第1章
(1)
アウトサイドというのは、岩田事務所のライバル会社、河合プロに所属する漫才コンビだ。ボケ担当はジュンヤこと戸北淳也、ツッコミ担当はタクミこと井達拓海。共に私と同じ昭和50年生まれで、デビューも一緒の平成10年。しかし、お互いに一旦組んでいたコンビを解消して組み直したという事情もあり、コンビ結成は平成12年だった。タクミは高校中退後、ホストを経て芸人になった。また、ジュンヤは中学を卒業してから暴走族に入ってパクられ、少年院に入っていたという経歴を持つ。一時期、暴力団の組員だったという話も聞かれる。
「彩香のこと、メチャメチャ言うてんねん。ほんまに腹立つわ」
相方の藤倉深雪が険しい声で言う。皆が押し黙っていたのは、そのせいだったのか。私は少しほっとして微笑んだ。
「まあ、ええんちゃう? 悪口なんて、勝手に言わせておけば」
「そんなノンキな話ちゃうで。悪口通り越して、ヒボウ……ナントカやわ」
「誹謗中傷ね」
私が答えると、深雪は「そう、それや」と頷いた後、続けた。
「今、皆でテープを聴いたところやねん。伊佐山君が持って来てくれて」
ライブに出演してくれることになっている後輩の漫才トリオ、チョビヒゲ隊の伊佐山龍が、小さく頭を下げる。
「今朝、僕のホームページの掲示板見たら、『アウトサイドのラジオがひど過ぎる』って書き込みがいっぱいあって。僕は聴いてへんかったし、いつも彼らのラジオを録音してるツレから借りてきたんです。で、聴いてみたんですけど……」
伊佐山はパソコンが好きで、自分でホームページを作っていた。日記などをマメに更新しており、イワタ芸人(岩田事務所に所属している芸人達はこう呼ばれているそうだ)ファンたちの情報収拾の場としても使われている。どうやら、そこの掲示板で、このラジオが話題になったらしい。
「事務所の方でも問題になって、河合プロに正式に抗議するそうですよ」
同じくチョビヒゲ隊の横田幾久が険しい顔でこちらを見た。
「へえ。なんや、大事になってしまいそうやなあ。別に、今始まったことでもないのにねえ」
私は困惑して、唇を噛んだ。
アウトサイドの2人は、なぜか私達涼之介――特に私のことが嫌いらしい。国立大学を出ているくせに芸人をやっているのが鼻に付く、ということが理由みたいだが、そんなことを言われても私としてもどうしようもない。
「気い悪いかもしらんけど、一応聴いておいた方がええんとちゃうか? 抗議しておきながら、内容知りません、では困るやろうし」
井頭がカセットデッキを私の方に向ける。
「あ、後で聴かせていただきます。遅れて来ておいてアレですけど、先に打ち合わせをした方がいいと思いますし。――伊佐山君、テープ、借りていい?」
「ええ、かまいませんよ」
伊佐山が微笑むのを見て、井頭が頷く。
「そうやな。ほんならまず、ライブの打ち合わせ始めよか」
彼はホワイトボードの前に立ってペンを取ると、幕間に流すVTRについて話し始めた。
(2)
「なるほど。これはひどいわ」
打ち合わせが終わり、皆が帰った後、私はそのテープを聴いた。会議室1には、相方の深雪と構成作家の井頭が残っている。
「『SのN・A』やって。『涼之介の新田彩香』って言うたらええやんか。まるで悪い事した人みたいに、イニシャルなんて使って」
深雪が鼻の穴を膨らませて言った。せっかくのべっぴんさんが台無しだ。
「にしてもなあ。あの『小鮒の言いたいホーダイ』って番組は、討論会形式や。ある程度流れがあって話してるってことくらい、アウトサイドかってわかってるやろうになあ」
井頭が首を傾げた。
「わざとと違いますか? ファンの子達には、そんな裏側はわかれへんでしょ? 彩香の人気を下げるために、わざと言うてるんですよ。ほんまにヤラシイやつら」
深雪が頭から湯気を出さんばかりに、言い放つ。
『小鮒の言いたいホーダイ』というのは、岩田事務所の大御所、楓家小鮒が司会を務める深夜番組だ。その時その時に話題になっている事柄を取り上げ、賛成派と反対派に分かれて討論するという形式になっている。
私が出演させてもらった前回の討論の議題は「ゆとり教育について」だった。義務教育で学習する内容が減っていることに賛成か反対か、というのがその主題だ。
大学を出ている芸人が3名と、高卒もしくは高校中退の芸人が3名。中でも私が最年少で、後は中堅やベテランといわれる先輩芸人ばかりだった。
学習内容が軽くなっていることについて、私自身は別に構わないと思っている。足りないと思えば自分で補えばいい話だし、何も学校で習う勉強だけが勉強ではない。
しかし、ここでは一応、「反対派」という立場で話さなければいけないことになっていた。出演を依頼される段階で、タレントにはそれぞれ期待される役割があるのだ。私は一応、岩田事務所一のエリートということにされている。そのイメージを壊さないよう、立場に合わせた意見を言わなければならない。それが本心ではないとしても。
そこで私が言った意見が、彼らアウトサイドの意にそぐわなかったらしい。そういった番組の裏側を知っていながら、それでも私の意見を本心として捉えたのだとしたら、私の演技力が素晴らしかったということになるだろう。そうプラスに考えたいとも思ったのだが、それにしてもその批判の内容がひどかった。
『どうせ小鮒師匠にひいきされて、番組に出させてもうてんねんで。あれだけベテランが揃ってる中に、あんな若手の女芸人が混ざるなんて、あり得へんもんな。あーあ、俺も女に生まれたかったわ』
ジュンヤは、ぼやいていた。
たしかに、小鮒には可愛がってもらっている。しかし、それにはそれなりの理由があった。デビューしてから2年間、私達は小鮒の付き人をしていたのだ。付き人と言っても、ほとんどのことは彼のお弟子さん達がやってくれる。私達の仕事は、主に小鮒の出るテレビ番組や舞台の前説だった。小鮒は、普段は優しいが芸事になると大変厳しい。たいていの若手は数カ月で音を上げる。でも、私達は最後まで頑張り切った。小鮒が私達を可愛がってくれるのには、そういった背景があるのだ。
しかし、私が一番ひっかかったのは、ジュンヤの言ったもうひとつの言葉だった。
『あのN・A、ええ大学出てるねんから、どっかええとこ就職したらよかったやんけ。そしたら、ほんまに芸人しかでけへんやつらの仕事も増えるやん。それとも、ほんまはアホで、どっこも就職でけへんかったんやろか』
自分で言うのも何だが、奨学金をもらい続けるためにも、かなり真面目に勉強した方だと思う。就職せずに芸人になったのは、色々と事情があってのことだ。何も知らないくせに、わかったようなことを言ってほしくない。
「『どうせ、いいとこのお嬢さんで、何一つ不自由なく育ったんやで。俺らみたいな雑草とは、お育ちが違いますわよってとこやろ』やって。彩香の生い立ち、何にも知らんくせに」
深雪はさっきから、そのことばかり言っている。彼女はこのジュンヤの言葉がよっぽど勘に触ったようだ。
「彩香、小さい時に両親と別れて、ずっとお婆ちゃんに育てられたのになあ。しかも、そのお婆ちゃんも高校の時に亡くなって……」
「深雪、もうええよ。ありがとう」
私が彼女を見ると、深雪は唇を噛んで俯いた。
「へえ、彩香、そうやったんか。お前、実家の話せえへんし、全然知らんかったわ」
井頭に言われ、私は無言で微笑んだ。自分の身の上をネタに同情を誘うなんてまっぴらだ。そういう意味で、私はアウトサイドを軽蔑していた。彼らはいつも、子供の頃虐待されていた話や、母親が継母で……なんて話を平気でするからだ。
「にしても、ネットの掲示板で『涼之介VSアウトサイド』なんてスレッドができて、ファンの子同士がバトルを繰り広げてるらしいで。ややこしいことになりそうやな」
井頭が腕を組む。私は大きく溜息を吐いた。
(3)
憂鬱な気持ちで夕食の買い物を済ませると、私はスーパーを出た。気にしないでおこうと思ってはいるが、どうにもあのラジオの言葉が頭を離れない。彼らに対して悪い事をした覚えもないのに、なぜあそこまでひどくなじられなければいけないのか。
うつむいたまま歩いていると、足元にリンゴが転がって来た。驚いて顔を上げる。
「すんませんなあ」
お婆さんがしゃがみ込んでリンゴを拾い集めている。見ると、お年寄り用の手押し車が横倒しになっていた。バラまかれたリンゴは、どうやらこの中に入っていたものらしい。急いで駆け寄り、お婆さんの手が届かない所に転がっているリンゴを拾った。
「すんませんなあ」
お婆さんは再びそう言うと、私からリンゴを受け取り、グレーのショッピングバッグの中に入れた。そして、手押し車を起こそうと手をかけたが、どうやら上手く行かないようだ。
私は横から手を出すと、手押し車をゆっくり起こした。しかし、タイヤを支える支柱が折れてしまっているようで、上手く立ち上がらない。
私はしゃがみ込んで、タイヤを覗き込んだ。どうやら一度直したことがあるらしく、支柱がガムテープでグルグル巻きにされている。ガムテープの間には何か棒が挟み込まれているのだが、今度はその棒まで折れてしまったようだ。
「これ、壊れてるみたいやけど、どうしはります?」
すると、彼女は困ったように首を横に振った。私は一度手押し車を横にすると、支柱に巻かれたガムテープを剥がしにかかった。まだ粘着力はあるようだ。棒の折れていない部分を支柱の支えとして使えば、何とかなるかもしれない。
その時、背後から男性の大きな声がした。
「なんや、バアちゃん、そのまま使っとったんか。とりあえず直しただけやし、どこか行ってきちんと修理してもらわなアカンって、言うといたやろ?」
話の筋から察するに、この応急処置を施した人物らしい。私は少しほっとして振り返った。そして、瞬間、凍り付いた。
そこには、ガラの悪い黄色のシャツに白いズボンを履いた、アウトサイドのジュンヤが立っていたのだ。
「あっ」
敵もようやく私に気付いたらしく、チッと舌打ちして目をそらした。
「直すって言うてもねえ。どこに持って行ったらええか、わかれへんねん」
お婆さんが答える。
「あ、そうや」
私は思い出したことがあり、顔を上げた。
「この近くに、小林百貨店っていう雑貨屋があるんです。そこやったら、直してくれるかもしれませんよ。手押し車も置いてるし」
小林百貨店は、岩田事務所の若手芸人ご用達の店だ。百貨店と言っても、もちろんデパートではない。坪数にして10坪ほどの、昔ながらの雑貨屋だ。私達は、コントに必要な小道具などは、いつもそこで調達することになっていた。というのも、そこの主人がとっても面倒見のいいおっちゃんで、格安で分けてくれるのだ。そのかわり、ネタの中で「小林百貨店」という名前を連呼するのが、暗黙の約束となっている。
お婆さんは嬉しそうに微笑んだ。抜けてしまっている前歯が、何とも言えず愛らしい。
「ここから5分くらいやけど、歩けますか?」
私が言うと、横からジュンヤが無言でお婆さんを抱え上げた。そして、さっさと小林百貨店に向かって歩いて行く。
「なんやあれ。ほんまにヤな感じやなあ」
私は半ば腹を立てながら、倒れた手押し車を立て直すと、それを持ち上げて後を追った。
(4)
小林百貨店のおっちゃんは、手押し車を見ると首を横に振った。
「これ、かなり古いもんやさかいになあ。部品取り寄せるより、買うた方が早いし安く済むで」
「ほんまか。なんぼかいな」
お婆さんがおっちゃんに話しかける。
「せやなあ、これと同じくらいの大きさやったら、8000円くらいになるなあ」
おっちゃんが答える。
「結構するんやね」
驚いておっちゃんの方を見ると、彼は微笑んだ。
「そうやなあ。領収書を区役所に持って行ったら、少しくらい補助金が出るやろけど、タクシー代で逆に足が出てまうかもしらんな」
「ほんなら、補助金の意味が無いやん」
「やろ? お上のやることは、どこか抜けてるねんなあ」
おっちゃんが楽しそうに笑う。私も笑い返したが、ふと思い出したことがあり尋ねた。
「なあ、ちょっと前に、うちら手押し車借りたやんなあ」
ライブのコントで使うために、貸し出ししてもらったのだ。
「あの時のん、まだある?」
「ああ、あるで。かなり古いタイプのもんやし、新品ちゃうからメーカーにも引き取ってもらわれへんしな。倉庫に入れたままになってるわ」
「あれ、買い取ったらどれくらいになる?」
私が尋ねると、おっちゃんは微笑んだ。
「ほんまの定価は7200円やねんけど……半額でええわ。3600円、どうや?」
「もう一声、あかん?」
私が顔の前で手を合わせると、おっちゃんは頭を掻いた。
「ああ、もう、しゃあないな。ほんなら3000円にしたろ」
「お婆さん、どないです?」
私が尋ねると、彼女は満足げにニタッと笑った。そして、持っていたショッピングバッグの奥から財布を取り出し、指を舐めて千円札を3枚選び出すと、おっちゃんに渡した。
「おおきに」
おっちゃんはそれを受け取り、私の方を見て微笑んだ。
「彩香ちゃん、いつもより大きめの声で宣伝してや」
「うん、わかった。任せといて」
私の言葉に、おっちゃんは楽しそうに笑った。
(5)
「おおきに、ありがとうねえ」
おっちゃんから手押し車を受け取って店を出ると、お婆さんは何度も頭を下げた。
「でも、少し古い型みたいやし、ちょっと汚れもあるし……。よかったですか?」
私の質問に、お婆さんは顔の前で手を横に振ると、かめへん、と答えた。
「ほんなら、俺、行くし」
これまで黙って見守っていたジュンヤが、お婆さんに声をかける。
「そんな言わんと、うちに寄って行き」
お婆さんが引き止める。
「せやけど……」
ジュンヤはちらっと私の方を見た。ジャマならジャマとはっきり言えばいいだろう。
「私はこれで失礼しますし」
カチンと来つつも、笑顔でお婆さんに声をかける。
「なんや、お嬢ちゃんも来たらええやんか。それとも、年寄りの相手はイヤか?」
「別にそういうわけやありませんけど……」
そこにいてる男がイヤなんです、と言いかけてグッと飲み込む。
「ほんならええやないの。ほら、これ、持って」
ジュンヤにショッピングバッグを押し付けると、お婆さんは器用に手押し車を操りながら歩き始めた。
(6)
お婆さんの家は、吹けば飛びそうなボロい長屋の一角にあった。ドアの横にかけられた古い表札には、かすかに『戸北』という文字が残っている。
「『戸北』って……もしかして、ほんまのお祖母さん?」
ジュンヤに話しかけると、彼は黙って頷いた。お婆さんは、ガタガタとドアの鍵を開けていたが、振り返って微笑んだ。
「どうぞ」
ドアがギイイと音を立てて開く。すぐ見える廊下は両側に物が積み上げられており、そこでの生活の長さを物語っていた。
「お邪魔します」
お婆さんの後に付いて入り、靴を脱ぐ。框を上がると、手で示された和室に入った。そこには、タンスと食器棚に挟まれるように、年代物の卓袱台が置かれていた。上にあるお盆には、使い込まれた急須と茶筒が載せられている。
どこに座ろうか迷っていると、後ろから入って来たジュンヤが、奥にどっかと腰を下ろした。目で示された空間に、そっと座り込む。
少しして、お婆さんがあちこちにつかまりながら和室に入って来た。左手にはポットを持っている。
「ゴチャゴチャしてて悪いねえ。もう、掃除するんもおっくうで。よっこらせ、と」
お婆さんはそう言いながら、ポットを卓袱台の上に置いて座った。手慣れた様子で急須に茶葉を入れ、ポットのふたを回す。そして、腕をプルプルと震わせながらポットを傾け、急須にお湯を注いだ。
その様子を見ているうちに、私はふと、高校の時に亡くなった祖母のことを思い出した。彼女もよく、こんなふうにしてお茶を煎れてくれたものだった。
「いただきます」
前に置かれた湯飲みを持ち上げた。玄米の香ばしい香りに鼻孔をくすぐられ、幸せな気分になる。
「なあ、お嬢ちゃん、この子の顔、見たことある? 芸人やってるねんけど」
私が湯飲みを置くのを待っていたかのように、お婆さんがジュンヤを指差した。
「バアちゃん、やめろや」
ジュンヤが身を乗り出して、お婆さんを制する。
「ええ……まあ」
なんと答えてよいかわからず、とりあえず頷いた。
「ほんまに?」
お婆さんは歯の抜けた顔で、嬉しそうに微笑むと、お茶を自分の湯飲みに注ぎ足しながら言った。
「テレビとかラジオとか、いろいろ出とってねえ。私の唯一の楽しみやねんわ」
「バアちゃん、もうやめろって」
ジュンヤが困ったように手を振る。
「恥ずかしがらんでもええやんか。あんたは自慢の孫やねんから。なあ」
お婆さんはそう言うと、私の方を見て微笑んだ。