デュランタ
弥生 祐先生の企画された五分小説です。
チクタクチクタク……。
腕時計の秒針が振れる音が耳に響く。
人も町も傷付いた体と心を休めるために、夢の世界へと落ちて行く深夜零時。
俺はただ、公園のブランコに座って、夜空の象徴である満月を見上げていた。
「遅いな……」
約束の零時は裕に越え、針は二十分を回ろうとしていた。
街灯の周りを、虫が羽ばたく微かな音。刻一刻と無情にも過ぎていく時間。
異常なまでに敏感になった感覚は、今から死刑場へと向かう罪人の心情の様で。
死刑場という名のタイムリミットへと、ゆっくりと確実に近付くにつれ、不安と絶望が心臓の伸縮運動を早め、それと反比例して筋肉の動きが鈍くなっていく。
ただ、彼女の事を思い出す。頭を下に向けて、神に祈る様に手を握って。
神様に祈った所で奇跡は起きない、事実は変わらない。あの人は、人に知力とこの地球という物を与えてくれただけだから。努力が実った、奇跡が起きた、なんて言葉は全て必然的に決まったことで、有り得ないのだから。
……でも、この時ばかりは神様を信じるしかなかった。
一陣の風が吹く。夏なのに鳥肌が立つほど寒い風が。
「こんばんは、朝野 道留君」
懐かしき声が耳を伝う。期待と緊張の中、俺はゆっくりと顔を上げて行く。白くて細い足、純白のワンピース、昔よりも大きくなった胸。
……そして、見上げた先には彼女の顔があった。
「本当に……由宇か?」
頭を縦に振り、そして彼女は笑った。その瞬間、目に溜った熱いものが溢れ出した。良かった。俺はそれだけを思った。
「久しぶりだね、道留。でも、何で泣いてるの? 約束が違うじゃない」
「約束……?」
「五年後会うときは笑って会おうねって、約束したでしょ」
微笑みながら、子供に忠告するように言う。
その顔も懐かしく、風穴の空いた心が埋まって行く気がした。
「泣いてるわけないだろ。欠伸だ、欠伸。こんな時間に約束したせいで、眠いったらありゃしねえよ」
「だってさ、私も道留ももう大人だよ、大人。大人になったら女と男は一晩を共に過ごすんでしょ」
「お前、意味分かって言ってるか?」
「あ――、止めて――! 乙女の夢を壊さないで――!」
耳を塞いで目を瞑って、近所迷惑関係なく喚く彼女は、見た目が変わろうとも心は何一つ変わってない。それは、五年という開いた時間を忘れさせてくれた。
でも……。
「……なあ、由宇は本当に病気治したんだよな?」
五年越しの再会が、信用を失わせていた。
彼女が黙り込んでしまう。横顔が凄く悲しそうに見えて、凄く愛しく感じて、消えてなくなりそうだった。
「実はね、私……」
目が濁り出す。俺の目が彼女を正しく捉えず、歪み、濁る。
彼女と俺との間に水の壁が出来た……気がした。
「なーてね。全然元気だよ、ほら……」
そう言うと、ブランコの台に足を乗せ、立ち漕ぎを始める。その後、ジャンプをして体操選手並の綺麗な着地を俺に見せ付けた。
そのまま沈黙が紡がれる。彼女は俺に背を向けたまま、何も言わない。仕方なく俺から話を切り出す。
「どうかした?」
「ねぇ、道留は五年前のこの日この場所で、私に何したか覚えてる?」
日時は覚えていないが俺は五年前、幼い頃からの思い出の場所で、彼女にある事をやった。返事は聞けず仕舞で、離れ離れになったけど。
「……今日は俺がお前に告白した日か?」
「後名答。じゃあ、道留は今でも私の事を好きですか?」
時が変わろうともその気持ちは風化する事はない。
「……ああ、あの頃と何一つ変わらない」
「そう。じゃあ、私も返事しないとね」
彼女が此方を振り向く。健康になった頬を赤らめて。
「……私も好きだよ。もう押さえきれないの……この気持ち。ずっと貴方の側で見守っていたい。私の気持ち……受け取ってくれますか」
答えなんてもう、五年前に告白した時点で決まっていた。今頃迷うことなど何一つない。
「全部受け止めるよ」
彼女は目に涙を溜めて、笑顔を作る。それが愛らしくて、綺麗で、硝子のように砕けそうで。
俺はただ、その姿に見とれていた。
「ありがとう……道留。目を瞑って」
彼女が俺の頬に手を添えて、ゆっくりと俺の顔を上げる。
近付く顔と顔、微かに聞こえる息遣い。心臓は高鳴り、顔は高揚していく。
そして……口付けをした。彼女と俺のファーストキス。
一陣の風が吹く。夢の全てを吹き飛ばすように。
その時には全てが終りを告げていた。
唇の触れた柔かい感触。温もりのある体。そして、彼女。その全てが消えていた。
「道留ちゃん」
訳が分からない俺に、突如声が掛る。その声の持ち主は、彼女の母親だった。
公園の入り口からゆっくりと此方に歩いてくる。
街灯の明かりがその姿を半分照らし、紡がれた糸を切るアポロトスの様に見せた。
「由宇に頼まれてね、貴方に……大事な話があるの。あの子はね……」
「嘘だ」
「もうこの世には……」
「嘘だ! だって由宇は此処に来て、俺の側で見守り続けたいって言ったんだ!」
現実で、この場にあったのだ。暖かい温もりも柔かい感触も、全部感じとれたのだ。安堵感と幸福感で満たされていたのに、何で今頃になってこんな話が……。
「……多分それは、あの子の意思でしょう。この場所には、あの子の遺骨と共に一輪の花も植えたの……」
あの子の意思? 理解が出来なかったが、彼女の母親の目線の先へと俺も顔を向ける。
――俺が見たのは、街灯の下で照らされた、青紫の背の高い花。
デュランタ、花言葉は見守る。
恋愛ものは不馴れですが、何とか書いてみました。作者の後都合主義が光る小説ですが、評価や批評をもらえたら嬉しいです。