かれてしまったのだ。私の顔に筆を入れている時の宏太のあの楽しそうな顔を、私は一生忘れないだろう。

 ちなみに、相方の深雪は口ひげを書かれ、額に「中」という文字を入れられていた。彼女はたまたまポニーテールを三つ編みにしてので、そのメイク(?)が実によく似合っていて、うらやましいほどオイシイ結果となった。彼女は次のコーナーにも出演することになっており、まだ舞台袖で待機している。顔を洗いに来ないところを見ると、あの姿のまま出るつもりだろう。昔モデルをやっていた深雪も、気付けばいつの間にか女を捨てている。

 私は大急ぎで洗面所に飛び込み洗顔した後、再び会議室1に戻った。山名は今度こそ、私のファンを辞退してしまったことだろう。

「――で、用件は?」

 テーブルを挟んで彼等の正面に座りながら尋ねる。今さら真面目な顔をしてみたところで、何の説得力も持たないのは重々承知の上だ。

「実は、ジュンヤのことやねんけどな」

 庄吉は私の顔を見ながら続けた。

「病院に駆け付けた時、何か言うてへんかったか? 様子がおかしかったとか」

「なんで?」

 不思議に思って尋ねる。

「うん」

 庄吉は少しためらってから答えた。

「実はなあ、容疑者のひとりとして上がってんのや、ジュンヤが」

「容疑者って、お婆さんを襲ったってこと? お婆さんがそう言うてはるの?」

 私は驚いて聞き返した。

「いや、お婆さんはまだ意識が戻ってへん。歳も歳やし、目が醒めてもしっかり証言できる状態が保たれているかどうか……」

 庄吉が溜息まじりに首を振る。

「別に何も言うてへんかったけど。様子もいつも通りヤな感じやったし」

 あのふてぶてしい態度を思い出し、また怒りが蘇る。

「そうか」

 庄吉が頷くのを見て、私は続けた。

「そう言えば、なんやきちっとした身なりの人が来はったわ」

「きちっとした身なりの人?」

 庄吉が聞き返す。

「うん。看護師さんに家族の人って言われて行こうとしたんやけど、ジュンヤが断っとった」

「へえ、そうか。ジュンヤとどんな関係やったかわかるか?」

「さあ。でも、お婆さんの身内ってことはたしかなんと違うかな。治療費と入院費、出すつもりにしてたみたいやし」

「そうか」

 庄吉が顎に手を当てて何やら考え込んでいた。

「看護師さんも姿は見てるはずやし、そっちでも聞いてみたら?」

「おう、せやな。ありがとう」

 庄吉は微笑むと立ち上がった。

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