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ウサギ族と水の精霊

作者: 夢乃悪夢
掲載日:2026/07/10

 ミミはウサギ族の5歳でした。

 ウサギ族は大抵、のんびりぼんやり朗らかに生きている種族でしたが、勿論、ミミも多分に漏れず、その特徴を持っていました。


 多くのウサギ族は森の中で勝手気ままに過ごしているので、時々……ということにしておきたいぐらい、産んだ子のことですら、数年で放置したり、要らない子を他のウサギ族の巣穴の前に置き去りにしてみたり、子のことを忘れて数日遠出したり、なんて事が日常茶飯事でした。


 だから、ウサギ族は、人型愛玩動物として、人間の裏社会で闇取引されることもままあったのです。

 ウサギ族自体、元来、種族にこだわりがなく性に奔放で誰にでも懐き、人間とも子を成せたので、一部の愛好家にとっては垂涎の的なのでした。


 愛好家にとっては、ウサギ族と人間が交わった時に産まれてくる子が人間であることだけが残念な点、と言えたでしょうか。


 ウサギ族が、男女共に人間に好まれる可愛い顔をしていたせいもあるかもしれません。

 それに、ウサギ族は耳以外はほとんど人間に近い見た目をしていましたが、成長がやたらと早く、大凡7歳で人間の成人と同じような容姿になりましたし、お尻に付いているふわふわな尻尾の手触りも人気の1つでした。


 実際、裏社会の者たちが闇取引の際に得意先の悪徳富豪達相手に話していた、ウサギ族の宣伝文句はこんな感じでした。


『数年育てれば純粋で素直な美人になる幼児を保証書付きで購入出来ます。性別はお好みで。購入者に従順になるかどうかは育て方次第』


 ウサギ族は手に入れやすさから考えると、びっくりするほどの高額商品だったのです。

 むしろ、人間との交配でウサギ族が産まれないことこそが、ウサギ族すらも認識していない、秘められた神の恵みだったのかもしれません。


 だから、狡猾な人攫いは、捨てられたウサギ族の子をいつでも狙っていたのです。




 ミミも、そんな放置された子のうちの1人でした。

 多くの子は餓死したり攫われたりするのですが、ミミは2歳で放置されてから3年間も、1人で森の中で生きてきました。

 実はミミには秘密がありました。精霊の友達がいたのです。彼女は水の精霊でした。


 ある時、ミミは川で、履いていた靴を流されたことがありました。

 それは雨上がりの朝で、川の水は少し増えていたので流れが速く、流された靴を拾おうと追いかけても、なかなか追いつけなかったのでした。

 ミミが川に入って更に追いかけようとした時です。水の精霊が言いました。


「もう追いかけちゃダメ」


 ミミは言いました。


「どうして?もうすぐ届きそうなのに」


 水の精霊は答えました。


「命より大事な靴なの?」


 それで、ミミはちょっと考えて、『命の方が大事かもしれないな』と思いました。

 まあ、考えている間に靴は川の中に飲み込まれ、見えなくなってしまっていたのでしたが。


 その日から、ミミはずっと裸足でした。




 またある時、ミミは水溜まりの水を飲もうとしました。その日は他に水場が見つからなかったのです。水の精霊は言いました。


「そのまま飲むと病気になるよ。川の水よりずっとドロドロ。飲んだら苦いよ」


 ミミは答えました。


「でも、他に水が見つからないんだもの」


「それなら、私が綺麗にしてあげる」


 そうして水の精霊は、水溜まりの水を純水に変えました。おかげでミミは綺麗になった水を飲み、病気にならなかったのです。


 ミミはこうやって生きてきたのでした。


 あと2年も生き延びれば、成人と同じぐらいの背格好になります。そうすれば悪い人攫いに攫われる確率も減るでしょう。

 狡猾な人攫いが狙っているのは、いつだってウサギ族の幼児だったからです。それだけ、捨てられる子がそこら中にいるとも言えますが……。

 まさに、掃いて捨てるほど、ウサギ族は簡単に子を産み、至る所に放置していたのでした。




 そんなある日のことです。森にまた人間がやって来ました。

 でも珍しいことに、人攫いではありませんでした。


 人間は方向音痴で街中で迷子になった末、森の中にまで迷い込んできていたのです。ウサギ族並みにぼんやりしてる、と言った方が良いかもしれません。

 まあ、ウサギ族には滅多に方向音痴の者はいないのですが……。


 その人間が迷いに迷って森の中の小さな泉に辿り着いた時、そこにいたのがウサギ族のミミでした。

 いつもは危険な人間が近付くと警告する水の精霊も、その時ばかりは何も言いませんでした。その人間には悪意が全く感じられなかったからです。


 人間は泉の水を飲もうとしましたが、森の水は不用意に飲めば腹を下すこともまた知っていましたから、困った様子で泉の前で佇んでいました。

 最悪、質の悪い病に罹って死んでしまうかもしれません。

 でも、その人間はもう丸2日も何も口にしていませんでしたから、実際は目の前の水を飲みたくて堪らなかったのです。

 ミミは言いました。


「ねえおじいちゃん、水を飲めるようにしてあげようか?」


 人間は、急に視界の外から声をかけられて驚きました。慌てて声の方を見やると、小さなウサギ族の子が、茂みからこちらを心配そうに伺っているではありませんか。

 人間は、子どももいないのに"おじいちゃん"と呼ばれたことが少し気になりましたが、そこは聞こえなかったふりをして、


「そんなことできるのかい?」


と聞きました。

 それに、彼としては、同年代からすればそれなりに若く見える方だと自負していたのです。


 だだ、とても残念なことに、ウサギ族の寿命からすると、彼は十分に"おじいちゃん"ではあったので、ウサギ族としてならば、確かにミミが正しかったのですが。

 ウサギ族は成人すると容姿は殆ど変わりませんし、死ぬ時は丸い毛玉になってしまうので、見た目という観点から言っても、その人間が"おじいちゃん"寄りに見えたのは仕方なかったと言っても良いかもしれません。


「うん」


 ミミはそう言うと、近くにいた仲良しの水の精霊に頼みました。そして彼女はいつものように、ミミのために泉の水を全て純水に変えたのです。

 人間が泉を見ると、確かに先程より水が綺麗になっているような気がします。


 人間はそれでもやはり少し迷いましたが、ミミが試しに泉の水を飲んでみせてあげると、自分も泉に口をつけました。

 飲んでみると、確かに変な臭いもせず、口触りも悪くありません。残念なことに、味はなく、美味しいとまでは言えなかったのですが、それでも貴重な水です。人間は慎重に少しずつ、でも喉の渇きが潤うまで水を飲みました。


 泉の中では、急に息が出来なくなった小魚達が窒息して何匹も死んだのですが、ミミと人間は知りませんでしたし、水の精霊も、自分のことすらも見えない生き物達のことなんて全く気にしませんでした。

 水の精霊が作る純水とは、脱酸素化超純水だったのです。


 人間は、ようやく人心地付いたような気がしました。迷子になっていた2日間は、焦りと不安で神経を尖らせていたのです。

 落ち着いて辺りを見渡しても、泉と、鬱蒼とした木々しかありません。今、森の中で頼れるのは、この泉とウサギ族の子だけのようでした。


 自分と比べるとあまりにも幼い子なのは明らかでしたが、今の自分には他に頼れる者がいないのも事実です。『恥を忍んで助けて貰った方が幾分か生き延びれるだろう』と人間は思いました。


 これまで命に頓着して生きてきたわけではありませんでしたが、実際に命の危機を感じると、これがどうしてなかなか、自分の帰りを心待ちにしている者もいないのに、『生きなければ』と強く感じるのです。

 それに、自身のプライドなど、何の腹の足しにもならないのでした。


「帰り道が分からなくなってね……。森をどうやって出られるか知らないかい?」


「知ってるよ」


 ミミは答えました。ウサギ族にとっては造作もないことです。ミミは森の外まで人間を案内することにしました。


 道中、人間とミミは時折、ポツポツと思い出したように話をしました。

 人間は、普段、子守唄を歌って聴かせることもない一人暮らしの朴念仁だった為、幼児との普通の会話が分からなかったのです。けれども、幼児と2人きりで、しかも案内してもらうのに会話もなしじゃ流石に悪いだろう、と、少し頑張ったのでした。


 その中で人間は、ミミがずっと森の中で1人で暮らしてきたことを知りました。普通の人間なら、森の中で2歳で放置され、1人で生き延びられたでしょうか。

 『せめて、成人までは私が保護してあげた方が良いだろうな』と人間は強く思いました。案外、責任感の強い男だったのです。

 それに、人間も長年1人暮らしでしたから、ミミの境遇をまるで自分のことのように思ったのもありました。流石に彼だってミミぐらいの頃は家族と一緒に過ごしていたので、今のミミの方がよほど酷い生活をしているのでしたが。

 気付くと男は、


「私の家で一緒に住むかい?」


と聞いていました。

 人間は子育てなどしたこともありませんでした。それに、ウサギ族の生態だって全く知りません。それでも、その一瞬、ほんの僅かな勇気と良心が、彼の無知や臆病さを上回ったのです。

 『家に帰ると可愛い話し相手がいるというのもいいかもしれない』と思ったのもありましたが。


 ミミは二つ返事で了承しました。元来、ウサギ族は誰かといるのが好きなのです。ミミにはずっと水の精霊がいましたが、精霊は触ることが出来ないので、ミミは人肌恋しく、寂しかったのでした。

 それに良くも悪くも、精霊の見事な誘導のおかげで、悪意ある他の人間やウサギ族には殆ど会ったこともなかったのです。




 それから、人間とミミの2人暮らしが始まりました。ミミは最初、人間の家の勝手が分からず失敗ばかりでした。だって、元々は森の中で誰よりも野生的に暮らしていたのですから。

 でも、存外におおらかであったその人間は、子どものする事だからと大抵許してくれました。それに、危険なことをしたら、きちんと叱って教えたのです。


 人間は彼が自身で思うより、案外子育てが上手なのでした。


 まあ、その人間が、世間一般からすると、人間の年齢からしても十分に"おじいちゃん"と言われてもおかしくない年齢を優に超えていたのも、器が大きい理由だったのかもしれません。


 その人間は多少ぼんやりとはしていましたが、仕事は人並みにきちんとしていましたので、ミミをしっかり食べさせてあげることができました。

 普段森の中で木の実や小魚ばかり食べており、常に餓死の危険に晒されていたミミにとって、それは彼女の成長や安全のためにも喜ばしい変化だったのです。


 それに。人間にとってもミミにとっても、家に誰かがいるというのは、思っていたより癒される体験でした。

 特に人間の方は、『1人じゃないのも悪くないな、これが世間で言う老後ってやつかな……』なんて、ミミと一緒に食卓を囲みながら、毎日ほのぼのと和んでいたのでした。



 そうして2年後。


 人間は驚きました。確かに、ミミが最近急激に背が高くなり始めている気はしていたのです。でも、普通の成長期だと受け止めていた彼の予想をはるかに超えた成長ぶりなのでした。

 変哲もないその日、いつも通り起きただけなのに、ミミの身体はもう完全に大人だったのです。しかも、人間の多くの男や一部の女にとっても、十分に魅力的で艶美な姿と言えました。


 それに、まだ人間は知らなかったのですが、ミミは細い肢体のウサギ族にしては珍しく、胸やお尻だけは人間の女以上に発達していましたし、頬や唇・爪など、身体のあちこちが濃淡様々なピンク色だった為、熟れた桃のように魅惑的だったのです。


 これは、人間が2年間、沢山栄養を与えてくれたからかもしれませんでした。


 人間は混乱して、少しの間、『これでは風邪を引いてしまう、新しい服を買いに行ってやらなきゃだな』とか、『これじゃあ毎晩絵本を読むのはもう喜ばれないのか?』などとどうでも良い事ばかりをつらつらと考えていたのですが、すぐにミミの様子が心配になりました。

 ミミが泣いていたからです。


「ミミ、どうしたんだ」


「ずっと一緒にいたお友達が、森に帰ってしまったの」


 正直なところ、人間にはミミが何を言っているかは分かりませんでした。ミミが2年間ずっと他の人間を怖がって外出しなかったことは知っていましたし、周囲に誰かいるところも見えなかったからです。

 でも、素直な彼は、『ウサギ族には自分が知らない秘密があるのかもしれないな』と思いました。実際、人間はウサギ族のことをまだまだ全然知りませんでしたから。

 

 そうです。ミミにしか見えなかった水の精霊は、彼女が無事に成人したため、次の友達を見つけるために森へ帰ったのでした。


 水の精霊は、自分が見える子どもが好きだったのです。だから子どもが成人になれば、精霊にとっては用済みだったのでした。

 それに、経験上、成人したウサギ族は、元々精霊が見える者であっても、段々と精霊を見ることが出来なくなっていくのです。まあ……精霊が見えるウサギ族の子という存在自体が、1000人に1人ほどではあるのですが。


 その日から、いつもより更に人肌恋しく寂しくなったミミは、以前にも増して男にくっつくようになりました。


 お風呂にも、トイレにも。家の中で人間が何しようと、何にでもついて来たのです。正直なところ、だいぶ鬱陶しくはあったのですが、ミミにすっかり絆されていた男は全てを許しました。いや、2年間で慣れてきていたとはいえ、本当の本当に、だいぶ大変で迷惑ではあったのですが。

 ミミはまだ中身は子どものはずだし……と、彼が常々自分に言い聞かせて納得していたのもあるでしょう。


 それでも、帰宅すると隙あらば肌をくっつけてくる無自覚なミミの永遠とも思われる誘惑に、男がついに屈するまで、それほどの時間はかかりませんでした。


 どんなに忍耐強くて理性的な男女だったとしても、本能を揺さぶるほど好みど真ん中の相手が四六時中一緒で、しかも相手から好意全開で誘惑されては、間違いが起きないはずがないのです。

 それに、その人間は悪い男ではありませんでしたが、忍耐強くもない普通の男でしたから。




 10年後、人間の男は、その年齢にしては珍しく、一気に子沢山になっていました。

 ウサギ族が奔放とはいえ、妊娠期間は人間と同じでしたから、どれだけミミが積極的だったかが分かるでしょう。


 ミミが水の精霊に、その人間のことだけは信頼しても良い、とお墨付きを貰っていたのもあったかもしれません。

 だから、ウサギ族が元々持つ性への奔放さが、この男にだけ向かってしまったのも仕方のないことでした。


 ミミは精霊のお墨付きがない他の人間は怖かったのです。そして彼女の言いつけ通り、殆ど外に出ることもありませんでした。

 ミミの影響か、男も徐々に付き合いが悪くなり、仕事仲間から少し揶揄われるようになったのですが、彼は全く気にしませんでした。あまりにも育児で忙しすぎたからです。


 それに、2人があまり近所付き合いしない理由は他にもありました。2人が結婚出来なかったからです。


 ウサギ族を売買する裏社会の者たちが多すぎたために以前からこの非道な犯罪は国内外で問題となっており、ずいぶん昔からウサギ族と人間の結婚自体が違法となってしまっていたのでした。


 悪徳なウサギ族愛好家たちは、愚かにも自らの手で自分たちの首を絞めていたのです。


 だから、人間のウサギ族所有は勿論のこと、ウサギ族との同居自体が、世間的にはあまり誉められたものではなかったのでした。

 ですので、ミミが他の人間と会わないことは、男のためにもミミのためにも、必要なことだったのです。


 それでも、子どもが明らかに増えたこともあり、周囲から完全に隠し切ることは出来ませんでした。

 人間は優しく、人道に反してまで子どもの行動を監禁したり拘束するようなことは出来ませんでしたから。

 男は次第に、

「あいつは若い女を囲いだしたらしい」

「あんなやつが女に好かれるはずはないけどな、物好きもいたもんだ。実は監禁していたりしてな」

などと、周囲からあらぬ疑いをかけられるようになっていきました。


 実際、ミミの意思には反してはいなくとも、それに近いことをしていましたから、男は反論しませんでした。元々口数が少なかったこともありますが。


 それに、話してしまうと、あまりにも魅力的なミミが他の男達に取られそうで怖かったのです。ウサギ族について少し知識を得た彼は、昔ウサギ族の奪い合いで殺人事件が起きたことも知ってしまっていましたから。

 普通の人間である男に、そんな恐ろしい悪徳富豪たちからミミを守る術はあまりありませんでした。


 それでもやっぱり2人は、男の"家"という狭い世界の中だけではとても幸せで、できるだけ隠れ住むという形で、他とは少し違う賑やかな家族を守り続けたのでした。




 水の精霊?

 彼女は、『前回の子はわりと育成成功かな』なんて思いながら、今だって森の中で、余計なお節介を焼き続けていることでしょう。


 だって彼女は、いつか絶滅しそうなウサギ族を守るために、私が知るより遥か昔から、何千年もそれを続けているのですから。

オリジナル短編童話としてお楽しみください。

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