転生、お断りします! ~ドラゴンボールファンと困惑する異世界神の攻防~
死ぬとは思わなかった。
田中健斗、高校二年生。十七年間の人生において、これといった取り柄はなかったが、ドラゴンボール愛だけは誰にも負けない自信があった。初代から超まで全話制覇、原作コミックは穴が開くほど読み込み、かめはめ波のフォームを毎朝鏡の前で練習するのが日課。そんな彼がトラックに撥ねられたのは、横断歩道でよろめいたおばあさんを咄嗟に庇ったからだった。
気がつくと、どこまでも白い空間に立っていた。
「目覚めたかの、善良なる魂よ」
声のする方を振り向くと、白髪に白髭、ふわふわの白いローブを纏った老人が立っていた。全身から後光が差し、足元には雲が漂い、いかにも「神様です」と全力で主張している存在だった。
「……神様?」
「いかにも。ワシはおぬしを召喚した異世界の創造神じゃ。おぬしの善良な魂に感じ入ってな。ワシの作った素晴らしい異世界へ転生してみぬか?」
神様は満面の笑みで両腕を広げた。
「魔法が使える世界じゃぞ? 魔法! 炎を出したり、空を飛んだり、氷の槍を出したり……今まで召喚した者たちは皆、大喜びで転生していったわい。さあ、おぬしも――」
「魔法?」
健斗は首を傾げた。
「それがどうした」
神様の笑顔が、ピシリと固まった。
「……どうした、とは?」
「魔法が使えたって全然うれしくない。俺、魔法に興味ないんで。このまま地球の天国に行かせてください」
神様の後光が、わずかにチカチカした。
「ま……魔法じゃぞ? 魔法! 炎じゃぞ! 氷じゃぞ! みんな大喜びするんじゃぞ!?」
「あっそ」
「あっそ、じゃない! もう少し感動してくれんかの!!」
神様は声を荒げたが、健斗の表情はまったく動じない。仏頂面のまま腕を組んでいる。
「じゃあ聞くけど」と健斗は言った。「その世界、気は使えるの?」
「……け?」
「気。生命エネルギーを体の外に放出して、かめはめ波を撃ったり、舞空術で空を飛んだり、界王拳で戦闘力を何倍にも高めたり、超サイヤ人に変身したり……そういうやつ」
神様は目をぱちくりさせた。
「……なんじゃそれは」
「話にならない」健斗はため息をついた。「どうせなら気を自在に操れる世界に転生させてくれ。それなら考えてやってもいい。あと超サイヤ人の変身もつけてくれ」
「ちょ、ちょっと待っておくれ。その……気とやら、おぬしの頭の中を少し覗かせてもらってもよいかの?」
「まぁ、説明するより早いか。どうぞ」
神様は健斗の頭に両手をかざし、目を閉じた。
次の瞬間――
「こっ……こっこれはっ……!!」
神様の目が皿のように見開かれた。後光が乱れ、足元の雲がぐるぐると渦を巻く。悟空とベジータの死闘。フリーザとの決戦。超サイヤ人ゴッドの覚醒。そしてあの破壊神ビルスが猫のような顔でワインを飲んでいる場面が、怒涛のように神様の脳内に流れ込んできた。
「なんじゃこれ……なんというパワーじゃ……なんという気の奔流……かめはめ波ぁ……元気玉ぁ……」
神様はしばらく放心していたが、やがて静かに目を開けた。
「……無理じゃ」
「だろうな」
「ワシの世界は魔法が使えるだけじゃ。気などという概念、最初から作っておらん。後からそんな根幹に関わる概念を追加するなど、創造神といえど不可能じゃ」
「じゃあ話は終わり。地球に戻して」
「まっ待て待て待て!」
神様は慌てて健斗の前に立ちはだかった。
「そうじゃ! 魔法で気に近いことができるようにするのはどうじゃ? 魔力を体の外に放出して……飛んだり、撃ったり、強化したり……気っぽいことなら魔法でも――」
「邪道」
「は?」
「邪道だと言った。気は気だ。魔力じゃない。魔力でかめはめ波の形を作ったって、それはかめはめ波じゃない。ドラゴンボールファンをナメんな」
神様は口をパクパクさせた。
「お……おぬし……そこまで……」
「当たり前だろ。だから転生はいい。早く地球に戻して」
「それが無理だと言っておろうが! おぬしはもうこちらに来てしまっておる。地球に返す手段はワシには――」
「あれも無理、これも無理」健斗は呆れたように首を振った。「あんた本当に神かよ。使えなさすぎだろ」
「だっ誰が使えんじゃーっ!!」
神様の叫びで白い空間がびりびりと震えた。しかし次の瞬間、何かを思いついたように指をぴんと立てた。
「そうじゃ! おぬしを神にしてやってもよいぞ!!」
健斗が初めて眉を動かした。
「神……」
「人間が神になるなど前代未聞じゃが、今回は特別じゃ! どうじゃ、悪くないじゃろ!?」
「……割とよいかもしれない」
「ほっほんとか!! それならば転生してもよいのじゃな!?」
「好きな神になれるなら」
「もちろんじゃ! 何でも言うてみよ!」神様は満面の笑みで前のめりになった。「さあ、おぬしは何の神になりたいんじゃ!?」
健斗は一瞬だけ考えるフリをして、即答した。
「破壊神一択だろ」
神様の笑顔が、音を立てて崩壊した。
「……な、なんじゃと」
「ドラゴンボールに出てくる破壊神ビルス。気分次第であらゆるものをなんでも破壊する。あの神になりたい。今後は俺もビルスと名乗ろうかな」
「き……気分次第で……あらゆるものを……なんでも……破壊……」
神様の顔面から、ざぁっと血の気が引いた。
「も……もしおぬしが破壊神になって……ワシの苦労して作った魔法の世界が……気に入らなければ……」
「そりゃ破壊する一択でしょ」
「だめじゃーーーっ!!!」
神様は両手を振り回した。後光がパニックを起こしてバチバチと明滅している。
「絶対にだめじゃーっ!そんな不吉な神にはならせるわけにはいかーん!!ワシの世界が消えてしまうじゃーっ!!」
「なら転生はいいや。早く地球に戻して」
「だから無理だと――」
「あれも無理、これも無理、破壊神も駄目……」健斗は深々とため息をついた。「ほんっとに使えない神だな」
「だっ誰が使えんと言うかーっ!!」
神様はわなわなと震えた。そして次の瞬間、ぺたりと地面に額をつけた。
「おっ……お願いします……!! このとおりじゃ……! ワシの魔法の世界に転生してください……! 神土下座じゃ! 神が土下座しておるんじゃぞ!? こんなこと前代未聞じゃぞ!?」
「いやどす。お断りします。絶対NO転生」
「おねがいしますじゃーっ!!」
こうして、魔法の世界の神様と、ドラゴンボールオタクの魂の交渉は、完全に膠着した。
どれくらい時間が経っただろうか。白い空間の中で、神様はぐったりと床に座り込んでいた。健斗はその傍らで腕を組んで立ったまま、断固たる表情を崩さない。
「……なあ」
と、しばらくして健斗が口を開いた。
「なんじゃ」神様は疲れ果てた声で言った。
「そもそもなんで俺を召喚したんだ? 善良な魂を持ってたからって言ってたけど」
「そうじゃ。おぬしがおばあさんを助けようとしたのを見て、これは善良な魂じゃと感じてな」
「あのおばあさんは?」
「助かったぞ。トラックがおぬしを撥ねたことでギリギリ止まれてな」
「それは良かった」健斗は少し表情を緩めた。「……ま、それ聞いて少し安心した」
「おぬしは本当に良いやつじゃのう」神様はしみじみと言った。「なぜそんな良いやつが、そんな頑固なんじゃ」
「ドラゴンボールが好きだからだ」
「それだけか」
「それだけだ」
沈黙が降りた。
「……なあ」今度は神様が口を開いた。
「なんだ」
「おぬしが転生してくれないと、ワシは次の善良な魂を召喚できないんじゃ。ルールでそうなっておる」
「知ってる。さっき言ってた」
「……頼む」
「嫌だ」
「頼む」
「気が使えないなら嫌だ」
また沈黙。
神様は考えた。考えて、考えて、考え抜いて……
「……おぬし」神様がぽつりと言った。
「なんだ」
「もしかして……ドラゴンボールの世界に転生したいのか?」
「それが一番いいけど、あんたに頼んでも無理だろ」
「うむ……ワシはワシの世界にしか転生させられん……」
しばし間があって。
「……ちなみに」と神様は言った。「ワシ、他の神様とは顔が広いんじゃが」
健斗の動きが止まった。
「……なに?」
「他の神様、つまりドラゴンボールの世界を管理しておる神様と、ワシは昔から知り合いでな」
「……は?」
「界王神とも破壊神とも……まあ、顔見知りじゃ」
健斗がゆっくりと振り返った。目が、今日一番輝いていた。
「ちょっと待て。つまり……」
「じゃから言いたくなかったんじゃが」神様は気まずそうに頭を掻いた。「おぬしがあまりにも頑固で聞かないから……実は……その……頼み込めば、ドラゴンボールの世界に転生させてもらうよう、口利きできんことも……なくはない……」
静寂。
「なんで最初からそれを言わないんだよーーーっ!!!」
健斗の叫びが、白い空間に響き渡った。
「だっだって! ワシの世界に転生してほしかったんじゃもん!!」
「「じゃもん」じゃないわ!!神様が「じゃもん」て言うな!!どんだけ時間無駄にしたと思ってんだ!!!」
「だっておぬしが魔法に全然食いついてくれないから……ワシも必死じゃったんじゃ……」
「あーもう!!じゃあ今すぐその界王神に連絡しろ!!早く!!」
「わっわかったわかった! じゃあ転生するんじゃな!? ドラゴンボールの世界に転生するんじゃな!?」
「当たり前だろ!!むしろ最初からそれ一択だわ!!」
「よかったぁぁぁぁ……」
神様はへなへなとその場にへたり込んだ。後光がぽかぽかと温かく輝き始め、長い交渉がようやく終わりを告げようとしていた。
神様は震える手で「神様ダイヤル」と書かれた謎の電話機を取り出し、ぷるぷるしながら番号を回した。
「もしもし……あ、界王神様? お久しゅうございます、魔法世界の創造神でございますが……実はちょっとお願いがありまして……はい……ええ……転生者の受け入れを……はい……ドラゴンボール大好きな男の子で……はい……気を使いたいそうで……はい……超サイヤ人にも……はい……できれば破壊神に……は?」
神様の顔色がさっと変わった。
「……今、なんとおっしゃいました? 今ちょうど……破壊神ビルス様が……引退を考えていらっしゃる?」
健斗が目を見開いた。
「後任を……探していた……?」
二人の間に、しばしの沈黙が落ちた。
それから神様はゆっくりと電話口から顔を上げ、信じられないものを見る目で健斗を見た。健斗もまた、信じられないものを見る目で神様を見ていた。
「……おぬし」
「……なんだ」
「破壊神になれるかもしれん」
どっと笑いが起きる者は、その場には誰もいなかった。しかし健斗はゆっくりと、神様もじわじわと、二人同時に悟った。
この長い長い不毛なやり取りは、最初から全部、必要なかったのだと。
神様は白髭を震わせながら、かつてない羞恥と脱力で顔を覆った。
「…………ワシの今日の苦労はなんじゃったんじゃ」
「俺が聞きたい」
「最初から聞いておけば……」
「あんたが最初から言えばよかっただろ」
「……うぅ」
神様は嗚咽を漏らした。長い白髭がしょぼんと垂れ下がった。
田中健斗は大きく伸びをして、白い空間をぐるりと見渡した。
「……まあいいや」
そして少しだけ、笑った。
「ビルス様に俺がなるのか。悪くない」
「頼むから……ワシの世界は破壊せんでくれよ……?」
「努力する」
「努力するなー!! 約束してくれーーっ!!」
神様の叫びが白い空間にむなしく響いた頃、どこか遠くの宇宙で、猫のような顔をした紫色の神様が、くしゃみを一つした。
ビルス様のもとに、後継者候補の情報が届いたのは、それから間もなくのことだった。
それから次の転生者がやってきた。
異世界の神は次の善良な魂を召喚していた。今度は三十代の会社員だった。
「というわけで」神は説明した。「ワシの作った魔法の世界に転生してもらいたいんじゃが——どうじゃ?」
「魔法!?すごい!!」男は目を輝かせた。「ぜひ転生します!!」
「おっ……なんとスムーズな……!!!」神は感動で涙ぐんだ。「やっぱりこうでなくてはいかん……!!」
「ちなみに」男が続けた。「転生後の名前、フリーザにしてもいいですか?」
「…………」
神は深呼吸した。
「……おぬし、ドラゴンボールが好きか」
「大好きです!!」
神はゆっくりと、深く、深く、頭を机に打ちつけた。
ゴン。
それは今後、ドラゴンボールファンに悩まされ続ける神の、長い長い苦難の幕開けであった。
<完>
〈後日談〉健斗は無事ドラゴンボールの世界に転生し、修行の末に破壊神候補として認定された。魔法世界の創造神は「ワシの世界には絶対来るな」と念押しの手紙を送った。健斗は「努力する」とだけ返事した。神様は今も眠れていない。




